太陽が傾き始めた草原を無数のガゼルが埋め尽くしている。1頭のブチハイエナが接近していくと、まるで地面が生きているかのように、群がごおっと波を打つ。そのガゼルを、少し離れた丘の上でチーターが瞬き一つせずにじっと見据えている。たとえサファリカーが取り囲んでも、彼らの視線は獲物を離すことはない。素晴らしい光景だった。

 マサイマラのサファリは、そのダイナミックな光景を脳裏に焼き付けてその幕を閉じた。翌朝、3泊を過ごしたキーコロック・ロッジに別れを告げ、最後の目的地ナクル湖に向かう。途中、目の前をマサイキリンがスキップで横切った。日本では見ることの出来ない「走るキリン」だ。たったの2歩で道路を横断し、ふわりふわりと雲の上を滑るように去っていく。

 「キリンがさよならをいってるよ。」

 とワウェルが笑った。少しだけ寂しい気分になる。

 しかし、旅情を噛みしめる間もなく、再び壮絶なボコボコ道との戦いである。しかも夜に雨が降ったらしく水たまりが増えている。ワウェルは往きと同じように慎重に傾斜走行をしていたが、やがてシビレを切らし、道路から離れて道なきサバンナを走り始めた。なるほどこっちにはワダチや凸凹もなく快適だ。

 ところがである。乾いているように見える地表のすぐ下はスリップしやすいツルツルの路面になっているらしく、車の後輪が徐々に空転し始めた。時間の経過とともに車は少しずつ左右に流れはじめ、オフロードバイク乗りの我々には、それがたいへんよろしくない状況になりつつあることがすぐに分かった。案の定、1キロも行かないうちに後輪はグリップを失い、スリップして動かなくなってしまった。幸いタイヤはそれほど埋まっていなかったので、押せばなんとかなりそうだった。

 何回目かのチャレンジでやっと車が動き出した。

 「いけえーっ! ゴーゴーっ!!」

 車を思いっきり押し出して、路面状態のいいところまで一気にワウェルに走らせると、100メートルほど先まで行って、彼は車を止めた。

 振り返れば見渡す限りのマサイの草原と、どこまでも続く青い空が僕を包囲している。もしこんなところで動けなくなってしまったら、あるいはもしワウェルが悪い奴で僕らを置き去りにして逃げてしまったら・・と考えると急に心細くなった。

 もちろん、ワウェルはちゃんと待っていてくれた。

 「ノープロブレムだ。さあ、行こう。」

 客に車を押させて泥まみれにしておきながら、ノープロブレムもないだろっ!とが少々不機嫌になりつつも再出発、もとの月面道路に復帰する。僕はもう車を押したくなかったので、ワウェルが水たまりに躊躇してブレーキを踏むたびに、

 「一気だあっ!行けえええー!!」

と叫んだ。

 車は山間部に入り、小さな村をいくつも通過していった。子供たちが道に飛び出して、我々に向かって何か叫んでいる。これまでも、町を通過する度に子供が手を振ったりしていたので、初めのうちは何の気なしに手を振り返したりしていたが、子供達はみな一様に怒ったような顔つきである。

 「ギブ・ミー・マネー!」

 子供が口々にそう叫んでいたのだ。これまでも「物を買ってくれ」いう子供はたくさんいたが、純粋に「金をくれ」とストレートな要求を受けたのは、ケニヤに来てこれが初めてだった。我々の車が土煙で見えなくなるまで、いつまでも手を差し出して叫んでいる子供の姿が、なかなか頭から離れなかった。ナクルの街には昼前に到着。ちょうど小学生の下校時間らしく、制服を着た子供たちが歩道にあふれている。最近はケニヤでも就学率が上がってきていると聞くが、こうして学校に通わせることが出来るのは、比較的裕福な家庭なのだろう。

 ナクル湖はフラミンゴで有名な国立公園である。ソーダ(炭酸ナトリウム)の濃度が高く、こうした環境を好むフラミンゴが最盛期には100万羽も集結するという。期待に胸を膨らませる我々だったが、このときは、ナクルに呪われていることを知る由もない。

 呪いは到着早々にやってきた。ワウェルがゲートで手続きをしていると、サバンナモンキーが寄ってきて、遠巻きに我々の様子を伺っている。何となくイヤな予感がしたので無関心を装いつつも警戒していると、思った通りしだいに図々しくなり、ついには車の中に入り込んでしまった。僕が大きな声を出したり手をたたいたりしても、全く動じる気配がなく、ついに車はサルにジャックされてしまった。しかし、このこと自体は大した問題ではない。

 ここで僕はある実験を試みた。平然と車内を物色する1頭のサルを「おいっ!」と呼び止め、「フウーッ」という声とともに、思いっきり歯グキを見せびらかしてみた。実は「相手をにらみつけて歯グキを出すのはサルの怒りの表現」と聞いた記憶があったので、こうすれば、僕よりはるかに小さいサルは驚いて服従するのではないかと思ったからだ。しかし、これが予想外に事態を激しく悪化させてしまったのだ。

 それまでまったく我々に無関心だったサルの顔つきが、一瞬にして変わったのがすぐにわかった。それだけではない。周りにいた数頭までもが一斉にこっちに向かってきたのだ。しかもどの個体も怒りに満ちた険悪な顔つきである。小さなサルでも噛まれれば得体の知れない伝染病に感染する危険がある。映画「アウトブレイク」が頭をよぎる。

 「うわああーっ!」

 僕は小走りで逃げた。しかし、サルは許してくれなかった。僕は全速力で走った。全然許してもらえなかった。束になって追いかけてくる。もはやシャレにならん事態だ。もももが何か叫んでいるのが聞こえた。

「ああ、俺はここでサルに噛まれて死ぬのか・・・新婚旅行でサルに・・・」

 楽しかったケニヤの旅が走馬燈のように脳裏を駆け抜けた。

 ところが、騒ぎを聞きつけた公園の係官が駆けつけると、まるでクモの子を散らすようにサルは退散してしまった。僕は呆然と立ち尽くした。こいつら相手を選びやがったな。そんな様子を見ていたアメリカ人らしい観光客が笑っている。おまえら全員、エボラ出血熱で死んじまえ!!

 しかし、ナクルの呪いはこれで終わったわけではなかった。手続きを終え湖岸沿いの森の中を走っていくと、湖面からなにか煙のようなものが上がっている。

 「温泉でも沸いているのかなあ?」

 そんなわけはなかった。なんと湖は1滴の水もなく干上がっており、乾いたソーダが風に巻き上げられて煙のように見えていたのだった。当然フラミンゴなど影も形もない。フラミンゴのいないナクル湖なんて、具のない味噌汁同然・・・ケニヤ最後の滞在地とあって、このショックは大きかった。激しく落胆しつつレイク・ナクル・ロッジに到着。しかし、呪われた我々は、さらなる災難に見舞われるのであった。

 いつもなら到着するとすぐに部屋に案内されたのち昼食となるのだが、フロントのねえちゃんが、

 「ここに荷物をおいて先に食事をしてくれ。」

というのだ。いわれるままに貴重品だけ持ってレストランへ向かう。テーブルにつくとウエイターがやってきて、ルームナンバーを聞いてきた。まだ部屋に入っていない、と答えると「ちょっと待ってくれ」と不思議そうな顔をして行ってしまい、ほかのウエイターと話をしている。なにか勝手が違うな、と感じた。食事を終えてフロントに行くと、部屋の準備が出来たという。キノコ型のコテージが立ち並ぶ小道をポーターに案内される。

 「えっ!?」 

 僕はここで、絶対におかしいと確信した。部屋がほかと比べて明らかにボロいのだ。素っ気ないコンクリートの壁に、トタン板のドア。部屋にはシングルのベッドが2つおいてあるだけで、しかも狭い。植木に囲まれテラスまで付いている他のコテージとは全く違うのだ。が、妻は大して疑問にも思っていなかった様子で、

 「もうそろそろ日本に帰れっていう神の啓示なんだよ。」

と、のんきなことを言う。しかし僕は納得がいかなかったので、2人でフロントへ行ってみた。そして壁に貼ってあるロッジの案内図をみると、やはり予感は的中していた。

 「Driver’s Room」

 我々のあてがわれた部屋は、ゲストハウスではなくサファリドライバーの仮眠室だったのだ。正規のゲストハウス料金を払っているのだから、これは許されざる事態である。

 「ドライバールームじゃないか!」

 案内図を指さしながら、まずはフロントのねえちゃんに噛みつく。海外慣れしている妻はさすがに怒り方もうまい。僕は気が小さいので「そうだそうだ」と横ヤリを入れる。

 しかしフロント嬢は「いや、これはゲストハウスだ。」とシラをきり続け、全くラチがあかない。そこで僕は、ワウェルに加勢してもらった方が得策と考え、「俺たちのドライバーをここに呼べ。」と要求。フロント嬢は「ドライバーが今どこにいるかわからない」などとトボけていたが、一向にあきらめる気配のない我々が押し切って呼びに行かせ、ワウェル登場。

 「どうしたの?」

 「僕らの部屋は、ゲストハウスじゃないんだ。」

 そう言って僕は案内図をワウェルに見せた。それを見た彼は、

 「たしかにドライバー・ルームだ。よし、おれに任せろ。」

と、さきのスタックの借りを返すべく戦線に合流。こうなるとフロント嬢1人では防御しきれず、ついに支配人と思われる太ったオヤジを呼んできた。

 「この部屋は、ニュー・ルームなんです。」とその支配人。

 往生際が悪いぞ。日本人をなめるなよ。

 「とにかくロッジの手配をしたナイロビの旅行会社に電話をさせろ!」

 予約の手違いでブッキングしてしまっていた上に、混雑で空き部屋がないらしいのだ。それなら正直にそう言って、ドライバー料金にしてくれればいいものを、ゴマかそうとするからこうなるのだ。だが、電話の話をした途端、支配人が慌てだした。

 「わかった。スイートルームを用意するから、電話はしないでくれ。」

 察するにこのロッジにとって、外国人及び旅行会社に対する信用失墜は死活問題らしい。でもスイートに泊まったところで、一度害された気分は元には戻らないのだ。しばしの押し問答ののち、支配人はあきらめてフロント嬢に電話をかけるよう指示。ケニヤでは電話の回線状態が良くなく、10数分後にようやくつながった電話にまずワウェルが出て状況説明。しばらくすると手招きし、「日本人だから大丈夫だ」といって僕に受話器を手渡した。

 相手は歯切れのいい、話の分かる女性だった。僕が、ロッジ側の予約ミスで変な部屋をあてがわれていたことを伝えると、それを丁重に詫びた後、

 「1時間ほど南に下ったエレメンテイタ湖にロッジが1軒あります。国立公園ではありませんが、静かで雰囲気も良く、フラミンゴもそっちの方にたくさんいるという情報があります。ロッジのアクティビティもいろいろありますよ。ナクルに泊まるのはもうイヤでしょうから、そちらに移られてはどうですか。手配はすべてこちらでします。」

との話だった。

 「はいはい、そっち行きます。すぐ行きます。」

 即決である。大急ぎで荷物をまとめ、呆気にとられる支配人とフロント嬢を尻目にロッジを出る。去り際に支配人が

 「ここでランチは食べたのか?」

と聞いたが、もちろん、

 「NO!」

と言ってやる。この先ケニヤに来ることはあっても、ここに泊まることはないだろう。といっても、一応急ぎ足で車へ。

 「ランチをタダで食ったことは、内緒だぜ。」

 ワウェルはそう言って笑いながら、車を出発させた。こうして我々は呪われたナクル湖を後にした。

 

 このトラブルですっかり消耗した我々を待っていたのは、エレメンテイタ湖の壮大な夕日であった。紹介された湖畔のロッジ「デラメア・キャンプ」では、夕食前に宿泊客をサンセット・ポイントまで連れていってくれるのだ。しかも先回りした従業員によってドリンクや軽食が用意されており、ワイン片手に心ゆくまで夕日を堪能することができる。

 「これは、何の肉?」

 「トムソンガゼルの足だ。」

 思わぬアフリカの珍味は、牛のスペアリブを固くしたような味わいであった。きっと、そこらへんの草むらで誰かが捕まえてきたのだろう。

 金色に輝く湖面は、よくみると白く縁取られている。おそらくソーダの成分が干上がった湖畔に残っているのだ。対岸が一面ピンク色に染まっているので双眼鏡でのぞくと、無数のフラミンゴが集結しているのが見えた。

 このキャンプにはテント形式のコテージしかないが、外装がテント生地であること以外は、他のロッジ以上に豪華な部屋である。しかしシャワーの湯には若干のソーダが含まれているらしく、日焼けした顔にピリピリ滲みた。

 ほどなく夕食の時間となる。食堂にはいつものようにバイキング形式の料理がならんでおり、タスカービールとパッションフルーツジュースをオーダー。客は我々のほかにアメリカ人老夫婦、アラブ系新婚さん(推測)、それに現地在住らしき日本人ファミリーの計4組。しかしずらりと並んだ料理はどう見ても宿泊人数の10倍くらいの量があり、なんだかもったいない。ウエイター君が「君はスリムだからもっと食ったほうがいい。」と、これでもか!!的に盛りつけた料理を片づけて、まんぷくまんぞく。

 しかし、デラメア・キャンプの真価はここから発揮されるのだ。

 夕食が終わると、「ナイトサファリ」に出発である。要するに夜のサファリ(そのまんま)なのだが、ケニヤでもマサイマラなど一部のロッジでしか行っていないアクティビティである。夜行性の動物を観察できる絶好のチャンスというわけで、トラックの荷台にベンチをくっつけただけのサファリカーに乗り込んで出発。荷台は吹きさらしなので毛布が配られた。この毛布が、「1度も洗ってねーだろ」的に湿気を含んでジットリと重く、シラミ天国ダニ天国!なシロモノなのだが、寒さに耐えかね着用。湖の周囲にはロッジ以外何もないので、走り出すとすぐに漆黒の闇である。ケニヤ人には夜の寒さが余程こたえるのか、同乗したガイドは濃緑色の軍服ふうジャケットに赤い毛糸の覆面を被っていた。その風貌は、

 1 ナイフを持つ=凶悪強盗犯

 2 自動小銃を持つ=ゲリラ兵士

ふうに、かなりあやしいアンバランスさであった。

 強盗ふうガイド氏は、手に持った強力サーチライトで進路の左右を交互に照らしながら、動物を探している。その光がピタッと止まる。

 「ディクディク。雄。」

 ガイドがボソリと低い声で言った。ライトの先に動くものがいるので双眼鏡で見ると確かにディクディクだ。この男、肉眼とサーチライトだけを頼りにこのニワトリ大の動物を識別するとは・・・。

 「ケニヤにはナントカディクディクとカントカディクディク及びホニャラディクディクがいるが、このへんのはナントカディクディクだ。雄には小さな角があるが雌にはない。よって、あれは雄だ。」

とのことだった。僕はこの男に、タダモノとは思えない動物おたく共通のニオイを感じた。それもそのはず、彼の本業は動物の研究者なのだ。樹上に作られた小さな小屋のようなものを指して、2ヶ月間あそこで寝泊まりして動物の観察をするのだ、と説明した。そしてこれを皮切りに次から次へと動物が現れはじめ、彼の照らすサーチライトの先には常に無数の目が光っているという具合になった。ウオーターバックやトムソンガゼル、インパラなどの草食動物が、とにかくもう、ものすごい密度でそこらじゅうにいるのだ。木々の間を縫うように進んでいくと、アカシアの梢で眠るヤツガシラなどの野鳥を思わぬ至近距離で見ることもできた。

 この日一番の収穫はオオアリクイを見られたことだった。その動物は気ぜわしく地面をはい回って餌を探していたが、個体数が少ない上、日中は殆ど姿を現さないのだ。ガイド氏も興奮気味である。思わぬところで記録種を1種追加し、僕も上機嫌となる。

 しかしヨロコビを妻とも分かち合おうと隣を見ると、あろうことか、寝・テ・ル・じゃん!!

 「おいっ、早く起きろ! すげえ珍しいんだぞ! 見逃したら後悔するぞっ!」

 しかもオオアリクイは、サーチライトを避けるように早くもブッシュに消えようとしている。でも見逃したとしても「しまったあ、やられたあ!」と後悔するのは動物おたくだけなのだ。オオアリクイに寝込みを襲われた妻は、「何かが地面をゴソゴソ動き回ってた」程度の記憶しか残っていないそうだ。

 鬱蒼と茂った樹間からときおり月光に輝くエレメンテイタ湖が見え隠れしている。気が付くとかなり遠くまで来ているらしく、動物も次第に少なくなってきた。森を抜けて湖畔に出ると、遙か対岸にロッジと思われるかすかな明かりが見えるだけ。車は闇の中をさらに奥へと進んでいくが、時計はすでに9時30分を回っている。もう1時間半も走っていたのだ。

 「もしかして、このガイドとドライバーはほんとうに強盗の一味で、どこかで仲間が待ち伏せしているんじゃないか?」

一抹の不安が脳裏をよぎるのを予期していたかのように、ほどなくして車はUターンし30分後には何事もなくロッジに到着したのであった。オオアリクイ以降ずっと眠っていた妻は、

 「え、もう終わり?」

などと言っている。スリリングかつ充実したエレメンテイタ湖の夜は、こうして更けた。

 

 眠い目をこすりながら早朝のロビーに出ていくと、昨晩の覆面ガイド氏が待っていた。もちろん覆面はしていなかったが、背が高くなかなか端正な顔立ちの男である。彼の名はドミニク・ングギ、これからウオーキングサファリのガイドをしてくれることになっているのだ。なんだかすぐに骨折しそうな名前だが、「ン」で始まるところが何ともアフリカチックではないか。

 ケニヤ最後の朝は、雲一つなく澄み切っていた。湖畔にはソーダの結晶が雪のように積もって輝いており、その白い湖岸の彼方に無数の鳥が集結していた。大型のハイイロペリカンやオオフラミンゴ、コフラミンゴに混じって、日本ではごく稀にしか見ることのできないソリハシセイタカシギという鳥が500羽くらい群れていた。ングギによれば、この湖はオオフラミンゴの繁殖地になっており、この時期は北のボゴリア湖やバリンゴ湖に移動してしまうということであった。鏡のような湖面に舞うフラミンゴは例えようもなく美しく、また躍動感に溢れている。

 足下を見ると、ソーダの結晶に混じってフラミンゴの薄桃色の羽が点々と散らばっていた。そして地面に刻まれた自分の足跡を見たとき、なぜか月面に降り立ったアームストロングの「偉大な一歩」とオーバーラップした。ケニヤ初日にサンブル国立保護区で夕日を見たときの、突き上げるような感動がまたこみ上げてくる。この一歩は小さいが、僕にとっては夢だったアフリカに残した大きな一歩なのだ。

 ングギは植物にも造詣が深かった。地面に生えている草の葉をむしり、

「これはアロエの一種で、マサイはこれを香水に使うんだ。」

と言うので手に取って匂いを嗅いでみると確かにハーブのような香りがした。ほかにも数十種類のアロエが自生していて、マサイはそれらを日焼け止めや薬草として巧みに使い分けているそうだ。しばらく経つと、僕が動物に興味のある人間だということがングギにもわかったらしく、ときおり現れる野鳥についても詳しく説明してくれるようになった。ガイドブックにも載っていないような小さな湖のロッジに、かくも優秀なガイドが常駐していることに、僕はとても感銘を受けた。朝食までの短い時間ではあったが、彼のおかげでとても充実したおだやかな時間を過ごすことができた。

 ワウェルに無理を言って昼のサファリにも参加した後、我々は去りがたい思いを残しつつナイロビに向けて出発した。たった1泊ながら存分にサファリを堪能させてくれたデラメア・キャンプは本当に素晴らしいロッジであった。

 車は、大地溝帯では珍しい淡水の湖であるナイバシャ湖を眼下に臨みつつ、南へとひた走った。時速100キロで巡航する我々の車を追い越していくバスや、上り坂で今にも止まってしまいそうな超過積載マタトウなど、ハイウェイは相変わらずの喧噪に満ちていた。中には道の真ん中で荷物を豪快にぶちまけて止まってしまっているものや、どういうわけか車体が斜めにねじれたまま走っているものまであった。だが町外れには検問所があり、こうした故障寸前車は次々に御用となっていた。検問所の周りには屋台が出て、マサイの盾や布などの土産物、ナベカマなどの実用品を売っている。中には故障車からガメたらしい車のパーツなどを置いている店もあって、ピカピカのアルミホイールが所在なさそうに陳列してあったりした。

 ケニヤの長距離乗り合いバスには名前が付いていることが多いが、これは日本でも船に「○○丸」と名前を付けるのに似ている。例えば「SIMBA」は「ライオン号」、「TWIGA」は「キリン号」だ。車体の色や模様も様々で、側面にでっかくゾウの絵が描いてあったりする。車窓からそんなバスやマタトウをぼんやり眺めていると、轟音と共に1台のバスが追い抜いていった。そのバスは屋根に荷物を車高の1・5倍も積み上げ、はちきれんばかりに人間を満載して黒煙を上げながら峠を登っている。

「SECRETARY BIRD」(ヘビクイワシ)

バスにはそう書かれていた。ケニヤ行きが決まったときから、ずっと見たいと思っていた鳥だった。だが、今回は叶わなかった。

「君は幸運だ。ケニヤではとても珍しい鳥なんだ。」

とワウェルが笑った。本物を見られなかった僕に、神様がジョークをくれたのだろう。峠が下りにさしかかると、「ヘビクイワシ号」は一気に加速して視界から消えていった。さっきから隣で寝ている妻につられるように、いつしか僕も眠りに落ちていった。

 目を覚ますと、ナイロビの高層ビルが見えた。沿道には人の波、立ち並ぶ商店や屋台。市街に入り渋滞をくぐり抜けると、見覚えのある通りに出た。ワウェルは車を「ニュースタンレーホテル」の入り口に付け、荷物を降ろしてくれた。8日間にわたるワウェルとの旅もここで終わりだ。

 「ありがとう、安全で快適なドライブだったよ。」

 そう言って、8日分のチップの入った封筒を手渡した。とても充実したサファリだったし、ナクルのトラブルでも大活躍してくれたので、ちょっと奮発して相場の1割増し程度の金額を入れてあった。彼はこうしたやりとりには慣れているらしく申し訳なさそうなそぶりを見せたが、すぐにポケットにしまい込んだ。

 「もうひとつ、ちょっとしたプレゼントがあるよ。」

 妻が車中で描いたワウェルの似顔絵を手渡した。それは、ハンドルを握っているワウェルの後ろ姿を描いたものであった。

 「これ、俺かい? うひゃあ、よく描けてるなあ!!」

これにはかなり喜んでいるようだった。機内持ち込みのできないスイスアーミーナイフも一緒に渡した。

 「じゃあ、ここでさよならだ。空港まで君たちを送るドライバーは8時に来る。ドライバーは会社が決めるから、僕じゃないかもしれない。でも、またケニヤに来たときは俺を指名してくれよ!」

 しっかり自分の宣伝も忘れずに、彼は車に乗り込むと夕暮れの雑踏にまぎれていった。

 部屋に荷物を置いて、ナイロビの町に繰り出した。ホテルの向かいの「ウチュミ」というスーパーでコーヒーなどを購入。100グラムほど入った小袋が1個20シリング(40円)。続いて「アフリカン・ヘリテージ」という店で土産物をいくつかゲット。夕暮れが迫り街のキケン指数が急上昇しつつあったので、小一時間ほどでホテルに戻った。

 シャワーを浴びたりするうち、あっと言う間に7時を回ってしまった。大急ぎで身支度を整え、1階のレストランで夕食を取ることにした。この国以外では殆ど貨幣価値をもたないケニヤ・シリングを使いきってしまわなければならないからだ。スパゲッティミートソースを注文し、せっせと喰いこんでいると、1人の男が歩み寄ってきた。

 「ワタシヲ、オボエテイマスカ?」

 あまりの唐突さに呆気にとられたが、見覚えのある顔だ。最初に空港に迎えに来てくれた男、クリアだった。

 「チョット、ハヤカッタデス。ユックリタベテクダサイ。」

 約束の8時には、まだ15分ほど早かった。遅刻よりは100倍マシだが、どうも我々に関わるケニヤ人は時間に几帳面すぎるのだ。スパゲッティは期待にたがわぬマズさであったが、とにかくわずか10シリングを残してケニヤの通貨を無事使いきることができた。

 ホテルのチェックアウトを済ませ、ザックを担いで外にでると、見慣れた白いニッサンのサファリカーが待っていた。そして、運転席には、これまた見慣れたケニヤ人が座っていた。

 「ワウェル!」

 正直これは嬉しかった。

 「You're welcome! 食事はどうだった?」

 

 車は深夜の街を空港に向けて駆け抜けていった。さすがは犯罪都市ナイロビ、日中はあれほど賑わっていた中心街も、ホテルを出て2つ目の交差点あたりから早くも人の気配がなくなり、危険なニオイがぷんぷんと漂うようになった。車が信号で停まると、ワウェルもクリアも落ちつきなくあたりを見回している。サファリカーには高い確率で外国人が乗っているので、悪い奴のターゲットになりやすいのだろう。

 繁華街を抜けウフル・ハイウェイに入ると、車内はようやくリラックスモードに入った。クリアは相変わらず流暢な日本語で、

「ケニヤノタビハ、ドウデシタカ? マサイノムラヘ、イキマシタカ? カレラヲミテ、ドンナカンソウヲ

モチマシタカ?」

などと鋭く質問を浴びせてくる。しかし僕は、どの問いにも満足のいく答えができなかった。なぜならこの8日間は、海外旅行ビギナーの僕にとってあまりに鮮烈な日々だったからだ。

「ワウェルサンハ、マサイマラデノコトヲ、チョットダケ キニシテイマス。」

初めは何のことか判らなかったが、どうやら泥道でのスタックのことを指しているらしかった。「ナンバーワン・ドライバー・イン・ケニヤ」を自負するワウェルにとって、あのスタックは相当ショックだったようだ。

「ワウェル、気にするな、『ハクナ・マタタ』だ。」

ケニヤ人は意外にナイーブで純粋だ。

 

 20分ほどで車は空港に到着した。

 「俺はここまでだ。じゃあ、本当にさよならだ。」

 出発ロビーに車を横付けするとワウェルはそう言って手を差し出した。許可証のないドライバーは空港内に入れないのだ。

 「安全に旅が出来たことをとても感謝している。ありがとう。」

 気持ちを込めて握り返した。ごつごつして冷たいワウェルの手の感触が残った。

 許可証を持っているクリアは一緒に空港の中まで来てくれた。出国税20ドルを支払いチケットの裏に印紙が貼られる。サバンナを闊歩するゾウを描いた綺麗な印紙だった。

 「マタ、ケニヤニ キテクダサイ。」

 言われなくてもそうするつもりだ。僕もアフリカの水を飲んだ一人である。ちゃんと煮沸したけどアフリカ病からは逃れられなかった。

 「コンドハ、イツ キテクレマスカ?」

 これには参った。叶うならば明日にだってそうしたい。数年後のうちに、と答えた。

 「クリア、夜遅くまでありがとう。ワウェルにもそう伝えてくれ。」

 再び固い握手の後、クリアは帰っていった。ワイシャツが良く似合う、凛とした後ろ姿が印象的なケニヤ人だった。

 観光客を満載した23時55分発アムステルダム行きのKLM機は、ほぼ定刻にジョモ・ケニヤッタ国際空港を離陸した。窓を覗くと、闇に浮かぶ不夜城のような空港が徐々に遠ざかっていくのが見えた。

 次はいつ、この大陸に降り立つことができるのだろう。

 飛行機が水平飛行に移ると、僕はまるで時空旅行から引き戻されるかのように、急速に眠りに落ちていった。

 さよならアフリカ、また逢う日まで。

(完)

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