072の試作エンジンが出来上がってきたのは盆休みに入った8月10日だったと思います。
夏休みに入ってから試作エンジンが出来上がると言うことで、夏休み返上での仕事を言い渡されていたので「今年のお盆は帰れない」と、母に電話しておいた。
試作のエンジンは砂型で作ったアルミ製です(砂型エンジンは、量産型のダイキャストより重い)。
エンジンはクランク室リードバルブという、今では主流のタイプだが、RDをはじめ多くのスポーツ車が高出力を得るためにピストンリードバルブを用いていることを考えると、当時としては単に低速用エンジンという印象が強かった。

シリンダに開けられた各ポートのタイミングは、ヤマハメイトのタイミングを参考に、ポートには削る余裕をもうけているため、、より低速向けになっているという。他にも、短期間で作り上げる必要からピストンの加工も、キャブレターもメイトを参考に072用に作り替えられた物だ。

そのエンジンを動力計に付けるため、エンジン台にセット。左クランクの先端には”カップリング”というドッグを取り付け、減速ギヤボックスと繋げる。その間には樹脂製の緩衝剤を挟んで金属同士のショックを和らげている。

朝からベンチへの取り付け作業を行っていると技術部の責任者、N部長自らベンチまで来て「まだか」と心待ちにしている。シリンダヘッドを取り付け金属製のエアシュラウド(これは初めから量産モデル)を取り付けるためにボルトを締めようとしたFさんの手からボルトが”ポロリ”、まだ取り付けていないプラグの穴から燃焼室に落ち込んでしまった。「部長が見ているから緊張しちゃったー」、日頃は厳しい部長も、この日ばかりは嬉しさと期待が先のようで、せかすように「よかよか」。

きちんと組み立てた後ベンチの扉を閉めて動力計のセルボタンを押すといとも簡単にエンジン始動!みんなにこやかに感動の瞬間。出力もそこそこに出ていて慣らしを行うことにしたが、基本的には従来のヤマハが蓄積してきた50ccバイクの各ポートのタイミングを参考にしているので出て当たり前だったのかもしれない。
しかし、オイルポンプ担当のOさんの勘違いから、ポンプギヤ(ウォームギヤ)のねじ切り方向を間違っていてオイルポンプが作動しないため、ガソリンとの混合給油です。
なぜ間違ったかというと、通常のエンジンは進行方向に向かって前回りですが、スクーターは動力伝達機構の構造上の違いから後ろ回りになるのです。当然、前回り用でポンプギヤを作るとオイルを送り出せないのです。

実走行では40〜50:1の混合比なのでと、その比率で混合するとエンジンが焼き付いてしまった。ピストンとシリンダは適当なクリアランスを保たなくてはいけないし、ピストンはミクロン単位(1/1000mm)で凸凹している物で(※これについては機会を作って説明します)、その凸凹付け方が焼き付かないエンジンを作り出す秘密なのですが、今回の焼き付きはそんな物ではなく、オイル量不足からくる物なので、30:1でやってみるがそれでも駄目。ならばと20:1で混合するとようやく焼き付かなくなった。以前から2サイクルのオイル混合比は20:1が常識的だったのですが、それを立証すると同時に、分離給油方式はオイル消費を飛躍的に(おおよそ50:1レベルまで)伸ばす事が出来るメリットを改めて知ったようなものです。

エンジングループはベンチで、車体グループは夏休み期間中車体周りのテストを兼ね、少しでも問題点を洗い出すため、2台のテスト車を走らせる計画で、その車両用にエンジングループは急場しのぎのキャブレターのセッティングを行い、ヤマハコースを基点に走らせました。
テスト車と言っても、072の特徴であるスクーターとは分からないようにステップ部分にFRPで作ったカバーを取り付けてカモフラージュしていた。ロードパルの対向車を待ち望む販売店へニュアンスを伝えるためだったのでしょうか、その走行には営業企画や営業技術課の社員も含められていて、会社全体の期待を感じました。私もベンチでの走行用セッティングが終わり、最初の一日目だけ、営業技術課の人を引率して走りました。
その時の印象は記憶からかなり薄れていますが、車体全体の振動はひどく、20キロも出せばシートやハンドルに容赦ない振動が襲い、縦置きエンジンの振動がエンジン懸架


エンジンの開発は正規のオイルポンプギヤが休み明けになることと、思ったよりも最初から期待以上の馬力が得られたためエンジングループは「夏休みはとろう」と、部長からの許可が出て夏休みが取れることになったが(車体の実験チーフYさんとエンジンチーフのIさんは休みはなかったと思う)、そんなとき寮生は困るのです。
夏休み期間中の寮に飯はないし、風呂もない。当時の私は三菱のデリカに乗っていましたが、帰省するには交通渋滞の中走らなくてはならない・・・、そう考えて行った先が軽井沢。2泊3日の車中泊でちょっとしたドライブを楽しむ。
このデリカは良く走ったけれども所詮貨物車で、空荷の時はフワフワ、コーナーではロールが大きく、不用意にアクセルを開けると簡単にホイールスピンし、交差点の右折で軽くアクセルを踏むだけでもタイヤスモークがモクモクと上がる。余程いい方に誤差が生じた”当たり”エンジンだったのかもしれない。暫くしてミシュランタイヤに交換したところ、スピンしながらも加速するようにはなったが、エンジンのパワーを生かし切れない足周りのセッティングには閉口した。

072のエンジンが出来て、最初の仕事はオイルポンプに付いているカムの形状を決定するためのテスト。その仕事は休み明けにオイルポンプギヤの正規品が入ってきてようやく私の仕事が始められるようになった。
現在はエンジン回転数で制御されるポンプを使用していますが、昔の2サイクルエンジンは潤滑のためにオイルをガソリンに混ぜた混合ガソリンを使っていたわけですが、先にも書いたように、この混合給油方式は数倍オイルを使うために、燃え残ったオイルによるトラブルに悩まされていた。それを改善するために、ヤマハが開発したのは混合ガソリンを使うのではなく、ポンプを使って必要な量を供給する”分離給油”方式、それは杉山さんが考案した。その成果が認められ杉山さんは重役までになった人だ。

ポンプの仕組みは・・・エンジンが数十回転に一回ポンプ内部のピストンが上下する、そのときに漏れ出し防止のチェックバルブを通過したオイルがキャブレターに開けられた穴からオイルがエンジン内部に供給される。もう一つの工夫がポンプのプランジャ(ピストンに当たる部品)が上下するストロークは常に一定で変えられないので、ポンプの周りにスロープ状のカムが付いたプーリーを取り付けて、これをスロットルと連動して動かすと、ポンプの有効ストロークが変化(つまり可変ストローク)し、オイルの吐出量を変化させる構造です。
そのカム形状を焼き付きテストなどで実験しながら決定するのが私の仕事。生産ラインでの調整誤差、ワイヤーの伸びなどを考慮しなくてはならないので、カム形状を決定するのは大変重要な作業で、オイル消費が少なく、焼き付かないオイル量を確保する必要があった。
直径2mmでしたか、エンジンが数十回転してその小さいポンプが1ストロークしてオイルを送り出す、ミリ単位の計算とエンジン回転数、スロットルの開き具合での変化など、計算する要素がたくさんあるので、算数に弱い私の頭は重〜くなった。そんな手計算を助けてくれたのは今では100円セールでも売っている”電卓”でした。当時は8桁の加減乗除しか出来ない物でも2〜3万円したし(給料の約半分!)、電池寿命も大変短かった。RD400で一緒だったHさんから借用したヒューレットパッカードの関数機能付き電卓は12桁で6万円以上する代物らしく、その電卓にはメモリーが3個もあって、ベンチでの係数を使う時には便利に使わせてもらった。

その量が微量で桁数も変化するために目標とするオイル消費を求めるグラフにすると用紙からスケールオーバーする。丁度そこへHさんが通りかかったので「どうしたらいいですか?」と、聞くと即座に「それは対数グラフの用紙を使わないと書けないよ」と言って、事務所の文房具の中から片対数グラフの用紙を取り出して書き方を教えてもらうと、なーるほど、目標とするオイル消費変化が直線で全部書けるではないか、さすが東工大卒と感心したのと、その様な特殊なグラフ用紙が常備されている事にもびっくりです。

アイドリング時のオイル消費から全開走行時まで、必要とするオイル消費量を求め、それをスロットル開度と連動してプーリーカム高さを設定し、全走行域で適切なオイル吐出量を決める手順で仕事を進めた。
しかし、理論値でオイル吐出量が計算できて終わりではない。ピストンの上下運動による逆流と漏れ出しを防ぐチェックバルブが付いているために、動作にタイムラグが生じる分だけ吐出量に誤差が生じてしまう。

計算で求めた吐出量を設定し、ベンチでエンジンを回し実際に消費するオイル量を測定すると、記憶の中では計算値の約70%程が実際の吐出量になったと思う。
アイドリングや中間開度から全開まで、スロットルの開きに応じて吐出量の変化を求め、想定されるオイル消費率を求めるとカム形状が決まるのですが、先に書いたようにワイヤー調整の誤差もあるので、それを最小限に抑える工夫も必要です。
その結果を踏まえて耐久車に組み付けて実走行でのオイル消費を確認する必要も出てきます(これは車体・走行グループの仕事)。
プーリーカムは焼結合金で硬度が高く、摩耗に強い。カム形状の図面を作り主任に試作部品製作の許可印を貰うと、未加工のプーリーと図面を持って工機課に行く。工機課長に直接持っていくと「072」は印籠代わりのコードで、すぐに製作に取りかかってくれるほど強力。でも、同じ部品の加工で一日に2回目となると渋い顔で「一日一点にしてくれや」と言われる事もあった。

ここで試作部品の価格を少し説明しておきましょう。開発プロジェクトには開発にかかる予算がある、その中には人件費も含まれるし、試作部品、試作車費用、テストコース使用料なども含まれる。
試作する部品の図面を作り、試作伝票に所属課、プロジェクト名、担当者、希望納期を記入し検印を受ける。ポンププーリーの加工や金属加工などは材料代に基本料金5000円/点で、加工工程が一行程増すごとに1000円が加算されて工機課から開発プロジェクトに請求がくるようになっている。
072の場合の納期はすべて「即日」で、072としての試作エンジン、車体が出来上がってきたのが8月と言うことを考えると当然・・・か。ポンププーリーの加工は特殊な旋盤で加工するのですが、他にも使うことのある旋盤なので、ポンププーリー加工用に組み替え、図面に従ってカム形状を切削出来るようにセットするには2〜30分かかっていたようで、作業する工機課の人は(同じ寮生だったな)他の機械加工の手を止めて優先的に加工を行ってくれました。1個の加工に約10分、手加工の誤差を考え一仕様2個作ってもらう。その分他のプロジェクトの納期が遅れるわけで、工機課に試作伝票を持っていくと良い顔されないときもあり「一日一点・・」と言われるわけです。

加工が上がったプーリーをポンプに組み付け、1/100mm単位で長さや移動距離を測定できるダイヤルゲージを使ってポンプストロークを測定する。最大・最小ストロークの差が有効ストロークになるが、これを設計値に調整するために薄っぺらい真鍮製の”シム”を使う。
オイルポンプの組み立て工場は浜北工場内部にあって、本社が磐田に移る前は本社だったところで、エンジンの加工・組立を主に行う工場。
オイルポンプは内部部品の組み替えで多機種に対応しているため、加工で生じる誤差を含めて調整用のシムを使う。そのシムは、生産ラインのある浜北工場のポンプ課で分けてもらうが、1枚あたり1円の振替伝票が必要になる。厚さは0.1mmから0.4mmくらいまでの数種があった。0.05mmの厚さの物も有るのだが、「これは生産用には使わないでくれ」と、ポンプ職場の人からは言われていた。

ポンプ組立ラインで面白いのは音楽が流れていること、それも歌謡曲が。社内では各職場の生産効率や品質などの面で工夫を凝らす「改善提案」活動を盛んに行っているが、組立ラインではついマンネリ化して”凡ミス”から品質管理に支障を来すことがある。特に細かな調整を必要とするポンプの組立では集中力が無くなってミスを起こすと、部品が部品だけに重大。そこで工場内で音楽を流し気分転換を行うことで防ぐという。当初、職場の上司から当然のごとく反対されたらしいが、女性リーダーが踏ん張って「生産性や品質が悪いならすぐに止める」と言う条件で試してみると、良い結果が出てしまった。困ったのは上司、「うちの職場だけ音楽を流すのはどうか?」と、渋い。しかし、その上の判断は「生産性が上がって、ケアミスも少なくなるなら”特別”に良いだろう」と、なってポンプ組立だけは音楽が流れるようになったそうで、毎月女性社員が数曲選んで流すようになったそうです。他の職場では生産ラインの中で担当する行程を定期的に変更してケアミスを防いでいるところもある。

プーリーの試作品を6種類ほど作ってめどが立ったそんなとき、設計のOさんが8号館のベンチ前まで来て「カム形状はこれで決まったけどやねー、スロットルとオイルポンプのワイヤーをどう繋げるかアイデアが浮かばんで、まだ決めていないんよ」と言う。スロットルのストローク14mmに比べ、オイルポンプはその2倍近く引っ張る必要がある。しかし、オイル消費からカム形状を図に書いているうちに、キャブレターのスロットルバルブ開度とプーリーの円周差が頭にあった私がひらめいて「扇形の根本を支点に、内側にスロットルワイヤーを繋げて、外側にポンプワイヤーを繋げば円周の差がワイヤーの移動距離の差になって・・、それをフートボードとカバーの間に置けばワイヤーも無理しなくて・・・」と言うと「笠君、頭良い!」それで決まりました。その試作品が完成してくるのに時間はかかりませんでした。完成した物は、私が頭で描いた物そのままに仕上がって、さらにケースがぶらぶらしないようにフレームに固定するツメを付けるのはOさんのアイデアでした。このケースはその後のスクーターの多くに採用された。

※ここで余談
ところで、試作車一台いくら位するでしょうか? 全くのニューモデルなのか、マイナーチェンジモデルなのか、何台作るのかでも変わると思いますが、大ざっぱに言えば072のような小排気量車では生産車のおよそ10倍が目安らしくて、072では一台70万円と言われたし、XS1100は400万という金額。当時の大卒初任給は8万円くらいなので、今ならば150万や850万と言う価格になる。
因みに、当時一番お金が掛かるレーサーは何か? 答えはトライアルマシンで、一台のお値段は1000万円。理由は1台しか作らないからだという。もちろん、これらの金額には開発の実験費用・人件費などは入っていない単純な試作車両金額だ。

さて、ヤマハに入社しても、それまで師事していた先生に月一回の通信添削指導をお願いし、寮に帰った後に練習した甲斐あって、3回目の入団試験に合格した後は順調に昇段試験に連続合格し、この時点で3段になっていました。
昇段試験の9つの課題が発表されて練習できる期間は約1ヶ月半。この間半紙1000枚書き込んで、締め切り前になると、正座しているためにくるぶしが痛くなり、2〜3枚書くのがやっとという苦しみを味わいましたね。
しかし、毎日10時過ぎまで残業が続くと、とても習字の練習をする時間がとれません。やむなく先生に理由を告げて一時お休みすることにしました。
習字の練習を再開できるようになったのは4年ほど後になりますが、その時は大変でした。元の感覚に戻るまで約半年掛かりましたが、その後も順調に7段まで(準師範格7段、最高位は師範格8段です)上がりましたが、再び仕事の関係でお休みすることになりました。