@ 最近の驚き・思わぬ方向から矢が
藤原新也の『Shinya talk』の12日分『言葉が生まれるとき』を読んでわたしは驚いたのだが、これも全く話題になってないのね。槇原敬之と松本零士の例の争いについて書いてるのだけれど、完全に松本零士側に立ってこんなことを書いている。
槇原敬之は居直って盗作ではないと言っているらしいが、言葉をあつかう私のような者からみるとこれはあきらかに盗作以外のなにものでもない。
個人的には盗作説には疑問が残ると思ってる。が、そう考える人がいても仕方がないかなあとも思う。ここは検証不可能なので、両論あっても当然だ。しかし、続くこの言葉はどうなんだろう。
このフレーズ以外の言葉は実に凡庸でステロタイプ。そういった言葉の使い手が、この言葉を編めるわけがない。言葉のレベルが違う。
藤原新也氏は槇原敬之を全否定してしまったけれど、彼の他の曲を聴いたり、歌詞を読んだ上でそう決めつけているのだろうか。この記事の冒頭で浜崎あゆみやCHEMISTRYを知らなかったと書いてるくらいだから、とてもそうは思えない。わたしは槇原敬之のファンでも何でもないし、『世界に一つだけの花』みたいな曲の歌詞にはケっと思うくらいだが、男性ソロアーティストとしてアルバム売り上げ数歴代一位は伊達ではないと思うがどうだろう。通俗な音楽だからと切って捨てることも可能だろうが、それだったらCHEMISTRYだって以下略だ。こんな、
ケミストリーやいい曲を書いた谷口君がいい迷惑だ。川畑君と堂珍君のふたりは今後この汚れた歌は歌わない方がいいと思う。
なんて言いぐさは、ただの身内びいきとしか思えない。彼らにとっては、かえって迷惑なんじゃないだろうか。
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