”072”、つまり50ccスクーターの開発が私の新しい仕事になる。グループのみんなは3ヶ月も前に新しい072の仕事に取り組んでいたが、実験では私一人がRD400白バイ仕様の開発を任された形でやってきたために、少し遅れての合流。
日曜の朝、その仕事の手始めに第二事務所の二階に行く。しばらく待つとロータリーエンジンの開発をしていたIさんが来て、一緒に仕事をすることになる。事務所の中で6〜8畳位の一室に入ると2台のカラーリングされたモックアップ※が置いてある。「笠君、どっちのデザインが良い?」と、聞かれるので、ステップの後ろからリヤまで伸びたラインが気に入って、そちらの方を言うと、「それは重役が良いと言った方で、技術部の若手のほとんどはこっちの方を選んだ方が多かった」とのこと。しかし、重役の判断は「今回は若手の意見を入れよう」として、072のデザインを決定したそうです。

※第二事務所は東山ボーリング場という施設だったのを、廃業を期に事務所としてヤマハが買い取った?もので、現在その姿はジュビロ磐田スタジアムに生まれ変わっている。
スタジアムになる前はグランドで、技術部の部内ソフトボール大会をやっていた。

モックアップとは、デザイン画の中から選び出されたモデルを、実物大の模型で作った物。場合によりけりですが、粘土細工の物から、実物の部品(流用品)を取り付け、実車イメージを持たせた物まである。そのモックアップを見て設計と実験から担当者が意見を述べ、レイアウト上の問題、性能や整備性の問題点について検討する。
一見すると、今にも動きそうなモックアップですが、一台数百万からします。

072のモックアップは時間と経費節減のための工夫が施してあった。
それは車体はほぼ左右対称なので、普通なら一台丸ごと作るんですが、それでは時間も掛かれば費用も掛かる。そこで車体の片側だけ作って鏡を置けば、あたかも一台のモックアップに見えるという物。車体設計のAさんが考案したもので、まるっきり半分の費用というわけには行かないが、節減金額としては大きな物。
ただ、難点が一つあって、鏡があるために跨れないこと・・・だった。

で、最初の仕事はFRPを使ったカバー作り。
スクーターはデザイン上強制空冷となるために、当面のテストで使うロードパルのエンジンも強制空冷仕様に変更しなくてはならない。そのためのカバー「エアシュラウド」をFRPで作るのが仕事です。先行してエンジンのテストを行っているFさんや、一緒にやっているN君もすでに作ったとのこと。
作り方は、モックアップ製作用のちょっと高価な粘土をオーブンで柔らかくして、薄くのばした物をエンジンに貼り付け、厚さ5mmくらいに揃えていく。冷めると固くなるので、ヘラで削り形を整えていく。その間に、今までの仕事の進み具合を丁寧に教えてくれた。
それまでヤマハのデザインは”GK”一本だったのが、今回のスクーターのデザインは”YAC”(ヤック※注)という三菱自動車のデザインを手がける会社が担当をすることになった。そのデザイン屋の話でギャランの話があった。

初代ギャランのリアタイヤハウス部分には3本ラインがあって、タイヤハウスに絡んでボディーをスリムに見せるためのテクニックで生まれた物であること、面と面の接合部”ハイライト”を、丸いアールでつなぐのではなく、斜めにカットする形状にした方が部品を小さく見せる効果がある事、性能に影響するマフラーなどは必要な大きさを言っておくと、モックアップで「大きいな」と言われたら小さくしないといけないので、あらかじめ大きめに作っておくと良いと言う。

最初っから必要な大きさにしておくと「小さくしろ」と言われたら、小さくなりすぎるので、それから実験の苦労が始まる。ヤックの話では、どんな大きさで作っていても「小さくしろ」と、言われる。ならば、初めっから大きく作っておき、「大きい」と指摘されて小さくしても”目標通り”大丈夫なようにしておく。それでも「大きい」言われたら、「ほら、以前よりこんなに小さくしたんですから」と、言って納得させるそうで。そんな駆け引きも心得て、現場をよく知っているデザイン屋だそうです。

GKというのはデザイン性優先なので、その中に性能を織り込むことに技術部は腕を磨き、狭苦しい中にも整備性を確保する工夫を行う。初代のXS−1などは、タンクの幅を先に決めて、上から見てエンジンがはみ出して見えないように・・エンジンを設計したというのは有名な話。確かにSR400/500も、現在のモデルより初期のタンクデザインの方がスリムでかっこいいと思うのだが。
そして、話はロータリーエンジンの事、「笠君も乗ってみれば良かったねー」と、レシプロでは味わえない高速の伸びは別世界の物だったそうですが、シークレットな開発をしているロータリーバイクなど、エンジンでさえろくに見せてもらえなかったのに、まだまだ下っ端の私が「乗って良いですか?」など言えなかったもんなー。開発中止が決まりテスト部品や車両のRZ201と、参考車両のマツダロータリーコスモを処分する時、通常は専門の業者に委託するのだが、このときばかりは処分する現場まで行き、解体確認写真を撮るなど徹底したそうです。

しかし、部屋の中は暑かった。大きな建物で、小さい部屋用にエアコンなどはなく、窓を開けて外部から見られると困る極秘中の極秘で、この時点ではGKに内緒で別会社にデザインを担当させているため、漏れてはいけないので開けられませんでした。(機密保持のために第二事務所での仕事になった)
粘土盛りが終わると硬化したFRPを剥がしやすくするために、薄くグリスを塗った後FRPのクロスを貼り付け、1%の硬化剤を加えた樹脂を刷毛で塗り空気が入らないように、気泡が残っている部分は刷毛でつついて追い出すが、硬化するのがとっても早いのでゆっくり作業もできない。それを3回繰り返し終了。完全に硬化したところでFRPを剥がし取るとエアシュラウドの完成だ。仕上げにはみ出たクロスと樹脂をヤスリで仕上げ、あらかじめ作っておいたロードパル強制空冷用ファンを組み付け、出来上がったお手製のエアシュラウドを付けると、強制空冷エンジン仕様のロードパルの完成です。

私のテスト用ロードパルが出来た翌日、早速慣らしを兼ねた走行テストで市街地走行を行う。会社を出て浜北から天竜へ。2台で比較テストを行うときはデータの均一性確保から、一定の距離、時間、場所でバイクを乗り換えながら、前後走る位置も変えながら走行するようにしている。
天竜では丸盛食堂で昼食をとる。目に付くといけないので、通りから入った裏手にある木工所近くに置いて食事をする。その後豊田町を回って走っていると、にわかに曇ってきたかと思うと雨が降り出した。会社を出るときには晴天だったので雨具の用意などしていないため、Iさんが「全開で帰ろうか」。すると、2台の性能差は明らかで、速度で言えば3〜5km/hの差はあるだろうか、自然空冷のロードパルの方が速いので、その後ろスリップストリームに強制空冷ロードパルを入れると余裕で付いていける。むしろ、自然空冷のロードパルに乗るIさんが体を伏せて同じだったように記憶している。
馬力的には強制空冷のファンを付けると0.1〜0.2馬力が落ちる。つまり、競合とするロードパルと同じ走行性能を発揮するにはロードパルよりも0.2馬力高く馬力を出さないといけないということで、これはロードパルの10%アップと言うことになるのだが、エンジンの実験責任者とも言うべきFさんは「そのくらいは出せるら」、あまり気にしてはいない様子です。

速度的にはビハインドを持つ強制空冷も坂道になると本領発揮です。
ヤマハコースから10分くらいのところにゴルフ場があって、50ccにしてはきつい坂があるという。ゴルフ場の人と、072と並行して開発している071のグループに知り合いがいると言うことで、断って走らせてもらうことが出来た。
冷えた状態の標準ロードパルは何とか登り着くのがやっと、続けて2回目をトライすると、登り初めてすぐにオーバーヒートから出力ダウンしグロッキー、助走を付けても登り切ることも出来ない。ところが、強制空冷されたロードパルは元気で3回くらいは続けて上ることができる。しかし、半クラッチ状態が続くとクラッチが滑りはじめて上ることが出来なくなるが、十分に助走を付けクラッチが完全に繋がった状態で坂を上ればOKなので、いかに強制空冷が良いのか実感した。このあたりで072はロードパルに勝てるという感触が生まれつつありました。

後はいかに冷却効率を高め、出力ダウンを抑えるかがポイントで、エンジンのチーフはIさん、以下、馬力はFさんが、冷却関係のテストはN君が担当し、私はオイル消費のテストを担当することに、オイルポンプの設計担当は同じくロータリーを開発していたOさんです。
とは言っても、072の試作エンジンはまだ出来上がっていないので、しばらくはロードパルの実力を調査し、目標値を設定する為のテストが日々続けられた。

072の開発に合流したあと、私のところにIさんがきてRD250/400後のモデル開発で「RDに乗り切れる人が居ないから乗ってくれないか」との話があった。私一人では判断できないことなので「Iさんに聞いてください」と返事する。その頃は仕事としてそんなに忙しい時期ではなかったんですが、エンジンの実験要員として一人でも多く確保しておきたかったのでしょうか?・・・結局断ったようです。

しかし、日曜にテストのためにヤマハコースへ行くとIさんや4サイクル担当のTさんが出勤して400クラスの性能クロスチェックを行っていました、次期開発モデルの走行性能の目標値を設定するためでしょうか。本コースのストレートのみでのテストですから日曜でもOKでした。
RD400のゼロヨンタイムは人にもよるが13.7〜14.1秒位(アメリカの雑誌”サイクルワールド誌では14.2秒、国内バイク雑誌では13.9秒前後だったように思う。テクニック以外では体重差がタイムに影響する)、TさんがXS400で走って13.8〜13.9秒なのに対し、テストで走っているS君がRDで14秒を切れない、Tさんも慣れない2サイクルに手間取り14秒を切れない、おかしい、と言うことで私に声がかけられ「ちょっとだけですよ」と言って、走ってみることに。

2ヶ月ぶりのRDでちょっと心配。光電管の位置を確認してスタートラインに止め空吹かしつつクラッチのミートタイミングを計る。合わせたつもりがクラッチを離すのが早すぎて大きくウイリーしてしまい、途中で棄権。やり直しの2回目は『今日は誰も走っていないんだから』コース中央に止めてスタートする事にした。今度はジャストミートしてフロントタイヤもベストな高さで2−3速と繋いでいき、400地点を通過して戻ってくるとIさんが首を傾げている。「もう一回走ってくれる?」、そう言われて『タイムが良くなかったのかなー?』、再びスタートラインに、3回目もジャストミートしたのはもちろん、チェンジミスもないのでタイムには”自信”があった。

コントロールタワーに上がりタイムを聞いてみると一回目が13.65秒で、過去のデータでも出たことのないタイムなので、逆に速すぎて「おかしい」となり、念のために2回目を計ると更に上がって13.56秒を記録した、これがおそらくRD400(1A1)の最高タイムだろう。すると、Tさんが「XSとの速さの差がわからない」と言うので、私がXS400に乗ってみることに。
4サイクルでのゼロヨンなど経験無いし、クラッチミートの回転数だけ聞いて測定開始。だらだらしたピークに『どこでチェンジしたら良いんだろ?わからん』と、思いながら適当に2回走ったけども、その2回目で14秒をかろうじて切った位で、Tさんとの差は0.1秒くらいあったと思う。

4サイクルのXS400は、RDのように簡単にはウイリーしないからスロットルを大きく開けられる為、結構良いタイムが出るのだそうです。本コースを全開で2周も走れば特性が分かって、チェンジタイミングも的確に出来たのだろうが、日曜日は本コースは走れないし・・・。Tさんは私よりも体格が良いので(体重も重い)、本来は私の方がいいタイムを出して当たり前なのですが、慣れの問題もあるね。
そんな2&4の400クロスチェックテストは終了。排気量・馬力は互角でも、2ストであるRD400のメンツは保てた。

それから暫くして再びIさんが来て「やっぱり笠君に走ってもらえないかなー」と、Iさんに直談判しているが、その頃は大変忙しい時期で、一人でも欠ける訳にはいかないのは私も承知しているからあきらめてもらった。

その後、別の部署でRD400のマイナーチェンジモデル(2R9)を担当しているW君が13.46秒を出して記録更新したと聞いて悔しい思いをするが、後日そのマイナーチェンジRDに乗る機会を得た。W君から借りたRDを本コースに入る前のチェックをパドックでしてみると、「あれー250並に低速トルクが無いなー」と、シリンダのフィン数を数えて「ああ、やっぱり400かー」と思ったほどだ。
コースを周回すると、ピークの回転数が500回転ほど高くなり、1A1の「あと少し伸びて欲しい」領域までスムーズに吹き上がり、最高速も稼げるようになっていた。それからするとあのゼロヨンは・・・・。

※注:現在はエルムデザインと改名しデザイン作業を行っている。YAC時代は外注デザイン会社であったが、エルムデザインは100%ヤマハ出資のデザイン会社となっている。
詳細については、こちらににサイトがある