一昨日、履いていた靴が汚れている。
 河原を走ったから泥がついているのではなく、その汚れは私の胃の中に一旦、おさまっていたもの
だった。

 その日は気分がよかった。1年ぶりの京都練習会で、20人のメンバーが集まり、鴨川の源流をさか
のぼった。去年はついていくのがやっとのところを、今年は最後の坂で、10人ほど抜かして、楽々と
走れたから。そんなわけで、2次会の呑みもガンガンいってしまった。もちろん私だけでなく、メンバみ
んなが呑んで最初の店で瓶ビールを品切れさせて、2軒目では日本酒「雪の松島」をあけてなんでも
いいからもってきて状態になった。
 それでもその日は、大阪、神戸、名古屋からの参加者がほとんどだったので、わりと早くにお開きに
なって、それぞれ帰っていった。私は京阪電車組の数人で、京阪四条駅へ行き、みんなは特急で、地
元の私は、各駅停車に乗った。
 みんなと別れたのがいけなかった。緊張の糸が切れたのか、私は電車のなかで眠ってしまい、駅を
2つ乗り過ごしてしまった。Uターンして2駅戻るはずが、また乗り過ごしてしまい、もう1度引き返すこと
になってしまった。まぁ、眠って大阪まで行ってしまわないだけましよね、ラッキー、と自分で自分を褒め
ているうちは幸せだった。電車の上りと下りをうろうろしながら、内臓がムカムカしているとは、思っても
いなかった。
 電車を降りて駅を出て、20歩ほど歩いたところで、突如、激しい嘔吐感が、、、。ほとんど不意打ち状
態。いかん、ここで吐いてはいかん、頑張るんだと、ハンカチでおさえてさらに20歩。雪の松島ったら、
私をこんなに酔わせて、と余裕をかました途端に、抑えようのない嘔吐感に襲われ、撃沈。
 それでも家へ帰るんだと根性で歩き続けた。でも、私の内臓は、私の根性では制御できない状況に
なっていた。もう10歩ほどいったところで、民家のブロック塀に支えられていた。もしかしたら激突して
いたのかもしれない。ブロック塀によりかかりながら、すでに緊張感は1ミリもなく、嘔吐を続け、2度め
の撃沈。
 内臓をカラにして、私は逃げました。家までの約1分を必死で走りました。
 今日は走ってばっかりやんか、と思いながら。そしてほとんどそのままの格好で、布団に入っていま
した。

 さて、翌日。家のすぐ近所なら掃除をしに行くけれど、それにはちょっと遠い距離。
 私が掃除をしたら、「私が吐きました」と申告しているようなもので、それはできない。もう迷惑でも
何でも、知らん顔しておくしかない! でも、あまりにひどいので、その日は外出できなかった。
 そして今日。おそるおそる見てみると、明らかに固形物は掃除されていたけれど、型はくっくりと残っ
ている。

 ごめんなさい町内のみなさん、そこにゲロ吐いたの私です。ごめんなさい。
 お願いだから、大雨降って、私のゲロの型、水に流してください!(終)

ご町内のみなさま、ごめんなさい。

花子のノート