私、人が人に教えられることは技術だろうと思うわけです。技術以外のことも教えられるだろうけど、それは技術を教えるのと比べると、はるかに難しいんじゃないか、だから教師は余分なことを教えてくれなくていいから、ひたすら技術を教えてくれと、中学校あたりで思ってました。ヤなガキだったんですな。特に美術や音楽なんか、まず技術・技法を教えろと思ってましたが、技術がない教師には何も教えらず、精神論とか説きだすと。以上は余談です。さて、
デジタルプリントの処理方法、レタッチ方法は、なぜか理科系的、技術者系的な解説ばかりだ。
というのは当然の帰結でしょう。それは教えることができるからです。そして、
写真は理科系的な部分もあるが、実はほとんど文化系的な感覚でするものだ。暗室作業にしても、化学実験というよりは、料理に近い。
というのもわかりますが、料理も基本的には技術です。したがって、ほとんど教えることができます。ただ感性的な部分、たとえば塩味とか盛りつけとか、を教えるのは難しいんですが、訓練と経験でそれもかなり補えます。その先は、もう誰にも教えることのできない、自分で獲得していくしかない世界でしょう。そのあたりの事情は料理に限らず写真や絵でも同じことなんじゃないだろうか。第一、この後に書かれるワークショップの実例も、実は大半が理科系的、技術者系的説明になっていませんか。文句があるわけじゃありませんし、それでいいと思ってるんですが、なんとなく笑みがこぼれました。
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