私の新しい仕事はキャブレターの開発です。やっとグループ名そのもののキャブレターの仕事が出来ます。
それは、佐野技師設計による4サイクル用のもので、対象となるバイクはXS400。このエンジン用にキャブレターを作ってみようと言うのが目的だ。2サイクル担当の実験部に居ながら4サイクル用・・・と言うのもおかしな話だが、エンジンの将来性と言う観点からこのエンジンでと言うのは納得がいく。

早速振り替え伝票を手に生産ラインへ行き、生産を終えたばかりのXS400を一台調達。一通りの整備の後、空きのあった耐久用シャーシーで慣らし運転をすることになった。
この耐久シャーシーというのは、アメリカの排気ガス規制合格に必要な車両開発のために設置されたもので、11Lap(イレブンラップ)という排気ガス測定走行モードに従い、自動運転が出来るシャーシーダイナモで、プログラムは”パン賃具テープ”?あれー、ATOK12で変換が出来ないなー、死語なんでしょうねー。正確には”パンチングテープ”、紙製のテープにプログラム内容をパンチ穴として開け、その穴を読みとって機器を動かす、コンピューターの世界では”大昔”のデータ記録方式ですね。
このテープの端同士を繋いでエンドレステープにし、24時間ずっとテスト車両を走らせる事を可能にしたもので、実走するよりも効率が良く、何より安全なので高額の設備でも設置したわけです。

そのシャーシーに空きがあるので、「何もヤマハコースで走ることはない」事になり、スロットルやチェンジ、クラッチ操作を行う”アクチュエーター”をセット。操作盤からスロットル−クラッチ−チェンジを操作してバイクを走らせるが、何とも難しい。何度かエンストした後、やっと40キロで慣らしを始めることに成功し、-60-80キロと上げ暫く経ったときにエンジンから大きな音が出て異常発生!、直ぐに緊急停止させた。

原因は、なんとバルブ回りにトラブルが出て、ピストンも破損する大事故になっていた。
なんとついていない慣らし運転。しかし「社内テスト用に使って良かったなー、お客さんに渡っていたら大変だよ」と言うのが少しは慰めか。
エンジンをバイクから降ろして分解し、XSの担当をしている実験部のベンチに行き、必要な部品を調達、組立に掛かる。結局、丸一日その仕事に振り回されてしまった。

エンジン慣らしを終えた後は、再度そのエンジンを車体からおろしてベンチに据え付け、エンジンの性能測定を行うことにしたが、4サイクルのデータの一切がないので、極小開度からガソリン流量とCO濃度、要求流量まで測定した。
もちろん、4サイクル担当の部署にデータをもらいに行けば済むことかもしれませんが、エンジンテストベンチも違うし、何せ”極秘”のテストなので・・・。
そのデータを見ると、見事なまでにセッティングされていて、スロットル開度変化に対するガソリン流量変化は見事にマッチしていて、キャブレターの完成度は高いようです。
同時に、2サイクルは”野蛮なエンジン”と言われ、4サイクルこそが”ちゃんとしたエンジン”とよく言われていたが、あらゆる運転領域において適切な混合ガスを『このキャブレターに近づけるだろうか?』が、大きな課題になります。

その後のキャブレターのテストは順調ではあったが、グループを引っ張るSさんの負担は大きかったようです。

本社の仕事は朝8時から始まる。始業のベルが鳴ると事務所内でラジオ体操をやって、その後グループごとの朝礼が日課として始まるが、週はじめの火曜日(当時は月曜が休業日)には設計に席がある部長が降りてきて、実験の整備場で朝礼が行われていた。

ある日、朝礼前ラジオ体操をやっている最中にSさんがいすに腰掛けた。その時目があって照れくさそうに「きつい」と言われたが、『顔には出さなくてもつらいんだろうなー』と思って、体操を続けていると突然吐血。事務所内は突然の出来事に一時騒然となり、救急車の手配は誰がやったかなー?、救急車を呼び到着するまでの間もSさんらしく、周囲を気遣って「大丈夫だから」とは言われるが、事が事だけに・・・。少しだけ最近の状況を聞けたけど、朝食を摂ると気分が悪くなるので、最近は朝食抜きで出勤していたらしく、サインはあったようだ。救急車が車での間に少し落ち着いたのか、周囲の心配をよそに、救急車が到着すると自分で歩いて乗り込まれた。

さて、残った我々はどうしましょう?
Nさんは「佐野さんは顔に出さないけどいろいろ苦労あったんだろうねー、心配させ過ぎたかなー」と、自戒じみた言葉をぽつりとこぼす。

無理はない、Sさんは”技師”と名の付くれっきとした管理職なので、通常の開発業務に加え、グループ内の人事管理、技術本部への報告や打ち合わせなどを一人でこなさなくてはならなかった。仕事の分担を受ける”主任”などが居ないので、負担は大きい。
ましてや、キャブレターの設計ができる人は他にいない中、キャブレターを設計の一から作るのだから大変なことだったのだろう。
それでもタイミングが良かったと言うべきだろう、テストに使うキャブレターはすでに出来上がって、加工と改良を重ねて作業は進んでいたのだから。

私の仕事は明解、エンジンの要求流量に合うようにパーツを加工し条件を満たすこと。その仕事をS君と一緒にベンチで結果を出して行くしかない。
初めて経験するバタフライバルブも、頭の中で理解し勉強の日々を積み重ねていくと、次第に『ここをさわればこう変わるはず・・・』と、予測が付けられるように学習能力が付いてきた。

SさんがI病院に入院して一週間、病院でも何度か吐血したそうだが、胃カメラで調べるとその場所が特定できないらしい。医者も多少焦っていただろうが、吐血の原因場所が分からないとの情報が入っていた。
周囲が心配する、それも無理無いこと。運び込まれたI病院は、過去に幾度か社員が運び込まれているが、一年の間に三人が医療上のミスで亡くなっている。
一人はガソリンタンクを製造する工場のプレス機から落ちて内蔵を痛め手術を行ったが、
術後に腹痛を訴えたが、放置され容態が急変、浜松の労災病院に搬送されたときには臓器の腐敗が進んでいて、手遅れとなっていた。
もう一件記憶しているのは、ロード世界GPのメカニックをしていた人が帰国してまもなく、夜間帰宅する際に会社駐車場を”ミニトレ”で走っていると、カーブのところで無灯火の車が駐車していて追突、胸部を圧迫してそのI病院に搬送されレントゲン撮ったが、「大丈夫ですよ」と言われ帰宅したが、翌日帰らぬ人になってしまった。亡くなるその年にお子さんが生まれていて、所属する研究課の人はもちろん、実験部にも知人が居て、怒りを覚える人がたくさんいた。そんな病院なので、会社からも「救急でもI病院には運ばないように」との指示が出るくらいカンカンだったのですが、今回は運ばれちゃったんですねー。

そんな話があるのでSさんの容態も心配したが、3度目かに吐血した際直ぐに胃カメラを入れて調べ、吐血場所である胃の潰瘍を確認できて手術をする事になった。
手術をすれば後は快復を待つしかないが、退院される一ヶ月半あまり四人のキャブグループは更に寂しい人数。
オフロード開発に移ったS主任からも「今の内にこっち(オフ)に来いや」、と再びトレードの話が・・・。『いや、この状況からはまずすぎる』、希望で移った所だし、仕事半ばなので異動は考えてもおらず、おまけにオフロードは趣味でやっていることなので、それが仕事となると楽しめない気がして「こっちで頑張ります」。