072と同時進行で生産設計部が開発していたサイクルタイプの071は、当初から最終段階まで開発しないと言われていた。ヤマハとしてはスクータータイプを最優先し、ホンダとは違う形での拡販を狙う目的だったからです。その為、10月に入って071のグループは解散、その一部スタッフはそちらから072を開発している実験部に合流することになった。

エンジンはもとより、車体、電装、騒音に分かれて開発しているなかで、日々変わる最新仕様や進抄状況を把握しておかないといけない。短期的な開発計画は会議でつかんでも、日々の進抄状況は回覧板で連絡を取り合っていたが、机の中でとどまる事もしばしばあった。そうなると「そんなけー?」、古い仕様でテストを続けて再テストと言うことにもなるため、読んだ人は日付を書いて次に回すように改善された。そうすることでプロジェクト全体の一体感を得ていたし、仕事中は把握しにくい担当外の情報も逐一入っていた。それくらい開発スピードは早かった。
忙しかったはずの7・8月よりも9月、10月になるともっと忙しくなり、タイムカードでの残業も100〜120時間に達していた。
休日出勤の時くらいゆっくり身体を休めてから8時間の仕事を始めよう・・と、S主任が「明日は9時な」。翌日会社に出るとN部長がいつもの時間に出社していて気まずい雰囲気、「遅いやないか」、「いつも遅くまで仕事しているので1時間遅く始めるように、6時まで仕事をしますから」。「そんな問題やないやろ」・・おおっ怖!

8月に出来上がった試作エンジンでのテストを受け、改良されたエンジンは金型製となった。砂型エンジンに比べると金型エンジンは軽い。待望の金型エンジンだが、そのエンジンに大問題が発覚した。組立たあと、慣らし走行を始めると焼き付きが連続して発生した、ピストンを交換しても焼き付きが出る。あれほど絶大な信頼性あるピストンが「なぜ??」と、みんな不思議がる。設計のN主任やピストングループのY君などが調査を始める。
調べてみるとピストンのカムモデルが長年の使用で表面のメッキが剥がれ、本来の形状で削れなくなったらしい。おまけにマスターモデルしか存在しないらしく、新たに手作業でカムモデルを作る時間的ゆとりなど無い、新規に手修正しながら作るのに約半年掛かるそうです。そこで、相前後して進めていたカムモデルの「NC化」〜コンピューターを使った加工方法、で新しくモデルを作ることになった。これにはピストングループからY君が調査から引き続いて担当し、数種類のピストンを製作、従来のカムモデルで作られたピストン形状を読みとりNC用のデータを取りますが、全く同じ物にはならない。ピストンの当たり具合を確認し修正を重ねた。

ピストンと言うのは、外径の形状もさることながら、ピストン表面を切削した後に残るバイト目も重要な物。(と、言うよりワザと残し、潤滑性を高めている)、そのピッチと深さやばらつきも重要なポイントです。レコード針ような物でその形状を読みとる装置が「精密測定室」にあり、それを使ってバイト目の「残し具合」を確認しながらのテストに約1ヶ月掛位掛かったでしょうか、何度も試作を繰り返して何とか「合格品」を作るまでにこぎ着けたけれど、「手仕上げ vs NC製」は「アナログ vs デジタル」で、両者には明らかな差がありました。
とは言っても、焼き付かなくなったピストンにY君は「よく出来上がった」と思っているし、Iさんは「まだ機械には任せられん」と、自負心があります。
そんな仕事をしているとW課長の「お前ら重箱の隅を突っついて居るんじゃないか」との、口癖が聞こえてきます。

動力計の修理が完了し、修理前との比較もできて生産仕様に向けた性能開発を進めることになった。設計のAさんが新しく金型で作った強制空冷のカバー「エアシュラウド」を持ってきたとき「笠君、これを作る金型いくらしたか分かるか?」と聞かれた、鉄板をU字形に曲げたくらいの単純な物のように見えるから「300万くらい?」と言うと、「700万!」と言う回答、これにはビックリである。何でも、深くプレスする作りが高く付くんだそうです。
Aさんからはもう一つクイズを出されたことがあって、それはフロントフェンダー後部に付けられたゴム製のフラップのコスト。厚さ3mmほどの台形状の物なんだけれど、「30円!」と答えると「当たり」。当初、と言うかテレビCM撮影用にオーストラリアに送った072には付けられて居なかった物。耐久走行や、泥はねテストなどの結果からゴムフラップを取り付けるようになった。
2次試作の段階に入ってからはマフラーも生産仕様同様に凹凸(仲間内では”虎マーク”と呼んでいた)の付いた胴体に、内部には吸音材となるグラスウールを詰めて作ることになった。ここから先の開発では騒音グループとも同調を取りながら進める必要がある。馬力だけ出しても騒音がだめならばNGとなるからだ。

肝心なのはエキパイの径と長さ。19.6mmのパイプは低回転時のトルクは出しやすいが、オイルカーボンの堆積が起きやすいので「使わない方が良い」と、別の部署からのアドバイスがあったため、22.2mmのパイプを使う。そして、長さが最大トルクを発生する回転数に大きく関係する。エキパイの長さと直径の比率で同調する周波数が変化する為で、この作用をうまく使うと高性能なマフラーが出来る。目標とする最大トルク回転数になるようエキパイの長さを設定すれば、その周辺でトルクもグッ!と上がるわけだ。初めは60cmのエキゾーストパイプのみをエンジンに取り付けて最大トルク回転数のみを計測する事から始めたが、このときの音が無茶苦茶大きくて周囲のベンチで仕事している人から苦情をもらう。このようなテスト方法を考えついたのは、最初の試作エンジンで性能テストを繰り返している中でのアイデアで、「最初にエキパイの長さを決めよう」だった。

流石に初めの60cmは長すぎて回転は上がらないから、初めは10cm、次は5cmと次第に短くしていき、ベストな長さを確認する頃には数cm単位で切る。エキパイの長さがほぼ決まってくるとそれをマフラーの中に入れ、今度はマフラー後端との距離を変えながら馬力の出具合を調べる。
エキパイの出口とマフラー後端との隙間は排気圧力を利用したバルブの役目があり、排気ポートから出てくるガスを止める効果がある。排気ガスも燃焼した後の物ならば良いが、新気ガス(新しく吸入された混合ガス)まで出てくると有効にエネルギーを使えなくなるから、このセッティングも重要なこと。
間隔が短いと排気圧力が高まりすぎて性能が出ない、開きすぎると排気圧力が上がらずにトルクが出ない、その中間を見つけだす作業は何度も何度もマフラーを切っては繋いで測定することを繰り返す地道な仕事。

性能を重視する2サイクルレーサーのマフラーには独特の、中央が膨らんだ形状が特徴だ。
ラッパのように膨らむ部分を排気の”引っ張りテーパー”、後ろで上戸のように萎んだ部分で排気圧力を返すため”反射テーパー”と、呼んで、中央部分の容量と前後して繋がるテーパー部分の形状が性能に大きく関係してくる。市販車の一見何気ないマフラーでも実はレーサーと同じく、排気圧力を上手く利用して性能向上を図っている点では共通している。

エキパイも内部では2段階(だったかな?)に直径が大きい物に変えられているが、メガホンのように角度を付けて、徐々に広がるようにするとトルクはそのままに高回転まで回るようになる。しかし、これには排気音が大きくなる落とし穴がある。そうなると、騒音対策を行っているHさんのグループからクレームが付く。ベンチでエンジンを回すと、メガホンタイプのエキパイの場合は高回転までスムーズに回るから魅力はあるのですが・・・。

馬力だけなら文句なくロードパルに勝てる、問題は冷却用のファンが付いていることで低回転から高回転まで、全域でのパワーアップが必要な事。尚かつ、自動遠心クラッチのストール回転数に合わせた最大トルク回転数とそのトルクバンド幅をいかに広く保つかが重要なポイントだった。
ストール回転数というのはオートマチック車には付き物の言葉。スロットルを開いてエンジン回転が上がり動力が伝わり出すと一定の回転数以上に上がらない、そこがストール回転数で、車速よりもエンジン回転が高い状態を言う。だから、ストール回転中はいわば半クラッチ状態で、速度が上がりエンジン回転数と速度が1:1の関係になったあとは回転数と速度は比例変化する。

オートマチックの場合、このストール回転数と最大トルクを発生する回転数を合わせれば一番効率の良い加速が得られる。50ccと言う排気量とキャブレター口径、そしてマフラーの容量と騒音規制、これらの組み合わせで得られるエンジンのエネルギー量は大きく変わらないだけに、その限られたエネルギーをどの回転域に分配するかがマフラー製作上のポイントとなる。ストール回転数は4000rpm前後だったと思いますが、その回転のトルクを上げすぎるとエネルギーを使い果たして6000rpm以上での馬力が急速に落ちる、4000rpmで0.1ps上げれば6000rpm以上では0.3〜0.5psも下がってしまう事になり、あそこもここもトルクを稼ぐことは出来ないのだ。
こんな時の口癖は「あと1cc排気量があれば・・・」である。

そんな要求を満足するにはFさんを筆頭に、N君と私の3人で繰り返しマフラーに改良を重ね続けていく。
しかし、性能そのものの問題とは別に、新たな問題として始動性と走行中定期的に発生する息付きの発生などが出てきた。

ベンチでのテストでは動力計のセルで回し始めるために気付かないが、走行テストをしている車体グループから「何とかしてくれ〜」と、クレームが付く。息付きの方は時折だが、動力計の針が”ピクリ”と動くことがあるので、走行中に出るのはこれかな?と判断は付けられた。
ヤマハはミクニ、日立、ケイヒンなどのキャブレターを機種ごとで使い分けているが、短期間の開発に加え開発コストや技術力等から、実績のあるミクニを採用したようです。8号館にはミクニの控え室があり、そこには3〜5人の常駐スタッフが居られて各開発モデルごとに担当分けがされています。中には一人で2〜3機種担当している場合もありますが、072ではヤマハ担当のチーフである熊谷さん(愛称:くまさん)がRD時代からの流れで担当して下さったが、「キャブレターのセッティングはバッチリだからよー、ガスの滞留で起きるんならそっち(ヤマハ)のせいだべー」。

072はリードバルブの取り付け方法がクランク室リードであるため、キャブレターからの混合ガスは一旦クランク室に吸入される。ピストンが上降工程に入るとクランク室の圧力が低くなるからキャブレターから混合ガスを吸入し始める、これを規制するのがリードバルブの役目だが、その取付にはマニフォールドが必要なんだけど、始動不良の原因はこのリードバルブとキャブレターの間に入るマニフォールドの形状・容量が悪さをして滞留で起きているらしいらしい事がいろんなテストで分かってきた。

けれど、この対策がまたまたやっかいで、取った対策がちょっとした具合で良かったり悪かったり、データが一定しない。マニフォールドの容量を変えた物、リードバルブを上下逆に取り付けた物、取り付け角度を変えた物など、様々なトライをくりかえした。
ちょうどその時期、ヤマハでは「YEIS」※注という新しいデバイスの開発・研究を行っていた時期で、YEISはジョイント部分に通路を設け、その先に周波数同調ボックスを付けることでエネルギーを有効に絞り出す物で、それはピストンリードバルブ方式で起きやすい4000〜4500rpmの「トルクの谷」を解消するのに有効なデバイスです。そのYEISでも周波数同調を基本にしているため、開発段階ではボックス内に大量の混合ガスが溜まり、エンジンを止めるとクランク室に流れ込み、再始動が困難になる事もある。だから、実用化するまでトルクの谷を無くして且つ、ボックス内に混合ガスが溜まらない工夫に苦労していた。

072でも同じ事で、マニフォールドの容量や形状がこの周波数(エンジン回転数)と同調すると吸入ガスの一部が滞留して残る。こうして残ったガスが再始動時に一気にシリンダ内に入り込む、あるいは走行中でも間欠的に入り込むと不完全燃焼を起こしノッキングに似た現象を起こすのです。何せ、2サイクル50ccというのは、アイドリング中にキャブレター入り口から一滴のガソリンを垂らすだけでエンストしてしまうのだから、エンジンとしての完成度が上がれば上がるほど、ちょっとした事がいきなりクローズアップして問題として浮上してくる。

このように、次から次に発生する問題は、生産日程に合わせた金型手配が決められているだけに、どっかの国のように問題の先送りはできない。毎日10時を回るまで残業しても間に合わないから当然のごとく休日出勤、丸二週間休みが取れない時も当たり前だった。
そんな中でも休日出勤の楽しみは昼食。事前に注文しておけば「モモタロー三ヶ野支店」から出前が来るんだけど、予定が分からない月曜休出の時は「食事に行って来マース」と守衛さんに断って出かけ、モモタロー近くの食堂で食べると自己負担分は出るけども、そっちの方が好きな物を食べられて・・貧乏寮生にとっては楽しみだった。ちなみに私の好物はサンマの塩焼き、でした。

毎月一回、実験・設計が集まっての会議を3号館の会議室で行っていましたが、回を重ねる毎に喫煙者が多くなって・・・。はじめの頃は(20話参照)10人ほどの非喫煙者が居たのに、その人数は私ともう一人位になって・・、逆に肩身が狭くなる?!思い。
ざっと42人のスタッフ、1時間もすればたばこの煙で部屋が霞んできそうな位です。
しかし、こうした会議や回覧板を使った伝達のおかげで、実験、設計、担当グループ間の情報伝達はスムースに運んでいて、プロジェクトとしては上手く機能していたと思います。

しかし、エンジングループの方は4人で順調に進んでいたが、車体テストを担当するYさんのグループは大変で、フレーム単体の強度・耐久性テスト、実走行での耐久テストなどで多岐にわたっていた。そのためスタッフも多く、シャーシでフレームの耐久テストを担当するグループ、操縦性をテストするグループ、走行耐久性能をテストするグループなど、細かく分かれているので、それをひとまとめにするのは大変だったのだろう、9月末頃だったかYさんが胃潰瘍で吐血して、しばし入院という事態になった。
私のように会社近くの寮に住んでいる者は大した事ではないのだが、会社から30分以上かかる人たちも多く、とりわけYさんは車で1時間ほど掛かるところを毎日通勤し、心労と不規則な食事等から胃潰瘍が出たのではないかと言われていた。
Yさんが不在となった間、車体テストの一部をIさんが兼任する形で見ることになったと、記憶している。

それからという物、3時間以上の残業をする場合は5時の休憩時に、パンと牛乳が支給されるようになったし、残業が4時間以上になる場合は夕食を食べるように決まりができたのもこれを契機としている。
当時、寮の私の部屋は3階にあり、食事のために行き来するのが面倒になっていたので、自室でトースト&コーヒーを飲むようにしていたため、食事カードには”朝食不要”として出していたが、これで夕食まで”不要”として出すようになった。

※注:YEIS(YAMAHA ENERGY INDUCTIONの略)
リードバルブを用いる方式で4000〜4500rpmのの範囲で起きるエンジンの不正燃焼は、吸入圧力が大きく脈動し安定しないのが大きな原因の一つ。それが元で、燃料が必要以上に供給される傾向にあるため、余分なガスが間欠的に吸い込まれた時不正燃焼を起こす。
YEISは吸気脈動変化を、周波数に同調させるボックスで平均化し適正な混合ガス吸入を行う。
結果的に、加速中4000〜4500rpmを通過する時のもたつきを解消でき、スムースな加速が得られる。