スタートから最初の関門の弥栄庁舎まで(34.2キロ)


・スタート

 「60キロを9時間半かけて走る」ということなんですが、9時間半もあれば、いくらアップダウンの激しい丹後でも走れるでしょう、ということになると思います。わたしも楽観してそう思ったこともあります。「フルマラソンを6時間で走って、あとの20キロ弱を3.5時間で走る」とかキロ8分で走るとか。
ただ、そういう想定は走り始めてすぐになくなってしまいました。

 スタート前から暑く、走り始めるともっと暑くて、完走とかそういうことがすべて消えてしまい、ただ走っているだけという状況になってしまいました。最初のエイドは3.2キロ地点。ここまではなんとか走ってきたものの、暑くて首のところに水をかけてもらってようやく生き返るような感じでした。最初の5キロは3738秒。余裕がありそうなタイムですが、走っているほうは、もうこれで目いっぱいで、このタイムからどんどんと落ちていったらどうなるのかと、不安になりました。

・旧久美浜臨海学校跡地(8.2キロ)

 そして次のエイドまでの長いこと。直射日光を避けることもできず、ひたすら消耗しながら前を目指していました。ようやく8.2キロ地点のエイドに着いて、水とスポーツドリンクを飲んで、水をかぶってエイドを出ようとしたときに、「まだ喉が渇いている」と直感。
 
 もう1度、引き帰して水分をとろうかと思ったけれど、結局、後戻りできずにそのまま走っていきました。ここで引き返していれば、この先の5キロがもしかしたらもう少し楽にいけたかもしれません。自販機があれば買えばいいと思って、キョロキョロして探すのですが、ようやくみつけた自販機も、すべて売り切れ。
 期待していた分、失望が大きくなります。
10キロまでの5キロは4201秒。キロ8分を越えているのですが、そういうことはもう頭の片隅にもなく、ただひたすら重い身体を前にすすめるだけでした。このあたりでかなりの失速をしたのか、たくさんの人に追い抜かれました。でも、追い抜かれても何も感じないくらい疲れていたので、60キロへの挑戦もこのまま終わりかもしれないと思っていました。


・梨エイド

 暗い気持ちで前に進んでいましたが、そんなとときに遭遇したのが、私設の梨エイドです。
 地元の梨農家さんが、梨を8等分くらいに切って出してくださっていて、あわただしく切っては運んでくださっていました。そして水道も貸していただいて、わたしは、頭から水をかぶり、梨を2切れいただきました。
 わたしは、水分も何もかもが枯渇していたので、その梨の美味しいこと! 
 口の中から全身に梨の甘味が染み渡るような感じでした。次にエイドにたどりつくのはどこかわからないので、もう1切れも大事に口の中に入れ、噛みしめるようにしていただきました。
 この梨がなかったら、完全に止まっていたと思います。忙しそうに梨を運んでくださっていた奥さんの姿を思い浮かべると、「せっかく梨をいただいたのだから、頑張らなければ」と少し前向きに考えられるようになりました。
 でも、気持ちだけで暑さや辛さがなくなるわけではなく、直射日光をたっぷり浴びながら、進んでいきました。



・私設移動エイド

 峠に入ったところか、どこかで見たことあるTシャツを着た人がいるなーと思ったら、100キロにエントリーされているIさんでした。えっ、Iさんって朝、お見送りしたはずなのに、こんなところにいるはずがない、何でIさんがここにいるの?と、暑さで思考力ゼロになっていることもあり、わけがわかりませんでした。
 
Iさんは途中リタイアで、お仲間と移動のエイドをしてくださっていました。そこでいただいた冷えたコーラの美味しいこと! 梨パワーが切れてまたフラフラになっていたところに、コーラをいただいて、生き返った気分でした。たくさんの人が、喉の渇きと戦いながら走っているのに、わたしだけコーラをいただいて申し訳ない、でも、こうやって応援していただいたのだから頑張ろうと、七竜峠を目指しました。

 峠に入ると陰を探しながら、少しでも涼しいところと思いながら前に進みました。
 夕日が浦というきれいな景色ですが、その美しさを感じる余裕もありませんでした。暑さと喉の渇きで思考力がさらになくなっていました。そして、また自販機を探しては、売り切れ表示にがっかりしてということが何度あったでしょうか。七竜峠の展望台のエイドの寸前でも走路員の方が、「あと
100メートルもいけばエイドですよ」と言ってくださったのですが、それでも今、飲み物が欲しいと思い、自販機で何か買えればと思っていました。
 でも、自販機はすべて売り切れで、走路員の方の助言通り、エイドを目指すことにしました。

・七竜峠展望台エイド(17.5キロ)

 ようやくたどりついた七竜峠のエイド。ここで水分をしっかり摂って、頭から水をかぶって、今度はエイドを離れてするに「喉が渇いた」と思わないようにしないといけないと気をつけました。でも、その時点で頭の中は完全に壊れていて、次のエイドまで何分くらいで行こうとか、完走するにはどうすればいいのかとか、そういうことはまったく考えられなくなっていました。
 もうどうなるかわからないけど、とりあえず前へ進もうというくらいの気持ちでした。
 峠には少しは日陰があったので、そこを選んで進みました。また、少し高いところから望む日本海の景色に癒されたりもしました。でも、美しい景色のなかを走る幸せなど、まったく感じる余裕もなく、「わたしは何をやっているのか」という気分で前に進みました。
 
10キロから15キロは4724秒、計2時間7分9秒。15キロから20キロは4320秒、計2時間5030秒でした。

 もともとゆっくりしか走っていませんでしたが、さらに10キロ過ぎで止まってしまって、
 気持ちが切れていた頃に比べると、少しは身体が楽になっていました。そうして浅茂川漁港のエイドに到達しました。
22.8キロです。なんとかここまで来れたのが嬉しくて、走っていたら、係員の人に「もう、ここから歩いて」と言われ、焦る気持ちが癒されました。
 そんなに慌てず、ゆっくりしていってということだと思います。


・浅茂川漁港エイド(
22.8キロ)

 ここのエイドは、食べ物、飲み物等が豊富なはずなんですが、着いたのが遅かったのか、豊富という感じではなく、コーラも水で薄められていて、「あれ?」って感じでした。
 ここでまた、私設エイドの
Iさんグループに冷えたフルーツ等をいただきました。ここでも、あまりの嬉しさに大声でお礼を言ったため、「いただいていいですかー」と、まわりからランナーが集まってきてしまいました。自分だけ恩恵を受けるのは申し訳ないし、でも、私設エイドで準備できるものは限られているので、ちょっと複雑でした。

 またここでも
Iさんグループの方に助けていただきました。もう完走とか何も考えられなかったけど、「この調子でいけば関門の弥栄はクリアできるのではないか」と言ってもらって、せっかくここまで来たのだから、もう少し頑張ってみようという気持ちになりました。
 そして、自販機で飲み物を買って、ペットボトルを持って走ることにしました。ただ、どう走れば関門に間に合うとかそういうことを考えられる余裕はまったくなく、とにかく1歩でも前に進む、ただそれだけでした。

 網野町から弥栄町へ。海の見えていた景色とは別れて、30キロ地点のあじわいの郷を目指します。
 スタート前にあじわいの郷に
13時(スタートから4時間)に着けばいいというようなことを言われたのですが、その時間が到底無理ということは、すでに壊れた思考しかできないわたしでも理解することができました。でも、完全に止まってしまったところを私設の梨エイドで応援していただいて、そしてIさんグループには特別エイドにて力をもらったのだから、走らせてもらえる限り走ろう、自分から辞めることだけはしないでおこうと思い、ほとんど歩くような速度でしたが、前に進みました。

 そう思って浅茂川を出たものの相変わらず身体はほとんど動きませんでした。自分からリタイアすることはなくても、こんな状態をいつまで続けないといけないのか、とっても暗い気持ちになっていました。というよりもさらに後ろ向きになって、早く制限時間がきてリタイアさせてくれたらとすら思っていました。

 25キロまでの5キロは4640秒、3時間37分でした。

 あじわいの郷まであと5キロ。ただ、あと5キロとかそういう先のことは考えられなくて、どこまで行けば辞めさせてもらえるのだろうと、そればかり考えていました。26.9キロ地点の旧JA島津のエイドには、関門の弥栄庁舎までの距離と時間が書いてあって、それをクリアできるとはとても思えなくて、リタイアが現実的なものになってきました。

もうリタイアだ、この夏は自分なりに頑張ってきたつもりだけれど、ウルトラは甘くありませんでした。ここ3年ほど、故障を繰り返したうえに、仕事もきつくてほとんど走っていませんでした。フルマラソンを5時間半で走るのもしんどいくらいで、夏にちょこっと頑張ったくらいでは、太刀打ちできませんでした。

弥栄の町中を進んでいくとまわりにあじわいの郷へ誘導する道案内が目につきはじめました。もうすぐあじわいの郷というところで、また、移動エイドのIさんチームに発見してもらって、冷たいコーラをいただきました。わたしはこんなに手厚くサポートしてもらっているのだから、頑張れるところまで頑張らなければと思いました。

あじわいの郷へ入る坂道も、もうどうせダメなんだからまっすぐ弥栄庁舎へ行かせてくれたらいいのにと思いつつ、ここをこうやって登ることがレースを続けているということになるのだからと、自分を諌めていました。
 あじわいの郷には観光客も多く、みんな楽しそうでした。そう、ここは楽しむところで苦しむところではないはず、なんの因果があってわたしはこの場所を走っているのか、わたし何やってるの?という思いでした。


・あじわいの郷(30キロ)

あじわいの郷の30キロ地点は、ちょうどエイドになっていて、芝生のところにはランナーがたくさん座っていました。なかには、係員に時間前のリタイアさせて欲しいと申し出たのでしょうか、係員の人は「ひとり認めると、みんな認めないといけないのでダメです」というようなことを言われていたように思います。
 リタイアしたくてもさせてもらえないんだ、前に進むしかないんだと諦めて、エイドでたっぷり水分補給をして、さらに自販機で
650mlの水を買って、あじわいの郷の出口まで下っていきました。

あじわいの郷を出るときは、当然、今からあじわいの郷に入るというランナーとすれ違うわけで、今から入ろうとする人がこんなに頑張っているのだから、少し前にいるわたしはせめてもう少し頑張らなければと思いました。下りだったためか、少しだけ元気になっていました。
 でも、時間までに弥栄庁舎にたどりつけるとは思っていなくて、移動エイドでサポートしてくださった方々に、「手厚くサポートしていただいたのに、間に合いませんでした、ごめんなさい」とメールを送らなければと、リタイア後のことを考えていました。
30キロは4時間26分。ここまでの5キロは49分です。

もうここまできたのだから、残された時間を精一杯頑張るだけです。このとき、あと何分とか、そういうことはまったく頭になくて、時計を見ることももうやめていました。

あらためて計算してみると、30キロ地点で1326分。残り4.2キロを34分で行けば関門に間に合うということでした。

このときにたぶん時計を見なかったのが、今にしてみればよかったのかもしれません。もしこの計算ができていれば、完全に「もうダメ」と思っていたでしょうから。何の計算もなく、応援してくださった方々に「精一杯頑張りました」ということがいえるように、頑張るだけでした。

ただ自分でもちょっと不思議だったのが、まわりのランナーが諦めるでもなく、結構一所懸命に走っていることでした。まわりの一所懸命さにつられて、動いていなかった身体がなんとなく動いているような気がしていました。

そしてさらに沿道の人から「このまま頑張れば、関門突破できるよ〜」という声がかかりました。

沿道の人が言う距離とか、「あともう少し」とか、そういう言葉は、あまり信用しないようにしています。もちろん、ランナーを励ます言葉として有難く受け止めていますが、距離や時間は間違っていることが多いので、鵜呑みにしないようにしています。
 ただこのときに「関門突破できる」と言ってくれた人は、あまりいい加減な感じではなくて、まわりのランナーの様子からして、ほんとうに間に合うのかもしれないと、このとき初めて「弥栄の関門を通過する」ということを意識しました。

それでも時計を見ることはなく前へ進むだけでした。身体は軽い気がしましたが、たぶんそれほど動いていなかったと思います。でも、ここはよく見た風景です。新しめの集合住宅があって、その道をまっすぐ行くと酒屋さんがあります。酒屋さんを左に曲がってまっすぐ行けば、スーパーがあって弥栄庁舎です。

さらにお天気まで味方してくれて、陽が陰って雨がパラパラと降ってきました。これって、まさに恵みの雨、、、、前半は容赦なく照りつけた太陽が、今は厚い雲に覆われています。
 そしてもう少しで弥栄庁舎というところで、なんと信号待ちです。

でも係員の人が、あと200メートルで関門閉鎖まであと5分ですと。

たとえ信号待ちをしても、あと200メートルならいけるだろうと、このとき関門突破できるかもしれないと確信がもてました。信号が変わってから、200メートルの長いこと。実際は200メートル以上あったのかもしれないと思うくらい。だって、ボルトだったら20秒かからない距離をわたしは、何分走っているんだろうと思うくらい走っていましたから。

小雨の降るなか、弥栄庁舎へ入ったのは135830秒。1分半前でした。

12回丹後歴史街道 トップへ