年が明けて、いよいよ生産開始と言う段階になって大問題が発生した。どんな問題かというと、ガソリンタンクからガソリンが漏れるというトラブルが発覚したのです。
パッソルのガソリンタンクは樹脂製で、これは当時チャッピーというバイクに採用していて実績のある材質なのですが、ガソリンコックの取り付け構造が違うため、その部分から漏れ出すというのです。

そんな重大な問題が生産間近になって出るとは誰も予想しなかったこと。対策に追われる車体設計と実験を担当しているYさんのグループは大慌てで対策と確認の仕事に入りました。対策品の確認は”ヒートサイクル”と言って、暖めと冷却を繰り返して劣化を促進させたり、熱変化で影響が有るか無いかを確認するテストですが、24時間を交代で行う為にN部長自ら”夜勤”に入ってテスト要員を務めたときにはビックリしました。しかし、そうでもしなければ格好付かない事情もありました。

と言うのは、不具合品を対策品に変更するのは工場での生産後に”社内改修”する、その事に多大な費用が掛かるからです。
パッソルとしての生産は少し先なのだが、生産用の部品はすでに部品メーカーに発注済みであり、ガソリンタンクも数万個がすでに生産を終えている。対策品タンク待ちで生産を後にずらす事は出来ないとの事情もあったのだ。
と言うわけで、開発部署の責任者として表現する意味もあっただろう。しかし、エンジン担当とは言え、グループで開発しているので何か厳しく言われるかと思いきや、全くお小言も無く・・、内心「今更言っても始まらない」と、腹をくくっていたのかもしれない。

対策に追われる頃だったと思います、生産試作の時は緊急の対応などに備え、ベンチ前での待機になっていましたが、今回はラインオフ(正式な生産開始を特にこう呼ぶ)なのでほぼ全員が見守った。セレモニーなので、一旦はラインが動いて一台目が組み立て上がるとラインを止めて記念撮影、再び動き出しても作業に不慣れもあり、ラインの速度はゆっくりである。それでも、フル生産に入ったときは残業も行って一日1200台ペースでの生産が行われた。

1週間くらいのヒートサイクルテストをしていたでしょう、漏れないことの確認が出来て仕様変更したタンクを急遽作り直し、生産を終え倉庫に在庫している出荷待ちのパッソルを一台一台改修する作業には、私たちのグループ全員が当たったのはもちろん、配送の遅れを少なくするため、すでに各営業所に出荷している分は営業技術の社員がその作業に当たった。しかし、この改修は販売後の改修、いわゆるリコールではないため対外的には影響しなかったと思う。

そんなケチも付いたパッソルだが、ヤマハ系列の販売店には待ってもらった甲斐があったと言うことか、予約・実売ともに好調なのを受け、お客様優先として社員販売は3ヶ月以上禁止されることになった。

生産が開始されてすぐに072のプロジェクト全員が本館会議室にN部長から呼び出しが掛かった。「なんやろ?」、会議室に入ると不安は一掃された。開発決定から1年も満たない短期間で完成させたことに対し、社長自ら開発を担当した社員にねぎらいの言葉を掛けたいとの申し出が有ったらしいが、部長は「開発に当たっては色んな部署の協力があってから出来たことで、開発担当部署だけの労ではないので、社長の気持ちは私の方から伝えておきます」と言って、その代わり社長からのお土産は200万?の予算と言う打ち上げ費用だった。

早速、掛川の旅館を貸し切っての宿泊付き豪華宴会を催すこととなった。
週末の土曜日、退社時間に合わせてお迎えのバスが来たが、各担当のチーフや主任は遅れて旅館に着く。何か話があったのかもしれないが、私の耳には何も入っていない。
ラインオフ後の打ち上げそのものも初めてだし(RD250/400の時にはなかった)、有ったにしても、宴会に先立ち管理職の長ーい話が付き物だろうが、今回は”ねぎらい”がメインと言うことから堅い話は一切なしで行われたし、N部長も来たらしいが、私たちの前には顔を出さずに帰られたし、「私がいたら騒げないだろ」と、気を効かしてW課長も帰った。つまり、管理職が全く居ない息苦しくない宴会に、いわゆる”どんちゃん騒ぎ”となった事に、少しばかり感動。しかし、こんな事は後にも先にもこれっきり、それだけ072の開発は大変だった。

当初スポーツバイクのRD担当からミニバイクの開発に担当が変わったときには、異口同音に嫌がっていた072=パッソルの開発も、終わってみれば苦労した分その成果が報われる結果に皆満足しているというか、『072の開発に参加できて良かった』と、思うまでになった。
それは生産が始まった後でも同じで、ある日の休日に食堂に入って、たまたま顔を合わせた4サイクルの実験を担当するY課長の家族にあった時、紹介されるときの言葉は「彼がパッソルを作ったんだよ」、営業技術課のUさんの家族にあったときも同じ紹介を受ける。他の部署からどのように見られていたのかを考えた時『大変な開発』と、思われていたのだろう事と、良い商品を作ったと言う評価に気づく。とにかく「壊れないエンジン」と、言うことでは自信があった。

さて、生産が開始されると、順調に進むまで組立上の問題点が有ると設計の担当者が呼び出されて改善策を講じなくてはならないし、一方では次期モデルの設計にも着手しなくてはならず、案外一番忙しい時期なのかもしれない。
私が居る実験はある意味”ひま”。パッソルの開発は終わっているし、次の仕事をするにしても部品がない。ほんの1ヶ月弱位だっただろうか、自由な時間がとれたので私がテーマとして取り組んだのは”スタートの体感速度”。パッソルのスタートはロードパルに比べて加速感が劣る事。加速力は同程度かそれ以上なのだが力強さというか、ロードパルは軽やかにスタートするが、パッソルは”じっわー”と加速する感じ。その原因がどこにあるのか探ろうという物。

路上での加速試験では同一条件でリアルタイム計測が行いにくいので、シャーシー台上で加速試験を行い比較したが、パッソルの方が明らかに速い。次に車輪に掛かるトルクをロードセルと言う計測器を使って測ってみる事にした。
車輪を取り外し、そこに長さ30cm位の鉄で作ったレバーを取り付ける。レバーの先端にはボルトを取り付け、ボルトの頭でロードセルを押さえつける。ロードセルというのは内部にひずみゲージが入っていて、外部から圧力が加わるとゲージを流れる電流が変化するので、それを記録して掛かった圧力を読み取る装置。これを使ってアクセルを開いたのち車輪に駆動力が掛かるまでのタイムラグやトルクそのものを測ってみようと言う物。

ロードセルにスロットルを開いてストール回転数で最大トルクが掛かるまでのタイムが計測できるようにビジグラフを設定して計測してみた。これでもいろんな数値はパッソルの優秀さを再確認するだけで、体感上の違いがデータに現れることはなく、Iさんに書類として提出しても「う〜ん」と、首を傾げるだけで参考データとなった。

そうこう遊んで?いると、パッソルの次のモデル開発が正式に決まり、概要も明らかになった。開発コード”014”と呼ばれたそれは、パッソルのシートへの振動が大きいことを反省し、エンジン振動を車体に伝えない振動低減のためにリンク機構を採用すること。キャブレターにはオートマチックを採用すること、単速オートマチックだったのを2速オートマチックにすることなどが主な変更点で、車体もパッソルを一回り大きくした上級モデルという位置づけだ。

そのモックアップを見てびっくり、072の開発当初2台のモックアップのうち、私が「こっち」と、言った方のデザインではないか。パッソルの可愛らしさから上品と言う言葉がふさわしいデザインに『当初からパッソルの次』を重役さんは考えていたのかな?と思った次第。
S主任から「笠君は何の担当したい」と聞かれたので、「キャブレター」と答えると、少しばかり困った表情。まだ入社3年目の若輩者にキャブレターの担当を任せられるか不安だっただろうし、RD時代からFさんの指定席だっただけに、難しい判断をさせてしまったようです。
そして、パッソルでは短期間での開発力と採用実績でミクニを採用したが、オートチョーク機構を付けた新作になるため、生産コストなどの試算でミクニより安く算出した”テイケイ気化器”をパートナーとして選んだ。耳慣れないテイケイ気化器だが、芝刈り機のキャブレターではかなりのシェアをもっているし、小排気量キャブレターを得意とするメーカーらしい。ほかの事業としてトヨタの部品製造も行っている。
実験に入る前Iさんと打ち合わせたことは、チャレンジ。中身は「おむすび型ベンチュリーの採用」。

XS650のキャブレターはメインボア(メインベンチュリーをこう呼ぶ)が二つの円をつなげた形で構成されている。理由は一つの円だとスロットルの開きによる開口面積変化と出力変化を較べたとき、低開度での出力変化の方が大きく、その結果低開度で十分な馬力を発生するために、逆に半分以上スロットルを開いても加速感が少なくなる”矛盾”が起きてしまう。女性を中心のターゲットにしている車種なので低開度の加速感を緩やかにすることが狙いだ。この意見に基本的にはIさんも賛成であるが、あとは技術的に小排気量のメインボア径が12mmの物に採用が可能かどうかだった。草刈り機で使う小口径キャブレターの実績に期待してみる。

テイケイ気化器から担当チーフとしてOさんが、実験担当にはK君が来てくれることになった。チャレンジ項目のおむすび型ベンチュリーの話をすると、「面白いからやってみましょう」と、一応引き受けてくれましたが、経験がないだけに会社に戻ってどのくらいの大きさの円を繋げると良いか検討してみますとなった。
それから、オートチョーク機構は同じキャブレターとは言えメイン系の開発は私、善さんと宮崎出身のM君がその担当となった。

取りあえずは、パッソルから一回り大きく容量を上げ、内部構造を2部屋から3室に増やし、目標馬力はパッソルの2.2馬力から一気に2.8馬力に上げられた。これは正直きつい目標でした。更に、2速オートマチックを採用するので、より一層ストール回転数でのトルクアップを要求されたのでした。


 あとがき

パッソルの開発を今一度振り返ってみようと思います。
私がヤマハを退社し独立した1984年当時でも、多くのパッソルやパッソーラが”現役”として走っていた。修理に入ってもエンジン本体が壊れてのトラブルは無く、お客さんからも「エンジンの掛かりが良い」とか、「壊れない」と言った、開発を担当した者としてこれ以上の誉め言葉はない。同業者からも「キャブレターを分解掃除するだけでエンジンが掛かる」と、タフで手の掛からないエンジンとの評価を得ている。

その昔、通勤用のバイクと言えばスーパーカブだった。もちろん、”またがりタイプ”のヤマハならYB、ホンダならCDと言ったバイクも重宝された。パッソルが発売された当初は通勤用に使われることは少なかった。その理由の多くは「車輪が小さいから」不安だという。しかし、その後のスクーターの需要が増加するとともに、そうした不安は解消されて、今や、カブタイプで通勤される方を探すことの方が苦労する。

徐々に増えたスクーターだが、ロードパルという”参考試作車”があったことも、短期開発を成功できた要因の一つではないだろうか。

それは、コピーと言うことではなく、072と言うヤマハ独自のアプローチを行うまでの期間、ロードパルで予備実験が出来た事。ヤマハ発動機創立以来積み重ねてきた2サイクルエンジンのノウハウを生かしたエンジンレイアウトと部品構成。部品材質の見直しによる耐久性の把握。やるべき事は沢山あっても、短期開発故に迷いはあってもためらわない”決断”。

072開発時系列
2月頃 ホンダ ロードパル発表
3月 072開発プロジェクト始動
設計着手、プリテスト開始
8月 1次試作車完成
10月 ・CM撮影
・認定申請、諸元値設定
12月 生産試作
1月 プリ生産
2月 本格生産

この時系列を見ていただくと分かりやすいが、072の試作車が出来てきたのが8月。10月の認定申請とは「こんなバイクを作りました、仕様諸元はこれです、発売してもよろしいでしょうか」と、運輸省(現・国土交通省)にお伺いを立てる事。もちろんテストデータと型式認定を受けるための車両も同時に提出される為、これ以後の大幅な修正は出来ない為、認定申請を出した後の変更は極々限られる。
つまり、試作車完成から僅か2ヶ月で認定車両を作り上げ、生産試作仕様を一ヶ月で、これからは組立上の問題解決に当たったことになる。
実質的な開発期間がいかに短かい中で作り上げたか、改めて感心する。

市場に出てからの評価も大変良く、トータル150万台のセールスを記録したことは、私を含め、プロジェクト参加者一同、共通の自慢だろう。