大会をおえて

 丹後半島で100キロの大会があると知ったのは、随分と前のことでした。漠然とでたいなと思っていて、いろいろ悩んで、締切日ギリギリに申し込みました。100キロへ着々と練習をするつもりが、いつものことながらなかなか時間をとらずに9月をむかえたように思います。今の実力で完走するにはどうすればいいか、それを十分に考えて、そのとおりにして、そしてたくさんの幸運が重なって完走することができました。
 たくさんの方にアドバイスをいただきました。応援もいただきました。だから「完走」を報告することができて、とっても嬉しいです。わたしとしても、ひとつのことにこんなに前向きに考えたことは初めてのような気がします。
 スタートラインにたったときに後悔しないようにと思いました。そして「今の力を出し切って、それが今の実力。反省はその後」(シオバラさん書き込み)という言葉が、走っているときのプラス志向の支えになったように思います。走りながら反省してもいいことありませんから。それともうひとつの支えは、大会1週間前に、Kadoさん、シオバラさん、くりりんさん、ひびさんとで行った雲ヶ畑練習会です。雲ヶ畑までの往復のあと、京都駅まで5キロ走ったのが、これまで経験したことのない辛さで、100キロで辛いことがあれば、あのときの練習のことを思い出そうと思っていましたが、ついにそういう場面は訪れませんでした。あのような練習をしたことは偶然なんですけど、壊れる自分と遭遇できていたのがよかったと思います。(あの練習会を「鬼練」と名づけます。)

 ゴールして、やはり右足首に負担がかかっていました。わきの下の下あたりの擦れも大きく広がってひりひりします。左足の親指と薬指が黒爪になりました。戦跡は、ある程度は覚悟していましたが、翌日、右足首が腫れて、駅まで3分の道のりが辛かったです。足を痛めると階段の下りが辛いというがよくわかりました。トイレに手すりがあることが、どれだけ大切なことかわかりました。スロープやエレベーターの存在をこんなにもありがたいと思ったことはありません。

 それともうひとつ。最初に書いておきながら、おこがましくて1度も触れませんでしたが、「C大の野村選手のケガがよくなりますように」という思いはつねにもっていました。「今日は疲れたし練習したくないな」という日に、「頑張っていこう!」と思えたのは、おこがましいこの願いのおかげです。わたしが完走できたからといって、だからどうしたなんですけど、でも、完走できてよかったと思っています。

 何がよかったかと考えてみると、普段の練習コースに峠の往復をいれていたことだと思います。こんな坂道を練習して意味があるのかなと思っていましたが、いつのまにか上りが好きになっていました。練習コースに峠を取り入れたのは、野辺山を意識してのことで、今年の3月に篠山マラソンが完走できたのも、上りで壊れなかったからだと思います。峠の往復だから下りも同じように練習しているのですが、苦手意識は抜けません。お腹のあたりにズキズキくるのがキライです。

 さて、足の痛みも1週間ほどで消えて、10キロの大会にも参加できました。ウルトラの大会の今後の予定は未定ですが、やはり最後まで完「走」することが目標です。それと野辺山にも挑戦したいです。(日程的に難しいんですよね。)

 最後にもう1度、応援ありがとうございました。完走のお祝いメッセージをたくさんいただいて、ほんとうに嬉しかったです。わたしがたくさんの方に応援していただいてもらった力を、今度はたくさんの走る仲間におくりたいと思います。
 ありがとうございました。

追記

参加記のなかに書くつもりが、書けなかったことです。
*網野あたりでしょうか、ルンルンさんと針小路さんに応援していただきました。時間的にはかなり早い頃だったように思います。  ありがとうございました。
*久美浜町で、久美浜小学校の手前で、「女子47位」と声をかけてくださったおじさんがいました。なんか嬉しかったです。
*久美浜には、玉川、久美の浦という日本酒があります。玉川の酒蔵か販売所かと思います。そこがエイドになっていました。完  走したら玉川、飲もうとそのときは思ったものです。
*久美浜にはかぶと山という山があって、そこでバーベキューをしたことがあるのですが、久美浜湾からのぞむとほんとに冑のよう でした。久美浜湾と冑山、とっても景色のいいところでした。
*45キロあたりでしょうか、網野の方にオレンジの飴をいただきました。とっても美味しかったです。でもその飴を同じくもらったラ  ンナー(男性)が、飴の包み紙をポイと道に捨てて行ったので、後ろから殴ってやりたいくらい腹が立ちました。地元の方の善意 をゴミとして返すなんて最低です。そのランナーは、小銭をたくさんもっているのか、ジャリジャリいわしていたので、その前から気 になっていました。貯金箱もって走ってるみたいです。でもそのランナーに残り3キロくらいで抜かれて、情けなかったです。
(今、思い出せるのはこれくらいです。また追記していきます。)

丹後歴史街道100キロ
花子のノート
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