飛行機のハッチが開くと、熱気と土の匂いがぶわんと入り込んできた。ナイロビは標高1700mの高地のため気温は夏の軽井沢程度だと聞いていたが、真冬の東京とアムステルダムを経由して到着した身には十分な暑さのようだ。

 ニュージーランドとの決選投票の末、新婚旅行先として選ばれたのはケニヤであった。東南アジアやヨーロッパの旅行経験をもつ妻のMは、未知の大陸に大変な興味を持っていた。一方僕はといえば、子供の頃にテレビ(たしか「野生の王国」という番組だった。)で見たチーターの映像に魅了されて以来、海外旅行の候補からケニヤが外れたことはなかった。そんな我々がビザの取得や予防接種などを慌ただしく終えて、アムステルダム経由ナイロビ行きのKLM機に乗り込んだのは、2月10日のことであった。

 空港のロビーを出ると、そこは人であふれかえっていた。テレビの衛星中継でよく見る「なんだかよくわからない人だかり」だ。タクシーやサファリツアーの客引きが殆どだが、特に関係のない人たちも多数まぎれこんでいるようだ。我々はここで現地のガイドと会うことになっているのだが、それらしい人物は見あたらないし、第一、この喧噪の中から面識もないケニヤ人を見つけるなど不可能に近い。

「それらしいのは、いないねえ・・・」

 Mと顔を見合わせる。しかし諦めて空港内に戻ろうとしたそのとき、背の高い1人のケニヤ人が我々に近づいてきた。

 「コンニチワ」

 「は?」

 日本語? まさかね。

 「ハジメマシテ」

 うーむ、聞き間違いではない。

 「ワタシハ、クリア ト イイマス。アナタタチヲ ムカエニキマシタ。」

 ケニヤは近年急速に犯罪が増加しているとのことであり、特に日本語を巧みに操るヤツには要注意、と事前に聞いていた。しかし、突然の母国語にひるんでいる我々の不審そうな顔を見ると、男は我々の名前の書かれた書類を取り出して見せた。クリア氏は我々が宿とガイドの手配を依頼したD社ナイロビ支店の社員であった。かなり勉強しているらしく流暢な日本語である。

「デハ、イキマショウカ」

 空港内でケニヤの通貨シリングに両替を済ませて外に出ると、ロータリーに白いワゴン車(日産ホーミー)と小柄な男が待っていた。

「コノヒトハ、ワウェル サン デス。アナタガタノ ドライバーデス。」

 このワウェルという男が、これからの8日間、旅の命運を担うガイド兼ドライバーなのであった。何はともあれ早速荷物を積み込んで出発。アムステルダムで3時間ほど飛行機が遅れたおかげで、初日の宿泊地まで急ぐ必要があった。

 ロータリーを出ると、そこは思いっきり「アフリカ」であった。乾いた空気と赤茶色の土、道の両側には人・人・人・・・。沿道には露店が並び、牛が木につながれている。犬が走り回っている。ああ、ケニヤに来たんだなあと改めて感じた瞬間だった。

 ウフル・ハイウェイを走ること25分、車はナイロビの中心に到着した。

 「ココデ、クスリヲ カイマショウ。」

 クリアの案内で道の向かいの薬屋へ。「パラドリン」というマラリア対策の薬を2瓶購入、しめて1000シリング。1シリングはこのとき約2円だったので、一瓶1000円である。これから帰国1ヶ月を経過するまで、毎日これを飲み続けなければならない。

 「ソレデハ、ワタシハ ココデ シゴトバニ モドリマス。ケニヤノタビヲ タノシンデクダサイ。」

 店を出ると、クリアは風のように雑踏に消えていってしまった。彼のオフィスはこの近所らしい。

 その日の目的地は、ナイロビから360キロほど北に位置するサンブル国立保護区であった。ワウェルによれば赤道を越えて約5時間とのこと。もちろん日本語など話せないワウェルは英語で市内の案内をしながら、混雑した町中をスムーズに流していく。南の国のドライバーにはハチャメチャなぶっとばし野郎が多いというイメージを僕は持っていたが、ワウェルに限っていえばその心配はないようで少し安心。ナイロビの街は、WRCの第3戦「サファリラリー」が2週間後に開催されることもあってか、スタート地点となる広場の周辺は特に賑やかだった。

 ケニヤはかつてイギリスの植民地だったので殆どの人が英語を話すことができるが、ナイロビ近郊に住む人々はもともとの言語であるスワヒリ語で会話を行う。その発音は日本語とよく似ているため、ケニヤ人の話す英語は、我々日本人にとって非常に聞き取りやすい。ちなみにお馴染みの「ジャンボ」は「こんにちは」、「ポレポレ」は「ゆっくり」だ。ちょっとアグレッシブなドライバーに当たった人は

「わーーーっ! ポレポレ!!ポレポレッ!!」

などと多用することになるので覚えておいて損はない。

 ケニヤの人は、大人も子供も男も女も、とにかくよく歩く。郊外に出ても人の波は途切れることはなかった。ケニヤ人がマラソンで強いのは、この「歩き」で足を鍛えているからなのだろう。サッカースタジアムを指さしながら、

「みんなサッカーが好きだけど、ナショナルチームはとても弱い。でもマラソンはつよいよ。」

マラソンは、というところに少し力を込めて彼は言った。

 すれ違うバスはいつも満員で、屋根に荷物を満載し轟音をあげて走っていく。なかには人と荷物を詰め込みすぎて故障してしまう車も多いらしく、そのたびに乗客全員で押したり引いたりの大騒ぎをしている光景を何度か見かけた。こうした故障車の立往生を防ぐため、町の出入口には警官がいて、車のチェックを行っている。だが、我々の車は停められることなくそのまま通過。

 「サファリツアー会社の車はみんなよく整備されているから、ノンストップだ。」

 コーヒーやパイナップルの農場地帯を過ぎナニュキの町に近づくと、再び人の往来が多くなってきた。そして赤道を通過。土産物屋が軒を連ねている。僕が初めて南半球に踏み込んだ記念すべき瞬間だったが、後日ナイロビに戻る際に同じ道を通るので、とりあえず今日は目的地へ急ぐことにした。

 太陽が傾き始めた頃、我々はサンブル国立保護区の玄関口であるイシオロの町に入った。この町にはイギリス軍の駐屯地があるそうで、迷彩服を着た兵士の姿が目立つ。ケニヤ自体は大した軍事的危機もなさそうだが、ソマリアやルワンダ、エチオピアなど政情不安定な国に囲まれており、田舎町とはいえ警備をオロソカにはできないのだ(そうなのか?)。というわけで町外れの検問所で我々の車も一応チェックを受けることになった。小屋の前で停車すると、物売りの子供たちがわっと駆け寄ってきた。手にはネックレスのようなものやフルーツなどが握られている。が、海外初体験の僕にとってはこうした物売りを始め、出来事の全てがスリリングなのである。思わず緊張する。

 「そんなに緊張しなくてもいいのに」

Mにたしなめられる。

 しばらくするとワウェルが検問の交渉を終えて車に戻ってきた。我々に相談があるという。なんでも、途中まで人を乗せていってほしいと検問所の軍人に頼まれたということだった。断る理由もないので、僕らはかまわない、と答えた。

 車に乗り込んできたのは、布をまとった小柄な女性であった。外国人である我々にすこし驚いたようだったが、身をかがめて助手席に座った。

 ここから先はダートである。4車線はあろうかという広い砂利道を車と人と牛がごちゃまぜに通行している。前を走る車のホコリがひどく視界がきかない。しかしワウェルは「道幅ぜんぶ俺のもの」的に人や牛を蹴散らしつつ相変わらず100キロで激走を続けている。僕はここで彼、いやケニヤ人に「車線」という概念がぜんぜん無いことに初めて気が付いた。よって対向車が来た場合はドライバー同士のプライドのぶつかり合いとなり、直前までどちらによけるかわからない。

「右か?!左か!!?? うわーーーっ!」

 窓を締め切っているにもかかわらずホコリが車のわずかな隙間から入り込んできて、徐々にワウェルがかすんでいく。僕は不安になってMの顔を見た。

 だが、このラリーまがいの状況のなかでMは爆睡していた。

 手に汗握る1時間を味わったのち、無事にサンブル国立保護区のゲートに到着。ゲートを通過すると、ワウェルは車の天窓を開けてサファリの準備をした。サファリとは本来スワヒリ語で「旅」を意味するそうだが、いまでは動物観察ツアーのことを一般にこう呼ぶようになっている。ちなみにライオン、サイやヒョウは観光客に人気が高く、これらをいかに多く見せるかでチップの額も変わってくるそうだ。

 日没までの短い時間だったが、我々は初日のサファリを堪能することができた。僕は自分がいまアフリカにいるのだという事実に激しく感動していた。草原に佇むチーター、走るガゼルの群、サバンナに沈む夕日・・・テレビの中の遠い世界だった「野生の王国」が、今こうして眼の前にひろがっている。

 その日の宿泊先「サンブル・セレナ・ロッジ」の入り口で、イシオロで乗せた女性は車を降りると、ブッシュの中に消えていった。サファリに夢中になってすっかり忘れていたが、このヒトはずっと助手席に乗っていたのだ。何故か我々はおろかワウェルとも一言も話さずじまいだったが、彼女はこの地域に暮らすサンブル族の人で、ワウェルとは言語が違うからではないか、と気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。

 サンブル・セレナ・ロッジは、国立保護区内に建てられた3軒のロッジの1軒である。ちなみに「セレナ」はアフリカにおけるロッジのチェーンで、日本ふうにいうと、「苗場プリンスホテル」みたいなもんである。すぐに夕食だというので、まだ飲んでいなかったマラリアの薬をミネラルウオーターで流し込みレストランへ向かう。森に囲まれた広い敷地内には宿泊用のコテージやプール(!)が点在し、なかなか居心地は良さそうだった。コテージの前の川(といっても乾季で干上がっていたが)にはときおり動物もやってくるそうで、ゾウがいた!とMは興奮ぎみだった。

「じゃあ、明日の朝5時にここで。」

そう言ってワウェルは去っていった。ロッジにはゲストハウスとは別にドライバー用の部屋があって、彼らはそこで寝泊まりするのが一般的だ。

 夕食はコース料理で宿泊料金に含まれているが、飲み物は別会計というのが基本スタイルである。酒が飲めない僕はコーラ、Mはすかさずビール。ちなみに冷たいビールを飲みたいときは、スワヒリ語で「ビア、バリディ」という。ケニヤの人たちは冷たい(バリディ)ビールを飲む習慣がないので、こう言わないと後悔することになる。

 ところが、無事の到着を祝って2人で乾杯し、「さあ食うぞ!」となったところで、僕は体調がにわかにおかしくなってきた。胃の底でもやもやしていた不快感が、あっという間に吐き気へと変わった。胃液が胸を駆け上がってくる。急速に視界が狭くなっていく。いったいオレの体で何が起きているんだ?

「おれ、気持ち悪いから、戻る。」

 とりあえずそう言うのが精一杯だった。突然の出来事にMもあっけに取られているのがわかった。やっとの思いでコテージまでたどりつき、ベッドに仰向けに倒れ込む。天井で大きな扇風機が回っている。しばらくするとMも戻ってきた。自分の分はきっちり食べてきたようだったが、部屋に僕の分を運ぶように頼んでくれていたらしく、ほどなくロッジの従業員が現れ食事を置いていった。そこから先は記憶がない。ああ、最悪のオープニング。

 次に気がつくと、あたりはすっかり静かになっていた。となりでMが大の字になって寝ている。相変わらず扇風機がゆっくりと回転しており、屋根の上を動物が走り回る音が聞こえる。持参した時計を見ると午前3時だった。もう吐き気は全く無くなっていた。そして激しく腹が減っている。何せ早朝の機内食以降なにも食べていないのだ。ゆっくりとベッドから身を起こし、手つかずで置いてある料理 −−テラピアかなにかの、白身魚の料理だった−− を、時間を掛けて飲み込んでいった。

 吐き気の原因は、どうやらマラリアの薬にあるようだった。本来は食後に服用しなければならないところを空腹時に飲んでしまったため、胃袋が耐えられなかったらしい。

 ロッジの朝は早い。通常は5時にサファリに出発なので、4時30分ごろからロビーはさまざまな国の観光客で賑やかになる。僕もすっかり回復し、セルフサービスのコーヒーを飲んで、いざ、サバンナへ。

 夜明けの空は、雲ひとつなく青く澄み渡っていた。車が走り出すと赤道直下とは思えない冷気が入り込んできたので、思わずフリースのジッパーを上げる。しばらく走ってから車が停まった。

「アミメキリンだ。」

 ワウェルが車のエンジンを切った。驚くほど近くで、彼らはアカシアの芽を食んでいた。静寂の中で、ときおり枝の折れるパキパキという音だけが響いていた。

 サファリのガイドたちの間でもっとも重要な情報交換の手段は「口コミ」である。サファリの時間帯には何台もの車が広大な保護区に散らばっているのだが、すれ違うときに必ずと言っていいほどお互い車を止め、スワヒリ語でなにかしらの情報を交換するのである。こうした会話の後にガイドがにわかに殺気立ち、とりつかれたようにアクセル全開走行に入ったときは、人気のある動物または珍しい動物がいる、ということになる。

 果たしてワウェルが一直線に向かった小高い丘の斜面にはサファリカーが集まっており、さらに車より大きな黒いカタマリがその中央でゆっくり動いていた。

 「あそこにエレファントがいるよ。」

 近づいてみると、大きなオスを先頭に5,6頭の群を形成しており、幼い個体も含まれているようだった。先に到着していた数台のサファリカーが、絶好のカメラポジションを確保しようと右往左往している。遙か彼方からも土煙とともに次々と車が集まり、あたりは騒然としてきていた。我々の車は群の斜め前方2列目あたりにポジションをとったが、一番近い車は5,6メートルしか離れていなかった。

 「ちょっと近すぎるんじゃないの?」

 素人目にもそう感じられた。

 しかし、この包囲は長くは続かなかった。案の定、進路を2重3重にふさがれたオスのゾウは立ち止まって足を突っ張り、耳を大きく広げて威嚇のポーズをとった。ただでさえでかいゾウがさらにでかく見える。普段はおとなしいが、その気になれば車など一撃でひっくり返す力を持っているのだ。

「これはもしかしてヤバイのでは・・・。」

 にもかかわらず、正面の車はゾウの進路をふさいだまま動こうとしない。だがゾウの殺気をワウェルは感じているらしく、「大丈夫大丈夫」と言いつつも、エンジンは掛けたまま、手はシフトレバーを握っていた。たぶん大丈夫ではないのだ。

 次の瞬間、ゾウは意外なほど軽快なステップで正面の車めがけて突進した。

 「うわあああーっ!」

 思わず我々は首をすくめた。クモの子を散らすように逃げるサファリカー、崩れる包囲の輪。ワウェルは瞬間的にギヤをバックに入れてブッシュに逃げ込んだ。土埃が舞い上がり、辺りは騒然となった。

 幸いにも、ゾウは人間を「ちょっと脅かしてみただけヨ」と勘弁してくれたようだった。ふたたび開かれた道を、まるで何事もなかったかのようにゆっくりと去っていく。僕はただひたすらその迫力に圧倒されていた。去り際にしんがりのゾウが小便をぶちまけていった。あさって来やがれ、と言っているようだった。人間ごときが思い上がってはいけないのだ。

 アフリカには植民地時代から「BIG5」と恐れられてきた動物があってゾウもそのひとつなのだが、サファリドライバーの間ではこれらにいかに接近できるかも腕のうち、という風潮があるらしい。チップをくれる客にいい写真を撮らせたいという気持ちも分からないではないが、我々は怯えて逃げたり威嚇したりする動物の姿を見に来たのではないのだ。第一こんなに接近されたんじゃあ、我らがニッポンの誇る高性能望遠レンズでは顔しか写らないではないか。

 サンブル国立保護区はなだらかな起伏に岩とアカシアの木が点在する荒々しい景観のサバンナだが、川沿いには森が広がっているところもある。干上がってひび割れている地表のすぐ下には水があるようで、ゾウやシマウマ、ガゼルの仲間などが、小さな水たまりに口を突っ込んで渇きをいやしていた。雨期になるとちゃんと水が流れ、ワニを見ることもできるとのことであった。森にはハイガシラショウビンやアカハシサイチョウなど野鳥も多く、鳥おたくの僕と、鳥おたくになりつつあるMを楽しませてくれた。

 2時間ほどの早朝サファリから戻ると朝食である。昨晩の仇をとるべく軽くやっつけ、マラリアの薬もぬかりなく服用。「15歳以上は1回2錠」のところを、昨晩の経験から1.5錠に減らしているので効果にやや疑問があるが、あの苦痛を思い出すとどうしても規定量は飲めなかった。もしあの苦しみの中で、「ゲロにする?マラリアにする?」と聞かれたら、迷わず

 「マラリアでいいです。」

と答えてしまうに違いない。

 コテージの周りにはサバンナモンキーが遊んでいた。観光客からもらう餌をアテにしているのだ。しかし、日本を発つ直前に観た映画「アウトブレイク」ではアフリカのサルが恐怖のエボラ出血熱を媒介しているというストーリーだったので、我々はサルだけは異常に警戒していた。

 「うわあ寄るな寄るな。」

 とサケビつつ急いでドアを閉める。

 早朝、午前、夕方と1日3回のサファリのうち、昼の部はいまいち不発であった。この地域は標高が比較的低く日中は30度くらいまで気温が上るうえに光線が強烈なので、刺すような暑さである。動物たちも日中は直射日光を避けて木陰で涼んでおり、サバンナ全体が気怠いムードに包まれている。我々も1時間ちょっとで切り上げ、ロッジで昼食。テーブルにつくと、喉カラカラのMはすかさず「ビールビール!」のヒトとなる。アフリカも日差しの中で飲むビールはとてもうまそうに見える。ランチを終えると夕方までは特にすることがないので、コテージに戻りベッドに横たわると、2人ともすぐに眠りに落ちてしまった。

 アフリカで生水(水道水も含む)を飲まないのは誰もが知っている常識である。水中には住血吸虫や病原アメーバなどあやしい寄生虫が多数生息し、こうした環境に慣れていない旅行者はあっという間に伝染病にかかってしまうのだ。そのため僕は日本からポケットコンロとコッヘルおよび消毒薬を持参していた。コンロはアルコールのタブレットを使用し、5分で500CCのハミガキ湯を沸かすことができる。大きさもシガレットケースほどなので非常に便利なシロモノだ。これに「ピュア」という消毒薬をわずか1,2滴加えるだけで水中の細菌どもは皆殺しである。ついでにこれを渋谷センター街あたりに大量散布すれば日本の悪い虫も一掃できるはずだ。

 そんなわけで、「ミネラル水、コーラ、珈琲」という不滅のローテーションを繰り返していた僕が、「パッションフルーツジュース」なるものを口にしたときは、ちょっとした冒険気分だった。妻の頼んだ「バリディ・ビア」と一緒に運ばれてきた大ジョッキには、これでもかというほどの生フルーツとどこの水で作ったかわからない氷まで浮かんでいる。意を決しストローで一気に吸入。

「う、うっまぁーーーい!!」

 調子に乗った僕はこれ以降、ケニヤ各地で「パッションフルーツジュース」を暴飲し続けることになる。

 4時を5分ほど過ぎてロビーに行くと、ワウェルがすでに待っていた。たった5分なのだが我々が現れないのでウロタエていたようだった。

 「今、コテージまで迎えに行こうとしてたところだよ。」

 時間に厳しい男である。

 2人だけでドライバーを雇うとパッケージツアーよりかなり高くつくことになるが、自分たちのサファリを楽しむためには決して高価ではないと思う。最近は日本の大手旅行会社でもケニヤのツアーを取り扱うようになったが、こうしたツアーでは1台の車に最大6人が乗ることになるので、融通は殆ど利かないと思った方がよい。そしてだいたいは「BIG5」の動物を見ることに終始する最大公約数のサファリとなり、「自分の見たいものを好きな時間だけ見る」ことはまず不可能なのだ。休暇と労力と金をつぎこんではるばるやってくるアフリカ、動物を見たいなら、ここは金のかけどころである。

 ヒョウが現れたとの情報に車を飛ばして駆けつけると、あのゾウのときと同じ光景が展開されていた。ブッシュの中に突き出した木の上に1頭のヒョウがおり、周りにサファリカーがひしめく様は、まるで運動会の「棒倒し」であった。割とレアな動物なので観光客にも人気があるのだ。ただ、ヒョウのほうは人間をあまり気にしていなかった。はじめのうちは眼下の騒々しさにヒゲをヒクつかせていたが、やがて大きなあくびをして足をだらりと下げ、寝てしまった。きっとこんな光景に慣れているのだろう。

 「ヒョウの木」からロッジに戻る途中、道沿いに1頭の雌ライオンがこちらに向かって歩いてくるのに遭遇した。サバンナに散っていた車が一斉に帰路につく時間帯だったので、通りかかった車が次々に集まり、またもや黒山のサファリカーだかりとなった。ライオンはどんどん近づいてきて、ついには3メートルほどに迫った。窓越しに観察すると、顔には他のライオンと争ったと思われる傷跡がいくつもついているのが見える。

 ライオンは我々の前を横切り、悠然と去っていった。そして我々が再び走り出すと不意に声をあげた。

 「うーっ、うーっ、うーっ」

 絞り出すような、なんだかとても寂しい声だった。

 「うーっ、うーっ」

 風にかき消されるまで、その声はいつまでも遠く響いていた。