進む政府の劣化

朝日新聞2020年6月17日の論説

この論説で、編集委員の原 真人氏は『日本は何の「大国」か』と題して、進む政府の劣化を論じている。

確かに、安部首相の第2次補正予算案の記者会見では、「空前絶後、世界最大」という言葉がテレビニュースでも報道された。国民ひとり一人が欲しいのは、休業などで自分に不足している分であって、「空前絶後」ではない。

それなのに「空前絶後」のばらまきをするのであれば、後日の「空前絶後」の過酷税とセットで受け取られるべきことであろう。

この論説では、『安倍政権は増税を先送りする代わりに行政サービスの質の低下を容認する道を選んだ。その結果ゆっくりと、だが確実に政府の劣化が進んでいる。これこそ形を変えて進む「財政破綻」ではないのか』と断じている。

税の過酷な取り立ての代わりに、「生殺し」のような状況に国民は長期間置かれる訳だ。例えば、すでに行財政改革という名目で全国の保健所が1995年から45%減の469個所に、常勤職員も同様に削減された結果、今回のPCR検査に代表される新型コロナ対策が危機に対応できていないことが顕わになった。医療介護現場であっても、まもなく75歳を迎える団塊世代の「2025年問題」が目の前である。これはマクロ面では「社会保障費の破綻」とくくられているけれど、収支バランスを維持しようとすれば、ひとり一人の個人のミクロレベルでも評価されるべきである。高騰する社会保険料の支払いに追い立てられ、あるいは支払えず苦しめられる人々。あるいは必要な介護が受けられないか受けられたとしても低レベルに据え置かれて苦しめられたり、政府が進める大幅な病床数削減のあおりを受けて適切な医療・介護を受けることができずに早期に死を迎える人々。こうした人々が多数出てくることにも目を向けなければならない。一般論として、経済的あるいは社会的に弱い個人にしわ寄せが行くものだが、本当にそのように放置して良いのだろうか。声を上げられない弱者の命をそんなに粗末にして良いのだろうか。政府の膨大な赤字国債発行と引き換えに、いつの間にか誰の責任でもない形で死者数が増える時代に向かっている。

原は最後にこうも述べている。『いつの時代も負担増は不人気策である。政治家が声高に唱えるには勇気がいる。いま、それでも言わねばならぬと腹をくくる政治家がいかに少ないことか』と。今回の90兆円という空前絶後の新規国債発行なのに、与野党からはもっと多くの支援が必要との声ばかりが響いている。

国の借金に「目をそらすな」

2020年7月3日 朝日新聞の記事である。財政制度審議会会長の談話で、財政健全化の重要性を訴えるものである。カネには入りと出がある。このバランスが壊れれば、隠しても隠しきれないもので、必ずどこかで清算される。その清算の時代が、既に「形を変えた財政破綻」として始まっており、少子高齢化の進行でより深刻化する。バラマキは衆愚政治の代表である。そのバラマキにたかるのは誰か?負担の公平化を真摯に考えるときだ。