「松下さんのたんぼ」 多々良栄里 松下明弘さんの田圃は静岡県藤枝市の南西部にある。全部で3町2反、17枚に分かれている。妻と子供3人の5人家族を守る36歳、たった一人の厳しい農業である。27歳で母親を亡くし、31歳で父親を亡くし、耕す者がいなくなった田圃を33歳の時に継いだ。江戸時代中期にこの地に開墾者として入った先祖から数えて代々農家の松下家、8代目を守った。専業農家を継ぐことに抵抗はなく、戦前、戦後「志太米」というブランド米として静岡県でも指折りの良質とされていた米の産地を受け継いだ事に誇りを持っている。農業を継いだ時「これでやっと自分の場所に帰ってきた」そんな思いが心にあったという。学生時代から思い切りのいい青年だったという噂通りの性格もあったのか、農家になると同時に両親の化学肥料栽培から、有機農法に切り替えた。時代が緩やかに移行し始めていたとはいえ、まだまだ近所では特殊な農業という印象が強く、風当たりも強かった。「肥料や農薬を使うほうが特殊栽培なんだと思う。普通、自然界では有り得ないものを使う方が異常なのに、いつのまにか全体がそうなってしまった。俺は俺のやり方でやる」大きなミミズが住むようになった田圃を指差しながら、「まだまだだけどね」と謙遜する。 収穫の秋、刈り取った稲を一本、短く横に持って穂を風に揺らしている。「これ、神社の七五三縄に似ているでしょ。七五三縄はね、稲の形から作られたものなんだそうだよ」そう言いながら、自らが育てた米をいとおしそうに眺めている。日本人と米との歴史を忘れてはならないと考える松下さんらしいひと幕だ。作業道具小屋の二階には、桐の箱の中に先祖が書き記した米の出来高帳や売買帳が保管されている。明治、大正、昭和にどんな品種がどんな出来で、どんな風に流通されていたのかを、時々見ては参考にしている。多くの先祖の苦労を頭の中に描き、稲の気持ちを考えながら工夫して春に蒔く肥料を作る。入植者として田圃を切り開いた先祖への敬愛を深く心に抱いている。 幸せの形にこだわり、人の目を意識しながら、心に闇を抱えて生きている現代の若い日本人の横顔に出会うたびに、人は何のために生まれ、そして生きているのかを考える。そこには答などなく、時が過ぎるのを待つ諦めしかないように思われる一瞬もある。個を見つめると同時に社会を見つめ、出来る事に一生懸命食らいつく強さを忘れてしまいそうになる時もある。 「稲を育てるという事は、一対一の真剣勝負。お前がこけたら俺もこける。だから頼むよ。お前を信用するしかないんだ」そんな思いで米を作る松下さん。稲の出来が悪かったら、その年の苦労がすべて水の泡と消える。自らの独断で米を作るから、出来に対する緊張感も、背負っている重みも人一倍強い。けれど、あえてそこに挑戦する松下さんには、真の格闘だけが培う精神の強さがある。「今の若いやつは、中味がないから外見にこだわるんだと思うよ。俺は、今ここで裸になったって何も変わらない。何も恐くない」緩やかに笑う目に大きな自信と豊かさが宿っている。土にしっかりと根が生えているのは、稲だけではなく松下さんも同じなんだと思う。米を作っているからという理由だけではない。どんな仕事でも相棒を信じて人生を懸けられるかが、同時に生き方の強さと面白さなのだと知らされた。汗水たらして豊かな土壌を作り、栄養をたっぷりと自らの体内に取り入れて日々を送る姿に、歴史を繋ぎ続けてきた強い日本人の姿を見た。 |
| 多々良栄里さん フォトグラファー/中古カメラ専門店タタラドー店主 1969年 静岡県静岡市生まれ |
「松下君の山田錦」は多々良さんのHPでご覧いただけます
タタラドー http://homepage1.nifty.com/tatarado/
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