@ 今日の隠れた名著 2/100・『電子小説批評序説』畑中佳樹
それほど世間では知られてなさそうで、エライ人が選ぶ名著100選とかにも選ばれなさそうなコンピュータ関連書籍を紹介するシリーズ、というつもりで始めたのだけど、100冊選べるかどうか、早くも挫折の雰囲気が漂ってる。書庫から探し出し、再読する必要があるというのがまず難点だが、それより大きい問題は、この業界の進歩が著しく、どうしたって古びちゃってる部分があるんですな。おまけに、ほとんどもう手に入らない。そのあたりを気にせずにいくべきかどうか、やや悩み中。やれるところまでやってみますが。
商業用としては『ポン』以来、無数のコンピューター用ゲームがこれまで作られ、様々なジャンルのゲームが登場してきた。ハードウェアの発達とともにそれらは進化し、市場で生き残っている。ただ一つ、テキスト・アドベンチャーというジャンルのゲームを除いては。
『電子小説批評序説』は、そのテキスト・アドベンチャー、それもインフォコム社の作品だけについて書かれた評論集だ。テキスト・アドベンチャーについての説明は省きたいところだが、それを書かないとこの本の意味がわからないので簡単に記しておく。
ざっくりいうと、テキストアドベンチャーとはグラフィックスのないRPGである。プレイヤーは英単語だけをコマンドとして打ち込んで、冒険をし、謎を解き、目的を達成しなければならない。例えば「Get hogehoge」みたいな調子で、コンピュータ相手に命令したり質問を繰り返し、マップを作りアイテムを手に入れていく。ものすごくプリミティブな人工知能と会話するみたいなもの、といったらイメージしてもらえるだろうか。さらに詳しく知りたい人は『コラム・インフォコム専科?』を読んでみよう。
批評される対象より、批評そのものの方が面白いということは時々ある。しかし、本書ぐらいそれにぴったり当てはまる例は少ないかもしれない。実際にインフォコムのテキスト・アドヴェンチャーをプレイしたことのある日本人なんか数えるほどしかいないだろう。当時だって千人いたかどうか疑わしいくらいだ。私も一本だけ試したことがあるが、途中で挫折した。それでもこの本は楽しく読めるのだ。畑中は不合理なゲームシステムに悪戦苦闘しながら、何かしら別のものとの共通性を発見し、様々なものに喩えることで思索の深化を試みていく。いわく、テキスト・アドヴェンチャーはプラモデルである。いわく、テキスト・アドヴェンチャーは考古学である。テキスト・アドヴェンチャーは……、のように。引き合いに出されるのは映画や小説である。それらと比較対照されるわけだが、文学が専門で、映画批評家としても知られる畑中ならではの視点から検討が加えられる。これが抜群に面白い。
最初、畑中はテキスト・アドベンチャーをインタラクティブな電子小説と見なした。そこに新しい可能性と小説を越える何かを感じたからこそ、批評を試みた。タイトルが『電子小説批評序説』となっているのはそういうわけである。「序説」となっているあたりに若干の弱気を感じるが、それは書き手としての予感でもあったのだろう。何本ものゲームをプレイし、あらゆる知識を総動員させてテキスト・アドベンチャーについて思考し続けた結果、可能性を自ら狭めるようなゲームに失望し、最後の最後に「生き残れ、テキスト・アドヴェンチャー」と書かざるを得なかったのが、そのことを裏書きしている。
事実、その後テキスト・アドベンチャーは廃れ、現在ではほぼ絶滅した。当然だが批評の必要もなくなった。もう誰も、テキスト・アドヴェンチャーを語らない。最後に、本書の中ので個人的に印象に残った記述を引用しておく。この指摘は今でも有効かもしれない。ちょっと反論を試みたい気分もあるが、それは本稿の目的ではない。
今後、コンピュータ・ゲームがどんなに社会の中に根をおろしたとしても、それは決して、パチンコのようなしがない、うらぶれた、ハミダシ者や負け犬たちのゲームにはならないだろう。ぼくなど、コンピュータ・ゲームに最も適しているのは、様々な分野でエリートを養成する教育装置という形態だろうと思っている。
どうです? 最近のDSのあれやこれやが予感されているような気がしませんか。
なお本書は、1984年から1987年にかけて『遊撃手』と『バグ・ニューズ』という雑誌に連載されたものをまとめ、ビー・エヌ・エヌより1987年に刊行されたものである。再刊の見込みは薄いので、古本屋当たりで見かけたらぜひ購入してください。
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