フライフィッシング★開眼



「フライだよフライ!ルアってる場合じゃねぇって!」

 都内の某私立高校生物部室で、キツネ目のM先輩は力説した。「生物部」とは名ばかりの釣りキチ集団は、恒例の芦ノ湖解禁合宿をどう攻めるかという議題に熱くなっていた。学校から支給される僅かばかりの部費が、合宿経費として投入できることになっていたのだ。

「ルアーを購入して山分けすればヨイのでは?」
という意見に皆が賛同しはじめると、M先輩は突然立ち上がり、フライフィッシングの素晴らしさについて朗々と語り始めたのだった。彼はOBのT氏に感化されフライを始めて以来、この釣りに完全に取り憑かれてしまっており、虚ろな目でシャドゥ・キャスティングしている姿が校内のあちこちで目撃されていた。

「フライはなぁ、素晴らしいんだよ。ナンつぅかさ・・・」
「るせぇ!一人でやってろ!!」

M先輩の独演会は終わった。数日後、吉祥寺の釣具屋「M勝」でルアー十数個が購入された。

 その芦ノ湖合宿はとにかく寒かった。僕などはあまりの寒さに我を忘れ、ボート上からホーニョーしてしまったほどだ。一行は陸組とボート組に別れて釣り、M先輩も張り切って夜明け前から夕方まで頑張ったが、結果は全員ボウズだった。ナケナシの部費で購入したルアーは全く役に立たなかったということだ。

 ところが、OBとして特別参加したTさんは違った。小雪の舞う中、腰までウェーディングしてロッドを振り続ける姿に僕はシビれた。
(ひゃ〜、カッコイイなぁ…)
 夕方、Tさんの釣った大きなニジマスが2尾、皆の前に横たわった。


 僕が生まれて初めてフライフィッシングを目にしたのは、小学6年生、修学旅行の時だ。奥日光/湯川沿いの木道を一列になってハイキングしていると、川に立ち込んで妙な仕草をしている人が目に入った。白っぽいヒモをせわしなくピョコピョコ振る姿は、とても魚を釣っているようには見えなかったが、これがフライフィッシングという西洋の釣り方だと知ったのは、それから間もなくのことだった。
 ちなみに当時釣り少年の間で大人気だった「釣りキチ三平」がフライフィッシングに手を染めたのもこの時期である。「ニンフの誘惑」というサブタイトルを「妊婦の誘惑」と勘違いした母親に、単行本を没収されるというハプニングもあったりした。

 蛇足である。

 芦ノ湖合宿から数ヶ月後、某大手釣り具チェーン店で僕はフライの道具を入手した。先端が少し左に曲がった1万円の#3ロッド、4000円のリール、フライライン、リーダー、完成品のフライ数個。大散財で手に入れたタックルを畳に並べ、僕はひとり悦に入った。

(これでオレも『フライフィッシャーマン』だ!)

 数日後、さっそく川に立つ。目の前の淵ではユスリカのハッチにヤマメがクルージングしながら・・・と言いたいところだが、対戦相手はハヤ(ウグイの関東名)とヤマベ(オイカワの関東名)。貧乏高校生にはトラウトが釣れるような渓流へ行く金はないのであった。

 おもむろにラインを引き出し、キャストを開始する。対岸のオッサンが不思議そうな視線を向けているのがわかる。当時はまだフライフィッシングの認知度は極めて低く、自宅前の路地で練習などしていると、「新体操の練習かい?」なーんて、からかわれたりしていたのだ。今こそ世間に、いや対岸のオヤジに、西洋の華麗なフライフィッシングを見せつけてやるのだ〜

 気合いだけは一人前であった。

 しかし理想と現実のギャップは大きかった。ラインは水面と地面を交互に叩き、リーダーはあっという間にザラザラに傷付いた。1個350円もしたミッジフライたちは次々と後方の芦原に消え去り、1時間も経たないうちに全てのフライを失って釣りは終わった。

 対岸のオヤジは居なくなっていた。

 タイイングも試行錯誤の連続であった。部室からガメてきたピンセットにフックを挟み、ゴムバンドでガンガンに巻き、広辞苑に挟んで立てて簡易バイスにするまでは良かったが、どうやってフライを作るのかがわからない。フックと安物インドケープのハックルを前に僕は考え込んだ。当時は一般の書店でタイイングに関する本を見かけることはまず無く、あったとしても大雑把なイラストで「ハックルはこのように取り付ける」などと、しょーもない説明をしているだけである。

(「このように」って、どのようにだぁ〜!?)

 ハックルファイバーを1本1本ハサミで切り取り、アロンアルファでフックにくっつけてみた。5分でアホらしくなってやめた。本に載っていた「ゴダードカディス」に至ってはもう何がどうなっているのか、考えるだけで頭が変になりそうだった。
 そんなわけで黒の木綿糸と白の毛糸で簡単なユスリカのイミテーション(今で言うユスリカスペント)を十数本作るのが精いっぱいだった。

 数週間が流れ、リベンジの日を迎えた。ダブルホールはまだ出来なかったが、練習の成果もあってそれなりにキャスティングの腕は向上していた。木綿ミッジは1投ごとに沈んでしまうので、海苔の缶からくすねたシリカゲル粉末をまぶして乾燥させる。

「ピシャッ!」
「うわっ!」

 魚が出た。あまりの早さにビックリして合わせられない。
 気を取り直して再度キャスト、あっまた出た!
 着水するやいなや、電光石火のごとく飛び出す魚。しかし合わせてもフッキングしない。どうやらこのポイントの魚は小さすぎて、突っつくのが精一杯なのだ。

 場所を瀬に移した。流れがある場所でのコントロールは困難を極め、ものの数秒でラインは押し流されてしまう。それでもめげずに投げ続けること十数分、流れに揉まれていたフライがフッと消えた。
 「ん?」
 ロッドを持ち上げると、ブルブルッと手応え。
(あっ、魚だ!)

 ついにフライで魚を取った。記念すべき1匹目は15センチほどのハヤ。あまりの嬉しさに持ち帰り、焼いて喰った。その後も何回か同じ川に足を運び、雑魚を釣りまくった。僕が「フライフィッシャーマン」になった、16才の熱い夏であった。