弥栄庁舎からゴールまで
・弥栄庁舎(34.2キロ)
弥栄庁舎に入ってからがまたたいへんでした。
10分以内にここを出なければならなかったからです。
優先することとしてまず、ウェアを着替えました。水をかぶって、ウェアがヒラヒラして邪魔になったので、下をスパッツに替えて、ついでにランシャツも着替えました。そのランシャツの背中にポケットがついていたのが思わぬ幸運で、ペットボトルをそこに入れて走ることができました。
着替えは脱いだシャツもパンツも裏返ったままで、バッグにそのまま詰めて、口を閉じるなんてそんなことできなくて、係の人に「お願いできますか」と託しました。
なんとかトイレに行く時間は確保できそうで、トイレに行って、エイドでぶどうを3粒食べて、弥栄庁舎を出ました。
バラ寿司もちゃんと残っていたけど、それを食べる余裕はまったくなく、「10分以内に出発しないと失格です」という繰り返されるアナウンスにせかされるように出ました。さきほどまで降っていた雨があがって、また太陽が照りつけていました。あの雨は、関門前10分の奇跡だったのかもしれません。
・弥栄庁舎をあとに
関門1分半前にかけこんだ弥栄庁舎。どうにか着替えとトイレを済ませて出ました。弥栄庁舎には、そこでレースを終えた人たちがたくさん待機していました。なかにはわたしより早く入った人もいるでしょう。
わたしはせっかく入ったんだから、まだレースを続けさせてもらわなければ、という思いでした。
ほんの少し前、リタイアの言い訳のメールの文面を考えていましたが、一転して「奇跡の弥栄通過」になりました。1分半ですから、ちょっと何かあればダメだったかもしれません。あきらめないで前に進み続けてよかった、ダメと思ってもとりあえず前を目指したことがよかったのかもしれません。どうせダメなのにあじわいの郷になぜ入らなければならないのかと思ったけれども、今、思えばあじわいの郷でちょっとした気分転換ができて、そのあとの関門までの4.2キロの走りにつながったのかもしれません。
・次の関門
60キロの場合、弥栄を越えれば大丈夫などと聞いたことがありますが、それでもまだ半分とちょっと行っただけです。5時間かけて34.2キロ走ってきて、残りの26キロを4時間半で行かなければなりません。
次の関門は47.2キロ地点を7時間38分。13キロを2時間38分で行けばいいのですが、もしここを関門時間ギリギリで通過してしまうと、残り約13キロを1時間52分と一気に厳しくなるので、丹後庁舎の関門時間はないものと考えて、丹後庁舎を出るときにあと何分残っているのかを考えるようにしました。
弥栄庁舎を出てからは、しばらく100キロのコースと同じで、100キロの人たちは、56キロを走ったうえにここからまだ碇高原に上がるのだからすごいです。何度、考えても自分がかつて100キロを走ったことが信じられません。いつかまたそんな自分に戻れる日がくるとは到底、思えませんでした。
弥栄庁舎を追われるように出て、また長い旅が始まります。
35キロは5時間13分。30キロまでの5キロは49分。弥栄庁舎での着替え等の時間を考えると、それなりに頑張っていたようです。
でも、弥栄庁舎までたどり着いた安心感と、次を目指す不安。身体は少しは動いていたけれど、小さなアップダウンはそこここにあり、これから先の26キロが過酷になることは十分にわかっていました。上りはほとんど走れず歩くのみ、下りは辛うじて走っていました。それでも38.8キロのエイドへは、わりと早くたどりついたような気がしました。
40キロは6時間5分。35キロからの5キロは52分。もうキロ10分も越えています。たぶん、上りは全く走れなくなっていたのだと思います。
ランナーしかいない道路を、かなり疲れているまわりの人たちと、抜かれたり、抜いたりしながら前を目指しました。それぞれ走れる時間が違うので、抜いた人にまた追いつかれるとかその逆もたくさんあり、「また、あの人や」みたいなことが何度もありました。そうしているうちに、なんとなく「同志」のような気分になってきました。
42.9キロのエイドから、次の丹後庁舎までは約4キロ。これが結構、長かったです。
飲み物は、あじわいの郷で買った650mlのペットボトルをもって、エイドで水を入れてもらって持っていました。そのペットボトルが、ランシャツの後ろのポケットに入れることができたので、その分、少しは楽に走れたように思います。ランシャツはそういうつもりで選択したのではないけれど、こんな幸運もあり、こういう弱っているときは、小さなことでも「よかった」と思えました。
厳しいけれども、とにかく丹後庁舎へたどり着きたい、そういう思いで前に進んでいました。(45キロは計測忘れてました。)
・丹後庁舎
細い道を進んでいくと、前方にナンバーカードの色が違うランナーをみかけるようになりました。ともに丹後庁舎を目指す100キロのランナーでした。100キロの人たちって、もう85キロ以上走っているんですよね。そういう人たちのほうが元気そうだったりして、あらためて100キロランナーはすごいと思います。わたしもかつて、ここで60キロランナーと遭遇していたなんて、もう想像できませんでした。わたしにとって100キロはもうすっかり遠い過去のことということを痛感しました。それでも、合流したランナーとは、距離は違えども、同志のような思いで丹後庁舎を目指しました。
丹後庁舎は見えているのに、直前に信号待ちがあって、なかなかたどりつけずやきもきしましたが、なんとか時間前に到着しました。先ほどが1分半前ですから、今度は少々、余裕の到着でした。でも、そんなゆっくりしている余裕はわたしにはありません。美味しそうなつみれ汁をパスして、蜂蜜付きバナナを2切れもらって、早々に丹後庁舎をあとにしました。
残り13キロ。40キロ超を移動してきた者にとって13キロはとてつもなく長い距離に思えました。幸いにもこの後は、エイドが2〜3キロごとにあるので、次のエイドを目指していきました。
50キロは7時間51分、40キロからの10キロは1時間46分でした。
丹後庁舎を出たら、キロ10分でも大丈夫と思っていましたが、そんなことを心配しなくても、キロ10分でしか行けていませんでした。
しばらく行くと海沿いのコースになります。
そして間人(たいざ)のあたりでは、家の前に出て応援してくださる人がたくさんいました。その応援が、途切れ途切れなものなので、ほんとうは歩きたいけれども、少し先に応援の人がいるから歩くわけにいかず、歩きたい衝動にかられながらも、わざわざ応援に出て来られている人の前で歩くのは申し訳なくて、必死で走っていました。
一番、嬉しかったのは、夕日の照りつける日本海の景色を見ることができたことです。
この景色が見たかった。
もうすぐゴール、この美しい景色はこのコースを走ってきたことのご褒美のようでした。また、この景色を見ることができました。ここまで頑張ってよかった。何よりも弥栄庁舎にたどり着けてよかった。弥栄庁舎にたどり着いていなければ、今のこの景色はないのだから。ここまでこれた幸運に何度も感謝しながら、夕陽を満喫していました。
55キロは8時間39分、この5キロは47分40秒。
そんなに上りがなかったので、この時間でいけたのかもしれません。
・ゴールへ
このコースがありがたいのが、最後の3キロか4キロくらいから、ひたすら下りということです。下りならなんとか歩かずに行くことができます。
そしてさらに嬉しいのが、ゴールのかなり前から、沿道の人たちが「おかえり〜」と大歓迎をしてくださることです。沿道の人たちに作ってもらった花道を、感謝の気持ちいっぱいで走り続けました。
ゴールのアミティ丹後へは、あと左へ曲がるだけ。
左へ曲がるとすぐに、わかちゃんのMCが聞こえ、名前をコールしてもらえました。
前半は完走など考えていませんでした。
弥栄を通過したことで、もしかしたらという思いはあったけれど、その後もそんなに楽なものではありませんでした。エイドの人たち、沿道の人たち、そして近くを走るランナーたち、みんなにここまで運んでもらいました。
9時間21分12秒。ここまでの5キロは下りだったこともあって42分でした。50キロからの10キロも1時間29分ともっとも「速い」10キロでした。
制限時間の9分前になんとか滑り込み、完走することができました。
完走メダルをかけてもらい、チップをはずして、ようやく解放です。
長い長い9時間21分。ボロボロになりながら、よく頑張りました!
アミティ丹後から宿までは普通に歩いても20分くらいはかかったはず。
体育館で荷物をもらって、クーリングダウンしながら宿まで歩きました。
たぶん、とぼとぼと力なく歩いていたと思います。
この時間、こうやってここを歩いているのも完走できたからこそ。
すべてがプラス志向です。
梅屋さんに着いたら、みんなからの「おめでとう」の言葉。
「まぐれなんです、奇跡なんです、運がよかっただけなんです」。
ほんとうにその通りでした。
すぐにお風呂に入って、その後、夕食。
それぞれに今日のことを話しながらの夕食は、ほんとうに楽しいものでした。
こうやって楽しい時間をもてるのも、後泊のおかげです。
たくさん食べて、たくさん飲んで、たくさん話して。
今日のこの暑い1日、それぞれの闘いの終わりです。
こんなに苦しむとは思っていませんでした。
もう少し楽に走れると思っていました。
ウルトラはそんなに甘くない。
60キロ。
久しぶりのフルを越える距離を走ることができました。
また少しずつ、長く走れるようになっていきたいと思います。
この夏の挑戦はひとまず終わりです。
次、どういう目標になるのかわかりませんが、新たなスタートにむけて頑張りたいと思います。
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