入社して4年、これまでに担当した機種はRD250/350/400/400白バイ/パッソル/パッソーラの6機種になった。パッソル/パッソーラ開発の2年間はあっという間に過ぎてしまったような感じで、RDの開発しているときの2年の方が明らかに長く感じられ、今の記憶の中でも『RDはたった2年だったかな』と、思う。

ヤマハという会社は技術力もさることながら、それを売ってきたと言う自負から、実のところ社内では営業サイドの力は強力で、技術部の特に実験サイドの意見はなかなか通らない。エンジン性能に反し騒音対策で苦しめられるのには、そうした社内の力関係が大きい様に思う。結局「実験がやってくれるだろう」的に、無理難題を押しつけて?くる。
楽器のヤマハもそうだが、YA−1の発売時もデザインを”GK”に任せている為の問題から、後に設計と押し問答することにもなった。
営業があって、設計があって、そして実験がある構図なのだ。こうしたことを穿った見方すれば、歴代の社長を見ると、技術畑出身は長谷川武彦氏一人ではないだろうか。

パッソルの時には体感加速を比較検討する”宿題”を行った私ですが、パッソーラの宿題は”クランク形状における性能”です。
これは、私一人の宿題ではなく、エンジン開発担当みんなの共通宿題で、目標の2.7馬力は達成した物の、今ひとつ達成感が少ない。米の胚芽が取れた格好の性能にも引っかかる物があり、『もう少し何とかならないか』と言う気持ちはみんなの中にあった。
そこで出てきた案がクランク室内部気流の攪拌を抑えた場合性能がどの程度変わるか、あるいは変わらないのか?  実験中でもいろいろ試行錯誤して、リードバルブ周りの余分なスペースをデブコンで埋めたり、耐久性を無視してリードバルブストッパーを開いたり、スムースな掃気形状の工夫に心がけたり、まあいろんなチャレンジを試みてきたわけです。

もちろん、これらのトライは「上手くいけば採用する」事を目的にチャレンジしたことだけれど、宿題にあたってチャレンジした工夫とは”クランクウェーブにはちまき”をすると言う物。誰が言い出したか記憶にないが、開発の実験中に何度か持ち上がったアイデアだったと思う。しかし、この時までチャレンジしなかったのは、クランクを製造する際の金型の耐久性が落ちてコスト的に高くなることは明白だったからだ。
※パッソル、パッソーラのクランクは、鉄のかたまりを型で潰して成型する鍛造クランクである。

パッソーラのクランク外周2mmほどを旋盤で削り、その厚み分の”はちまき”リングを作ってクランク外周に圧入する方法で作った。この時、設計のTさんは時期モデルの設計に忙しかったようで、私が試作図面を描いた。ただ、圧入する際の勘合寸法をどの程度にしたらいいのか分からないので、Tさんに尋ねると「うーん、60か80じゃちょっと大きいかなー」で、リングを−(マイナス)公差60ミクロンで加工を依頼する。
−(マイナス)公差が大きすぎると、圧入時にリングが切れてしまう可能性があるからこの位に決めた。しかし、Tさんからは「性能が上がっても生産では使えないから」と、再三念を抑えられるが、こちらも十分承知の上だ。

ほどなく、”はちまき”をしたクランクが出来上がってきた。コンロッドとの隙間は左右に1mm位しか無い。
さっそくエンジンに組み付ける。組立自体はいつもと同じ、クランクケースに収めてクランクの回転を確認し、クランクの回りが重いときはプラスチックハンマーでケースを叩けば軽く回るようになる。組立が終わると、いかにも一次圧縮が高そうに見える。
で、エンジンを回すと・・・おおーやっぱり回転全域で高いトルクを発生する。最高出力も一つ飛び抜けた馬力カーブを描き、最高出力は0.1+αps位アップしたと思う。
「たったそれだけ・・・」と、お思いかもしれないが、リッター当たり2馬力のアップですからこれは大きい。

パッソーラが一段落したある日、8時頃になってそろそろ帰ろうかとなった時、S主任がエンジン図面を見せてくれた。3枚あって、基本は同じだけれど、搭載する機種のデザインに合わせて給気の形式が違う。Iさん、Fさん、私の4人で見入っていると、中でも一台の吸気形式が複雑なのに気づいて、私が「これは吸気があっち行ったり、こっちいったりで一番大変そう」と言うと、S主任が結構強い口調で「なんでだ」と言う。この反応には私もビックリしましたが、心の中では『大丈夫かなー』と、実際の開発に入ったときの苦労を考えると、楽に進めばいいがと、思った次第です。
まあ、GKのデザイン図面やモックアップから、設計と実験から主任とIさんが協議して決めたものだから、私の意見というのが安易に受け取られたのだろう。

RDの時も250と同時に400を開発してきたので・・・と思いきや、車体デザインの違いから吸気方式に違いがあるので、全く違う3機種とも言え、それでいつもと同じく開発期間が1年無いわけで・・・苦労する?

開発機種の試作コードは忘れました。
製品名はキャロット、マリック、リリックの3台で、キャロットはパッソルと同時開発し、途中で中止した”071”そのままで、営業サイドが「どうしてもロードパルの対抗機種として欲しい」と言うことで、再開発になったサイクルモデル。そのエンジンを使い2速オートマチックにオートチョークを採用したモデルがマリック。ヤマハにはファミリーバイクとして長く販売されてきた”チャッピー”と言うモデルがあったが、その役割をこのマリックに置き換える計画。それと、マリックの子分的モデルがリリックになるが、こちらにはオートマチックもオートチョークも付かない。

071である程度テストが進んでいたし、071を担当していたメンバーがプロジェクトに合流していることもありキャロットの開発には特に問題はなかった。マフラーが小さい為の苦労はいつものことだし、最大トルク点を合わせるマフラーの作り方も心得ている、おまけに今回は自然空冷になるため、冷却ファンによる損失が無いため、目標馬力も高めに設定されたが、特に問題はないだろう。
むしろ、3機種共に駆動にシャフトドライブを採用するが、071試作モデルでは長期の耐久性確認が十分ではなかった事の方が問題だっただろう。
オートチョーク・2速オートマチックを採用するマリックは、エアクリーナーが大きくできたことで、他の2機種に比べると高い目標馬力も比較的容易に達成できたし、パッソーラでの経験が生かされオートチョーク、2速オートマティックもそれなりの苦労で開発できた。

さて、リリックは・・・・、あのS主任に「なんでだ」と言われたエンジンだ。パッソル/パッソーラは直接クランク室に吸気されるクランク室リード(バルブ)という方式で、キャロット、マリックもこの方式を採用する。ところがリリックは、同じに見えるクランク室リードでも、車体デザインの関係から、一旦シリンダ側で吸気されたあとクランク室に入る。かと言ってピストンバルブ方式でもないので、吸気が遠回りする事になる。
元々、ピストンが上昇するときクランク室の圧力低下が起きる、それを利用して吸気を行う2サイクルは、クランク室の圧力変化をいかにキャブレターに伝えるかが運命の分かれ道。
クランク室リードの他にピストンバルブ、それにリードバルブを併用したピストンリードバルブ、円盤に切り欠きを設けて通路が空いたときだけ吸気を行うロータリーバルブなど、幾つかの吸気方式がある。エンジンの用途に応じて、また時代によっても主流となる方式が変わる。
リリックの場合、クランク室圧力が遠回りしてキャブレターに伝わる分、他の2機種のガソリン要求流量がなだらかな山形になっているところ、アルプスのマッターホルン状に切り立ち、要求流量の上限値はキャロットやマリックが1.5〜1.6L/hなのに対して、リリックは1.8〜2.0L/hだからガソリンの無駄食いエンジンであることが分かった。
パッソーラの燃費で苦労した後だけに思いやられるが、こちらもキャブレターの担当になって2年目なのだから、それなりに努力しなくては・・・、それについては後のお話で解決します。

キャブレターを担当するミクニからはチーフのKさんと、小排気量車では長くテストに同行しているTさんが就いてくれることになった。キャロット、マリックは良いとして、リリックの要求流量のグラフを見たKさんは頭を抱えている。「エンジンが悪い」とは言えず、キャブレターで何とかしなくてはならないが、Tさんに「何か手はある?」と、聞けば、Tさんは「取りあえずやってみないと先に進まないからねー」と、もっともな意見。
Kさんはそのデータを会社に持ち帰り設計との打ち合わせ、Tさんと私で対応策を考えながら見込みを付けるテストが始まった。

当初のモックアップを参考に、外観上のデザインでマフラーの大きさを決めるため、Iさんをチーフとするエンジングループで作戦会議。今回のデザインは久々にGKなので、デザイン上から制約を受けることは必死。そこで、YACから教えてもらった駆け引きを早速試すときが来た。
試作の部品を使ってあらまし性能を測るが、デザイン会議用に出した物はいつも通りの目標馬力を達成する見込みを示すのではなく、太さも長さも大きく作った物を出した。
もちろんデザイン上は大きすぎるに決まっているが、「この大きさでないと目標性能は無理だ」としても、デザイン屋さんの意見、重役の意見は強く、小さくされたが、その大きさこそ予定通りの大きさなのである。

3機種同時進行は途中何度か混乱が生じることもあった。先に書いたように3機種ともエンジン本体は同じ、マフラーはマリック用と、キャロット・リリック用の2種類、エアクリーナーからリードバルブ前までは3機種とも違うので、エンジンテストを行うときはシリンダ・ピストンの交換から始まり、マニフォールド、キャブレタージョイント、エアクリーナーを正しく交換しなければならない。
思いがけずに良いデータが出ると、一部にマリックの仕様を残したキャロットになっていたりして、ぬか喜びに終わることもあった。そんなとき、「エアクリーナーが大きければなー」と、つぶやく。

同じ時期、4サイクルを担当する実験部では04Rの開発が始まった。02Rは生産車でXS750の開発コード、3を飛ばして付いた4は、ヤマハの市販車としては初めてとなる4気筒エンジンを用いる1100cc、そうXS1100、通称”イレブン”だ。リッターバイクならではの吸気音が8号館内に響き渡り、凄い物を作るんだなーと感心『あそこの課は良いよなー』と、思うことしきり。
しかし、よくよく考えるとTX500は2気筒、XS750は3気筒、今度のXS1100は4気筒と、言うことで250cc1気筒ずつ増えるのは、何か安易なこだわりを感じるのは私だけだったのだろうか?

もちろん、XS750に続いてイレブンもシャフトドライブを採用したのだが、研究課が持っている移動式のテレメーター装置を使って、なにやら発進時のシャフト周りのテストを繰り返していました。
キャブレターのテストで、小排気量車は天竜テストコースを燃費計測に使っていたのだが、当時の建設省からの借用期限が切れたか何かで使えなくなったため、ヤマハコースのストレート脇に定地燃費コースを作り、そこで計測をするようになった。そのテストの傍らではパドックにテレメーターに関係する機材一式を積んだダイナ(トヨタのバンです)を置き、パドック内でイレブンを何度となく発進させてはデータを取っている。それがどのように利用されたかまでは首を突っ込んでいないが、見ていると加速時に車体が持ち上がる”エレベーション”作用が少なくなったようだ。
ヤマハコースに行けば、たまには大きいのに乗りたくなる。そこで、ちょっと時間に余裕があるときは開発中のバイクを借りてコースを3周ほど回る。一周目でクセを掴み、2周目で全開走行、三周目では気になったところをチェックして終わり。あまり長く乗るとクセになれて『こんなもんか』と、思ってしまうし、それ以上乗っても新しい発見も少ないし・・・時間の無駄。で、そうやって走っていると最終コーナーにブラックマークが残っていることに気づく。XS650やXS750の時には無かったもので、改めてイレブンのパワーを目で見ることになった。