「いけばなのこころ 和のこころ」  池坊由紀さんの講演
                                 (2003年4月19日)

 取引先の総会で、記念講演として「いけばなのこころ 和のこころ」という題で約1時間のお話を聞きました。
 伝統文化というものに、どこか嫉妬のような感情をもっていたのですが、講演依頼のときのことなどを聞いてみると、なかなかステキな方ということで、どんなお話がきけるか、楽しみにしていました。
 メモをとっていたわけではないので、どこまで正確かは自信がないですが、書き残しておきたいことに絞っていくつかあげておきたいと思います。

@いけばなをとりまく状況の変化
 かつては、床の間の飾られていた花ですが、今や「げたばこ」の上だそうです。で、げたばこがまだあればいいほうで、花を飾るスペースというのは、だんだんと狭まっているそうです。
 つまり(ここからは花子の意見です)、伝統文化といっても、かつてのものを守っていくだけではダメで、現代、今の時代にどう受け入れられるようにするのか、時代に敏感でないといけないということです。わたしは「伝統、文化」を否定的にみていたけれども、長く続いているというものは、むしろ時代の変化に敏感に反応して変えていっているから、続いているのではないかと思いました。つまり「長く続いている」ということは、いろいろな評価はあるものの、まずは「続いている」ということそのものはプラスの評価とみることができると思います。

A「生命のあらゆる過程に美を見出す」(講演資料より)
 由紀さんは、「花屋さん」を例に、「カサブランカというゆりの花は、花粉が少しでもとぶと価格がぐっと下がってしまう。曲がっている花ではなく、まっすぐに揃った花が流通に適しているので、好まれる」という現実に対して、いけばなでは、枯れた葉っぱや虫食いの葉も作品として生かされると言われました。「先の枯れた葉」をみて、過ぎる夏を感じたり、虫食いの葉をみて、さきほどまでそこに生命があったことを感じるなど、「美しい」状態だけに価値を見出しているのではないということでした。

B「異なる要素の組合せによって生まれる調和」(講演資料より)
 西洋の建築物などは「左右対称」に価値をおくのに対して、日本は対象でないことに価値をおくそうです。たとえば、いけばなでは、花は必ず「奇数」の数を生けるそうです。(花子は知らなかった。ずっと前、花を4本くださいと言ったら、花屋さんにとってもへんに思われたのですが、そういうキマリがあったのですね。)
 なぜ奇数なのかというと、和というのは「わりきれない」ことに意味があるそうです。偶数のように割り切れるのではなく、割り切れなくて「あまるもの」、そのあまるものは、これから成長していくという可能性を秘めているものだそうです。だから「余る」という中途半端に価値があるそうです。
 そして違うものを組み合わせることの美しさということも、言われていたように思います。

C決めつけないこと、アタマだけで考えないこと
 メモもとらずに聞いていたので、どういうことだったのか、肝心のことがとんでしまって、正確ではないですが、「いけばななんてとんでもない」と口では言っている人が、ちょっとなにかで体験したら、「はまってしまう」ということはよくあるそうです。自分で自分の行動を抑えるのではなく、「やってみる」と違った印象をもつということでした。以下は花子の考えたことですが、「事実で判断する」ということの大切さだと思いました。わたし自身、根拠もなく「伝統文化」に胡散臭いものを感じて、「いけばな」って、自分とは別世界のものだと勝手に思い込んでいました。それは別にわたしが思うだけで、それを広く人に言っているわけではないので、別にかまわないかもしれないけれど、「いけばな」というものに心を閉ざしてしまっているために、なにかを取り入れるチャンスを逃しているのかもしれません。もっと心を開いて、世の中のことを見ていく気持ちって大切なのかもしれません。ちょっと反省です。

Dひとりひとりの力
 この部分も、感動したはずなんですが、何に感動したのかしっかり覚えていません。たしか「草の根の力」ということを言われたように思います。ひとりひとりが力をもつこと、自覚的になることが大切というようなことを言われていました。


 いい講演を聴いたなぁと思っていたのに、肝心のところをすっかり忘れてしまっています。
 もう少しちゃんと補足していきたいけれど、とりあえず今日はこれくらいで、お許しくださいませ。

花子のノート