同じSグループにいて、私だけはいつも定時で退社。滅多に残業もなく、寮に帰れば音楽聞いて、1〜2時間習字の練習をして寝るのが日課。
ちょっと開発物語から外れて久しぶりに私生活面から書いていきましょうか。
習字といえば、第1話でも書いたように入段試験3回目で合格した割に2段、3段は毎年一発で合格、先生から離れた方が結果的によく勉強したと言うことなんでしょか?
昇段試験は課題が6〜9点あり、これを1ヶ月半で仕上げなくてはなりません。枚数にして約1000枚くらい書くのですが、正座して書くので一ヶ月半も経つとくるぶしが痛くなって、一枚書いては休み、また一枚書いては休むを繰り返す苦痛との戦い。それでも合格したときは苦労が報われたというか、安堵感がありました。
ヤマハ入社と同時期に習字の課題が”雁塔聖教序”に変わったんですね。筆使いがそれまでの課題と全く違うので、独学で「原帖」※と、参考お手本を見比べながら苦労して書き上げた後、先生に通信添削をお願いして、添削された物を参考に書き直し、清書したものを毎月提出していた。
※書き直した「お手本」ではなく、石碑や紙に書かれた元になる筆跡。石碑に刻まれた書は崩落し欠けている部分もあり、忠実に書写するのは難しい場合もあります。

それから音楽、というよりオーディオに興味があった私は入社間もなくコンポを購入。プレーヤーとアンプがヤマハのYP700cとCA1000、スピーカーがビクターのSX−3でスタートしたのですが、この頃には全てが変わっていて、その後アンプをC−2というプリアンプにしてCA1000のパワー部へ繋ぎ聞いていたが、これは長く続かず、C−2と同時期に出たパワーアンプB−1を購入した時には、スピーカーはSX−7に変わっていたと思う。
するとスピーカーがアンプの性能を引き出せず歯切れが悪い音にスカっとしない。ショップにあるJBLやアルテックのスピーカーを聞くと、何日か自分のオーディオでは聞けないくらいに落ち込んで・・・、「JBLが欲しいなー」と考えていた時期でした。

さて、本筋に戻りましょう。いつ頃だったか、主任から「笠君、今何キロ走ってるだ?」と聞かれる。「11000キロくらいです」と、答えると「今週いっぱいで終了してくれ」と言われる。自分では2万キロくらいは走るんだろうと思っていたので、予定よりも少し早い耐久テストの切り上げです。新型スクーターの開発で人手が足りなくなってきているようでした。
全く予定に入っていなかったので、8号館にあるシャーシダイナモの予約を取りに行くと、耐久走行前に計測で使ったシャーシーは予定がいっぱいで入り込む余地がない。空くまで待つわけにもいかないので、空いている方で使用予定を入れ、そっちのシャーシーで馬力を計測後慌ただしく3号館の整備場でフレームからエンジンを降ろし分解を始める。
精密測定室からダイヤルゲージ、マイクロメーターなどの計測器を借り出し、テストに入る前に測定した項目を確認し、一つ一つ部品を外していく度にトルクをチェックしたり、厚みやクリアランスを測り、記録しながら分解。耐久前に測定した値とも比較しながら慎重に進める。走行中には気がつかなかった、問題もなかったエンジンも、完全に分解すると「あれっ、これは何の部品?」と、異物となって出てきて、トラブルにつながらなくて良かったと、胸をなで下ろす。
シリンダには例のギクシャク対策での穴が、排気ポート上にあるが、中間確認ではちょっと詰まりかけ程度だったのが、終了時には完全に塞がっていた。バイパスポートが詰まっても走っている時にはギクシャクを感じることもなく『何でだろうね?』。

ミッションの方は交換後は何事もなく、分解後も問題はなかった。
エンジンの最後はクランクシャフトの分解。工機課に行きクランクシャフトの分解を始めるが、圧入されたクランクの片方は何とか分解できたが、一方は勘合が堅くて10トンの荷重を掛けても抜けない。それ以上の圧力は工機課の人しか行えない。で、15トンまで掛けたが抜けない、「これ以上は無理だね」と言われて諦めるしかない。

ここでクイズ、「柔らかい金属と堅い金属、どちらが先に摩耗する?」
途中まで分解したクランクシャフトをよく見るとコンロッドの大端部に嵌合されたクランクピン表面にうっすらと溝ができている(図の青い筋)。図を入れて説明すると・・・

この部分にはコンロッドとクランクウェーブが接触しないようにスラストワッシャ(赤い部品)というのが間に入る。そのスラストワッシャは銅が主成分で、表面をスズメッキしている。回転による遠心力で強くクランクピンに当たるわけだから銅製のスラストワッシャが摩耗するか、遠心力に潰されてスラストワッシャの内径が広がっていて当然と思いきや、全く逆、摩耗あるいはそのように見える溝が出来たのは、熱処理で硬度を上げられたクランクピンの方で、スラストワッシャはほとんど摩耗していませんでした。金属のことはよくわからないが「何でそうなるの?」という不思議な現象でした。

耐久テスト距離を稼ぐためにも約7割、距離にして8000kmほどがヤマハコースでの全開走行でしたからエンジンにはかなりの負担だったはずです。
その走行に耐えたピストンとピストンリングの摩耗具合も測定、そのデータと現物をピストングループのリーダーIさんに提出、「−何キロ走った」、「約12000キロです」、「笠君、君は飛ばしすぎだねー、リングのメッキがすり減って地が出とる、設計値の半分以下じゃないか、こりゃーメッキを厚くしにゃいかんなー」。
そこで、例のクランクピンを見せると「ほー、不思議やねー」、「何でこうなるんですか?」、と聞いたが、なんと答えてもらったかはっきり覚えていないが、原因は特に分からないことで、不思議な現象なのだそうです。

車体はフレームをカラーチェックする。カラーチェックとは、部品に入った亀裂の有無を特殊な液で見るもの。フレームから油分を完全に脱脂処理してカラーチェック用の赤色をした浸透液を吹きかける、しばらく置いた後ウェスで拭い取って、白色の現像液をスプレーすると亀裂(クラック)が入ったところに染み込んでいた浸透液が表面に浮き出てくる。このテストでは全く亀裂は入っていなくて、あれだけ重装備の走行でも大丈夫なことが確認できた。
設計のW課長からリクエストで「マフラーを切って中を見せてくれ」と、注文が入る。マフラーにはちょっとしたデバイスを取り付けてテストしていたので、それがどうなっているのか見たかったようです。10号館の船外機グループにバンドソーがあるので、重いマフラーを担いで持って行き、長いマフラーを縦半分に切る。エキパイ部は真っ白か象牙色、マフラー後端はカーボンが付着しているが黒光り状態、しかし、そのカーボンが指に着いてこないのには自分自身びっくり、それほど乾ききっていた。それを見た設計の人はあきれた様子で「笠君は飛ばしていたもんなー」。逆に言えば、実走で高温度にさらされてもマフラージョイントラバーの熱耐久性は十分と言うことが確認でき、デバイスも問題ないことが確認されたということだ。

分解と測定が終わると、各部品の写真を撮り「耐久試験報告書」を書き始める。
技術部門では各部署が試験した報告書の検索を効率よく調べられるように、A4一枚目に結論と考察を記入するように指示されていたが、テスト項目が沢山あるのにどうやってまとめるのか悩んだ物です。思いつかずに先に各テスト項目別にエンジン、車体、電装系、白バイの装備品などを、それまでに提出していた耐久日報も見ながら結果をまとめていくうちに表題の一枚に書く内容も決まってきました。
事務所で書いて、分からないところは確認のために整備場に置いている部品で確認して、また席に戻り記入する。ところが書き始めて3日目位たった頃、ふと席を立とうとすると腰に力が入らない、焦りましたねー。痛みではなくしびれを少し感じるような具合に力が入らない。『このまま立てなかったらどうしよう』、そういう不安が襲いました。しばらく座ったままゆっくり背筋を伸ばしたり、左右に腰を振ったりして10分くらい経ってから机に両手を置いて支え『よいっしょ』、何とか立つことができゆっくりと歩き出す。
そうです、椎間板ヘルニアをやってしまったようです。原因はコーナーで振れる白バイをねじ伏せて乗っていたのが、腰に負担が掛かっていたのでしょう。こりゃ大変なことになった物だと不安になっていました。

腰を振っているとS主任に「慣れん机仕事すると疲れるら」と、ちょっと違う風に見られたが「はあ」とだけ答えていた。その後、「あとどの位かかる、072が忙しくなってきてなー」、書き終えた分の報告書を見せると「丁寧に書いているなー」との感想をもらったが、それまでのペースを考えると「−あと3日ください」、「よし、あと3日な」。
それから大慌てで書き上げ期限の週末に提出すると「ごくろうさん、後で読ましてもらう、明日は出勤できるか?」と、聞かれた、そう、明日というのは日曜日なのだが「はい」と返事すると、ボーリング場跡の第二事務所2階に行って仕事をするように指示を受けた。
つまり、白バイのテスト終了の翌日から072の開発に加わる事になった。

『ついに50の開発するのかー』と、この時期までは落胆した気持ちになっていましたが、取り敢えず整備上に置いていた分解済み耐久車を8号館2階の部品保存庫に持っていく。あとは10月の決算期に廃棄処分するのみとなり、これで耐久走行試験の仕事は無事終わり、そしてスポーツバイクの開発ともお別れになりました・・・?。

腰の方は、負担を掛けないように気を使いながら注意深く立ったり座ったり。不安の中翌日起きあがると腰のあたりに痛みはあるが、歩けないほどではない。自分で考え、背骨がまっすぐになるよう敷き布団なしで、ふくらはぎには枕を置いて寝るようにした。すると、腰の痛みはなくなった物の、はじめの一ヶ月は体中が凝って痛かったのですが、徐々に慣れ、その後一年くらい経つとほとんど支障はなくなり、敷き布団を敷いて寝ても大丈夫なまで回復しましたが、立ったままの仕事とか、胡座をかくとかいった姿勢、それに寒い時期になると腰に痛みを感じるのは持病になっています。
ここから先は次回に・・・