12回丹後歴史街道100キロマラソン 60キロの部参加記

はじめに

・エントリー

丹後を走るのは3年ぶりでした。

参加記を読んでみると、最後に100キロを完走したのは2006年でした。

2007年は碇高原(77キロ)で、2008年は丹後庁舎(86キロ)で関門をクリアできず、2009年と2010年はエントリーはしたものの出走せず、そして昨年は、世界陸上観戦という大イベントのため、エントリーもしませんでした。

4年前の転職を機に、いろいろなことが変わって、走ることから少し遠ざかる生活をしていました。

「丹後100キロと篠山マラソンを時間内完走する」力を維持することを目標にしていましたが、丹後100キロは出走もできなくなっていました。篠山マラソンは、なんとか制限時間の5時間で走ることができています。

転職で走る時間がほとんどとれなくなった上に7月から9月末までは、別に請け負っている仕事も入ってきて、とても夏の走り込みどころではありませんでした。その上、昨年、一昨年と膝を故障して、3カ月ないし4ヵ月、まったく走れないどころか、日常生活にも不自由するような状態でした。膝は、仕事で下肢麻痺の方の移乗の際、大きく負担がかかっていたようで、仕事を辞めてから、膝の状態がかなりよくなっています。

丹後の100キロを完走していたなんて、もう過去の自分の話。ウルトラマラソンに挑戦することは、もうわたしにはないだろうと、なんとなく思っていました。

ただ、仕事を辞めてから膝の具合がだんだんとよくなっていること、そして、なんといっても時間的な余裕が大きくできたことで、せっかくのこの時期、いろいろなことに挑戦してみたいと思っていて、そのなかで「再び丹後を走る」ということを考えるようになりました。

せっかくのこの時期というのは2012年3月末に、突然、多くの仕事の依頼を受けていた事業所を辞めることになり、時間的に大きく余裕ができたからです。契約満了による退職であり、また年齢的なこともあり雇用保険が長く適用されるため、せっかくこういう時間を与えられたのだから、できるだけいろいろなことを経験したいと思っていて、そのひとつが「丹後を走る」ということでした。

でも、2007年、2008年とリタイアして、100キロの厳しさは十分に知っています。以前に完走しているとはいえ、それはいろいろな幸運が重なっただけですから、まずは60キロに挑戦してみることにしました。2009年と2010年に100キロにエントリーしながら、直前に逃亡してしまったことから、「100キロならまた逃亡するかもしれない、60キロならなんとかスタートラインに立つところまではできるだろう」ということで、60キロにエントリーすることにしました。

エントリーしたものの、ほんとうに走るのかどうか自分でも確信がなくて、宿泊の申込もしていなかったのですが、賀茂川パートナーズさんが定宿にされている「梅屋さん」にご一緒させていただくことができ、ようやく参戦準備が整いました。

・練習
これまで多くの仕事を請け負っていた仕事がなくなったので、走る時間はたっぷりあるはずだったのですが、あれやこれやと理由をつけて、真面目に練習したとはいえませんでした。

6月は論文講座の準備、7月はその添削、そして7月下旬からはロンドンオリンピックのテレビ観戦、8月は天候不順(雷)と、よくここまで言い訳できるかという感じですが、まぁ、そんな感じです。そうはいうものの、丹後は暑いということで、昼間の暑い時間に練習したり、家の近所には、峠や坂がいっぱいあるので、そういうところで練習するようには心がけていました。

・困ったこと

今年の夏は暑かったということもあり、ビールの消費量が格段に多くなってしまったためでしょうか、気がつけば「すごい体重」になっていました。体重計、壊れたのではと思うくらい。でも、壊れていたのはわたしのほうでした。

こんな体重で走ったら、せっかく治ってきた膝に大きな負担をかけることになるという心配、そしてウェア選択の心配です。というのも走っていて、膝と膝が接触していることに気付きました。10キロや20キロなら接触しても何もないですが、60キロも走ったら、擦れてしまうのではという心配、そしてCW-Xのような締め付けタイプのウェアを着用すると、締め付け以上の効果で、血液の循環が悪くなるのではという心配です。というか、太って着るものがない、ということなんですけど。

ということで、ウェアはスタート時は、上は半袖シャツ、下はハーフサイズのふわっとしたパンツを着用し、途中の弥栄庁舎には、半袖シャツ(後ろポケット付)とスパッツを準備しました。ここで意味なくポケット付きのシャツを準備していたことが、後半の幸運につながりました。

それにしても、大会に遠ざかるということは、ウェア選択のひとつをとっても戸惑ってしまうということで、やはりサボってはいけませんね。大会には出場しておかないと。

・丹後へ
今回は贅沢に前泊、後泊することになり、大会前日も用件なしということで、余裕をもって現地入りすることができました。秋の大会のもうひとつの懸念が、7月からの論文講座の添削の仕事が増えることだったのですが、今年は仕事が集中することがなかったため、安心してこの時期、3連休をとることができました。

受付、宿泊場所の網野へは、京都からだと特急「はしだて」に乗れば乗り換えなしで行くことができます。特急料金をケチったわけではないですが、慌てていくことはないってことで、特急には乗らずに現地入りすることにしました。

まず京都から園部まで快速で、列車を乗り継いで綾部まで。ここで山陰線をお別れして舞鶴線にて西舞鶴へ。そして北近畿タンゴ鉄道にて網野へ。北近畿タンゴ鉄道は、風が強くて、窓を開けているとカーテンが風でなびいて大変でした。さらにわたしが座ったほうは陽ざしが強くて暑かったです。まわりの人をみていると、京都から普通列車の旅をした人は10人くらいいたみたいです。電車の旅はやっぱり楽しいです。

網野駅に着いて、受付会場行きのシャトルバルに乗って、アミティ丹後へ到着しました。

懐かしい気持と、ほんとうにエントリーしたのだという恐怖感とが交差した不思議な感覚です。受付を終え、開会のセレモニーをしているところを覗いていると、ご近所のさぼちゃん夫妻に遭遇です。徒歩10分くらいのところに住んでいて、伏見ではほとんど遭遇しないのに、この会場で会うとは。さぼちゃん夫妻とはたしか2007年、2008年とご一緒させていただいていて、わたしがそれ以来の参加だというと、それも同じでした。つまりお休みしていた期間も一緒ということでした。なんという奇遇!

受付会場から宿泊の梅屋さんには徒歩移動可能ということで、地図を片手に移動しました。途中、間違えて早く右折してしまいそうでしたが、なんとか梅屋さんに到着。こんなに余裕をもって宿に入れるとは、ありがたいことです。

梅屋さんには、ミント&賀茂川パートナーズの方々がすでに到着されていました。わたしは、シューズにチップをつけたり、ウェアにナンバーカードをつけたりして準備をし、浅茂川温泉へ行ってほっこりしていました。大きなお風呂は気持ちいいです。

そして18時より食事をとり、100キロ参加の皆さまに合わせて早めに就寝しました。

夕食はミント&かもぱのメンバーで、たいへん賑やかでした。

わたしは、大会前日だから、絶対に飲まないと頑張っていましたが、最後の最後、日本酒の誘惑に負けて飲んでしまいました。睡眠導入剤ってことで、、、。

夜に賀茂川パートナーズの残りのメンバーが来られましたが、爆睡のためほとんど気付かずで、朝3時半頃だったか、100キロのメンバーを見送って、再び睡眠しました。100キロはやっぱりたいへんです。100キロかつて完走したり、完走できなくともエントリーしていたことが嘘みたいです。

・持ち物
体重増加のためウェアの選択に困ったと同時に、何を携帯して走るのかということもかなり悩みました。水(ペットボトル)を持って走るかどうかで、携帯用のウエストポーチ(yurenikui :ゆれにくい)を今シーズン、購入しました。一方で、少しでも身軽で走りたいという思いもあります。わたし、腕時計ですら重たいと感じてしまうものですから。さんざん思案した結果、水の携帯はやめて、薄型のウエストポーチに飴やブドウ糖を入れて走ることにしました。この選択は、今思えば、間違っていたような気がします。暑いだけではなく、湿度が高いというコンディションでは、水は携帯しておいたほうがよかったと思います。ウエストポーチには、他にパートナーズの仲間からもらったハチミツ、プログラムからコース図と関門時間を切り取ったものを、神戸マラソンのときに小学生からもらったイラストメッセージの袋に入れて携帯していました。

・スタートまで
スタートが9時というのは嬉しいもので、ゆっくり食事をとって、ゆっくり準備ができます。
7時半に宿を出発して、宿泊先のバスでスタート地点の久美浜へ向かいました。100キロのコースを通るので、途中、窓から声をかけていきましたが、久美浜湾のほうへ行くと、かなり後ろのほうのランナーでしょうか、かなり苦しそうに走っていました。そしてさらに行くと、何人かのランナーが、海のほうを向いて座り、たそがれていました。20キロくいらいだと思いますが、100キロのランナーがこの時間、この時点でたそがれていてはあかんやろうと、そんな話をしていたのですが、わたしは、かつてこの区間でフラフラになって歩いていたけど、リタイア地点を探しているうちに調子よくなってきて完走できた話をしていました。とはいうものの、わたしも「ここでたそがれていては、、、」と少しは思っていました。

会場に着いて、34キロ地点とゴールで受け取る荷物を預けて、トイレに行って、その後、木陰で待っていました。アナウンスによれば、気温は32度、湿度80%、、、湿度高すぎです。

どんな厳しいことになるのか、あれこれと想定していましたが、いくしかない、頑張るしかない、それだけでした。

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