わたしが広島へ行って考えたこと 2005年8月5、6日 

日程

8月5日(金)    8月6日(土)
 8:00 京都駅出発   7:00 ホテル出発
13:30 虹のひろば     8:00 平和祈念式典
   (日本生協連)   10:00 碑めぐり
                 12:00 原爆資料館
15:10 原爆資料館   13:45 記念撮影
                 14:00 帰路へ
17:30宿泊先へ        19:30 京都駅着

 わたしは、今回、広島へ行こうと思ったのは、「平和」について自分に何ができるのか、広島へ行けば、きっと確信がもてるのではと思ったからです。

でも、実際に広島へ行くと決めるには、時間がかかりました。「平和」というのは、大切な問題だけれども、あまり難しいことは考えたくなくて、あまり行きたくないという気持ちもありました。でも、「被爆・終戦60年」の節目の年に、京都生協では平和について、ひとりひとりが考え、学んでいこう今年度の方針の具体化にかかわっていたのだから、広島へは行かなければと思いました。

平和活動といえば、学習会や平和活動交流会、各行政区の平和のとりくみに参加すること、年に1回、ピースリレーに参加すること、そのくらいで十分ではないかと思う一方で、それでほんとうに「平和」のために何かしていることになっているのかという、わたしのなかの疑問に、今回の「ヒロシマ行動」は、十分に応えてくれるものでした。あらためて、参加してよかったと思っています。

京都駅に8時に集合して、バスに乗って、座席表にある席に座ろうとしたら、その席あたりで、なんか騒動が起こっていました。座席表の番号がバスの座席番号と同じと思った人が、本来の席ではないところに座っていて、「そこはわたしの席、いえ、わたしの席」騒動が起こっていました。おばちゃんのバスツアーではよくあること、その騒動が済むのを少し待って、ようやく座席に座ることができました。

京都南インターから名神、山陽と高速道路の旅です。車中で、参加者の自己紹介と今回のツアーについての抱負などを語るということだったのですが、人によっては、話が長い、長い、長い。それだけ思いが強いということと、好意的にとったらいいのかもしれないけど、バスのなかで演説は聞きたくないというのが、わたしの正直な感想です。そんなふうに演説されると、「意識が低い」わたしとしては、ちょっと気がひけてしまうのです。でも、「いい話」なんで誰も止められないんですよね。でもなぁ、空気、読んでほしいなぁ。

福山のサービスエリアでお弁当が配布されて、車中で食事です。遠出の場合は、時間を節約するためには、やむを得ないことなんですが、そのことについては、参加者からはほとんど不満の声が出ないのは、さすが京都生協の組合員さんです。お弁当の内容は、なかなか豪華なもの、メロンまでついているから。ダイエット継続中だけど、ほとんど完食してしまいました。(これが帰ってからの体重増加につながるとは、このときはわかっていませんでした。)

食事をとってしばらくしたら、広島に到着。広島の町には、わたしたちと同じようにこの日のために広島へやってきた人がたくさんいました。広島城の近くを通って、アリーナへ到着。ここで午後から、日本生活協同組合連合会の「虹のひろば」という企画に参加します。

1330分から始まるけれども、その前に南アフリカの子どもたちのコーラスグループの歌のステージがありました。とってもキレイな声で音響もいいのですが、何せ、言葉がわからないし、わたしは、「音楽に乗る」ことがとってもヘタで、その場の雰囲気に乗り切れずにいました。音楽はリズムと言葉なんですが、わたしにはリズムがないんです。でも、まわりの人にあわせて手拍子などしながら、紙ふうせんのコンサートのことを思い出していました。紙ふうせんのコンサートでは、「落ちてきたら、今度はもっと、高く、高く、打ち上げようよ」という美しい言葉があったなぁ、やっぱり美しい言葉がいいなぁと、自分の乗れない理由を考えていました。最後に歌った「We are the World」も、いい歌なんですが、それにも乗りきれず、もやもやとしていたら、最後に、「さいた、さいた、チューリップの花が、ならんだ、ならんだ、赤、白、黄色。どの花みてもきれいだな」と日本語の歌を歌うのを聞いて、「どの花みてもきれいだな」って、「世界にひとつだけの花」と同じ発想だなぁ、いろんな色があっても、みんなきれいという、すごい歌詞なんだと気づきました。やっぱり、わたしはリズムの人ではなく、言葉の人なんやと実感です。

コンサートのあとは、「虹のひろば」の始まり。中学生、小学生2人の3人の開会宣言。とってもしっかり自分の言葉を語っていました。こういう経験ができること、素晴らしいと思います。そのあと、ちょっと長めのご挨拶、それから廿日市市長の被爆体験を聞きました。現在75歳、被爆70年のときに自分はいない、今、やらないとという言葉が印象的でした。それから虹のひろばでの「平和宣言」のようなものがあって、1部は終わり。2部は各ブースに分かれてアピール&交流の時間です。

わたしは、京都からもってきたチラシを「京都からきました、読んでいただけますか」といいながら、配布していきました。みなさん、こころよく受け取ってくださいました。それから兵庫のブースに県連の人がいたので、そこで平和のメッセージを書いたりして、しばし談笑。こういうところで知り合いと話せるというのはなかなかいいものです。

どこも缶バッジをいろいろともっていたけど、あまりにも「平和」を全面にアピールしているものではなく、四葉のクローバーをあしらったピンクと緑のやさしい感じの神奈川県連のものを購入しました。また、缶バッジが増えました。

京都のブースでは、千羽鶴ではなく、お花のようなのを連ねたのが、関心の的で、作り方をきいてこられる人が多かったです。こういうのをみんなで作りましょうという企画をしてもいいのではと思っていました。長いと思われた交流の時間も、あっという間で、そのあとバスで原爆資料館へ移動しました。

原爆資料館は、すごい人、人、人。エアコンはほとんどきいてなくて、暑い、暑い、暑い。入るためのチケットを買ってもらうだけで、すごい時間がかかって、中に入ってからも、説明の資料がなかなか読めなくて、どうなるかと思いました。でも、それでもなんとか一通りの説明は読めました。東館はとりあえず終了、明日は西館をみることにします。

宿泊先の安芸へは1時間弱。ホテルに入って、部屋へ行って、しばらくしたら食事。食事はまたまた豪華夕食。またカロリーオーバーやなぁと思いつつ、完食でした。夜はヒマなんで、厳島神社へのナイトクルーズがあるというので、それに連れていってもらって1日目は終了。

 なかなかのハードスケジュールでしたが、あまり平和について考えたというほどのことはなく、ちょっと不安になりました。広島ツアーには、感想文と報告がついてまわるのですが、今日の予定からは、これといって報告できるようなものはなかったからです。同じ部屋の参加者も同じように言われていました。
                             (つづく)

花子のノート