箱根への挑戦。有利、不利はあっても「絶対」はない  高尾信昭(専修大学陸上部監督)

 2000年の箱根駅伝予選会では、15位と専修大学陸上競技部史上最悪の成績を味わう。しかし01年6月の全日本大学駅伝予選会では、誰もが予想外の総合1位で、9年振りに予選会突破を果たすことができました。その原動力は言うまでもなく関東IC2部1万メートルで2位に入賞、全日本大学駅伝予選最終組でもトップの徳本選手(法大)と競り合い、2位に食い込んだ虎沢の急成長であった。しかし、その虎沢が進級問題の悩みで7月のユニバーシアード予選を終えた直後から、走る気持ちの糸が切れて「心ここにあらず」。説得に努めるも8月の北海道合宿を辞退してきた。
 独眼流の異名をとった伊達政宗は、暗闇で忍者に吹き矢で片目を射抜かれたとき、見えるもう片方の目をあえて手で押さえて次の体制に備えたと聞く。それでなくても選手層の乏しいわが陣容にあって、虎沢を欠くことは致命的。だが箱根予選会まで残り2ヵ月、もう彼に頼るわけにはいかない。
 北海道合宿は故障の高瀬を加えて15人でスタートするが、すぐに新たな故障者が出て、走れる選手は12人となる。「誰かがやるだろうではなく自分がやらないと走る選手はいない」と私は言い切った。箱根駅伝を目指しての合宿だが、エースが抜けて他の選手への負担は大きい。まだうちにはプレッシャーをエネルギーに代える力の選手はいないので、いかに平常心で臨めるかに努めた。
 相手に簡単に勝たせる方法、それは自分が諦めること。勝負事はやってみなければわからない。
 「有利、不利はあっても絶対はない」
 関東ICで入賞している矢吹、吉川をはじめ長い距離に課題をもつ選手が多かったが、全日本大学駅伝予選をトップで通過した自信が選手のやる気を喚起した。合宿では「無理するな」とは言っても「頑張れ」とは言わなかったが、選手は意欲的に練習に取り組んでくれた。少人数で箱根駅伝を戦うには、「気持ちを熱く燃えさせて」楽に走らせること。これ以上、故障者を出さずに選手の持ち味を生かすには、じっくり後半勝負の練習しかなかった。
 10月20日(土)箱根予選会。チームは攻めの戦略が立てられる力強さはなく、前年15位の成績で後列スタートのために中間地点の10キロから追い上げる作戦を取った。昨年は、全員が自分の力を100%出そうという思いが気負いとなって失敗しているが、駅伝は10人が90%の力を出し切ればそれがチームにとって100%であることを徹底させた。若い選手の価値観は、善悪ではなく好き嫌いで判断することが多いが、今回はみんなが言われた指示をよく守り、これ以上ない力を出し切ってくれた。
 スタート時間が前年の14時から8時半に変更になった影響もあり、全体的に記録がよかったが、行友、矢吹は60分台、吉川、福地、乙訓は61分台と期待通りの走りを見せる。大会直前にやっと調子を取り戻してきた飯島、高瀬、田村や予想以上の大健闘。伊藤、佐藤も後半よく粘り、10人が20キロの自己記録を更新した。上位10人の前、後半のタイム差は一人平均9秒と、後半の落ち込みをしっかりカバーして、昨年の15位から総合5位に躍進する成績で、箱根駅伝出場に返り咲いた。
 戦略には「正」(オーソドックスな攻め)と「奇」(奇策)の限りない組み合わせがある。後半勝負の戦術はいくつかの理由があったが、本来私の望むものではなく、3年間予選会で不覚をとってきた悪い流れを変えるためのいわば苦肉の策である。相手が落ちるのを待つのではなく、相手の力が発揮されても勝てるチーム作りを目指さなければ箱根駅伝では闘えないだろう。
 予選会に全力を注ぎ、選手には箱根駅伝の準備を遅れさせたが、予選会を勝ち抜いた総合力を、新春の箱根路で再度発揮できるよう最善を尽くしたい。

*「ランナーズ」2月号より
  市民ランナー対象の雑誌ですが、学生、実業団の話題も積極的にとりいれています。
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