第22回 加古川マラソン大会 2010年12月23日 
                          加古川河川敷マラソンコース



はじめに

加古川マラソンがフルの大会になったときから、たぶん皆勤で出場している大会です。
大会参加が少ないわたしですが、唯一、出場し続けている大会になっています。

コースは河川敷で、地面は堅く、後半は向かい風と、あまりいい条件とはいえませんが、河川敷のコースゆえ、いつでもリタイアできるというようなお気楽さもあって、ずっと走っています。

昨年も、加古川マラソンの前日に、仕事の契約更改の話があって、その内容がとんでもなくひどいもので、あまりにひどさに眠れなく、こういう状況でとても走れないと思いつつ、とりあえず受付だけする、とりあえず走ってみるみたいな感じで、結局、時間はかかりましたが、完走することができました。

今年は、12月5日の奈良マラソンでほぼ6時間かかっての完走ということで、制限が5時間30分の加古川マラソンはとても完走できないという思いでの参加でした。
完走できなくても、5時間30分でいけるところまでいけばいいかと思っていました。

加古川マラソンにこうまでして参加する理由は、別のところにあって、ランのあとお風呂へ行って、加古川名物のカツめしを食べて、次に明石焼きを食べるというフルコースがあるからです。
まぁ、ランは、カツめしと明石焼きのための前座のようなものでしょうか。
そんなあとの楽しみがあっての大会参加になっています。

毎年の参加なので、電車の時間も例年通りです。
5時20分頃に家を出るとかなり余裕をもって会場入りすることができます。
京都から加古川まで、JRのなかで熟睡できるというのも嬉しいです。
受付をして、更衣の防災センターへ行ってと、これも慣れたものです。
防災センターは、トイレがすいているので、ありがたいです。

着替えをして、あまり早く行っても仕方がないけど、更衣室にいても仕方がないので、会場に行くことにしました。
ちょうど開会式をしていたので、そちらのほうへ行き、この前の奈良マラソンに来られていた太平サブローさんとゲストランナーの吉川美香さんを見ました。
開会式ではスピーチがなく残念でしたが、吉川さんには、2006年だったかユニバで開催された日本選手権で小林祐梨子さんに勝って優勝されたときにお話しをぜひお伺いしたかったです。
たぶん、閉会式のときに話されたと思いますが、わたしは、閉会式のときはまだ走っている時間ですから!
わたしは、その日本選手権を見ていましたが、小林さんがユニバで負けるということで、会場全体が凍りついたことをよく覚えています。
表彰式のときも、「あんな小林さんを見るのは初めて」というくらい悲壮な顔をされていました。
そんななかで、優勝された吉川さんはどんなものを感じられたのか、聞いてみたかったです。
 
加古川マラソンといえば、このようにゲストランナーが豪華というのがあるのですが、これは加古川ご出身の三村さん(シューズを作ってられる方)のご尽力によるものだそうです。
こういう地元志向は大歓迎です。
昨年は、確か大南さんが姉妹でみえてられました。

開会式のあと、荷物を預けに行きました。
荷物は、ナンバーカードとは関係なく預かってもらえるのですが、そのシステムがよくわからず、どこの窓口にしようかと迷ってしまいました。
どこでもすいているところでよかったのですが。
荷物も、荒川マラソンのときにもらった巨大ビニール袋を持参しているので、すぐに預けられました。
バッグに入りきらないものもあるので、大きな袋をもっていると便利です。

そして、わたしは後ろのほうからのスタートでいいので、早くから並ぶ必要はないのですが、何もすることがないので、並んでいました。
できるだけ後ろのほうに行ったつもりなのですが、並ぶ時間が早かったためか、そんなに後ろのほうではなかったようです。

今回は、とても完走できないと思っていたので、すべてがお気楽モードでした。
あまり気を張って、完走ということを考えなかったのが、かえってよかったのかもしれないです。
時間はかかりましたが、なんとか完走することができました。


さぁ、スタート

かなり後ろからスタートしたつもりでしたが、スタートラインは2分ほどで越えられました。
キロ7分よりゆっくり行かなければと思いつつも、まわりのペースもよくわからず、なんとなく進んでいきました。
いつも10キロごとのラップしかみないようにしていたけれど、今日は、とにかく7分より落とすということで、1キロごとにラップをみていました。6分台で行っているようで、「やばい、やばい」と思っていました。

今日の目標は、奈良マラソンで潰れた8キロを越えること。そして10キロまでいくこと。
随分とハードルの低い目標に見えるかもしれませんが、当日のわたしには、真剣に向き合うべき目標でした。

ゆっくり、ゆっくりと思いながらたぶん5キロくらいいったところだと思います。
前にちょっとした集団があって、その集団が何なのかよくわからなかったのですが、しばらく行くと「5時間ペースランナー」のビブスを着た人たちとそれについている人たちとわかりました。
5時間って、今のわたしには5時間なんて絶対に無理なので、この人たちより前に行くなんてとんでもないということで、この集団を抜かさないように走っていました。
そうしているうちになぜか、ペースランナーさんのすぐ後ろにきてしまって、その集団の前のほうで走ることになってしまいました。
ペースランナーさんたちは、キロ7分をきっちり計りながら走ってられます。
5時間ではとてもいけないけれど、なんとかついていけているし、この集団でとにかく8キロ、そして10キロまで行ければいいという思いでついていきました。
ペースランナーさんのふくらはぎのあたりを見ると、とても軽く足を運んでられるので、そのイメージで、前をみないで足ばかりを見て走っていました。

7分で走って大丈夫なわけがなかったのですが、とりあえずしばらくついていって、落ちたらそこからまた頑張ればいいと思って、何も考えずにひたすら走っていました。
最初の10キロは1時間8分20秒なので、スタートロスの2分を考えると、ちょっと速いのかもしれないですが、後半のペースダウンを考えれば、ちょうどいいのかもしれないです。
それよりもわたしにとっての鬼門の8キロを越えて10キロまでだとりつけたことが嬉しかったです。

10キロを越えても、ひたすらペースランナーさんの後ろについて行きました。
何も考えずに、ただついていくだけ。
10キロまでこれたのだから、次は20キロか。
次の目標もよくわからないまま、とにかくついていくことにしました。

給水前になると、かならずペースランナーさんが声をかけてくださって、途中、塩があるところは、「必ず塩分をとってください」と言われました。
そういうことも自分で考えるのではなく、アドバイスをしていただけたので、何も考えずに前に進むことができました。

20キロまでの10キロは1時間10分14秒。
キロ7分、ぴったりです。
それにしても20キロまでキロ7分でいけるというのは、これはかなりいい感じのようです。
10キロまでついていければ十分と思っていたのに20キロまでついていくことができたのです。
これであとはどうなってもいいというくらい、あとは「おつり」くらいの気持ちで、気楽に走っていました。

例年ならとっても辛いはずの24キロの折り返しも、気がつけば折り返していたという感じで、目先のペースランナーさんだけをみて、走っていました。
24キロの折り返しでは、身体の同じところばかり使っているので、少し違う動きをして、筋肉をほぐすようにとアドバイスがありました。
わたしは、腕をダラっとさげて、リラックス、リラックスと思いながら、ついていきました。

それにしても、いつもならとっても辛いはずの24キロの折り返しが、それほどきつくなく迎えることができたのは驚きでした。
おそるべしペース集団です。

きつくないとはいえ、わたしにしたらキロ7分でここまで来るというのは、奈良マラソンの現状からすれば、速すぎるので、どこまでもつのかという不安も少しありました。
10キロもてば十分だったのに25キロまで来てしまったのは、やはりできすぎです。
このまま最後まで行けたらいいのにと、当初の予定とは違うことを考えてしまうと、かえっていけなかったかもしれないです。

28キロくらいで、後ろに下がって、29キロで完全に集団からおいていかれてしまいました。
遅れるとなると、速いものです。
それでもせっかくここまで来たのだから、できれば完走したいと思いました。
5時間のペースランナーさんたちより30分遅れでもいいのですから、前半に作った貯金をあとの13キロで少しずつ使えばいい、そんな気持ちでした。

28キロで辛くなったとき、その気持ちを察したかのように、ペースランナーさんから「ここが一番辛いところ、みんな辛いけれど、ここで頑張りましょう」と言われ、必死で腕を動かして、遅れないように頑張りました。
でも、頑張れたのは数分で、29キロのところでは、完全に集団から離れてしまいました。

あと13キロ。
ひとりで頑張らなければならないという不安、そして、あまり遅すぎると間に合わないということで、これまでペースランナーさんにすべてを委ねて走っていましたが、ここからは1人で走らなければなりません。
それにしても30キロ手前まで、キロ7分で走れるとは思ってもみなかったです。
これくらい頑張れる力もあるものだと、我ながら感心です。
でも、これはすべてペースランナーさんのおかげです。
みんなで走ったから、パワーをもらえたのだと思います。

さて、ここからは一人旅。
辛いけど、とにかく前に。もしかしたら完走できるかもしれないから。
幸いにも今日は、いつもの冷たい風はそれほど吹いていないので、頑張れるかもしれないです。
まずは、対岸までたどりつくこと、それだけを考えました。
20キロから30キロまでは1時間12分。
29キロでペースランナーさんと離れたので、その分、遅くなっています。
ということは、5時間30分の制限時間では25分くらい「余裕」があるのかもしれないです。
その余裕を12キロのなかで使えば、最後まで走れるかもしれません。

まずは対岸まで。
何キロあるのかとかそういうことは到底考えられず、前に進むだけです。
集団走のときは、ペースランナーさんの足の運びばかり見ていましたが、一人になると、ずっと先を見るようになりました。
ずっとずっと先のあの橋かなぁ。
あの橋を渡ると少しはゴールに近づくのかなぁなどと考えながら、動かない足を必死で動かしていました。
30キロを越えて、32キロになるとまた少し気持ちの持ちようが変わるもので、残りのキロ数が10キロを切ってカウントダウンというか、両手で数えられる距離って、なんかとっても嬉しくなります。
単調に走っているので、そういう変化が気分転換になるのかもしれないです。

そうしているうちにようやく対岸。
ここが関門だったようで34.3キロでした。
給水で元気をたっぷりもらいました。
ここの給水所は、とっても元気にしてもらえるのです。

でも、なんか走っているうちに、この先に関門があるらしいことがわかってきました。
わぁ、また奈良マラソンの再来かと思いましたが、今日は奈良のときよりはまだ余裕がありました。
もともと完走できないものと思っていたので、関門時間が過ぎてもそれで十分だったのと、気持ちが折れていなかったことが大きかったです。
奈良は8キロで折れましたから。
ペースランナーさんと離れても、あと頑張ろうと思えていましたから。

プログラムによれば関門は37.2キロでした。
決して余裕があったわけではありませんが、カウントダウンほど切羽詰まっていなかったようです。

最後の関門を通過してあと5キロ。
残りは片手で数えることができます。
でも、その5キロがなんか辛い予感でした。
そしたら、後ろから浜ちゃんが来ていて、「あと5キロ、一緒に走れる」と思ったら、すごく安心しました。
足は全然、動いていなかったけど、気分はこのまま連れていってって感じでした。

そうはいうものの、余裕はゼロで、せっかく一緒に走っているのに、相手を気遣うとかそういうことがまったくできなくて、ひたすら足を動かすことしか考えていませんでした。
頭真っ白みたいな感じで、走っていたと思います。
そしてずっと横にいるものを思っていた浜ちゃんがいなくなっていて、前行ったんやろうか、後ろ行ったんやろうかって感じになっていました。

ようやく40キロ。30キロから40キロまでは1時間26分かかっていました。
でもあと2キロ。
10分くらいは余裕があるかもしれないので、1キロを10分くらいかかっても大丈夫かもしれないとこのへんは、奈良と違って、計算もできていました。

そして残り1キロ。
ここで、中学生が並走してくれるのですが、これがなかなかのくせもので、どうしてもペースをあげてしまうのです。
これが危険で、頑張れないのに頑張ってしまうことになってしまって、ゴール後にパタっと倒れやしないかと思うのです。
だから、並走の子に「ゆっくりで、途中歩くから」と言って一緒に走ってもらいました。
どんな声かけをしてもらったのか、あまり覚えていないのですが、中学生なのに、あったかい言葉をいっぱい言ってくれて、わたしが少し歩くからと言ったら、「大丈夫ですよ〜」みたいに言ってくれて、心がぐっと熱くなります。

最後の1キロは、中学生の子と一緒で、時間を感じる間もなく、ゴールすることができました。
中学生の女の子にお礼を言って、ボランティアの高校生にタオルをかけてもらいました。
最後の2.195キロは18分でした。

完走証はすぐに発行してもらえました。
記録は5時間16分34秒。ネットタイムは5時間14分35秒でした。
コースも条件も違いますが、ネットタイムだと奈良より30分短縮できていました。
完走できないと思っていたのに完走できました。
これは、ペースランナーさんたちのおかげです。
1人で走っていたら、潰れて心折れていたと思います。
一緒にわたしを運んでくださった方々に感謝です。

ゴール後、すぐに浜ちゃんと合流して、その後は、いつものぬまっちさん、青木さんとフロ、カツめし、明石焼きの加古川フルコースツアーでした。


今年も無事に加古川マラソンに参加して、走ることができました。
1年の締めくくりの大会として、いい感じで終われたように思います。
今年は、故障があったり、仕事が忙しかったり、いろいろとありましたが、この完走を来年につなげられたらと思いました。

来年は、5時間のペースランナーさんに最後までついていけるように頑張りたいです。

下の写真は、カツめし。白いソースとノーマルなソースのハーフ&ハーフです。

カツめしの写真

お好み焼き道場の明石焼き

明石焼きの写真

花子のノート