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2001/04/07
<<Viaje al Mexico >>   メキシコ紀行   

Hisako
久子

好きなこと スペイン語・
洋裁・
料理
お話★

西アフリカお話村
安部公房・
NHKスペイン語講座
骨董、
陶器、
音楽 ジプシーキングス
ラテン系
場所 古い町並み、
血液型  B
星座 射手座
 2000年1月5日,関空発18時30分 UNITED AIRLINES  SAN FURANCISUKO 経由で夕方約14時間掛けてメキシコシティノヴェニト・フアレス国際空港に到着しました。 この空港はメキシコの史上唯一の先住民の大統領の名前を付 けています。彼はOAXACA(オアハカ)の近郊にサポテカ人とし て生まれ, 苦学して弁護士から政治家になつた人ですが.オア ハカでは彼の生家も訪れました。メキシコ各地の道路や公共の 建物などに その名を残しています。
 
 ガイドブツクで悪質な白タクが多いと聞いていたので、空港でタクシーチケットを買いタクシーに乗り、今日の 宿泊ホテルSONA ROSAにあるWESTIN GALERIA PLAZA まで。 タクシーはチップを払わなくてもいいので楽ちんです。 ホテルは結講、設備もセンスも良く満足。その日の夜はソナロサ の近くのオープンレストラン。向かい合わせの犬、テイブルは白 いクロスの上にグリ-ンの布を重ねて、腰掛けもグリーンで統一 したしゃれた所。 客のおじさん達がギター持参で次から次へと メエキシコ民謡 を歌っていた。この辺りは野外レストラン<aire livre>が沢山達並び何処に入ろうか 迷ってしまいす。 料理はメキシコ風PIZZAとサラダがとても美味しかっつた。 
 
 翌日は日本で予約していた ガイドの ビセンテさんが ホテルまで迎えに来てくれました。 もう一人男の人が助手席に座っていましたがZOCAIO <中央広場>で別れ、 3人で1 日ツアーを楽しみました。ソカロは 今日、1月6日は dia del los reyes Magosの日で、ヨーロッパのほうで行うクリスマスイヴにプレゼントを貰う日がズペインとか中南米では今日なのです。1/6に子供達に玩具などの贈り物をする。(東方の三博士、メルキオル・ガスパールバハイザールがキリスト降誕際に宝物を持って礼拝に来たのがいわれ) zocaloは子供達であふれかえり、テレビ局は来ているし手品やダンスや様々なイベントが催されていて、子供達はプレゼントを貰うために長い行列をつくっています。すでに貰った子はうれしそうにはしゃいでいます。二人の女の子がリカちゃん人形のようなものを持ってうれしそうだったので、思わず写真を撮らせてもらった。ビセンテさんがsonrianといっていた。

 メトロポリタン・カテドラル内部は厳かで信心深くない私でも、心落ち着き、安らかな気持ちになる。この辺りは今地盤沈下が、激しく柱や壁に亀裂が入り、修復中です。palacio Nacional(国立宮殿)の正面階段のあのディエゴリベラの最大の壁画。「メキシコの歴史」。偉大なティノチティトラン・ケツァルコアルトルの伝説1810年、イダルゴ神父による、「ドローレスの叫び」独立宣言の再現。9/15の独立記念日の夜には、ソカロに面した宮殿バルコニーに大統領が現れて、「ビバ!メヒコ!(メキシコ万歳)」「ビバ!ラ!インデペンデンシア!(独立万歳)」と叫ぶそうな。Templo Mayor(テンプロ・マヨール)アステカの遺跡1450〜1500年頃のもの。タイルの家の横を通り国立芸術館の前を通り車は一路メキシコ最大の都市遺跡Teotihuacan(ナワトル語で神々の場所と言う意味)に向かうのですが、紀元350〜650年の間に繁栄の頂点に達した。メキシコ盆地を中心として、全ての政治を司る神官el sacerdote)が支配していた。太陽のピラミッド(piramide del sol)高さ65m底辺1辺が225m世界でも3番目の大きさ。このピラミッドは宗教儀礼のために建造されたもの。平坦な頂上に以前神殿が建っていたらしい。ピラッミッドの内部には、もうひとつのピラミッドが眠っている。古い神殿の上に今の神殿が造られている。月のピラミッド(piramide de la luna)、2番目に大きい。高さ46m底辺150x120m。紀元350年頃太陽のピラミッドより低いがやや隆起したところに建っているので、頂上の高さはほぼ同じ。大きな宗教儀礼は月のピラッミッドで行われた。テオティワカンを派ボ南北に貫く死者の道la calle de los muertos)は北は北斗七星の最も明るいアルファ星。東はシリウス、西はスバルの方向になっているのだという。

 ケツァールコアトルのピラミッド(Templo de Quezalcoatl)前面が、ケツァールコアトル(羽毛の蛇、水の農耕の神)とトウック(雨の女神)の彫像などのレリーフで覆われている。石面は赤や緑の色が残っている。赤はコチニジャの色で緑はサボテンの色を使っている。

 太陽のピラミッドに登ったのですが、階段が248段もあり、かなり急な階段のため二本のロープが張ってあり、登りと下り、それぞれのロープをたぐって行くのですが、何度も休憩しないととてもキツイ。頂上に登りきった所で一息ついていると、日本人の大学生に声を掛けられた「メキシコで初めて日本人に会いました」と。彼は1ヶ月かけて中南米を回っているそうで、この後キューバからニューヨークに行くと言っていたが・・。ケ ビエン!昼食はテオティワカン内のレストランで3人で食事したのですが、少し注文しすぎて、あまってしまいました。サンドイッチ2皿、エビのサラダ、carne de oaxacaとpolloのフリッター。美味しいビールも色々あります。コロナビール、ボヘミア、ノーチェブエナ、モンテホ、レオン ネグラ、モデーロ エスペシャル。

 ウチワサボテン(nopal)の前でガイドのvicenteさんと、写真を写す。土産物屋のおじさんが「こんにちわ」「おげんきですか」と日本語で話しかけてきたので、uste habla japones muy bien(日本語が上手いですね)といったら、すごく喜んでいた。色々薦められたが、この店で、スプーンを5本だけ買いました。Losiento pero no , gracias.そのおじさんともパチリ。その後大きな民芸品屋さんに連れて行ってもらったのですが、とても買って帰れるようなものではないので(大きすぎて)、写真で我慢します。

 伝説の残る、グァダルーペ寺院(聖母の奇跡)1531年12月9日、ペペヤックのおかを行く一人の、インディオ、ホォワン・ディエゴの前に光り輝く褐色の肌をした聖母が出現した。彼女はディエゴに「私は神の子の母なる聖母である。司祭のもとへ赴き、この地に私の教会堂を建てるように伝えよ」と、言った。彼のその話は、信じてもらえず落胆する。ディエゴの前に、再び聖母が現れ、今度は証拠の品として、色鮮やかな,薔薇の花を与えた。(当時薔薇は十二月には咲いていないから)と言う話。

 もう、今日のツアーの終わりの5時に近づき、その日は子供の日でもあるので、ガイドさんの奥さんも家で料理を作っているらしく、早く帰らなければならないらしく、彼はかなり急いでいる。1日ツアーのアンケートを書かされ、お別れしました。夜はビセンテさんお勧めのレストランChaletSuizuで食べましたが、los ninosの日なので、家族が食事に来ていましたが、かわいい赤ちゃんが来ていました。

 翌日は午後の国内便でoaxacaに立つので、朝早くからホテルを出て地下鉄で2つ目の駅Chapultepecチャペルテペック(ナワトル語でバッタの丘)で降りて、チャプルテック公園に行く。まだメキシコには文字が読めない人がいるので地下鉄の駅名の横に絵が描いてある。9時にこの公園は開きます。メキシコシティーは海抜2240mの高地にあるので、一年中夏の気候なのですが、朝は寒く日中は暑く夜になるとすごく涼しく寒い位です。だからとてもすごしやすいと思います。朝の公園はすがすがしく、名も知らない鳥がさえずり湖では白鳥やアヒル、野ガモがゆらゆらとのんびり泳いでいています。若者達は二人乗りのボートを漕ぎ恋を語っているのでしょうか?向こうにチャプルペック城が見えます。中に入りたいがとても時間が足りません。この国を独裁したディアス大統領夫妻の住まいとして知られている。シケイロスの壁画や、オロスコの代表的な絵画も展示されているらしいが、時間がない。おとっあんが国立人類学博物館(Museo Nacional de Autropologia)に行きたいと言っているので、お城は写真のみにしてそちらに向かいます。館内でスペイン語か英語のガイドがありますがどうですか?とスペイン語でたずねられたので、Pero no tenemos tienpo, solo una hora.と言うとDe acuerdo.わかりましたと、言いました。

 本当に駆け足で回り、昼食も取らず国内線(ローカル線)に乗りました。1時間くらいでoaxacanに到着。すぐさまホテルに入り、明日の1日ツアーの予約をフロントでする。午前9時〜1時ミトラ。午後2時半〜5時。monte alban.スペイン語のガイド。着いたその日は町に出かけ、お土産を買い、子供の指輪とかメスカル オアハカチーズ(平たいゴムのようなものをぐるぐる巻いた裂けるチーズ)とかチョコレート(ココアにして飲むチョコラテ)を買い、その後例の先住民の大統領の名のついたベニート・ファーレス市場に行きました。まあ、大きな市場。あらゆる物が揃っています。ベトナムのベンタン市場とよく似ているナー。食べ物が本当に豊富。食文化が豊かなんでしょうね。チレ(唐辛子)の種類も色々あるわあるわ、花屋に干物屋、チーズ屋、魚屋、果物屋、洋服,カバン、靴、アクセサリー何軒くらいあるのだろう。見ていて楽しくてあきませんねー。メキシコのどこにでも町の中心にはzocaloがあり涼しくなった夕方から人々はそこに集まり恋人同氏、親子連れ、屋台で買ったタコスを食べながら夜を楽しんでいる。ギターをかなでながら歌う人カラフルな家々からは明かりが灯り、光の反射で美しい壁が浮かび上がっている。この日は疲れていたのでホテルで食事する。カマレロのおすすめ料理のオアハカ スープ(オアハカチーズとアボガド、トマトタマネギが入っている)これはグー!とカングレッホ(カニ)サラダとセルベッサ(ビ-ル)パンとトルティージャはいつも付いているので、二品だけでも結構お腹いっぱいになる。翌日はミトラ(サポテカ人がモンテ・アルバンを放棄した後宗教の中心地となる)古代ナワトル語で死者の場所と言う意味。14世紀ミスティカ人。モザイクのパティオ(大地、空、羽毛のある蛇など)14種類ものデザインを小さく切断した石を、モザイク調にはめこんで、見事に表現している。ミトラ遺跡見学の時には必ず立ち寄るトゥーレの木、樹齢2000年以上高さ50m、まわり6m。半日ツアーのメンバーはメキシコの女子大生2人、ピラールとアナ。フランス人の親子、4歳の男女の双子とママ。男のコがやんちゃくれで、ワゴンの中で大声で何度もクリスマすの歌を歌っていたが、歌ったあとに必ず、拍手を要求し、うちのお父さんのカメラを触りたがって困りましたが可愛かった。彼女達からアドレスとE-mailアドレスをもらい、帰ってから手紙と写真を送りました。

 その日は1度ホテルに帰って昼食を食べ、また昼からの半日ツアーに出かけました。私達とメキシコ人の女と日本人の男の夫婦とそのメキシコ人の両親、イタリア人のカップル。日本人の旦那の方は無愛想で目があっても、目をそらして知らん顔。挨拶もしない。おおよそ日本ではモテないタイプ、メキシコ人の妻の方は気が強そうで、年上のようあまり美人ではない。ガイドさんがどこから来ましたかとそれぞれに聞いてくれた時その旦那はde japonと言っていたので、多分日本に住んでいて、メキシコの妻の両親の所に来て国内旅行をしてるのではないでしょうか?最後まで目が会ってもにこりともしなかった。無粋なやっちゃ。モンテアルバン、ここは中央アメリカ最古の遺跡、ミステカの人はここを埋葬の場として、利用した。ティオテワカンの宗教の場として利用したのとはまた異なります。そこに着くと英語のガイドとスペイン語のガイドのグループに別れ、それぞれ20人くらいで説明を聞きます。その中の一人のおばあさんと目が合った時、彼女は笑いかけて来ました。オーラ!ブエナスタルデスどちらから来られましたか?とお聞きするとメキシコシティーからですと言った。白い綺麗な花の木があったので、おばあちゃんに尋ねると、カサワテと教えてくれた。もっと話したかったがそれ以上は帰りのワゴンのグループではないので、残念でした。

 市内に戻りそれぞれ好きなところに降ろしてもらい。私達はガイドさんおすすめのロス キンセレトラス レストランで降ろしてもらいました。店の人にもちゃんとガイドさんにすすめられたとゴマをすっときました。キリスト教がスペイン人によって強制されたので、カテドラルとかイグレシアが至るところにあります。今ではみな敬虔な信者なのでしょう。次の朝ソカロの中心のオープンレストランで朝食を採りましたが、物売りは来るわ流しのおっちゃんはくるわで、忙しい。おとうさんは魔がさして、怪しいオアハカの流しのおっちゃんの自主制作の10曲入ってるカセットテープ40ペソ(日本円で410円)で買ったのですが、日本に帰って聞くと、まあひどいもの。10曲ともメロディーは同じで、詩は少し違うのですがギターの音がかなり悪い。弦の音がにごっていて耳障り。オアハカ カフェ カリエンテ(何がオアハカ 熱いコーヒーなんだよ)お父さんが今度文句を言おうといっていた。

終わり