まずスタート地点では姪達が、N社のI選手とO選手の彼女達と携帯にて連絡をとり、顔を合わせ挨拶を交わしたり、私の知り合いのY社のH選手を見つけましたから声を掛けたのですが、残念ながら回りの騒音と少々離れた位置でしたから声が届かなかったり(但し三日の日の大手町にて会うことが出来ましから話をしましたよ、横に可愛い彼女を連れていました)、H社のHチームの応援の方々が布地の、それも赤白二色の応援旗を持っていられたので、姪が・あれが欲しい、何処に行ったら貰えるのか?・付近をうろうろ歩き廻ったりと楽しい時間を過ごしながら9時5分を待っていた次第です。
 そうこうしている間にスタート時間がきて、一区の選手の名前を呼ぶ大きな声援を背にあっと言う間にスタートして行きました。私達も次の応援ポイントに先回りするために直ぐにその場を離れ、置いてある車の所に向かいましたが、同じ気持ちを持つ方々がたくさんおられました。その時に感じたのですが、人々が車やバスの所に向かわれましたら、一人が走り出すと皆さんつられて走りだすのですよ、かく言う我々も同じ動きをしていましたが。
 初めての知識の無い慣れない道ですからまごまごしていて迷子になってしまっては困るから、一区の応援は終了して二区の応援に先回りするために車を走らせ、丁度良い応援ポイントに入りました。その場所には大きなガソリンスタンドがありましたから事務所の中に入り、車を停めさせて頂く許可と、トイレを使わせて頂けるようにお願いをして、尚かつ選手が近づくまでテレビ観戦までさせて頂きました、あのガソリンスタンドの皆さんありがとうございました。
 続々と各社応援団のバスやタクシー、そして車での方々も着かれ多くの人がトイレを借りに訪れていましたね、その後一緒に沿道にて応援を始め各自好きずきに応援する会社の選手名を呼んでいましたら、H社のK選手と目が合ったと姪達は大喜びしていました。
 その後ももう一度二区の応援に回りまして、次に三区の応援ポイントを目指して走り出しましたが、その頃からそろそろ心の高ぶりが顕れてまいりましたね。
 次の三区では一人ニホンカモシカのような人が先頭を走っていきましたが、道路に出て待つ私の前をあっと言う間に通り過ぎて目で追った後ろ姿の太もも辺りは、そして跳ぶように走り去って行く姿は、まさにニホンカモシカのもも肉を感じさせられました。
 その後に来ましたG選手ともまた違う、後の日本選手とは全く異質な走りのように見えましたね。本当のスピードランナーっていうのはこれを指すのだとなぁと実感しました

 さて今回の応援観戦の目的であるK選手が走って来ました。
 ここ三区の7KM過ぎ地点は道幅も狭く結構カーブがあり、なかなか遠くは見渡せません。ただ道が両側二車線のため通行は完全規制になっていて、反対側からの応援は道のセンターラインまで飛び出して行っての応援もあまり規制されません。と言うか、群馬県警のおまわりさんは優しいのか、融通がきくのか、それとも元旦だからなのか、その辺りの判断はつきませんが大目に見ていただき道路真ん中まで飛び出して名前を呼びました。
 しかしK選手の不得意とする単独走になっていましたから嫌な気がしていましたが、やはりその通りになってしまい花子さんの良くご存じの結果となってしまいましたね。
 お互い意志は通じたのですが、残念ながらその後から失速してしまい、またまた足を引っ張ってしまった(私がK選手の、K選手がチームの)ように感じられました。
 
 次に四区の応援は私達には無理がありましたから一挙に五区まで進み応援しました。

 この五区を応援した後はゴールまで戻るつもりでしたからゆっくりと最後の選手まで応援し、色々な選手に声を掛けて楽しみました。その後に車を停めた近くに有るコンビニで、お腹に収める食物とトイレタイムをとりに入りましたら、丁度N社(地方チーム)の応援の方達も入ってこられたのでお話をしましたら、私の自宅の近くの人達と判り話しも弾みましたよ。
 そしてそのN社のW選手のお母さんと知り合いなので、宜しくお伝え下さいとお願い致しました。
 W選手は今年ずうっと故障で走れていなくて、11月30日の日体での10000mでやっと走りだした状態でした。花子さんもご存じのように丁度私もその日に健志台にいましたから、アップ中のW選手と話しをして状態を聞いていましたから今日走れた事がひじょうに嬉しく思われました。
 そしてゴールに先回りして全ての選手の到着を待ち受け、またまた知らず知らずに大きな声を出して応援していました。
 
その後は閉会式までの間にN食社のI選手(故障から回復途上だそうです)と話し、J体のT選手と話し、N社のT選手の奥様と姪達が知り合いで挨拶させて頂いたり、N社のW選手のお母さんともお会い出来て話しも致しました。
 その後閉会式が始まりましたから建物の中に入り、姪達は後ろで立って見ておりましたが私は休憩所で休んでおりました。その休憩所にはカネボウの伊藤監督や日清食品の白水監督などいらっしゃいましたね。
 そして綺麗な人が!と思い良く見ましたら、谷川真理さんだったのが何故か嬉しかったですよ。

 そんなこんなで初めての群馬でしたが本当に楽しませて頂きありがとうございました。
そして夕方前に今度は翌日の箱根駅伝に胸を馳せ、東京に向かい車を走らせた次第で
す。

観戦記 1  ニューイヤー 応援

 今年のお正月は元旦の夜9時頃に東京半蔵門のダイヤモンドホテルに、ニューイヤー駅伝の前橋より到着してチェックイン致しました。
フロントにてチェックインの書類書き込みをしていましたら、箱根駅伝と書かれたワッペンが胸に張られているベンチコートを着られた人達が帰ってこられました。
よく見ますと、NTVと書かれた腕章のようなのが見られ、この方々は日本テレビのスタッフなんだ
と判りました。
 それからもちょくちょくスタッフの方達の姿が見受けられましたよ。
 たぶん、派手目な女性の方でアナウンサーだと思える方もみえました。

 来年にでも箱根駅伝を応援観戦に行かれる方は、このホテル穴場ですよ。
何が穴場かと言いますと、まず値段が安い、どのように安いかと言いますと、普段の日の宿泊が12,000円なのに、お正月は2泊して10,000円でお釣りが来ました。
そして地下鉄半蔵門線半蔵門駅上がってすぐにある事と、大手町まで半蔵門線で3駅目という立地条件は抜群で、まず最初に紹介したいと思いました。
但し、別に私はこのホテルに縁もゆかりもございませんが(笑い)。

 さて箱根駅伝は無事4位で終わることが出来ましたが、これは私の判断では上出来だと思います。
祝勝会会場での只隈監督の挨拶の言葉の中に、最後の最後まで7区8区の起用選手決定が遅れ可哀相な事をした、と言うような発言がありましたが、確かに一番大変だったののが7区8区の選手だったと思います。
その7区の矢嶋君が たなぼたでした と言っていましたが裏返せば、回って来るはずでないのが回って来たことにより たいへんでした と苦労したことと思います。
でもそれなりに頑張り立石君に襷渡しをしたのですが、立石君も順位を下げはしましたが、あの位置で良く踏ん張り前と大した差を付けられることなく、また神大、順大、東海大に掴まることなく山脇君に襷渡しが出来たことが、大東が4位を確保出来た要因だと思っております。

 祝勝会会場で選手と話しをする事が出来ましたが、1区の佐々木君は 最後に抜かれたのが悔しい
と言い、2区の村田君は 伊勢路の前の故障(出雲が走れなかった)と後の故障がきつかった
と言っていましたが、これは確かに苦しかったと思います。
 3区の田子主将は、1秒差で区間賞を逃したのですが笑顔が印象的でした。
 4区の野宮君は、あの準エース区間を少しも物怖じせずに走りきり高順位での成績には、近い将来大東を背負って立つ大エースの予感をさせられる笑顔でした。
 5区の馬場君は、登りは良かったですが下りが不満で、来年迄に下りも強くなるようにとしたいと言っていました。
 6区の村井君にはこちらから、北海道出身なのに雪が怖いのと違う?と冷やかし半分に声を掛けましたら、雪の上で足の接地部分が少ししか感じられず、足が空回りしているような中途半端な、走ったという実感が湧かない消化不良の走りだったようですが、下りは自信があると言っていましたから来年の雪の無い山下り快走を期待いたしましょう。
 9区の山脇君は、後半ばててしまいました と言ってましたが皆さんもご存じのように、良い走りををしている事が目と顔に出ていましたね。

 今の3年生は4年生より間違いなく強い、また力を持った人が多いと思います。
それに2年生と1年生、そして新入生がからめば絶対に来年はもう一つ二つは上に行くことは間違いありません。
これからの監督の指導力と選手のやる気に大いに期待しましょう。

 3日の大手町はゴール過ぎて30M位の所に大東の花井マネージャー達と一緒におりましたが、そこにOBの金子君が居て話しをしていましたら真名子君、福田君、川上君、山崎君等が次々と現れ、元旦快走をみせた秋山君も顔を出し、また他の先輩もたくさんみえられました。
母校を思い、後輩を思う心優しき先輩OB達の暖かい心情がくみ取れ嬉しく思いました。
ただ、現在も現役で走っているOBは本当にスリムなのですが、走ることから足を洗ったOBは肉付きふくよかに話題も、お腹の肉を指さしながら太った太った、の話題には笑えましたね。

箱根 D大応援記

観戦記へ
花子のノート

2002年大晦日の朝8時半に自宅を出まして、2003年正月3日の深夜に戻ってまいりました。
新幹線にて東京に出まして、所沢に住む姪の車にて姪と友人の女性と3人で一路関越自動車道を北上致しまして、H社の宿泊する高崎インターチェンジにて下り高崎の市街を一回りしてから、私達の宿舎となる前橋市に向かいました。
途中の道ではたくさんの選手達がランニングをしておりましたが、特にトヨタ自動車の高橋選手と坂井選手を見つけた時は・来て良かったねぇ!・と姪と友人は小躍りしていました。
姪の友人の女性はNECの選手に知り合いがたくさんいて大のNECファンなのですが他のチームの選手であっても、選手とみれば姪と二人で車の中で、ワァーワァーキャーキャー騒いでおりました。
たくさんたくさんの選手を見ながら宿舎となる前橋・・ホテルに到着しますと入り口自動ドアには・歓迎日清食品様・の張り紙があり、2人は・えぇーっ嘘!・と声を上げながらチェックインをすませました。
翌日の朝食はギタヒ選手の近くのテーブルで食事をしたり、後で入ってきた小川選手と姪達が知り合いで話しをしたり(小川選手のご両親は高崎で泊まっているそうでした)、チェックアウトしてスタートに駆けつけようとエレベーターに乗れば(私達の部屋は3階)何故か5回にエレベーターが上がり、ドアが開いて乗ってきたのが徳本選手で・いいですか・と私達に断って乗ってこられる礼儀正しさに、慌てて・どうぞどうぞ・と返すのがやっとでしたね。
徳本選手は食事に行かれ、我々はそのままチェックアウトをして外に出れば、日清食品の応援団バスに応援団が乗り込むところで、一人一人にマネージャーの方が毎日新聞の号外版・当日オーダー・の新聞を配っていましたから、我々も普通の顔をして頂きに行きました。
そして車に乗って県庁の近くまで行き、何処に車を停めようかと迷っていましたが、当日は警察の方もおおらかで駐車禁止の道路でも一切何も言わず置かせてくれました。
各社の応援団バスなんか道路に二重駐車など平気でしていましたが、この措置は本当に助かりましたね。

それから我々はスタートを応援して2区に回り2区で2カ所、3区と5区で2回応援をしてゴールに先回りしましてアンカーを待った次第です。