第16回 加古川マラソン大会  2004年12月23日
                        県立加古川河川敷マラソンコース

0 はじめに

 2月に西脇市で行なわれていた兵庫レディスマラソンがなくなって、加古川に移行とのことで、昨年、はじめてエントリーしました。ところが昨年は故障でまったく練習ができなかったため、応援だけに終わってしまいました。だから今年は必ず走ろうと思い、早くからエントリーを決めていました。

 9月に丹後100キロにエントリーして70キロでリタイアで、気分的にはあまりよくなくて、さらに10月は1ヵ月に6回も泊まりが入って、多忙な日々でした。11月は、ちょっとは走れたものの、土日と続けて休める日もなく、たいした練習もできず。極めつけは12月。泊まりの出張は覚悟していたもののやっぱりキツくて、おまけに風邪も引いてしまって、10日間まったく走れずでした。ようやく少しは走る時間がとれた思ったら、走っていても身体が重たくて、往復7キロのコースですら歩いてしまうほどでした。
 その後、ようやく時間もとれて身体も戻ってきたので、少しは「フルマラソンを走るんだ」という練習をすればいいのに、今年はどうしても高校駅伝のコースの試走がしたくて、仕事の帰りに思い荷物を背負ったまま走ったり、休日にわざわざ電車に乗って走りに行ったりと、自分のなかでも「いったい何をしているのか」状態でした。
 フルマラソンを走る前というのは、もうちょっと緊張感があったのに、こんなに何もしてなくて大丈夫なのだろうか、というか大丈夫なはずはないということで、とっても怖くなって、走るのをやめようかと思ったくらいです。

 大会前日も、布団に入ったのが午前2時。朝は4時半には起きないといけないのに2時に寝てどうする?です。もし朝、起きれなかったら、それはそれで仕方ないかもしれないと思い、目覚ましをセットしました。4時半にきっちり起きて、別にしんどいわけでもないので、ごはんを食べて、家を出ました。5時10分、真っ暗です。
 京阪、JRに乗り継ぐつもりが、直接JRの稲荷に間に合う時間だったので、約2キロ歩きました。歩きながら、わたしの限られた体力をここで使っていいのか心配になっていました。
 JR奈良線から6時10分の神戸線に乗り継いで105分。快速は時間がかかります。
 まずすぐにやったことが、制限時間を手の甲に書き写すことでした。公認と未公認の時差があるため、何時何分という書き方なので、それを時間に換算して書きました。関門は23キロと29キロ、34キロ、37キロ。それがキロ何分くらいか計算することもせず、あまり何も考えずにいようと思いました。制限時間は5時間半なので、なんとかなるかもしれないという思いと、全然、ダメで河川敷コースをフラフラ歩いているかもしれないという思いと半々でした。でも練習できていないのだから、どちらかとうと何も考えていませんでした。
 途中、新大阪から隣の席にネットで知っているであろうランナーに遭遇。でも、眠っていてぼーっとしているし、特別、よく知っているわけではないし、窓際の席があいたので移動したので、声はかけませんでした。105分の乗車時間のうち60分くらいは熟睡していました。寝過ごしてはいけないので、携帯のアラームもセットしました。
 熟睡していたので、あまり気がつきませんでしたが、車両はランナーだらけでした。加古川に着いたときに、あまりに人が多くてびっくりしました。
 駅でトイレに行って、改札を出てシャトルバスへ。少し待ったけど、時間に余裕があったし、豪華観光バスで乗り心地もよく、とっても満足でした。

 会場で受付を済ませて、まずしたことがプログラムの確認です。去年はヱスビーの島村くん、揖斐くん、桜井くんがきていたし、加古川には例年、ヱスビーの選手がエントリーしているので、まずは確認しましたが残念ながら、今年はエントリーがありませんでした。
 プログラムによれば、昨年、フルとハーフの選手が交錯したらしく、今年からハーフを廃止して10キロを新設したそうです。ヱスビーの選手はいませんでしたが、10キロには加古川西高校の山脇くんがエントリーしていました。山脇くんは中大に入学予定の選手です。
 ヱスビーの選手がいないことがわかって、ちょっとがっかりしながら女子の更衣室になっている防災センターへ移動しました。
 とってもキレイな建物で、トイレもたくさんあって待ち時間なしで使用できました。参加人数もありますが、ちょっと女子のほうが優遇されているみたいです。
 そのキレイな防災センターは飲食禁止なのですが、フルマラソンといえば必ずガス欠を起こしているので、ゼリー(朝バナナ)を流しこんで、持参していたドラ焼きを食べました。ナンバーカードの下に黒飴を4個安全ピンでとめて、ガス欠対策をしていました。
 荷物をまとめて開会式会場へ行って、ぬまっちさんを探そうとメールをしていたら、ぬまっちさんから見つけてもらって、「お久しぶり〜」のご挨拶。掲示板でお互いの「動き」がみえているので、久しぶりって感じがしないのですが、でも、直接、お目にかかると、この前、会ったのはいつだっけ?と思ってしまいます。

 荷物を預けに行ったのですが、結構、係りの方、たいへんそうでした。
 あまり早く預けすぎると、寒いっていうのがありますが、あとから上着だけを渡して「○○番と一緒にしておいてください」という人が何人かいて、それに対応されている方は、お気の毒でした。そんなの大変に決まっているし、たくさんの参加者がいるなか、間違い、混乱の元になることは必至。荷物を預けるのは、1回だけにしましょう。でも、係りの人は混乱しながらも、参加者の要望にできるだけ沿うように奮闘されていて、アタマが下がりました。「そんなややこしいことするなよな」って、わたしなら言うかもしれないです。
 かくゆうわたしも、もってきたバッグにジャケットが入らず、ちょっと悪戦苦闘でした。すいか長いもマラソンのときは、もらったスイカを丸ごとバッグに入れて、係りの人をあまりの重さでびっくりさせてしまいました。まぁ、いろんなことがあります。

 荷物を預けてから、まだ時間があったので、また防災センターにトイレに行きました。トシのせいか、日常生活でトイレの回数がちょっと多くない?という状況なので、念には念をということで。
 9時40分にまずは公認の部がスタート。5分後に未公認がスタートです。3時間30分以内で走れる方は前のほうにとアナウンスがあるのですが、どのあたりが前でどのあたりが後ろかよくわかりません。わたしは後ろのほうにいたつもりですが、でも、もし周りのランナーが早かったらどうしようかと思いつつ、スタート時間を待ちました。5時間半。どんな時間になるかわからないけど、1歩、1歩、前に進もうと思っていました。
 開き直りか、不思議と落ち込みも緊張もありませんでした。

T スタート

 わりと後ろのほうのつもりでしたが、スタートを越えるのに1分10秒ほどかかりました。
 まずは、川を上流に10キロ上ります。
 キロ表示が1キロごとにあって、最初の1キロが7分30秒。スタートロスを引くと6分20秒。なかなかいいペースといいたいところですが、わたしには少し早めです。キロ7分で十分だと思っていましたから。その後も1キロごとに時計をみると6分15秒くらいでした。内心、大丈夫?という思いでいっぱいだったし、1キロ、1キロが結構、長く感じたので、とても不安でした。
 不安にわをかけるように、スタート1分後に「トイレ!」と思ってしまい、いったいどうなっているのかと思いました。でも、その後、この感覚はすぐにとれて、トイレは最後まで大丈夫でした。スタート前に何度も行ったのに、いきなりでわれながらイヤになりました。
 5キロは32分7秒。スタートロスを引くと、31分。6分12秒です。ちょっと速いけど、ムリをしているという感覚がないから、そのまま行くことにしました。その後も、6分15秒前後でした。7キロから8キロあたりから、折り返してくるランナーとすれ違いがありました。知っているランナーはいないかと、すれ違うランナーをずっとみていたら、時間の経つのが早く感じて、気が紛れる感じでよかったと思います。10キロはエイドがあったため見過ごしたので11キロでラップをとったら、この6キロは37分30秒。キロ6分15秒でした。

 10キロからは折り返しです。
 折り返しというのは、励みになったり、他の人との差がわかったりといろいろです。最初のほうにすれ違うランナーは、びっくりするくらい速くて、だんだん、だんだんと進んでいって、自分の走っているのとだいたい同じような感じの人とすれ違うと、いよいよ折り返しということになります。
 給水はほぼ2.5キロごと。最初は水だけ、水とアクエリと交互にありました。充実しすぎていて、びっくりです。
 10キロで折り返して、しばらく走っていると、「高校駅伝だと、今、1区が終わった距離だな」とふと思って、じゃあ、今日は高校駅伝をひとりで走っているつもりで走ってみようかと考え、13キロでは、「2区終了、3区開始」と孤独のなか、楽しもうと思っていました。
 12キロくらいからようやく対岸に渡ります。ここの8キロ(12キロ)のところのエイドの方がとっても元気で「がんばれ! ファイト!」と応援し続けてくださいました。とっても明るい声で嬉しかったです。元気になりました。
 10キロを越えたくらいから、一瞬、「脚が止まった」かと思うくらいペースダウンしそうになりましたが、「ここで後退してはいけない」と思って、意識的に脚を動かすようにしていました。その甲斐あってか、まだキロ6分台は維持できているようでした。でも、いくらここで頑張っても、後半でガタンとペースが落ちることもあるし、6分台というのは今のわたしには明らかにオーバーペース。まだ4分の1しか走っていないのに大丈夫だろうかと心配しつつ、次の区切りの13キロを目指しました。

 対岸コース13キロくらいから23キロ

 ここの対岸の10キロがガマンできるかどうか、ここで頑張らなければとスタート前には思っていました。
 実は、わたしこの対岸が25キロまで続くとばかり思っていて、折り返す寸前まで23キロと知りませんでした。
 対岸に移動すると、気分が変わって、また頑張ろうという気持ちになって、いい感じです。ここの長丁場、気持ちを切らさないようにと、自分に言い聞かせながら走りました。
 11キロから15キロは、24分54秒(1時間34分32秒)で、この4キロは6分14秒ペースでした。10キロを過ぎて落ちたかなと思ったけど、イーブンに戻していたようです。15キロでエイド。復路では、飴などの食べ物もあるようで、どうかここまで折り返してこれますようにと思いながら、エイドをあとにしました。
 どこのエイドに限らず、紙コップはたくさんあって、テーブルもたくさんあるので、少々、混雑していても大丈夫だったのではと思います。わたしの位置では、大丈夫どころか、さて、どこのテーブルでとろうかと思うくらいでした。2.5キロごとにエイドがあるので、これもまたいい感覚(というか、えっ、またエイド!)というような気持ちになりました。福知山が中止で参加者が増えて、対応がたいへんだったでしょうが、最後の1人のランナーまで配慮しようという感じが、とても嬉しかったです。
 最近の大会では、安全上の配慮から、給水がかなり充実してきたけれども、これまで遅いために「水がない、給食がない」ということを何度も経験したわたしにとっては、ほんとうにありがたい配慮です。

 15キロを越えてしばらくしたら、折り返しのランナーがくるとのアナウンスがあって、まもなくオレンジ色のユニホームの4人くらいの集団とすれ違いました。「はや〜」と思いながらユニホームをみると愛知製鋼の選手でした。愛知製鋼といえば、昨年のゲストランナーの中山竹通さんが監督に就任された実業団です。今年も実業団の参加があったんだーとちょっと嬉しくなりました。さすが実業団、この4人とすれ違ってから、次のランナーとすれ違うまで、随分と距離があったように思います。
 ランナーとすれ違うのは、さきほどもあったように「だれかいないかな〜」と思いながら走るので、時間が経つのを忘れてしまいます。なかなか人をみつけて、声をかけるまでいかないのですが、でも、さっきすれ違ったときに見覚えのあるランナーもたくさんいらっしゃって、ずっと横を気にしながら走っていました。
 仮装の部?のぬまっちさんも発見したのdすが、すれ違う直前まで気づかなかったというか、もし間違っていたらと思って声をかけられませんでした。カンガルー姿なんで、間違うはずないですが。それにしてもはやっ。ぬまっちさんのあと、しばらくしたら、唐傘さんが見えました。さっきすれ違ったときは、たくさんのランナーを引き連れていたのですが、そのときはほぼおひとりでした。唐傘さんについていったらサブスリーってことなのかどうかわかりませんが、もしそうだとしたら脱落した人が多かったのかな。カンガルーさんにしろ唐傘さんにしろ、仮装で速いっていう余裕がいいです。
 しばらくすれ違うランナーさんばかりを見ていたので、記録は全然、みていませんでした。ペースは落ちていましたが、走るのが辛いという感覚はなく、とにかくこの対岸を頑張らなければ、ますは23キロの関門は越えなければと思っていました。23.7キロの関門は12時50分ということは、スタートから3時間5分なんで7分を越えても大丈夫なんですが、でも、やっぱり関門は気になりました。
 ずっと横をみていて、ようやく亀さんを発見しました。さっきもすれ違っていたときに気づいていましたが、直近だったので声をかけられなくて、怪速亭のオレンジの帽子をかぶられているというのをチェックしていたので、今度は、「亀さ〜ん」と声をかけることができました。さっきすれ違ったときより、ちょっと辛そうな感じだったし、もう少し早くすれ違うと思っていたから、「あれ?」という感じでした。
 エイドごとに少しのアクエリアスをとっていたし、お腹がすくという感覚はありませんでしたが、せっかくナンバーカードの下に飴をピンでとめてつけていたので、これを食べないでガス欠になったら笑えないと思って、15キロを越えてはじめて1コ、黒飴を食べました。エネルギー補給というより、気分転換かな。なにかするたびに「がんばろー」という思いになります。その飴が小さくなるまで、根気よく口に入れていたのですが、最後小さくなったので、バリっとかんでしまって、その破片がのどに入ってしまって、突然、咳き込んでしまいました。走ってられなくて、コースアウトして、ごほごほとやっていると、係りの人が「大丈夫ですかー」と声をかけてくださいました。飴がひっかかっただけなのに、なんか格好悪いなーと思いつつ、短い間隔でスタッフの方を配置していて、このあたりも、ランナーのことを考えた配慮ではないかなと思いました。

 20キロのエイドでは、これまでの飲み物だけではなくバナナや飴、チョコなどがありました。お腹はすいていなかったけど、空腹になってから、喉が渇いてからでは遅いことは十分わかっているので、バナナを食べて、キャラメルを1コ口にいれていきました。このキャラメルがとっても大きくて、このキャラメル、いつになったら小さくなるんやろーと思うくらい、長いこと口のなかにはいっていました。
 この間もすれ違いのランナーをみていたので、ラップはとれずでした。21キロで地点では「ここ」と思ったけど、なんか時間をみてしまうと、調子が落ちるようななんかどういう気持ちかよくわからないけど、「時間じゃなくて、あとどのくらい走る気持ちが残っているか」のほうが大切なような気がして、時計は見ませんでした。でも、ペースが落ちているので、見るのを避けていただけかもしれません。
 20から21キロくらいのカーブのところで、応援の方が明らかにわたしに手を振ってくださっていました。「だれかな〜」とよーくみると、うららさん(男性)でした。真夏の練習会か納会ランかでお目にかかったくらいで、それほどよく存じているわけではありませんが、でも、知っている方がいらっしゃるというのは、どこか安心するものです。「わー」と手を振るだけですが、とっても元気になりました。
 21キロということは、駅伝でいえば3区が終わって4区への折り返し。さて、ここから(駅伝では)下りのコースだなーと思って走っていました。
 22キロくらいからでしょうか。すれ違うランナーが、最初のほうで同じようなところを走っていたランナーなので、それで自分の遅れを確信してしまいました。というのは、わたしは折り返しが25キロだと思っているので、「あと3キロ」なんで、「この人たち、わたしよりずっとずっと先にいってしまったんだー」と、ちょっとがっかりしたけど、でも、脚はまだ止まってないし、気持ちも切れていない、まして心配していた関門は大丈夫そうなので、気をとりなおして進んでいきました。
 すると、間もなく「第1関門」という看板とともにコースが折り返しになってしました。
 「えー、23キロやったんやー」とそのとき初めて気づいて、なんかとってもトクをしたような気になりました。どこで折り返しても、トータルしたら走る距離は一緒なんですが、でも、折り返しって気分転換になります。なんかとっても得した気分になって、また、遅れていたのも自分が思うほどではなくて、ちょっと安心しました。
 25キロでも給食があって、何をたべようか迷って、結局バナナを食べました。飴も美味しそう、チョコも美味しそうって感じやったんですが、なぜかバナナでした。
 さっき応援してくださったうららさんが今度は場所を変えて、ザル?に飴やチョコをたくさんいれてコース上にいらっしゃるのが見えました。わたしはもうすでに十分、いろいろなものを食べていたけど、でも、また、私設エイドの食べ物は、ベツバラだって感じで、飴をひとつもらっていきました。ありがとうございます。
 でも、わたしの少し前を走っていた女の人が、ザルのなかにガサっと手を入れて、うららさんがよろけるくらいの力でわしづかみにしていって、チョコや飴がいくつか落ちてしまっていました。
 あのさぁ、あんた1分1秒をあせるような次元じゃないんやから、そういう私設エイドの人にその態度はないやろ!とめちゃくちゃ腹が立ちました。その後も別の女性ランナーですが、35キロくらいのところで、給食のバナナの皮をゴミ箱がないことがわかっているのに、ほうり投げているのをみて、ムカっときたかと思うと、その後、食べ残したバナナを足元に捨てて、走っていったのです。
 あのさぁ、だからね、あなたね、4時間以上かかるランナーでしょ。そんな人がなんでその態度なの?ゴミ箱がないならわかるけど、ちゃんとあるのに、なんでないところにわざわざ捨てていくの? あなたの食べかけのバナナを誰が掃除すると思ってんの!と、すっごい腹が立って、後ろからアタマを殴ってやりたい気分でしたが、わたしには彼女を追いかける走力がなくて諦めましたが、ほんとうに見たくないものを見てしまって、気分が悪くなりました。
 25キロくらいで対岸をみると丁度、スタート、ゴール地点でした。あっ、あとここを行って戻ればいいのかなと思うとちょっと気持ちが楽になりました。河川敷といえば、わたしには武庫川のコースで、ここは地元だけによくわかっていて、かえって苦しいような気がします。それに、ゴールが河川敷ではなく西武庫公園なので、どこをどう走らされるのかというのがあってイヤなんですが、加古川はそのへんがよくわからなくて、橋や鉄道をみても距離感覚がわからないのでかえってよかったように思います。
 25キロからも2.5キロごとにエイドがあって、水、スポドリ、給食といろいろ揃えてあって、「あれ、さっき食べたばっかりなのに」という感じでした。それで、今度はちょっと変わったものを食べようと思って、黄色い塊の飴みたいなのを口に入れたら、パイナップルの砂糖漬けで、これが甘いのと酸っぱいのが同居してなんとも美味しくて、また引換えして食べにいきたいくらいでした。29キロ、駅伝でいえば4区が終了。丸太町通りです。29キロの関門は3時間45分。ということで、まだ大丈夫です。
 15キロでラップをとって以来、タイムのことが頭にないのと、エイドのところに20キロとかがあって、ラップぼたんを押していませんでした。次にでているのが、1時間4分(2時間38分)なんで、おそらく15キロから25キロでしょうか。この10キロは6分24秒。まだ7分台でないというのは驚きです。(でも、実際に走っている間は、もう計算できていませんでした。25キロから30キロの5キロは36分(3時間14分)で、ここでとうとう7分台です。7分12秒。この調子で下がっていって、キロ8分まで落ちたらどうなるんだろうと、必死で計算してみました。残りが12キロなので、それに8をかけると、えーっと、8×2は16で、80に足して96分。96分ということは、1時間36分やから、えーっと、とこのあとは計算不能でした。でも、関門時間はまだ大丈夫なようなので、とにかく脚が止まらないことを願い、気持ちを切らさないようにと頑張りました。
 30キロのエイドでは、別にお腹すいてなかったけど、チョコパンを食べることにしました。結構、大きくてなかなか食べれませんでした。とらないほうがよかったよな気もするけど、でも、あとであのパン食べたかったーと思いたくないので、食べました。わたし、ウルトラではほとんど食べ物を受け付けなくてて、悔しい思いをしているので、その反動です、たぶん。
 対岸のコースは風がとってもきつくて、とくに復路はときおり突風が吹きました。わたしは長袖、ロングタイツ、手袋という冬の定番の格好でしたが、ランシャツのランナーはちょっと寒そうな感じでした。
 お天気は最初とてもよくて、少し照るくらいでしたが、その後、雲ってきて暗い雲もでてきて、細かい雨が落ちることもありました。わたしは、スタート直後にもう手袋をはずして手にもっていたけど、この対岸ではさすがに寒くて手袋をして走りました。

最後の河川敷、ゴールへ
 33キロくらいか、対岸に渡る前の道路に立てたカラーコーンが次々と倒れるくらいのすごい風が吹いていました。32キロということは5区が終了。難関の6区ということ、そして、対岸にうつるってことで、ここでまた気分転換です。橋を渡るって、なんかどういうわけかわからないけど、河川敷を走っているときとは、違う気分になります。対岸に移って、しばらくすると34.3キロの関門を無事、通過。ここは4時間25分だったので、まだまだ大丈夫だったみたいです。通過することだけを考えたので、あと何分の余裕というのは計算できませんでした。
 でも、今、プログラムをみてみると37.2キロの関門は4時間50分なんで、もしギリギリでここの関門を通過するようだったらちょっとたいへんだったかもしれないです。
 橋を渡りながら、往路はこの下を走ったんだなー、もうエイドも撤去されてるなー、あの元気に応援してくださった方はもういないなーと思っていました。1キロごとの距離表示で、時折、時間をみてみたけど、8分台にはなっていないようだったし、脚は元気とはいえないけど、動かないわけではないし、なんといっても気持ちがきれていません。1キロごとの距離表示というのは、気持ちの切れたときには、「えっ、まだ1キロしかすすんでいないの」という感じでマイナスになりますが、それがなくて、むしろ1キロごとの表示を嬉しく思えるくらいだったし、32キロを過ぎたら、よし、カウントダウンだ!というか1ケタになって、ちょっとまた嬉しかったりして、いろいろなことを考えながら、走っていました。
 45分39秒(4時間)なので、おそらく30キロから36キロだったと思います。この6キロは7分30秒。まだ大丈夫なはずです。
 37キロになって、ようやくあと5キロ。駅伝でいうとアンカー区間です。1ケタになって、また5キロ以下になると、「あと一息」という感じが強まります。37.2キロの関門も大丈夫でした。河川敷の横には、バスが2台くらいあって、スタッフが「バスの中で休憩できますよー」と声をかけていました。スタッフにしたら、休憩なんかしてないで、速く走ったらーというもののようだけれども、バスのなかで少し温まったら、また元気になるかもしれないということもあるので、そういう声かけになったのかもしれません。リタイアをすすめるような時間ではまだなかったように思うので。
 37キロを過ぎるとたしか、1キロごとの表示とあと○キロの表示があったと思います。(もしかしたらあと3キロからだったかもしれません。)エイドもさきほどから2.5キロごとにあって、食べ物も豊富にあって、35キロでは、さっき食べて長持ちした大きなミルクキャラメルを食べました。このキャラメル、ほんとに大きいのです。
 さて、あと5キロ。5×8は40。あと40分で終わってしまうのかーと、なんか寂しい気持ちと、早くゴールしたいという気持ちが同居してへんな感じでした。もう走りたくないというか、あと5キロ行ったら、走らなくてもいいというそういう気持ちにはなっていませんでした。脚はなんとか動いていました。
 それでも37キロから40キロまでは、ちょっと時間が経つのが遅いように思いました。36キロから40キロまでの4キロは30分(4時間30分)、7分半を維持しているみたいです。
 あと2キロということは、長くても20分で終わってしまうのかなーと思って、あぁ、もうほんとうに最後になったんだという気がしました。完走するかしないかということよりも、ずっーと気持ちが切れなかったことが嬉しいし、走りながら、言い訳を考えなかったのもよかったのかもしれません。
 実はしょうもないことですが、とっても不安なことがありました。
 12月はじめに出張で東京に行ったときに履いていた靴が合わなくて、左のかかとは水ぶくれが潰れて出血跡がしっかり残っていて、右親指のところが爪が肉を圧迫して痛かったのです。水ぶくれのほうは、テープを貼れば大丈夫だと思ったけど、親指のほうが痛くなったらどうしようと思っていました。
 あらかじめ、少しシューズの紐を緩くしておいたので、それがよかったので、ここはほとんど痛みませんでした。でも、最初の5キロくらいで、小石が入って、コースアウトしてシューズを脱いでトントンとするということは起こってしまいました。
 あと2キロ。いつも練習しているコースやったら、自宅からJR藤森の駅までやなぁ、あっという間やんと思って、ほんとにいよいよ終わるって感じでした。そこからは100メートルごとに表示があって、またわたしの換算が始まります。100メートルか、朝原さんやスエツグくんやったら10秒よねとか、400メートルね、山口有希くんなら44秒よねとか、好き勝手な計算をしていました。40キロと700メートルいったところで、あと1500ということは、この表示が15コねと思いました。このとき不思議と1500メートルは小林くんだったら3分38秒とは、思わなかったです。1000という単位ではなくて、100という単位しか頭になかったからでしょう。
 あと1キロ。時間は全然、みていなくて、今が4時間台なのかどうかというのは全然、わかっていませんでした。ラップのほうの表示を大きくしていたので、トータルの時間が見にくかったというのもあるけど、もともとゴールタイムがどうのっていう気持ちが全然なくて、走れるだけで十分、完走できたらもういうことなしという気持ちだったので、ゴールタイムはまったく気にしていませんでした。あと1キロということは、北堀公園の周回1周かと思って、もう長いような短いような全然、わからなかったけど、でも、完走できることは間違いないようだし、あまり動いていない脚だったけど、とっても元気でした。

 ゴール手前で、きっしゃんとぬまっちさんが待ってくださっていて、手を振りながら、かなりの笑顔でカメラ目線。わたしは大会観戦は何度もしているのでよくわかるのですが、いつ来るかわからないランナーを待つのは大変なんですよね。完走できるかどうかわからないわたしを、根気よく、よく待ってくださいました。ありがとうございます。

 40キロから42.195キロまでは、15分18秒。7分30秒くらいでしょうか。結局、8分台にはならなかったのかもしれないです。
 ゴールして大きなタオルをかけてもらって、ナンバーカードの裏のチップをとってもらって、完走証をもらいました。
 4時間46分。
 あれ、5時間切っていました。
 そんなはずじゃなかったのですが。
 
 不安いっぱいだったけど、なんとか最後まで走ることができてよかったです。
 脚も気持ちもダメージがほとんどなくて、元気でいれたのも嬉しいです。
 いろいろまだあって、このあと加古川で「カツめし」食べたり、いろんなことを書きたいし、とってもいい大会で運営もたいへんいいので、そういうことも書きたいのですが、それはまたの機会にさせていただきます。

花子のノート