9月に入って暫くしてシリンダやピストンの方向性を決定するための、冷却性や耐焼き付き性確認のため、本社から車で3時間ほど離れた水窪町の山奥「山住峠」に一泊二日の日程で071の開発を行っている別の部署と合同テストで行くことになった。
テストへ行く前日は通常の仕事を行ってからあと、テスト用の部品や機材を準備したため、2トントラックに積み込みが終わったのは午前1時頃だった。

山住峠には由緒ある「山住神社」※があり、水窪町からそこへ通じる道は砂利道で、テストで使う南側道路は大小の石がごろごろした幅の狭い道で「こんなところを小さいバイクで走るの?」と、思うくらいひどいし、道幅も狭くて、対向車が来れば離合できないところだった。
※山住神社:サイトが無くならない限りこちらに情報があります

冷却性、耐焼き付き性確認等のテストが中心で、ずっと冷却性のテストを行ってきたN君が測定ライダーを務める。
一台の温度計でシリンダやプラグ座温など数カ所の温度を測定するためセレクターで切替ながら温度を測るが、走りながら書き留める事は出来ないので購買課でマイクロカセットのテープレコーダーを購入しテープに吹き込みながら走ることに。
機材を降ろして準備に掛かる。1日目は冷却性の温度測定を主体に行った。オイルポンプの調整を確認していざスタート。足下の悪い道を、計測器を肩から掛けて温度計を読みながら走り出す。テストが終わるとテープを再生しながら記録し直していくと「ゥワッ???イッテー??ちかっぺ痛い」と、転んだ声までリアルに入っている。その後、怪我をしてはと、手が空いていた管理職の方だったか、危険で邪魔になりそうな大きめの石を路肩に除けに行きました。あの道の状況から考えると無理はないが、それでも1日目の温度計測テストを無事終了。
水窪町の旅館で泊まることになり、夕食を摂っていると本社からW課長がテストの状況を聞きに8時ころ駆けつけて「なんか寂しいな・・芸者呼べるか?」と、言い出して「今の時間からじゃ無理よ」と、旅館の人から言われて、やむなく料理で。このときの料理はボタン鍋だったと思うが、そして馬刺もはじめて食べることに。

翌朝旅館からおにぎりのお弁当を受け取ってテスト現場へ。
二日目は耐焼き付き性の確認テストが中心になった。確認項目は適正ピストンクリアランスとピストンカムモデルの選定です。
ピストンの形状はカムモデルという物によって微妙な凹凸が付けられている。運転中のピストンは当然の事ながら熱膨張するが、その度合いは場所によって違います。また、シリンダ内部でピストンが踊ると当たり音が出る、これを抑えるためにスカート部を意図的にシリンダに当てることもあり、シリンダライナー部の基準肉厚等とともに焼き付かないエンジンを作る上で、このカム形状もメーカーのノウハウがある。
数種類のカム形状をテストしたが焼き付いたピストンは出なかったと思います。その中でも焼き付きに強いであろう”あたり具合”当初から本命視されていたカムモデルの物は素晴らしかった。

エンジン組立時どの程度のオイルをピストン・シリンダに塗布するか、組立ラインに指示する必要があるので、その確認も行ったとき、新品部品で初めは普通にオイルを塗って組み立てていきなりの登坂テストに皆心配顔だったが頂上まで完走。ではと、塗布量を抑えてみたが、それもOK。ピストンのみの塗布でもOKなので、最後はガソリンで洗っただけと言う過激なトライを試みると・・これもOK。このカムモデルはピストングループのリーダーであるIさんが、数々の焼き付きテストを行ったきた中で、手修正を重ねて作り上げた珠玉の一品!?でした。
何でも、一つのカムモデルを作り上げるのに半年一年かかる場合もあるのだとか。

期待以上の成果にIさんも満足したようで、自慢話が一つ増えたようですが、流石に「2サイクルのヤマハ、ホンダとは違う」と、実感しました。ライバルとなるロードパルはエンジンの慣らし中でも焼き付きが生じてしまうほど信頼性が無い上、オイルポンプも故障がちで壊れてしまう。その仕様変更、は新車が入荷する度の時もあり、ついには初期型と互換性のないオイルポンプの構造変更まで行われ、そうした変更回数は5回くらい変わったように思う。そんなことからすれば072は優秀である。2サイクルではヤマハとともに先鞭を切っていたスズキにしても、給油方式を変更した当初は焼き付きやすくなったものだ。

基本のピストンやシリンダ、そして冷却ファンが決まり、短期間の内にエンジンの仕様が固まっていく。
そんな頃PR課が担当したのでしょうか、外タレを起用してロードパルをテレビCMに流したのだからヤマハでもテレビCMを打って対抗する必要から、072の販売対象が主婦と言うこともあり候補の中から選ばれたのは「八千草 薫」さんだった。
初めは八千草さんの免許取得から。当時自動車免許をお持ちでなかったため、ヤマハテクニカルセンター(二輪車教習所)から選任の講師が学科教習して一発合格。次に、乗れないではいけないためヤマハコースで八千草さんを実地教習。乗り慣れない方の為に加速力を弱めるスロットルの規制装置もこの時期に検討され、組み込んだ物に乗っていただいたんだが、その八千草さんが乗るバイクをヤマハコースに持っていく前「女優さんに何かあっては大変」と、テスト車には滅多に乗らない課長や部長までが入念に試乗、【安全】をチェックした。

また、この試乗用に作られたシリンダは低速向きにセッティングされたスペシャルなんだが意外に上まで良く回る、二度と同じような物を作れず、しばらく”八千草仕様”としてそのシリンダは記念品的に保管していた。残念ながら私ら下っ端はヤマハコースでの実技指導には立ち会えず、実験からは主任とIさん、Yさん、設計の数人で、その他のスタッフは自分の仕事に専念。

その後、テレビCM撮り用に072を一台オーストラリアに送る必要が出て、各担当者が入念に組み立てチェック、オイルポンプの組立チェックではOさんと二人で確認、ワイヤーが長くてカバーに当たっていたが、そのような細かい所まで仕様が固まっていない時期であり、取り敢えずガムテープを巻いて止めた。そのカバーには「PASSOL」という商品ロゴのステッカーが貼られた。パッソルとは太陽と青空を組み合わせた造語です。
外見上は生産車と同じに見える撮影用のバイクですが、中身は開発中の試作車。生産仕様では付いているフロントフェンダーのゴムフラップもこれには付いていません。
CM撮影の際、この撮影用バイクの調整が必要になるかもしれないとの事で、設計のN主任が同行されたと思う。
伝え聞いた話では、このときの八千草さんのギャラは1700万円だそうで、撮影などでヤマハが拘束できる日数は3日、CM契約期間の一年が過ぎたら全販売店からポスターを撤去する・・・という厳しい肖像権管理まで付いていたとか。当時の所得相場は現在の約1/3だから、CM一本5000万超のビッグスターであることに違いはない。

通常はテレビCMのチェックなどは企画に関わる人と役員くらいなもの。ところが、開発スタッフへのねぎらいというか、志気を高めるためか特別にテレビCMのプレゼンテーションが本館3階の313会議室であり、見せていただいた。オーストラリアの街並みの中で、若葉で反射する太陽光の中走るパッソルは、その名のごとく輝いて見えた物です。そのCM挿入曲は、当時売れ出した人気のコーラスグループ「ハイファイセット」でした。自分たちが作ったバイクがテレビCMに流れるんだーと思うとちょっぴり感動。そんな中でもガムテープを貼って処理したことなど、役員の方は知る由もありません。

月に一度の社長チェック、一週間ごとの部長チェック、毎日午前午後、主任の「どうだい」チェック。1月の生産開始計画なので、そろそろ一部の部品では生産仕様を決めなくてはいけない、そんな時期に入りつつあり、中でも動力を伝える部品でメインアクスルを支持するベアリングの受け構造で、異音(ギヤのうなり)が出る、出ないで二転三転。耐久走行しているM君の話も「初めは出らんけど、途中から出だした」と、暫く走らないと結果が出せない。その為、設計を担当するTさんは生産用の金型手配が出来ずに、決定までの間苦労していました。

ベンチでは動力計の針の動きが悪い。測定中に荷重計の針が決まった一ヶ所で引っかかったような動きをするため正確な値を測定・記録できない。動力計を支える特殊な「揺動ベアリング」(ようどうベアリング〜とか言っていた)がおかしいのではないかと言うことになって、決算期に掛かる9月末、そして一応目処が付いた部品の試作品が揃う10月半ば以降までの間でオーバーホールを兼ねて動力計を修理することになったが、どこが壊れているのか予測は出来ても断定は出来ていない。結局は分解してからの話、保守を行うメーカーには「何があっても1ヶ月以内で修理が完了するように部品の手配をして下さい」と、念を押した。また、修理前後のデータ変化を調べる必要から一台のエンジンを比較用として保管することに。

そして恒例の年2回の棚卸しを行う。このときは税務署に資産状況を上げるために試作品といえどもリストアップし無くてはならない。不要な物は廃棄することになっている。
各開発グループからそうした部品が山積みされ10トントラック2台分にもなったが、この作業中072の電装関係の設計を担当していた一人、O君が指を挟んで骨折する事故が起きて大変でした。
072の試作部品も多数処分しましたが、それとは別に私は耐久車として乗ったRD400白バイ仕様も分解したままベンチのファン室に保管していた物を廃棄する役目が残っていた。これを廃棄して完全にRDとはお別れ・・・。おーさみしい。