谷田部のテストが終わって後、5課のS君とは良く挨拶を交わすようになった。その後、お互い退社し、それぞれに店を持つことになり、販売店会議が東京で行われたとき、久しぶりに再開したのだが、S君に「久しぶりやねー」と声を掛けるとキョトンとしている、すると横から「双子だから」と、ヤマハにいたS君が声を掛けてきた。何とも紛らわしい兄弟だ。もちろん会話の初めは「イヤーあの霧の中を走ったときは怖かったねー」。

個々のエンジンで状況は変わるが、多少いい加減でも回るのが2サイクルなのだが、時として”その流量”でしか回らない気まぐれさを持っているのが2サイクル。ところが各行程をバルブタイミングできちんとこなしていく4サイクルは、空燃費に合った流量をちゃんと供給すればちゃんと回る・・・が、スロットルの微小開度で高い負圧がある4サイクルは、その微小開度での空燃費を合わせることは結構難しい。つまり、アイドリングから少し開いたときの繋がりが、2サイクル以上にシビアで、スロットルを開いた分以上の回転まで上がるような2サイクルと違い、4サイクルは空燃費が合わない限り回転は上がらない。2サイクルでも、ちゃんと空燃費を合わせていると、気持ちいいほど綺麗な吹き上がりをすることは言うまでもないことですが、燃料の多い・少ないがはっきりと吹き上がりの差になって表れるのは4サイクルの方がシビアかなー。
まあ、2サイクルに比べると約4倍もの吸気圧力があることなので、細いストローでもグイグイと吸い上げる力を持つ4サイクルエンジンは、ちゃんとしたエンジンなんだー。

そんなキャブグループの仕事に対し、せめてもの救いなのはテストに用いたものは生産車のエンジンであること。つまり、キャブレター以外は”まとも”なので、空燃費が適切にコントロールできたキャブレターを作ればいいのですからね。でも、言うのは簡単、しかし現実はハードルが高い。

そんなこんなで、初めてバタフライバルブ付きのキャブレターを開発するのですから、どうも勝手が違う。2サイクルに用いられるアマル型(ピストンバルブ式)のカットアウェイの役目を持つバタフライバルブの角度、スロー系統のガソリン出口”スローポート”、アマル型では1個の穴と決まっているが(中には複数開いている物もある)、バタフライバルブでは数個の穴が空き、その位置でスロットル開け初めの空燃費=フィーリングが全く変わる。その加工は全て手作業だから、2気筒分揃えて加工するのも苦労する。
これはもう、テストの数をこなしながらやって行くしかないのだが、テスト期間の大半をこの設定に裂かれました。キャブレターはメイン系までのつながりが勝負だから、このテストは特に重要なので、当然の事でしょう。

最近は2年に一度の開催となっている東京モーターショー、以前は毎年開催だった。
この時のヤマハブースの目玉と言えば”あの”RZ250/350。車の影響を受けてかバイクでもターボ車ブームがくるのか? そんな期待を込めてXS1100ターボも参考出品と言う形で展示される事になった。他にはXJ400、XV750等も出品されたと思う。

モーターショー開催中は、出品車両の監視と説明を兼ね営業、営業技術、技術部から駆り出される。何かとお呼ばれされることが多い私。普段は技術職の人たちの仕事なのだが、何故かやっぱり私? まあ商品開発プロジェクト担当の人たちは忙しいし、そうではないキャブグループの中で、設計・検討に時間裂かれる野崎さんや大貫君は多少忙しいようだが、実験は時間に追われるほどではないので、部内で一番暇にしているのは”私”かもしれない。

2週間の日程の中、2日を担当する。担当前日の午後会社を出て新幹線に乗って東京へ。それにしても何でだろうね、仕事柄スーツなど無用で、谷田部のテストの時でも普段着で出かけていたので要らなかったが、数週間前に何気なく浜松の”駅の前のマルイ”でグレーのスーツを一着購入していて、まあ出張に格好はつきました。
晴海の会場へいったん出向き、東京事務所の方から説明員の仕事の内容の説明を聞く。
説明主点は二つ、「販売時期については”分かりません”と言って下さい」、「部品の盗難には気を付けて下さい」とのこと。
モーターショーに出品される車両は大きく二つに分けられる。一つは現行の生産車のマイナーチェンジモデル、もう一つは来場者が一番興味を持つお目当ての”参考出品車”。
参考出品車も販売予定車とコンセプト車両に分けられるが、販売予定の車両であっても発売開始日は言ってはいけない。と言うのも、運輸省(現:国土交通省)から正式な認可が下りていない以上販売時期を先に言える事ではなく、独占禁止法?にも振れる事なので言わないでくれと言うこと。まあ、3〜4月に販売されることに違いはないが、購入したい人や興味があるマニアには”発売日の特定情報”は貴重な情報なんでしょうが、正直この時期では発売日として”ごろ”までしか決まっていないのです。
「部品の盗難・・・」、会場には人が多く、この中で部品を取る奴が居るのか思うのだが、実際あるんだそうです。

翌日、開場前にミーティングが行われ、私はRZの担当になった。専用の薄いグレーのブレザーを着用すると、東京事務所の方に「そのスーツのズボン合ってますねー」と言われてしまった。1時間交代で一日に4回ほどRZの前に立ち、お客様からの質問に答えるのですが「いつ発売ですか」、「いくら位するんですか」、そんな質問には「分かりません」、「未定です」。なんとも説明になっていない。すると「これは水冷ですか?」、『やっと説明できるか』、「はい、ラジエーター付いていますから」、「馬力はどの位ですか?」、諸元値が書かれたパネルを指差して「見たとおりです」、そう、パネルに書かれた以外の事を説明しないように言われているのです。
そんな素っ気ない説明にも『ふんふん』とうなずいてくれるお客様はエライッ!、
一日目の夕刻になると慣れない立ち仕事のためか、ふくらはぎが張って痛くなり、そのことを控え室で話していると、東京事務所の慣れた方が「少しでも常に歩くようにしていると疲れが少なくて済みますよ」と、言われた。

翌日もRZの担当になり、開場前に展示車両のチェックをし、取り外された部品がないかをチェックする。もちろん異常なし、良いお客さんばかりだ。
交代時間休憩中は他社のブースに行ってみる。この時ホンダから出品されていたのが”フュージョン”と”ズーク”。ダックスフンドのように長い車体形状のフュージョンを見て『こんなのホントに出すのか?』とか、ズークの『この靴底のパターンのタイヤは面白い』と思った。しかし、時間は掛かったがこの二車種とも本当に市販してくるあたりホンダは凄いというか、ヤマハは大型スクーターで先手を打たれてしまった。
〜この後、ヤマハはシグナス180を出すのだが、中途半端な排気量が災いしてか売り上げはさっぱりだった。全くメリットのない物を作った物だ。

閉場後車両のチェックをしているとRZのラジエーターカバーのネジが一本無くなっている。誰だろうねー、人混みの中で工具を使わないと外せないところなのに、大胆である。

一日目に教えてもらった「歩くといいよ」を守ったせいかふくらはぎが張る事はなかった。
担当の二日の仕事を終えて寮に戻るべく新幹線に乗って浜松へ、そこから在来線に乗り換えて磐田駅に、そこからはタクシーだ。タクシーから見る景色は真っ暗、でも入社したときに比べると商店街の中や、裏通りの数店の店は夜遅くまで開けているところが増えてきた。

寮の部屋に帰り着くとホッとする、慣れない仕事に疲れたときはレコードを聴くのが一番。と言うことで夜も遅いのでボリュームを絞って聴くのだが、かすかに音が出る程度のボリュームでもちゃんと低音が出ていて、音のバランスが崩れていない『俺のオーディオって凄い!』と、自己満足に浸る。