少し背伸びしてみたら

 3月6日のNHK「人間ドキュメント」は、「おおさかのオカン」をとりあげていました。
 加古隆の寂しげな音楽は、それだけで哀愁がただようのに、そのようなBGMを使う番組に「おおさかのオカン」を題材にして大丈夫だろうかと、妙な心配をしていました。
 番組は、大阪でCMやバラエティ番組に出演している「素人の」中年女性、数人(4人?)をとりあげて、「なぜ、オカンが素人タレントなのか」を伝えるものでした。番組を録画していないので、不確かな記憶ですが、4人ともそれぞれに本人、家庭、家族などに問題をかかえていたけど、「素人タレント」の活動をすることによって、いきいきと前向きに毎日を生きている様子を追ったものでした。年齢は、若い人で42歳、あとは50代、60代の人もいたと思います。
 
 わたしももう40代になっているので、彼女たちの生きようには、自ずと興味をもちました。何事にも年齢がないといえるのは若いときに言えることで、40代になると、人生の折り返しにはたぶんきているだろうということや、人の名前が覚えられなかったり、思い出せなかったり、さらには細かい文字が読みにくくなったりと、そんなことを考えていると、「今、やらなきゃ」、「今、頑張らなければ」という思いが強くなってきました。
 番組の最後は、彼女たちが「素人タレント」としての今の状況に満足することなく、自分に新たな課題を課して努力している姿を追ってエンディングでした。そして、新しいことに挑戦して頑張ることは素晴らしいという内容のナレーションで終わっていました。
 
 そのナレーションを聞いてわたしは、藤本義一さんが「勉強は人のためにするものだ」と言われていたことを思い出しました。わたしは藤本義一さんが主宰されている心斎橋大学(放送作家のための養成所)にもう12年も前のことですが、5年ほど通っていたし、それより以前より藤本義一さん中心に開催されている「ぶっちゃけトーク」という放送作家の方々ががフロアから出されたテーマについて15分ほど語るという会にも何年も通っていました。だから藤本先生(こうお呼びするのがわたしには慣れているので、以下ではこう書きます。)から、何度となく「人のために勉強するのだ」ということをお聞きしてしました。
 
 わたしは、最初この言葉がまったく理解できませんでした。
 よく言われることは、「勉強は自分のためにする」ということです。「勉強しなさいって口うるさく言うのは、あんたのために言っているんや」ということを、わたしも母に言われた記憶があります。まぁ、わたしの母はあまり子どもの勉強には興味がなかったようで、勉強でそれほどうるさく言われたことはないけど、他のことでよくいろいろな小言を言われて、最後には必ず「あんたのためを思って言ってるのや」と言われてると、愛情を押し付けられているようで、母の期待するような子どもにならなければならないのかと思って窮屈な思いをしたことがあります。
 
 「何のために勉強するのか」と問われたら、学生だと「将来のため」と答えるのが定番で、またもしかしたら今の学校教育もそのように指導しているのかもしれません。また、わたしが普段、接している高校生たち(受験のために小論文を勉強している高校生)も、「将来の自分のために勉強している」と答えるような気がします。世の中に楽しいことがいっぱいあって、そういうことに目をつぶって勉強するというのは、苦しいことなので、勉強を頑張った先には、きっといいことがあると思わないと、やってられないのかもしれないけど、でも、自分の将来のために勉強するというのは、あまりにも淋しい気はします。
 でも、だからといって「人のために勉強する」ということが、すっと入ってくるかというと、なかなか難しくて、やっぱりわたしには、今ひとつその言葉の意味するところがわかっていませんでした。
 
 「勉強する」というのは、楽しいことなのか、苦しいことなのかというと両方あるけれども、いずれにしても共通するのは、今の自分とは違う自分を目指しているということです。本を読めば、その本の知識が少しでも身につきます。その本を読むことで、感じることがあれば、感性が磨かれます。そのように自分が変化することで、まわりの人も変わっていくというのが、「人のために勉強する」ということの意味ではないかと、なんとなくそう思っていました。
 「人間ドキュメント」をみて、新たなことに挑戦して、自分を高めようとしている女性たちがいきいきと見えたのはもちろんですが、そのような彼女たちをみる家族がさらにいきいきとしているように見えました。頑張っている人を見ることで、自分も元気になっているのかもしれません。彼女たちが「勉強する(挑戦する)」ということが、家族を元気にしているのです。

  「頑張ること」をダサイだとか、「頑張らない人生」をよしとするような、そういう風潮もあるけれども、1番になるため(自己顕示欲のため)に頑張るのではなく、「人のため」に頑張るということは、とっても大切で、人が生きることの原動力になっているような気がします。
 人はひとりでも生きていけるように思いますが、人との関係性抜きには、生きていけません。たとえば、わたしが毎日、選んで着ている服も、自分が好きなものを選んでいるようだけれども、実際にはまわりの人に「自分がどうみられたいか(規定されたいか)ということを知らず知らずのうちに考えて選択しています。すべてのことは、自己完結するのではなく人との関係性によって、成り立っています。
 「挑戦する」ということは、自分が少しでも輝こうとすることで、まわりの人も輝かすことになるのかもしれません。「何事も挑戦する気持ちが大切」というのは、自分のためでなく、人のためになるのでしょう。
 「人のために勉強する」ということの意味が少しはわかるようになってきました。
 だから、わたしはいつも少し、背伸びして高い自分を目指そうと思います。
 それが、きっと人のためになっていると信じて。
                                              2003年3月10日

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