夏休みのある日、当時ビデオデッキを持っている人は珍しくて、ビデオカメラを持っているなどホント一握りの人でした。前年に行きつけのオーディオショップ”オーディオマルキン”(現、クロスオーディオ)からVictorのポータブルビデオとカメラ、チューナーを購入し、全日本モトクロスレースは行ける限りビデオに収めては楽しんでいましたが、その様子は、音楽雑誌”サウンドレコパル”から取材を受けたこともあります。 それを聞きつけた木村治男君が「今度トライアルの練習行くからビデオに撮ってよー」と言う。木村君は全日本トライアルの初代チャンピオンで、世界のトライアルに挑戦したり、富士山山頂にミック・アンドリュースと共に初代”TY”で登り、観測所の人から怒られたと言う逸話を持つ”有名人”ですが、朝、会社で会ったときに「おはよう」と、声掛けると「ございます」と返事するおもしろい人間でもある。 仕事はモトクロッサーYZをエンデューロ用にデチューンした”IT”開発を中心に行っていて、トライアルマシン開発はヤマハとして一時休止状態にあったため、上司の許可を得て通常勤務の後、試合用のトライアルマシンをコツコツと製作する苦しい時期でしたね。 ヒューム管越え、2m以上ある90度の壁越えなど、当時のマシンとしては難しいセクションをこなすために、苦労して作ったマシンに乗っているところを「ビデオに」と言うことなのだ。 酒飲み仲間と化した5〜6人で、木村君の秘密の練習場に行き、2mの壁越えをトライするところをビデオに収め、乗っている自分の感覚と、実際のところどうなっているのかビデオで確認できたことは大きな収穫だったようです。 当時のビデオテープはHGグレードで一本5000円ほどもしたので、この時のビデオを残していないのは残念ですが、記憶としては残っています・・・。 そんな頃、相も変わらずRZの開発はすったもんだの大騒ぎ。ベアリングの目処は付いたがマフラーの方はまだ少し耐久上の問題が残っていて、10月の谷田部テストで最終仕様確認を行うことになったようです。 最終確認だけに「出来るだけ距離を稼ぎたい」とのことで、24時間走らせる事になり、それには人数が足りない。何かあると”暇”な私の所にお声が掛かる。しかも、最終テスト品の一つが入荷するのは夕方、谷田部行きトラックが出る午前中に間に合わない。そこで別の部署のS君と一緒にトラックに乗って谷田部まで陸送することになった。 S君は谷田部に行ったことがないので、私がずっと運転していくことに。RD担当時代には何度も谷田部へ行っているし、全日本MXの第一戦応援ツアーで行っているので、大体の道順は分かっているが、首都高速の降り口だけは事前に確認しておいた。 事務所が隣とは言え、S君とは全く面識が無く、この時が初対面。私よりも小柄で、華奢な体つきなので、とてもRZの耐久走行に駆り出されてきたと言う話が『なんで?』と思ったが、トラックの中でいろいろ話していると、なんと国際A級のライダーなんだと。外見とは大違い(失礼!)でした。 茨城に入ったところでレストランに入って夕食をとり、午後9時過ぎくらいに宿舎に到着。先に入っていたN主任から「笠君たちは夜走ってもらうから、明日の昼は寝といてくれ」、そう言われて10時に就寝。翌朝普通通りに起きて朝食摂って”さあ寝ろ”となっても、眠くないし、10月とは言え天気が良くて部屋は暑く、宿舎には冷房が無くて寝苦しく、熟睡なんて無理です。急にリズムが変わっても、身体は言うことを聞いてくれず、後で後悔することになる。 夕刻になると通り雨。コースに行くと、さんざん昼間の熱気で熱くなったコンクリート舗装からは蒸気が立ち、とても深い霧となって視界が悪い。コースを走るのは3台のRZに比較用に用意された”市販車”RD400が一台。ただ、夜間走行の騒音を抑えてる為に、同時に走るのは3台までで、その間隔も開けるように注意される。 谷田部周辺は田んぼか湿地帯なので、昼間の気温とは裏腹に夜の冷え込みは凄く、防寒服なしでは走る事が出来ません。防寒服を着込んでフルフェースのヘルメットをかぶり、シールドを下げるととたんにシールドが曇ってしまう。仕方なく少し開けて走り出し、曇りが取れたらシールドを下ろす。 指定された走行速度は135キロ。マフラーの振動が一番厳しい速度だそうで、この速度まで加速してコースに入っていくと”10m先が見えない!!”。 これにはドッキリです。ヘッドライトを下向きから上向きにすると、ライトの光が霧に乱反射して一層視界が悪くなり、下向きでは10m先が見えないし、スモールにするとヘッドライトの眩しさは無いが暗い。もちろん、ヘッドライトをOFFにすると当然真っ暗で、平衡感覚まで無くなる。 走りながら手で強引にヘッドライトの高さを変えて見ましたが、大差なく、良くはなりませんでした。 『たしか・・・休憩室から白線5本目が右端だったような・・・』、記憶を辿りながらコースの『真ん中だろう』と思って走る。幸いなことに45度バンクにはオレンジに光るナトリウム灯がコースを照らしてくれるので100m先くらいまでは確認できるが、バンクを抜けると再び深い霧の中を走らないといけない。実質視界7〜8mの中、135キロで走るのはとても緊張する。と言うより、実際は”怖い”と言った方が表現として正確だろう。何かあっても何もできない、「動物が出てきたらどうしよう」、「よけるとかえって危ないからそのままぶつかった方が良いよねー」、なんて話をしながら『自分が遭遇したらどうしよう』と、不安は残る。 そんな深い霧の中を走ったことでネーミングしたのが”夜霧の特攻隊”です。仕事とは言え正気の沙汰ではない。でもRZの生産日程まで後がないから延期は出来ない。 135キロの速度なら普通に座ったまま走れるが、それだと寒い。伏せて走ると少しは寒さをしのげるが、今度はシールドが曇りやすくなる。交互に伏せたり立ったり繰り返していくと、寒さには勝てずピットイン。 霧で視界が悪く大変危険なので、家庭持ちの中沢主任には極力お休み頂いてもらい、同じ実験部のF君と品保課一人の4人が交代しながら走った。 交代休憩の時間中はシールドが曇らないように工夫を重ねる。鼻にガムテープを貼りつけ下向きに息が出るように工夫して、再びコースイン。シールドの曇りは少し解消されたが、顔には冷気が入ってきて寒い。防寒服を着ていても長時間になると身体が冷えてくる。 次にピットインした時、セオリ通りに皮つなぎの内側に新聞紙を入れてコースに入ると、少しは良くなったが、睡魔が襲ってくる・・・。一本の白線を頼りに『どうぞ動物が出てきませんように・・・』、そう祈りながら走る。 そんなこんなの試行錯誤を繰り返していると夜が明け、同時に霧も晴れ視界が良くなったと思ったら夜間組の走行は終了。朝食を摂った後宿舎へ行きお昼寝だが、前日同様快晴の中部屋は暑くとても寝られないよー。 そして二日目の夕方に再びの雨。また寒い、怖い、眠いの三重苦に苦しめられるのか・・・、そう思いながらコースに向かう。 昨日はシールドの曇りにも苦しめられたので、今日は更に工夫を重ねる事にした。 厚さ15mm位のスポンジを首から顎、そしてヘルメットの下縁の部分にある隙間を埋めるように切り取ったものをガムテープで貼り付けるようにしたのです。これはすごく効果があって、タンクの上に伏せていても冷気が入ってこなくなったが、走り出す前に塞いでしまうとシールドの曇りが取れにくくなるので、しばらく走った後にガムテープで止めるようにした。 交代休憩の時に、移動用に使っているレンタカーのガゼール(日産の車)の中で仮眠していると車が揺れた。「誰か揺らしよろー」、外を見ると誰もいない。事務所からNさんが出てきて「地震だからテスト車を止めてくれ」、コースに出て停止の合図を送るにも、走っている方は夜霧の中からびっくりするだろうから、あまり近くには寄れない。初めは案の定分かってくれなかったが、二周目は合図が理解できたようで止まってくれて、地震が起きたことを伝えると「分からんかった」。30分ほど様子を見て、余震が起きないので走行を再開した。 夜明け頃になるといろんな動物が目を覚まして行動を始める。綺麗な羽色のキジがいたりして、夜霧の中での緊張感もなくなり”ホッ”として走る。 テストで走ったのは二日間、いや三日間だったか?記憶が薄いが、最終日の、あと一周で終わりというところで、1コーナーの進入でコース右端を走っていたとき、草むらからトコトコとカルガモが歩いて出てきた。一瞬止まったと思ったら、また歩き出して今度は二羽目が、そして小ガモが一羽、二羽・・・、その時私の目は点になったと思うけど、すぐ後ろにはF君が走っていたので下手に避けられない、迷わず親鳥二羽の間をすり抜けるとガードレールとの間隔は50cmも無く、膝のすぐ横には白い板(=詰まりガードレールです)があった。直接の激突は避けられたものの、風圧で舞い上げられたカモがF君のRZに激突死してしまった。ちょっと可愛そうだけど、そう言えば前の日も一羽犠牲になったらしく、食堂のコックさんにお願いして胃袋に入ったとのことだが、この時は直後に帰社するために食べ損なった。 |