@ 今日の浅い考察・模写と複写と盗作と
うおー、もう五月が終わっちゃうよー。今年も半分終わる一歩手前だよー。た、たすけてくれー。さて、例の盗作問題ですが、こうまであからさまな盗作ってあんまり記憶にない。しかも同じ画家から何作も盗んでバレないと思ってるところが理解の外だ。んで、今朝のテレビでテリー伊藤がした指摘が面白かった。疑惑のかかってる作品はオリジナルと比べてあれこれ他の要素が足されており、チカラのある画家ならむしろ削るのではないかといったようなことを述べていたんである。慧眼である。チカラうんぬんはともかく、模写したから、そこに余分な要素が付け加えられたと見るのが妥当だろう。中学高校と美術部部長だった人間として、確信を持ってそう思う。うへへ。
などということを考えていて、数日前の『[晴]晴れの日もある』の記事『盗作に関する覚書き』を思い出した。その中にこういう記述がある。
そもそも写真を見ながら絵を描くことに漫画家という職業の人は疑問を感じないのだろうか。漫画は、写真とは違った方法で二次元に切り取る表現手段であったはずなのに、写真をトレースしてよしとしてしまう。これは業界全体を覆う大きな問題であるように思う。
芸術的側面から見たらその通りだと思う。商業的側面を考えるとむにゃむにゃむにゃだが、ホントーのところ、このことについてあんまり考えたことがなくて、これまでは写真を見ながら描いてもいいと思っていた。しかし、竹熊氏のいうように「マンガ家が自由に使えるフォト・ライブラリー」があったとしても、それを使ったマンガから再びトレースされても文句はいえなくなってしまうのではないだろうか。というか、それは区別がつかないよね。その場合に備えて、さらに手当が必要になったりして。おおそうだ、マンガに新しい概念を導入したらどうだろう。その名も「サンプリング」である。うはは。
絵のサンプリングといえば、何年前だったか、はなまるマーケットに出演した藤井フミヤが、自分の部屋を紹介する写真に写っていた美術書について、自作のサンプリングに使うとかヌかしたのを聞いて驚いたことを思い出した。絵のサンプリングという手法が、おおっぴらに認められてるものなのかどうか知らないが、今回の盗作騒動の画家も、サンプリング程度に留めておけば、ここまで大問題にはならなかったかも、なんちて。
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