都道府県女子駅伝(04年1月11日)観戦

怒涛の3箇所応援顛末記

 都道府県女子駅伝の観戦をしたのは、初めてでした。例年、この日程は「武庫川新春マラソン」というのに参加していて、京都にいないため、いつも大会が終わってからラジオで経過を聞いて一喜一憂していました。今は故障中の身ですから、大会エントリーも限っているため、京都にいたので、それじゃぁやっぱり観戦しなきゃと行ってきました。
 女子に興味がないってわけではないけど、男子の陸上を追っかけるだけで、そこそこたいへんなんで、女子まで気をまわせないというのが現実です。特別にだれかを応援しているというわけでもなく、出身の兵庫が優勝したらいいのになぁと思う程度なんです。だから、観戦するというより、むしろ観戦がてら走ってこようという、そういう低い動機ででかけることにしました。
 お目当てというかせっかくだから家高くんの妹の有美さんを応援しようと、まず4区の応援することは決定。他のランナーをみていると、大東大の村井くんの妹さんも4区、そして沖縄代表で中大の加藤さんも4区ということで、4区にこだわってみようと思いました。
 でも、せっかくの1区をみないわけにいかないなーと、だんだんと欲がでてきて、1区を西大路四条(西院)で応援して、阪急で四条河原町にでてそこから丸太町に出たら、1区、4区の応援ができて、そのあと丸太町通りを西にいけば、アンカーも見れるということで、3箇所応援をすることにしました。
 もともとあまり気がのらなかったのに、なんで3箇所も応援する気になったのだろうかと、あとで考えたら、へんな感じはします。

1区

 西院へいくときは、いつもは京阪と阪急に乗り継いでいくのですが、時間があったので、京阪の五条から走っていくことにしました。四条にしなかったのは、四条通りは混んでいるのと、五条通りからいっても西大路にさえ出れば、ランナーに遭遇することができるからです。それと川端通りから西大路通りまで移動するのにどれくらいかかるかを測っておけば、4区から9区へ移動するときの目安にもなります。
 川端から烏丸くらいまではわりとすぐにきたように思いましたが、そのあとがそれなりに長く感じました。だんだんと走らずに歩く時間も長くなっていたし。長かったのは堀川以西かな。さすが駅3つぶんだけあって移動のしがいがあります。約30分で西大路五条に到着です。ランナーは、五条通りを左折して上にあがっていきます。西大路通りを北にむいて西院まで。沿道には、ボランティアのボーイスカウトの人たちがたくさんいました。
 そうしてお目当ての西院に着いたのは、ランナー到着予定時間の30分前でした。えっ、ここで30分待つの?と思うとぞっとしました。ビル風でその場所はとってもとっても寒かったからです。でも、次の移動のことを考えると動くわけにもいかず、いつものように場所とりをしながら、待つことにしました。
 ちょうど郵便ポストがあったので、そこにもたれていたら楽やし丁度いいわと思って、そこにいながらラジオの中継を聴いていました。寒い寒いと思いつつ、時間も過ぎて、ランナーが西大路通りに入ってまもなくくるというときに、「ここに人がくる?」と思える郵便ポストの前に2人、立たれてしまいました。わたしの右側の視界はそのためにゼロ。えっ、こんなはずでは! まさかポストの前に立つかーと憤慨したけど、そういう人の横にいると不愉快になるので、その場所をさっさとあきらめて、違う場所に行きました。そこは自転車が何台もとめてあるので、自転車をよけて前にでると、なかなかいい観戦ポイントでした。わたしがその場所に行ってから、何人かの人が自転車をかきわけかきわけ前に行っていました。
 そうすると、前にまた人が! えー、いい加減にしてーと思っていたら、そこは係員の人が、「ここに出ないでください」と注意してくれました。
 中継では数チームが遅れているだけであとは集団ということ。こういう展開は、応援しにくいんです。観戦するなら、順位がある程度ばらけるところでないと、お目当てランナーを見逃してしまいます。
 実際、集団のなかでわたしがはっきり目視できたのは、三重の田中さん(名城大)のみでした。ちょっと目立っていたからわかっていたようなもので、大分の奥永さんはまったく確認できず。兵庫の加納さんもわからずで、散々でした。

4区へ

 1区のランナーはあっという間に通過してしまいました。
 さて、移動、移動ということで、阪急の構内へ。スルっとかんさいは便利です。
 すると京都方面行きからたくさん人が降りてくるじゃないですか!えっ、電車行ったところなの!と不安になりましたが、待つしかありません。
 しばらくして特急が通過、そしてやっときた普通列車。待ちながら、ほんとうにイライラしました。1区と2区で10キロなので、だいたい31分くらい、そしてそのあとの3キロの中学生区間が9分。13時10分までに4区まで移動しないといけないのに、電車に乗れたのが12時47分くらい。数分で河原町四条に着いて、そのままダッシュ。最短は河原町通りを北上することなんですが、混んでいる河原町通りを避けて、川端通りまでいって、そこを北上することにしました。
 階段の位置も視野にいれて、とにかく1秒でも速くいかなければと、もう必死。地下から地上に出てラジオを聴くと、丁度、早狩さんがトップにでようとしているところでした。電車が着くのが3区の小林さんが走るのより前だったらなんとかなりそうと思っていたので、とりあえず最初の関門はクリアです。早狩さんが走っている間にどれくらい距離が稼げるかです。ラジオでは早狩さんのコース取りのうまさなどを絶賛していました。あと800メートルというから、小林さんまでにあと2分はあるのではと、必死で走りました。四条から三条まではあっという間でしたが、そのあと御池で信号待ち。これがあるから困ります。
 そのくらいに早狩さんから小林さんに襷渡しです。今から9分後に3区から4区の襷リレーがあるので、とにかく小林さんが襷を渡すまでに川端丸太町に着くことを目指しました。こんなに必死に走ることなんて、あるの?というくらい、必死で走りました。息が荒くなってくるのがわかりましたが、ゼーゼーといいながら、とにかく上を目指しました。走っているうちに故障の箇所がだんだん痛くなってきて、「この前5000円も払って治療してもらったのに、これで戻ったらどうしよう」と不安になりながら、必死で走りました。あと信号いくつとか二条通りがあって冷泉通りがあったりと、次こそ丸太町!と思っては裏切られます。
 そうしてあせっているうちに、中継は兵庫の小林さんと山形の高橋さんが競っているとのこと。小林さんがぶっちぎるものと勝手に思っていたものですから、思わぬ展開にドキドキ。小林さん頑張ってーと思いつつも、「待って、待って、わたしまだ丸太町通りについてないの!」と、ゼィゼィは最高潮になりつつ、そして、完全に故障箇所をさらに悪化させるような走り方。でも、もしここで4区のランナーが見れなかったらゼッタイに後悔するので、なりふりかまわず走りました。
 そして小林さんより少し速く丸太町通りに到着しました。
 もう交通規制が始まる寸前で、信号はもう変わらないままでした。丸太町通りをまだ渡っていなかったけど、でも渡っていいという指示はないしと困って、係りの人に「渡ってもいいですか」と聞くと、OKしてくださいました。まだ3→4の襷渡しをしていないし、中継してから1分くらいはかかる場所なんで渡ることに何の問題はないかと思います。でも、まぁ係員の指示に従うのは原則ですから。

 走ってきたまだ息が落ち着かないまま、4区のランナーがきました。兵庫と山形は同時に中継したようですが、4区での先頭は兵庫の勝又さんでした。勝又さんといえば、都大路の1区。この前も応援した選手です。
 「勝又さん、ファイトー」と一声。落ち着いた走りです。よーく考えたら、兵庫のエントリーは強すぎるメンバーです。そのあと何人かのらんなーが行って、ひたすら家高さんの岐阜を探します。「岐阜、岐阜、岐阜」とユニホームの文字を確認しながらみていくと、どことなく家高くんによく似た女の子。あっ、家高さん!、「家高さん、ファイトー」と言ったけど、たぶん、聞えてないと思います。それから北海道の村井さん。やっぱり村井さんもどことなく村井くんに似ています。探せばいろんなことが出てくるでしょうけど、箱根を走った兄をもつ2人がこうやって同じ区間を走るというのも奇遇なものです。
 そしてその後方の沖縄のピンクのユニホームの加藤さんにも声援を送って、4区の応援は終わりです。
 それにしても、間に合ってよかった!

9区へ

 当初の予定では、そのまま丸太町通りを西へ行って、円町で観戦する予定でした。でも、中継を聴いているとすでにランナーはバラけているので、中継してすぐでもひとりひとりのランナーの応援はできると判断して、コースを逆に進んで9区のランナーを待つことにしました。コースを外れてしまうと、そのあいだにランナーがきたらどうしようかという、さきほどの4区の恐怖があったので、絶対に間に合うと思われる時間であっても、コースを離れるのは避けました。
 3区(8区)の中学生区間をたどっていくと、手作りの幟がたくさんありました。8区を走る藤野さんの応援の子たちでした。藤野さんは京都の8区。伏見の神川中学の2年生です。神川中学とえいば、鳥羽→立命の嶋岡くん(野球)に鳥羽→近鉄の近沢くん(野球)と、スポーツ選手の宝庫じゃないと、そんなことを考えならがら、コースを逆走していきました。手作りの幟は結構、たくさんあって、「神魂」とか「感動をありがとう」とか書いてありました。そうやって、仲間に応援されて走る藤野さんは、幸せものだなーと思いました。そして、藤野さんを応援しているあたたちもとっても幸せなんだよと、思いました。きっとその手作りの幟の効果でしょう。藤野さんは、区間2位の好走です。まだ中学2年生。来年も頑張ってね。そして、伏見区から強いランナーが出てくれるの楽しみにしています。(ちなみに男子では、京都は亀岡の子が強いのです。東海の中井くん、順天の難波くん、帝京の中尾くん。洛南高校のある場所からして、亀岡というのは通いやすいですから、そういうのもありでしょうけど。)
 神川中学の子たちの手作りの幟とは対照的に、立派な個人名の入った幟をもった人もたくさんいました。そういう幟をみながら、進んでいくと、すぐに時間がたってしまいます。
 8区から9区の中継所は、もう選手しか通れないようになっていたので、少しあと戻りをして道路を渡って進まないといけませんでした。ということはそろそろ選手が準備をするところらしく、たくさんの選手に会いました。兵庫の川島さんも髪を小さく後ろに束ねてられて、まわりの選手と話をしながら、とってもリラックスしている様子でした。彼女のラストランが素晴らしいものでありますようにと、心の中で言っていました。福士さんを探したけど、そこでは会えませんでした。
 9区のランナーがくるまでにできるだけコースを進んでいきました。8区での中継が始まった頃に、そろそろ場所の準備。そのあたりは応援の人がそんなに多くないので、場所確保には困りません。千本北大路くらいで、止まってランナーを待ちました。
 最初に来るのは川島さんとわかっていたので、応援も待ってました!という感じで「川島さんファイトー」と。ちょうど、わたしが応援していたところが、ちょっとした登りに入るところで、ここで気合いを!というところでした。川島さんは落ち着いた走り。後ろに1分以上差をつけて襷をもらっているので、当然といえば当然ですが、やっぱり兵庫が一番は嬉しいです。
 そのあとが、山形の斎藤さんと京都の吉田さん。どちらも初めてみるランナー(失礼)で、どちらというでもなく、「ファイトー」と声を。その後もバラバラとランナーがくるのですが、お名前がはっきりわかったのは広島の小鳥田さんくらいで、あとはひたすら「ファイトー、ガンバレー」の応援でした。
 ラジオでは青森の福士さんがようやく襷をうけたとのこと。まわりのランナーとは違う速さで走っているとのことです。そりゃ世界選手権に出る選手、トラックでは日本では敵なしのランナーですから。福士さんにはカメラがついているので、すぐにわかりました。「福士さん、ファイトー」としっかり応援。これはあとでビデオを見たら、声も姿もテレビに登場していました。
 福士さんのあと、何人かのランナーを最後まで応援して、観戦は終わり。千本通りを下がってもいいけど、まぁ、コースを逆走していこうと、西大路通り、金閣寺のほうへ向かいました。そのときは寒くて、雪も舞っていました。途中、いつもの立ち寄り先のコープきぬがさに寄ってみもす工房さんのパンを買って、自動販売機のコーヒーを持って、コーヒーのみつつ、パンをたべつつ西大路通りを歩いていました。今日は思わぬ激走もあったので、疲れていたので、出町柳まで歩くことにしました。今出川通りを東へいくと、北野天満宮のあたりは、すごい人でバスも混んでいました。疲れていたから、バスに乗るということも考えましたが、満員だったので、やっぱり歩いたり走ったりして、出町柳を目指しました。そういえば、今日は、最初に川端〜西大路、川端〜烏丸〜西大路、そして西大路〜川端と、電車をいれたら京都の町の東西を2往復していました。南北にも四条から北大路まで、そのうち四条〜丸太町間はダッシュしていますから、相当な移動距離でした。当初の練習がてらに観戦という目的は達することができましたが、でも、疲れすぎ。寒いしヘトヘトになりました。
 出町柳について、ようやく電車で移動。半日、楽しく走って、応援することができました。

 大会そのものも、兵庫を応援する者にとってはこの上ない展開で、気分もとってもよかったです。
 結構、楽しかったので、もうすでにまた、来年と思っています。
 でも、四条〜丸太町の激走はもうしたくないなぁ。こうやって、いろいろとやってみて応援をしていきたいと思います。次は年末の高校駅伝か。楽しみにしよっと。(終わり)

花子のノート