ヒロシマ報告                      2005年8月5,6日 

日程

8月5日(金)    8月6日(土)
 8:00 京都駅出発   7:00 ホテル出発
 13:30
 虹のひろば    8:00 平和祈念式典
   (日本生協連)  10:00 碑めぐり
            12:00 原爆資料館
 15:10
 原爆資料館   13:45 記念撮影
            14:00 帰路へ
 17:30
宿泊先へ        19:30 京都駅着

広島へ行ってよかったこと
「原爆」を中心に戦争のことなどを集中的にいろいろな角度から考える機会をもてたこと。

広島へ行って感じたこと
 @核兵器が使われてはいけないものだと確信しました。
 A核兵器を使わないためには、戦争、紛争、テロのある社会ではなく、安心して暮せる社会を実  現しなければならないこと。
 B安心して暮せる社会にするために、何かしていかなければならないと思いました。

広島でもっとも印象に残ったこと

 広島第二中学の生徒さんが、建物疎開の作業中のため川岸に整列しているときに被爆して、亡くなったことです。爆心地に向って並んでいたために、正面から原爆の閃光を浴びることになりほとんど即死したといわれています。もっていたお弁当箱、着ていた服でなんとか身元がわかった人、安否がわからない人など、たくさんの若い生命が犠牲になりました。原爆資料館には、黒こげになったお弁当箱や服が展示されていました。

 テロや紛争、戦争などで生命を亡くしてしまうことは、その原因が何であろうと哀しく、辛いものです。でも、熱線、爆風、放射線で町ごと破壊してしまう核兵器は、被害を受けた本人だけではなく、遺された人の気持ちも癒されることのなく壊してしまうものであり、二度と使われてはいけないと思いました。

 広島第二中学校の慰霊碑は爆心地から600メートルほど離れた本川沿いにありました。左隣には市立広島商業高校の碑、右隣には河内村温井の義勇隊(村に残った女性と高齢の男性が義勇隊として建物疎開作業に従事していました)の碑が建立されています。この場所で、広島の「町」を守るための作業をしていた人たちが、一瞬にして生命を奪われてしまったことが、碑を訪れ、資料館を訪れて遺品を見ることによって、より実感として伝わってきただけではなく、生徒さんたちの無念、子どもを亡くした親たちの無念が感じられました。

 *爆心地から半径2キロは、建物はほとんど焼失、その範囲にいた人の50100%の人がそ  の日にうちに亡くなられています。

建物疎開について

1943年(昭和18年)3月、『都市疎開要項』。官公署や軍事施設、軍需工場などを空襲により火災が発生した際に延焼を防ぐ目的で、密集した建物群の一部を除去し、防火地帯を作ること。建物を破壊してできた空き地は、人々の避難先、復旧時のゴミ、資材置き場として役に立ったけれど、目的であった防火帯としての役割は、「焼夷弾」の雨のなかではあまり役に立たなかったといわれています。建物疎開で、民家が取り壊され、市民の強制立退きがすすめられました。

*京都の御池通りは堀川通りから東は8車線、西は3車線です。建物疎開の対象になったところが広くなっています。

当時の日本
日本焦土作戦日本の都市に無差別に絨毯爆撃(ある地域に絨毯を敷きつめるように、すきまなく一面に爆撃すること)をして都市を破壊することで、戦意を喪失させるというもの。
絨毯爆撃でその町に住む6割の人が死亡すると言われています。
焦土作戦は当初、6都市(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、小倉)を壊滅状態にすれば、日本は降伏するだろうと考えられていましたが、戦争は終結せずに標的は地方都市にうつり、結果的に66都市が爆撃されました。この絨毯爆撃で犠牲になったのは40万人とも言われています。
そして、広島、長崎へ原爆が投下されました。

*焼夷弾‐爆弾、砲弾の一種で攻撃対象を焼き払うために用いられました。
 アメリカ軍は、当時の日本の建築物は木造によるものが多いことから、着弾の後、火災を発生させる焼夷弾を空襲に使用しました。

1945年3月9日の東京大空襲では、344機のB29爆撃機が40km2に焼夷弾(1.2万発、2000トン)を投下。死者は8万人以上で、東京の3分の1が焼失しました。 

今後、わたしがしようと思っていること

「戦争反対」、「人を殺してはいけない」ということに真っ向から反対する人はいないでしょう。でも、「イラク戦争」を正当化しようとしたり、核兵器をもったり開発したりすることを正当化しようとすることは、当たり前のように行なわれています。虐待、暴力が自分の弱さの裏返しの行為だとすれば、自分の弱さを認め、同じように相手のことも認められるようにならなければなりません。そのためには、たくさんの価値観に出会って、たくさんの価値観のなかで、お互いに共存していることを、日々、忘れないことが大切だと思います。

 わたしが「平和」のためにできることは、まず、「戦争」について、これからもいろいろなことを知り、自分のなかの平和への思いをより強くもっていくこと、そして、たくさんの価値観と共存していくために、自分の弱さと向き合うこと、それをたくさんの人に伝えていくことだと思いました。

花子のノート