@ 今日の長年の研究課題・それはホントーに日本食の仲間か
認証制度で思い出したのでメモしておく。時々、海外で「女体盛り」が話題になって、日本の伝統的なものと思われたり、シアトルではえせ日本食レストランで出されて現地の人に嫌悪され、さらには日本叩きの材料になったりしてる。中国でも『現代中国の「私」探し―ボヘミアン幻想と海外文化の引用―』に書かれてるように、中国人の反日感情をあおったというか、方便に使われた。さらに去年、テレビドラマの『CSI:NY』にも出てきたので驚いた。「女体盛り」が日本の記号としてすっかり定着した感すらある。しかしだ。いったいこいつはいつどこで誰が始めたんだろう、と、いうのが長年の疑問だった。そのことを昨年の11月23日の『Thanksgiving Feast』という記事(注 18禁)を見て思い出したのである。例によってそのまま忘れてたんすけど。
同じような疑問は『武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板』の4月29日分にも書かれているが、実際の所そんな習慣があったとは思いにくい。これは想像だが、なにかの映画とか、ポルノ系雑誌の企画で最初に登場したんじゃないだろうか。ひょっとするとローマ時代あたりを舞台にしたポルノ映画の影響っていう可能性もあるかも。作品名を指摘できないけど、裸の女性に果物などを載せて食ってた映像がうっすらと記憶にあるのだ。ただしこれは個人的な妄想の可能性もあるので、ほとんどあてにはならないが、裸の女性と食物という組み合わせが、世界共通のエロティックな妄想であろうことは想像できる。
いずれにしても、そういった映像が引用、再引用という形で広がり、どっかの馬鹿が実際にやってみました、ってことではないんですかね? ちょっと違う話になるけど、これで思い出すのがシドニー・ポラック の『ザ・ヤクザ』という映画だ。この映画の中で、頭に刺青をしたヤクザが出てくるのだが、誰かが(小林信彦だったかも)そんなやつはいねーといったところ、脚本のポール・シュレイダーが日本の映画で見たといって、実際にそういう映画があったのだった。じゃあしょうがないわな。こうして誤解に満ちた日本像が広がっていく。とほほ。
えーと、付け加えるまでもないだろうけど、もちろんこういった事情は日本だけに限った話ではない。僕らの考える黒人像は、かなりの部分がアメリカの映画やドラマに影響を受けている。そんな黒人はいねーよと彼らがいっても、だって映画で見たんだもん、てなもんです。そりゃ納豆が店頭から消えても仕方ないよな(朝日スクリプト風)。
ああ、なんだか論点が拡散してしまった。問題は「女体盛り」の起源であるよ。どっかに手がかりはないもんだろうか。
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