キャブグループへ移り、生産車の開発をやっている連中を見ると活気がある。忙しそうに・・?もとい、忙しく動き回っているし、『自分もああだったのかなー・・・』、そう思っていると、職制変更でオフロード担当になったS主任がS技師を気にしながら小声で「笠くんもこっちに来いや、楽しいぞー」、Iさんからは「エンジンやりたいやろー」、そんな誘惑の声が掛かってくるし、そのころパッソル/パッソーラに続くスクーター用新エンジン開発に着手し始め、エンジンレイアウトについて検討を始めていて、パッソルの後方排気を前方排気に変えたときの吸気位置をどうするか?!、「笠くんだったらどうする?」と、聞かれてあれこれ言うと、「う〜ん、やっぱり考えることは同じやねー」と、思考が止まった状態のようでした。

でも、地味ながら少人数のキャブグループには、新しい技術へのチャレンジとして、それなりの魅力を感じるところがある。しかし、それまでは無かった仕事上の意見で衝突は相変わらずありますが、自分が任された仕事の範囲だけはちゃんとしなくては・・・、そうでないと一緒に実験を担当しているS君への仕事の指示にも影響するんでね。
まあ、私が気を付けていたのは、その日の仕事や実験内容が変わった時は、その目的や目標なりをS君に説明し、『言われたからやっている』状態だけは作らないように努力していました、〜つもり。
キャブグループには差し迫った開発スケジュールがない(本来はあるんだろうけど、計画通りに行かない実験だ)ので、そうした気遣いも出来たかしれないが、パッソル開発以降だったらそんな気遣いは出来なかったろうなと思う。上下や職制の違いを越えた共通の対等意識と自主性の中で仕事をしていましたからねー、ただ一人上に居ると思ったのはN部長だけかな。

燃料噴射は一歩一歩確実に進んでいます。思ったよりも順調ですが、学校では自動車工学について勉強したが電気工学は専門外、抵抗の見方すら分からないので、騒音グループリーダーになったHさんに教えてもらって、抵抗単体を見ても分かるようになったが、実にシンプルな色分けです。因みに、電気回路で使うフラットケーブルは黒、茶、赤・・・と言うように色分けされているが、これはカラーコードと言って数字を色で表している物。それに気づき「フラットケーブルはカラーコード順ですね」と、Hさんに言うと「あっ、そうやね、いま気づいた」。ほんまかいな?

この頃、技術部内では専任制とは別に、もう一つ職制変更があって、技術本部が設置された。当時は常務(?)で、後に社長になった長谷川さんが技術本部長に就任し、部毎に蓄積されるだけだった技術を、社内共通の技術として集約し管理する部署としての発足です。
同時に、技術部内改革に向けて、人事や組織における問題点発掘のために、職制と経験年数別に意見を聞く試みが行われ始めた。

いくつかの技術部から数人、合計で7〜8人を一つのグループとし、3日間缶詰状態の合宿で自由に意見を出させ、どこに問題があるのかKJ法という物を用いたブレーンストーミングなるものが行われた。
課長クラス、主任クラス、サブリーダークラス、実験担当者クラスという風に、次第に下層部に”合宿”が進んできて、実験担当者のところで私が選ばれた。

噂程度には聞いていたものの、実際に私が選ばれたときは『いやな役目が回ってきたなー』と、思った物です。
と言うのも、「自由に意見を言ってくれ」、そう言われても、どういう形で利用されるか、どういう形で伝わるか、懐疑的で、後で大変なことになりやしないか・・・、そう考えると気持ちとしては重い物がありました。

当日、一旦出社した後、技術本部の担当者に指示され、2グループ15人がタクシーで移動。どこへ行くのかと思うと、会社から5分ほどしか離れていない見附交差点近くの古ぼけた『そう言えばあったけど、まだ営業していたの?』に見えた旅館。
ここで3日間外出禁止、外部との連絡禁止、テレビ・ラジオの視聴禁止、2グループ間の交流も禁止と、まるで独房に押し込められたような状態、そうした基本事項の説明の後、3日間の大まかなスケジュール説明を聞く。
この説明をしていただいたのが、ヤマハとして初のナナハン”TX750”の車体設計を担当した方で、曰く付きのTXの裏話もいくつか聞かせてもらった。

一日目の午前中はKJ法の説明やら自己紹介、午後からは担当している仕事の内容や、バイクに関する雑談などをしてお互いの交流を深める。
二日目になって、KJ法で使うタックシールが配られた。他人の意見に対して異論を挟まない事、同調し誇張するのも禁止なのがKJ法の基本だとか。他人の意見に左右されると正確な情報が得られないので、その為に制約を多くしているという。

作業環境のこと、上司との関係、設備に関する事、開発モデルのこと、社内体制のことなど、参加者が日頃思っていることをタックシールに書き込んでいく。中には個人攻撃に近い物も書き込んだりして「これ、やばいかなー?」、意見は言えないので顔を見合わせるだけに終わるが・・・、一人があることを書くと、「あぁ、それあるねー」、すると他の人が違った見方で自分なりの意見を書く、それを一日中続けるのは大変で、思考の泉が空っけつになってネタ切れになる頃、この書き込みも終了。

三日目の最終日は、タックシールに書いた物をジャンル別に整理し、A0の用紙に貼り付ける作業を行った。200枚ほどはあったろうか、区分けしていく中でどうしても「これは個人攻撃過ぎてまずいよなー」と言っていると、様子を見に来ていた技術本部の人が「貴重な意見だからそのまま貼って良いですよ」と、言われて貼ったけど、それでもあんまりだと、ここには白紙の用紙を被せてセロテープで止めて、めくらないと見えないように工夫した。

貼って終わり?と思いきや、長谷川常務の前で発表会が必要だという。えぇー、そんなの聞いてないよー。とは言え、口で説明しないと分かってもらえないこともあるだろうなーと、思うのですが、「それ、誰がやる」って事になって、みんなの視線は私に向いている、そう、このグループで私が一番若い。
三日間の缶詰から解放されて会社へ戻りホットする。缶詰状態の中、沢山の意見を言ってきた後で意識しているせいか、事務所の雰囲気が違って見えた。

常務は忙しく、なかなか時間がとれないらしく”発表会”があったのは2週間後くらい後だったが、発表当日、長谷川常務と技術本部で合宿を指導した人と、A・B二つのグループ参加者のみのと言う中で行われた。私が参加したAグループは全員参加したが、BグループのリーダーになっていたS君が突如の有給を取り休んでしまった。
先にそのBグループの発表からになったが、リーダーが休んだ為に急遽年長者の善さんが変わりに発表することになった。

15分ほどの発表時間の後質疑応答があり、続いてA班の私の番。常務の手前、ドキドキですが”常務しか聞かない”発表会だ。善さんが発表している間、不平不満の固まりの内容なので『どのように発表したものか?』と、思案していたが、発表を聞く人は先に書いた数人だけ、発表内容については門外不出というので、ここは『常務の言葉を信頼して』覚悟を決め、三日間にまとめたことをそのまま発表した。
すると「なかなか上手くまとめているじゃないか」と、お褒めの言葉をもらって一安心。例の隠した紙について聞かれて少々慌てたが、この場に及んで慌てふためいても仕方ないのでめくって見せたが、真摯に受け取ってもらえたようで、何事もなく無地終了。

組織が大きく(技術部には1000人ほど居る)なると、下の意見が上になかなか伝わらない、その逆で上の指示が下に上手く伝わらない事もあれば、中間管理職は上と下から辛い立場に立たされるのはよく聞く話。
技術情報の集約もさることながら、人事・組織面での改革を進めるために、広く部下の意見を聞く。それも自由に発言できる環境を作ってくれたのは、温厚な長谷川常務ならでは・・と、思ったものです。

合宿は私にとって良い経験が出来ました。みんな同じような不満を持っているのを目の当たりに聞くと『自分だけじゃないんだ』と、少しは気が楽になり、精神的に余裕が持てるようになった。