@ 今日の一冊・新聞コメントとかに寄せて
オリコンの訴訟問題について書くことはあまりないのだけど、今回のテーマに関連した話だからちょっと触れておく。物書きはそういうリスクを常に抱えているわけで、自分の意に添わないコメントにオーケーしちゃったというのは、脇が甘かったといわれても仕方がないだろう。これはまったく個人的な印象で、バイアスがかかってるといわれるかもしれないが、烏賀陽氏のこれまでの言動と行為から、もうひとつ彼に信頼感が持てなかったのも、事件を表面化させたときの手法と合わせ疑問を感じさせるものだった。そのあたりの話はとっくに愛蔵太氏が書かれており、いまさらではあるけれど、一応指摘しておく。しかしまあ、しんどい話ではあるな。
次に、これまた旧聞だが、一週間ほど前『高木浩光@自宅の日記』の19日分で『新聞の意味不明な識者コメントはデスクの解釈で捏造される』という記事が書かれた。これ自体はよくある話にすぎず、わたしは昔からそんなもんにコメントするのが迂闊である説を採っている。yomoyomo さんも『そもそもどうして「識者コメント」に応じるのだろう、もしくはワタシがモヒカンだったあの日』という記事で同じことを書かれた。もっともそういう依頼がガンガン来る人はまた違った意見をお持ちかもしれない。
さて、ようやく本論に入れる。今回の話は、これを紹介をするために書いている。マエフリ長すぎ。
NHK出版の生活人新書から刊行された『「ニッポン社会」入門』という本は、14年間日本に暮らし、イギリスの『デイリー・テレグラフ』という新聞社に寄稿しているコリン・ジョイスという記者の書いた日本論、日本人論本で、「英国人記者の抱腹レポート」という副題が付いている。たまたま先にこれに接していたため、高木浩光氏の文章を読んでフラッシュバックし、紹介してみようという気になった。
外国特派員である彼は、日本で様々な事象を取材し、記事にして本国に送るのが仕事だ。だがどんなテーマで何を書いても、デスクがあらかじめ作っておいたストーリーに合わせ、都合のいいように書き換えさせられる。なんといいましょうか、ゲイシャメソッドとでもいうべきものですな。その結果、デイリー・テレグラフに掲載される日本関連記事は、色眼鏡で見たものになってしまうと嘆く。そんな話を読まされる日本人としては、やや憤りを感じるが、同時に、どこの国にもこういう話があるのだなあと思わされるのである。デイリー・テレグラフでこれなら、他は母子で汁飯だ。こうして、世界には誤解と曲解にみちた日本観が流布されていくのだった。ええい、新聞なんかペコポンだい。
上記の話はオマケみたいなもので、本書の眼目は日本が好きな英国人による日本への愛情に満ちたエッセイであり、筆者がどのようにして日本化していったか(そしてイギリスも)を書き記したものだ。日本人も知らないような日本を紹介してくれたり、イギリスの食事は決して不味くない、日本人にいわれるほどイギリスと日本は似ていない、といったイギリス人らしい着眼点と主張もあったりして楽しい。ものすごく深いというわけでもないし、この種の、日本人を読者に想定した外国人による日本論はこれまでに山ほど書かれているため、特に目新しい物ともいえないけれど、14年も日本に住んだジャーナリストが書くだけあって、凡百の一夜漬け的日本論本と比べたらはるかに面白く、こんな記述からはさすが新聞記者だと唸らされる。
日系外国人の出稼ぎ労働者も東京を気に入ることだろう。東京には働き口があるし、ドラッグや犯罪に染まっていない場所に住むことができる――いわゆる発展途上国のみならず先進国においても、貧しい人々にとってはおいそれとは望めない環境だ。
わたし、なるほどと膝を打ちましたね。そうだ、まったくその通りだ。そういう環境に住み着く外国人の方が脅威になってると思われてるかもしれないのは皮肉もいいとこ、といったらいい過ぎか。
こういった鋭い指摘も交えつつ、全体的にはユーモアに満ちた軽い読み物に仕上がっている。あえていうなら毒が少ないのが残念(自虐的)だが、誉められる日本が好きな人はぜひご一読を。
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