「THE 鉄腕 DASH」 プロデューサー今村司さんと農業指導の三瓶明雄さんのお話

2003年11月6日に京都府生協大会、京都生協の組合員大学習会の一環として開催された講演会です。
600人の募集に対して1400人の応募があるほどの大人気。遠方からの参加者も多く、また、幅の広い年齢層の参加がありました。年齢を越えて支持があるというのもあの番組の魅力なんだと思いました。
なにか書くつもりで講演を聴いていたわけではないので、あんまりまとまらないと思いますが、やっぱり書き残しておきたいので、心に残ったことを書いておきます。

DASH村の企画のきっかけ

 企画が始まったときには、今のような状況になるとは思ってもみなかったそうです。今村さんは、世の中の価値をもう一度、見直したくて、「農業」というものに目をむけられました。今村さんは三浦半島の先っぽで生まれ育たれました。目の前は海、そして後ろには山という環境で、毎日のくらしそのものが「生きる」ということに直結していて、そういうことと現実が、あまりにも離れているということを番組で取り上げたかったということでした。
 「農業」を取り上げるのは、もちろん反対が多くありました。TOKIOというジャニーズのアイドルを使って、そういうことができるのかというのもありました。今村さん曰く、テレビというのは「第3次産業の虚業」だそうで、その虚業の中心にいるのが「タレント」で、生産するという実感をもてないと、言われていました。
 今村さんがこの企画をするにあたって、「農業新聞」のような現場にむけての発信を中心にされました。そして、DASH村のある地域には、「決して村おこしにはならない」ことをしっかり伝えられました。テレビというのは非情なもので、たとえば、なにかの番組の舞台になった地域は、ブームになるから人が訪れるようになります。訪れるようになると、その土地にいる人の心も少し、変わってしまいます。変わるというより浮かれてしまうそうです。でも、そういうふうにして話題になっても、それは続くものでなくて、そうなったときに、人の心には何も残らなくなってしまうということが、あるからです。
 また、一方で街中でのロケがますます難しくなったということもあります。ネットワークが進んでタレントが街中にきているとなると、それが情報として一気に広がってしまうこと、また、「写メール」でタレントの写真がウラで取引されて、肖像権が守れないことなどがあって、番組にとって「隔離された場所」というのが必要で、それが「DASH村」ということで実現したということもあります。

三瓶明雄さんとTOKIOの出会い

 農業指導をされている明雄さんは、もうする74歳になられますので、71歳のときからDASH村に関わられています。あるとき、○○へ行くように言われて、トキオがくるというから行かれました。トキオというのがどういう人なのか、もちろんご存じなくて、行ってみたら、若い男が何人もいるので、びっくりされました。トキオというのは、1人だと思われていたそうです。
 TOKIOというのは、明雄さん曰く「箸より固いものは持ったことがない」子たちで、その子が草刈をするというので、草刈機のエンジンのかけ方から、指導していったということでした。TOKIOのメンバーは、明雄さんのことを、「師匠」として、ほんとうに尊敬の眼差しで接しているというのも、TOKIOのメンバのいいところだと、今村さんは言われていました。今でこそDASH村は、こういう受け止めかたをされているけど、でも、根本は「農業」であって、そこに共感、尊敬という思いをもてているのがTOKIOだそうです。
 メンバは、素直になんでも明雄さんに聞いてきて、一生懸命に取り組むので、明雄さんもとても彼らが好きなようでした。番組の企画とはいえ、そういう思いでやっていることが、視聴者の共感につながっているのだと思いました。

明雄さんのこと

 鉄腕DASHを見ていて驚くのは、なんといっても明雄さんが農業だけでなく、暮すということに対していろいろな知恵ももってられることだと思います。会場からは、当然、そのことについて質問がありました。
 明雄さんは、開拓でDASH村のある地に入られました。開拓ですから荒地を開墾するところからですから、そのご苦労はただならぬものがあったと思います。親のすることを見ながら、そして、開拓ということでまわりからの厳しい目でみられ、ばかにされるようなこともあったそうです。そういうなかから、いつか見返してやろうという思いで一生懸命にやってきたそうです。14歳から農業ひとすじ一生懸命に生活するなかで身についたものだそうです。
 これはあとの交流会で友人からきいた話ですが、いろいろな資格をもってられて、トンネルを掘ったりするための発破の資格ももってられるそうです。そして、旧い電信柱(木材でタールが塗ってあるもの)を再利用して牛小屋を作られたとか。明雄さんは、かまどや井戸、水車など、いろいろなものを創造されますが、それも暮らしのなかから、必要に応じて身につけられたようです。タールの塗ってある電信柱は、とっても頑丈で、牛小屋には丁度よかったとかです。
 また、会場から「おコメは作っているのですか」という質問。わたしは当然、作っていると思っていたけど、60歳くらいのときでおコメづくりはやめられたそうです。明雄さんはわりと最近に奥さまを亡くされました。(「独身です」と言われていました。)子どもは4人で、もうみんな独立されています。年齢的にあたりまえか。

TOKIOのこと

 今村さんからTOKIOについてのことがいろいろと語られました。
 TOKIOのメンバは、ほんとうに仲がいいそうです。(スマップと違って、ということでした。)リーダーの城島くんをみんなが慕っている。長瀬くんのことをみんなかわいいと思っています。ジャニーズというのは、かっこいい男の子を次々とデビューさせていくようなところで、彼らの年齢的なことも、ひとつのターニングポイントになったのではということでした。いわば、使い捨てのように、そして何も残らない虚業。それが「農業」によって形を残すことができるということにメンバの共感があるようでした。
 ロケは月に3日。始発の新幹線で入って、夜遅くまでのロケ。彼らはほんとうに一生懸命にとりくんでいるそうです。

これからのDASH村

 まだ村として自立することはできていません。最初のほうに書いたように、テレビ的な村おこしはしないということです。今村さんとしては、DASH村で愛が芽生えて子どもが誕生するというところまでいけばいいけど、そういう恋愛に発展するようなことはまだありません。構成作家の清(せい)くんは、残念ながら、もてなさすぎました。
 たまに村に入っているのは、東京農大の学生さんです。そういう人以外は入れないようにしてられます。ロケのときの警備は、かなり厳しいとか。いつか写真誌に潜入されてしまったのですが、DASH村は私有地なので、そういう第3者が入ってこれないようにすることは可能です。でも、「知る権利」とか言われて写真誌にでてしまいました。
 さて、いったいDASH村はどこにあるかというと、新幹線が通ってるどこかなんでしょう。関西にいるせいかDASH村がどこにあろうと、わたしはあまり気になっていません。むしろ、○○県というふうに言われるほうががっかりしてしまいます。
 会場の質問で、「なぜ、山羊を飼っているのですか? 牛や豚ではなくて」というのがありました。山羊を飼っているのは、たまたま別の企画で山羊を連れてきたという、それだけの理由です。(「山羊が鳴いたら雨が降る」というのはほんとうか?という企画に、八木橋は連れてこられました。)ほんとうならば、にわとりや牛を飼うべきかもしれないけれど、テレビというのは、そういう「残酷」を嫌います。今村さんが、別の番組で日光のサルの駆除のところを放映したところ、日テレの電話すべてに抗議の電話が入ったそうです。そういう残酷さにとてもナーバスな人がテレビの視聴者には存在します。生活するためには動物の命を奪うこともあるけれども、それはテレビでは描くことはできません。
 DASH村には、40台のテレビカメラが設置されています。その照明があるため、イノシシの害にはあわないですんでいます。そして、植物の成長の様子を早送りで見ることができます。今村さんがDASH村の企画をしてよかったと思うことは、「子どもがごはんと残さなくなった」という手紙をもらったときだそうです。食べ物のありがたみを伝えられたことにとても満足してられました。

THE鉄腕DASHの公式サイト

気になったこと

 プロデューサーの今村さんは、DASH村という企画の原点が、ご自身が育ってきた海と山に面した町での、そこにくらす人(男)たちにあると、言われました。わたしがDASH村を見ていて、とても気になることのひとつに「男たちの〜」という言葉がありました。この前は、コメ作りについてがまとめて放送されていたけれどもそのおコメは「男米(おとこまい)」でした。
 なぜ、そんなに「男」にこだわるんだろう?
 DASH村でやっていることは、男にしかできないんだろうか?
 自然と対峙していくには、強さが必要だけれども、それは「男」に限ることではないはずです。でも、なぜか番組では「男たち」。今村さんの「男たち」に対する何らかの気持ちがそこにあるのかもしれません。
 これは、今後、番組をみていくなかで考えていきたいと思います。

翌日の明雄さん

 明雄さんたちは、その日は京都に宿泊され、翌日、京都を回られたそうです。コースはお聞きしませんでしたが、「錦市場」にご案内してはという計画もあったようです。
 明雄さんには、孫、ひ孫あわせて14人もいらっしゃるようで、ひとりひとりにお土産を選ばれていたとかです。あれこれと思案されている明雄さんの様子が想像できます。

おわりに

 DASH村の企画は、テレビ的だけれども、どかかでテレビには踊らされないという確固な意思で作られているように思いました。ものごとに終わりがあるのは、当然のことだけれども、DASH村はずっと存在してほしいと思っています。
 中途半端な感想でしたが、一応、ここで終わりにします。

花子のノート