電話

 若いときに携帯電話がなくて、よかったと思う。
 「携帯」があれば、便利だっただろうこともあるけれど、それでもなくてほんとうによかったと思う。
 「携帯」はいろんなところで鳴る。一緒にいる人の携帯が鳴ると、「あなたは2番目よ(あなたより大切なことがあるの)と、言われているような気がする。考えすぎかもしれない。でも、結局はそういうこと。講演会などで、「発信音を鳴らないように」と言われれば、異存なくそのようにしているのは、講演会を第1に考えるという点で、一致できているからだ。
 でも、今は一緒にいる人の携帯が鳴っても、あまり何も感じない。仕事上、どうしても連絡をとらないといけないということはわかっている。現にわたしの電話も、上司からはフリーにかかってくる。それは同席している人に理解してもらうしかない。
 ネットを通じて知り合った人と、オフ会するときに携帯電話は、限りなく威力を発揮する。わたしの電話のメモリーにも、たくさんのハンドルネームで電話番号が登録されている。でもこの番号を使うのは、オフ会のときのみで、普段は全く使わないということを、お互いに徹底している。別に約束したわけではないけれど、ちゃんとわきまえられているのだ。

 でも、若いときだったら、そうはいかないように思う。
 わたしは好きな人とは、ずっと繋がっていたいと思うから、ずっと電話をしていたい。あるいはずっとメールを送り続けているかもしれない。直接、相手に繋がることがわかっているから、余計に電話にいろいろな思いを託してしまいそうで、落ち着かないと思う。かかってくるほうも同じ。かかって欲しくない相手からも、容赦なくかかってくる。話したくない人からの電話をとらないようにすることもできるが、それは結果。故意かどうかにかかわらず、電話に出れなかった理由を問われる場合もある。発信、着信も、記録が残るから、気になる。
 今なら、そういうことを大らかに考えることもできるだろうけど、若いときのわたしには、そういう分別がなかった。だから絶対、電話で傷つけ、傷ついていたと思う。
 考えすぎかなぁ。でも友達(男でも女でも)と一緒にいるときに、その子の電話が鳴って、ずーっと話をされたり楽しそうにされたら、たまらないやろうなと、ふとそういう「絵」を浮かべてしまうのです。臆病だから。

花子のノート