@ 今日の駄反応2・バロン西の伝説
『YAMDAS現更新履歴』の『日本人留学生による『硫黄島からの手紙』批判』から誘導されて『ほら貝』の『硫黄島からの手紙』評を読んだ。その中で加藤弘一氏は以下のように書いている。
アメリカ軍が西を名指しして投降す放送をしたのに、西が拒否したエピソードをスルーし、西がアメリカ兵を助ける虚構の場面をいれたのは噴飯物である。
バロン西に投降を呼びかける放送をしたというのは、いくつかの理由で事実かどうか疑わしいという説があり、個人的にも後年の創作説を有力だと考えている。そのあたりの具体的な話は『「バロン西への投降勧告」考』を読んでいただくとして、加藤氏のもう一つの指摘である「アメリカ的な視点で描かれた映画」というのは、そりゃそうでしょうというほかはない。アメリカ映画なんだから、本当に日本人の視点で描けると思う方が不思議だ。もっとも、日本人監督による日本映画だったとしても、現在の日本人の視点から逃れることは難しく、イーストウッド以上のことができたかどうかはわからない。たとえばアメリカ軍の残虐性を描いたら、アメリカ人の激しい反撥を買っただろう。『プライベート・ライアン』でもドイツ軍捕虜を射殺するシーンが退役軍人から批判されたくらいだ。勝てば官軍なので、ベトナム物と異なりあんまりそういう話が第二次世界大戦物で描かれることはないが、『米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言』を読めばわかるように、実際にはアメリカ軍も相当に非道なことをしている。たまたまだが、つい先日 NHK BS2 で放映された『特攻大作戦』には、ドイツ軍将校と一緒に多数の女性を殺す、ちょっと後味の悪いシーンがある。あれはアメリカ人にどう受け止められたんだろう。『めぐり逢えたら』では男が泣く映画として言及されてたけど、泣けますかね、あれ。
なーんて、偉そうなことを書きながら、実はわたし、『硫黄島からの手紙』も『父親たちの星条旗』もまだ見てない(おーい)のであった。今週の週刊文春のコラムで小林信彦は『硫黄島からの手紙』を「世界映画史に残る」と書いてたけれど、ここでもう一つカミングアウトしておくと、わたし、しばらく前からイーストウッド作品とは微妙に肌が合わなくなってきている。文句なしに楽しめたのは『スペース カウボーイ』が最後だ。ちゃんと考えてないので、肌が合わないと感じるようになった理由はわからないのだけど、ほのかに香る左巻きの匂いに反撥してるのかもしれない。まあこの話は長くなるので、機会があったらきちんと考えてみたい。
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