今の学生に「からくり」を教えるには

1.はじめに

すっかりケータイやスマホに染まった学生たちに「からくり」とか「機械仕掛け」という概念をどう教えるのかに悩まされて数年が経過した。団塊世代の私たちの子供時代にはどの家にもあったゼンマイ時計と真空管ラジオ、いつも乗っていた蒸気機関車(SL)、台風の季節になると雨漏りの下のロウソクの灯などのアナログの世界が今はない。あやとりやかくれんぼ、竹馬に竹とんぼなど、これらは今はスマホのゲームに変わってしまった。音楽だってレコードが消えてしまった。小学校にソロバンがあれば良い方だ。現代の日常にはアナログを連想させてくれる実物がないのだ。

2.制御のデジタル革命

指先で何でも動かせる時代に、なぜ「からくり」を教えなければならないのか。その理由は、デジタル革命の現在の姿を真に理解してもらいたいのだ。音楽ならレコードからCDへ、テレビならアナログ放送から地上デジタル放送へと切り替わっていった、いわゆる情報革命といわれるものはデジタル革命の半分なのだ。

本質的革命はデジタル情報による機器・装置のコントロール(制御)という制御のデジタル革命である。

例えば、最初に登場したのがマイコン制御による炊飯器、その後の洗濯機・エアコンなどの家電、そしてDVDやTVなどの情報家電などがある。これらの装置は、利用する人間が気付かないままデジタル化が進行してしまった。

現代の自動車には数多くのマイコン(マイクロプロセッサ)が搭載されて、アクセル、ブレーキ、ハンドル操作を監視しながら自動車が適正に動くよう制御されている。ネットにトヨタ自動車のたくさんの例がある。最近販売された自動車では、まるで人間の目のようにレーダーや映像で車の前方を監視し、危険と判断したら、自動的に停止させるという衝突防止装置が人気になっている。これまで人間が行ってきた自動車運転(つまり状況認識、判断、制御など含むが)、それが一部であっても自動化できるのは、マイクロプロセッサを中核に据えるコンピュータというハードウェアとソフトウェアのおかげであることは推測できるだろう。

3.アナログとの比較

ここまでの説明なら、実感はともかく、頭では多くの学生も分かった気分になれるだろう。では、なぜ私たちの身の回りの機器がデジタル化しなければならなかったか、という必然性を理解できるだろうか?要点は、こうした機器・装置はアナログではなくデジタル制御で作った方がコスパが良いし、小さくできることなのだが、それが理解できるだろうか? (現代デジタル機器の多くは、そもそもアナログでは作れないのだが。)

(1) ソロバン

ソロバンは数の表示部であり、四則演算の処理と操作は人間の頭で行う。

(2) パスカルの歯車式計算器(17世紀)

フランスの教育者・哲学者であるパスカルの発明品。パスかリーヌと呼ばれている。これは、数を歯車の位置で表現し、足し算は歯車に回転を加えることで行う。桁上がりの箇所が工夫のしどころだったはずだ。6桁の歯車があって、各桁で足したい数だけ回す。引き算は補数を足し込む方法を使った。

(3) タイガー製の手回し式計算器(1960年代)

足し算の桁上がり、引き算の桁下がりを自動化し、基本的な加減算ができる。乗算は、かける数だけ足し算を繰り返せば良いという思想で、ハンドルはそのためにある。+方向に回せば足し算、逆に回すと引き算となる。これらをうまく使って乗除算が可能。

(4) 計算尺(1930年代から1960年代)

私の学生時代の計算尺。三角関数、対数、かけ算、割り算などエンジニアが使った。概数しか計算できず、精度はせいぜい3桁ほどだった。計算尺は見るからにアナログの代表だが足し算、引き算はできない。

最近の学生さん向けに。宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」で堀越二郎が計算に使っていたものが、これです。関東大震災の時、足を骨折した”おきぬさん”に添え木としてあてたのが二郎が使っていた計算尺で、震災後学校まで返しにきている。計算尺は竹でできていてゆがみが無いので大変丈夫です。私は、これをITビジネス論の授業で学生たちに見せている。

電卓の登場

これらは代表的なアナログ計算機器である。 タイガー計算器や計算尺は1960年代まで、計算が必要な理工系学生やエンジニアによって実際に使われたものだが、 電卓の登場によって1970年代初期に駆逐された。 その後、電卓は1人に1個、誰でもが使う日常生活の道具となった。ここにデジタル革命の成果が現れている。

アナログ時代のアルゴリズムの実現は歯車

ソロバンのことを思い浮かべるとわかるだろうが、計算には一定の手順がある。 この手順が実は制御と同じであることに気付いて欲しい。単に計算という一語であるが、実際には一定の手順と判断を正確に繰り返す作業なのだ。 この一連の動作はアルゴリズムとも呼ばれている

さて、現代ではこのアルゴリズムをプログラムというソフトウエアで実現するが、アナログの時代はどのように作られていたのだろうか? 上記の計算器で分かるように歯車で作られていた。すなわち、歯車の位置で情報を表し、歯車のかみ合いという運動で情報を伝達する。

歯車解説

ネットを探すと、3つの歯車の組合せがあった。歯車3は歯車2(遊び歯車)を通じて歯車1と結ばれている。歯車1が一回転しても、歯車3は半分も回らない。このように歯車の大きさを変えることで、回転数を自在に制御できるので、正確な制御に歯車が使われた理由だ。しかし、互いにかみ合う歯車の設計は難しい。まして歯車の歯をヤスリを使って作るとなると正確無比にはいかない。また動けば互いにすり減って歯が変形し小さくなろだろう。そうした困難を想像して欲しい。

歯車を組み合わせて、時計のような、当時としては複雑な動きを行う時計を作った。

10進数の足し算で合計が9を超えるような場合、桁上がりが行われて、上位の歯車を1つだけ進めるように歯車のかみ合わせを仕組まなくてはならない。この仕組みを桁の数だけ計算器に作り込むのだ。だから、歯車の数が増えて仕組みが大きくなる。こうした中身の構造を「からくり」という。

実例

19世紀のイギリスの数学者バベッジ(新戸雅章『バベッジのコンピュータ』筑摩書房1996年)が作った解析エンジンと呼ばれるコンピュータは歯車の塊となって、当時の技術では高精度の歯車を作りきらず未完成となった(その後、現代になって、これを復活したプロジェクトがある)。 19世紀の日本では、後に東芝を創業した「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重は、歯車を精密に組み合わせて春夏秋冬の日の出、日の入りも表示する「万年時計」を作った。

これは、日経エレクトロニクス誌(1984.11月号)に掲載された「からくり人形」です。お茶碗を運んだと思われる。写真の真ん中に大きな歯車が見え、これで手と足を動かしている。江戸時代にはこうしたからくり人形がいろいろあったそうだ。

4.具体的な想像力を育む

電子の時代ではなかった19世紀までは、高度な精密機械は主に歯車で作られていたことを明確に押さえて欲しい。たかが歯車で作られたものに高度と言えるほどものではないかもしれないが、しかしその時代の最先端であったことは確かだ。

歌に唄われる「大きな古時計」は、各家庭にあった当時のハイテク製品だった。振り子やゼンマイで動いていたことは、生で見ていなくても理解できるだろう(腕時計のからくりは、このリンクをたどるといい)。また、自転車はペダルを踏んだ力を後輪に伝えるためにペダルの歯車と後輪の歯車をチェーンで結んでいることは、自分で自転車に乗っていればわかるだろう。40年以上も昔にはこれもハイテクだったのだ。

スマホ時代の子供たちは、生の「機械」を知らないまま育ってしまった。それゆえ、スマホはブラックボックスでしかない。ブラックボックスが習慣化すると、あらゆるシステムのアルゴリズム(手順や制御)も想像することができないだろう。これは悲しいことだ。システムのからくりが分かれば、そのシステムのどこが悪いのか、その改善についての検討が可能になるはずなのに、こうした理解から遠いのが現代の文系学生の傾向のように思われてならない。システムは部品に分解できること、また部品を組み合わせることで製品が完成することを想像できる力を持とう!

もちろん、歯車の世界とマイクロプロセッサの世界とのギャップはとても大きい。だが、全体は部分に分解できるという信念は、歯車であろうとマイクロプロセッサであろうと同じだ。そこは想像力で広げよう。