「赤毛のアン」と老人

先日東京へ出張した時、電車の向かいの席で熱心に読書している若者がいた。 何を読んでいるのかと見ると、「赤毛のアン」の本だった。良い感じだと思った。 カナダの女の子の物語なのだけど、それを30歳代相当の若者が熱心に読んでいる姿に対して。

私が「赤毛のアン」の本を最初に知ったのは、30歳になる頃だった。 早稲田大学の大学院にいた時、指導教官の高橋磐郎教授に時折会いにやってくる篠沢さんという初老の方からだった。 「赤毛のアン」の翻訳者の村岡花子の訳がいいと大変なほめようだった。

当時、私は小説などほとんど興味をもたず修士論文の研究で頭がいっぱいだったが、 篠沢さんには興味をもったので、話を横で伺っていた。 篠沢(昭二)さんは日本電気(株)の応用ソフトだったかの事業部の部長さんと聞いていて、 大学や研究所での最新の研究動向調査のために各大学の研究者を訪ね回っているとのことだった。 実際、全国の地図データベースを関係データベースで構築する手がかりの研究プロジェクトを篠沢さんの提案で高橋研究室が受託したこともあった。 私の興味は、白髪の篠沢さんが「赤毛のアン」の話をすることにアンバランスさを感じたからだった。 大変偉い方らしいけど、その偉さを全く感じさせない物腰と話し方に敬服した。

しかし、私自身が年を取って読むと、この本は実に面白い。 アンの舞台の20世紀初頭の時代と私が育った時代に大きな違いはなかったので、 本を読みながら自分の時代のこと、そのときの自分のことなど思い出せて、懐かしい思いもよみがえってきた。 主人公のアンの言葉へのこだわり、そして新鮮な感覚が共感を呼び起こすのだろうか、 さらにマシューの死を扱うことでアンの選択が人生の深みを感じさせてくれることもあり、 これまで多くの人々がこの本に引き込まれている。 篠沢さんもその一人だったにちがいない。

私も還暦を過ぎて白髪の篠沢さんの年齢になったのだろうか、今ではアンバランスさを感じることはない。 私は、「赤毛のアン」の訳というよりも、女の子アンの感じ方に大変衝撃を受け、 そういう感じ方がもっと多くの方に受け入れてもらえたらと願っている。

 

「赤毛のアン」は、本以外に映画もあるが、映画よりもアニメの方が原作を忠実に再現している。 というより、より良く脚色され追加されている部分もかなりあって深く理解できる。 このアニメは79年頃に放映されたが、現在ではネットでも見つけることができることは、時代のありがたさかもしれない。

篠沢さんから聞いたこと

篠沢さんには、他にいろんな話を伺ったけれど、アンの話以外に記憶していることは、 時折東京を脱出して北海道の十勝三股・三国峠に行くのだそうだ。 飛行場を降りて、タクシーでその峠までの道のりがすばらしいということだった。


国鉄十勝三股駅(Wikiから1978年12月)汚れのないきれいな雪だ!

そんな話を伺ったためか、後に私は教員としての最初の赴任地として北海道の大学を選んだ。 赴任後十勝三股・三国峠までドライブし、篠沢さんの話を確かめたのだった。 そのときには、まだ国鉄の十勝三股駅があり、林業が盛んだった。 この盆地は周囲を森に囲まれて、360度、すべて森だった。 スモッグに覆われた大都会の東京を脱出した篠沢さんは、ここで深呼吸をされていたのかもしれない。 たぶん、現在でも峠から十勝三股を見下ろせば、樹林が延々と続く森のパノラマを見ることができる。 現在は舗装された国道が貫いているが、篠沢さんが通っていた頃は砂利道が延々と続く道だったはずである。 私が通った80年初め頃でも、糠平温泉を越えると砂埃の砂利道だった。十勝三股には、ドライブイン兼食堂があり、 春にはエゾノリュウキンカという山菜ラーメンを出すと女主人が説明していたのを思い出す。 その席には、林業で鍛えたたくましい男たちが座っていた。


三国峠からの景色