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「角川ホラー文庫」と「新潮書下ろしエンターテインメント」

 死者の代弁者さんの「ホラー文庫と直木賞」より

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(坂東眞砂子さん、小池真理子さん、篠田節子さんらの)直木賞の受賞が角川ホラー文庫のセールス面に影響があった、ということは、多分に考えられそうですね。
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 この発言に対し、次のようなコメントが三枝さんからなされました。

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(前半省略)【直木賞作家をホラー分野に起用することによって、角川ホラー文庫は売れた】という推測が大きな誤りであることは、はっきりとわかります。
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 私が何か言うよりも、ここでは死者の代弁者さん本人のコメントを読んでいただいた方がいいでしょう。次の発言は、この三枝さんの発言を受けてのこだまのあとだま掲示板での死者の代弁者さんによるものです。


死者の代弁者 またやっていますね 1999年09月22日(水)16時10分46秒

サイファイ伝言板。

直木賞の受賞が角川ホラー文庫のセールス面に影響があった、ということは、多分に考えられそうですね。

という私の発言と、

直木賞作家をホラー分野に起用することによって、角川ホラー文庫は売れた

という三枝さんのパラフレーズは全然違うんですが。

まぁ、いつものことですし、三枝さんの相手をしていると無駄が多くなるだけなんで、こちらでフォローしておきます。

私の主張は「直木賞作家が直木賞を受賞する前に書いていた、ホラーというジャンル、および角川ホラー文庫というレーベル、という位置づけは、ホラー文庫のセールス段階でのメリットになったのではないか(その可能性も、多分にある)」ということですね。直木賞の受賞作家が、受賞の後に角川ホラー文庫に書いた(から、ホラー文庫は売れた)、なんて主張をしている人は、誰もいないと思うんですが。

例によって「○○(←この部分には三枝さんの誤読が入ります)という主張をしている人がいますが、そのようなことはありません」(今回は「○○という推測が大きな誤りであることは、はっきりとわかります」)発言ですか。前提部分(=そういう推測がある、ということ)からすでに間違っているんだもんなぁ。

この記事にコメント、この記事自身、スレッド


 三枝さんは見事に死者の代弁者さんの意見を誤読しているわけですが、さて、この三枝さんの誤読がいかなる発展をとげるか、とりあえずざっと見ていただくことにしましょう。(以下、[ ] 内敬称略)

三枝さん、ROMはもうやめたんですか[四不人] より

>【直木賞作家をホラー分野に起用することによって、角川ホラー文庫は売れた】という推測が大きな誤りであることは、はっきりとわかります。
 これがどなたの推測のことかは分かりませんが、「ラインナップに入っている作家が直木賞を受賞したことで角川ホラー文庫の売り上げが伸びた」という可能性は十分あるでしょう。死者の代弁者さんも「直木賞の受賞が角川ホラー文庫のセールス面に影響があった、ということは多分に考えられそう」と書いておられましたけど、可能性は高いのでは。

そんな直木賞効果きいたことがない[三枝] より

》「ラインナップに入っている作家が直木賞を受賞したことで角川ホラー文庫の売り上げが伸びた」という可能性は十分あるでしょう。

それは直木賞というものの影響を故意に大きく考えたのでは?
直木賞ってのは、その特定作家の売り上げは飛躍的にのばすけれど、その作家が参加したシリーズ全部の売り上げを伸ばすようなものではありませんよ。

実現には莫大な先行投資が[四不人] より

 直木賞をとる → その作家の本が軒並み売れる → その作家の本が属するレーベルを手に取る人が増える
 というメカニズムはあり得そうな気がしますが。ただ、「ある・ない」は議論ができるけど、「あるはず・ないはず」は水掛け論になるので、まあどうでもいいんですけど。「ない」と断言なさっている訳じゃないでしょうから。

意見、ってのはやはり「ありません」「あります」で言うべきなんだろうな[死者の代弁者] より

直木賞効果、ってのは一人ではだめでしょうが、複数人いると(あるいは、複数回候補になるとかすると)ジャンル的イメージのイメージ・アップとか、一般読者への印象づけには効果があると思うんですよね。かつてのSF業界において、小松・筒井・半村の作品が直木賞の候補になったことなどは、SFおよび早川書房の出版物を、一般の本好きな人たちに手に取らせる効果はあったと思います。今ならもっと、一般的な文学賞の宣伝効果はあるでしょう。ここらへんも「思う・思わない」「あるはず・はずがない」というレベルなんで、水掛け論かな。

直木賞の作家はある程度の経験のある人[三枝] より

》直木賞をとる → その作家の本が軒並み売れる → その作家の本が属するレーベルを手に取る人が増える
》というメカニズムはあり得そうな気がしますが。

そういったことは、当の直木賞受賞作「山妣」の出た「新潮書下ろしエンターテインメント」で起こりましたか?
たとえば、今回桐野夏生氏と佐藤賢一氏が受賞しましたが、その効果で、それぞれの作家の出身母体である江戸川乱歩賞と小説すばる新人賞の受賞作が軒並み売れるような現象は起こっていますか?

》ただ、「ある・ない」は議論ができるけど、「あるはず・ないはず」は水掛け論になるので、まあどうでもいいんですけど。「ない」と断言なさっている訳じゃないでしょうから。

私はないと思います。
直木賞は芥川賞と違って、ある程度経験を積んだ作家に送られる賞です。
その作家が書いた全作品どころか、受賞作以外が所属する叢書シリーズが全部売れたならば、はっきり言ってエンターテインメントのたいていの叢書が「売れるようになる」でしょう。
それくらい直木賞は歴史があって、受賞者が多いのです(たしか年の二回も選考会があるのではありませんか?)。
現在順調に続いているエンターテインメントの叢書シリーズで、直木賞受賞者が書いていないシリーズは、いったいどれくらいの割合あるんでしょうかね?

論理の組み方があまりに甘いですね[三枝] より

》一人ではだめでしょうが、複数人いると(あるいは、複数回候補になるとかすると)ジャンル的イメージのイメージ・アップとか、一般読者への印象づけには効果があると思うんですよね。

それは本当でしょうかね?
それならば「候補になったが落選した」SFで効果があったとされるのはどうしてですか?
候補になっただけで効果がある?

それから、ホラー文庫の場合、卵と鶏の関係をごちゃまぜにして話してはいけないのではありませんか?
直木賞受賞がホラー文庫参加から後だったのは坂東眞砂子氏だけですよ。

水の掛け合いをするならつきあいますけど[四不人] より

>そういったことは、当の直木賞受賞作「山妣」の出た「新潮書下ろしエンターテインメント」で起こりましたか?
>たとえば、今回桐野夏生氏と佐藤賢一氏が受賞しましたが、その効果で、それぞれの作家の出身母体である江戸川
>乱歩賞と小説すばる新人賞の受賞作が軒並み売れるような現象は起こっていますか?

 えーと、まず第一点。「レーベル」と言うからには、ある特徴で消費者に簡単にはっきり他と区別できるようなものを指すと思いますよ。「角川文庫」ではなく「角川ホラー文庫」のように。前者はいろんな分野を含んでいて「新潮文庫」との違いははっきり分かりませんが(もちろんカラーの違いはあるでしょうが)、「角川ホラー文庫」と「中公文庫」の違いが分からないという消費者は少ないでしょう。その意味で、「新潮書下ろしエンターテインメント」は適切な例ではないでしょう。

《中略》

 もしも直木賞のレーベル効果(仮称)が「ない」ということを論証するなら、例えば「角川ホラー文庫」の売れ行きは坂東眞砂子、小池真理子、篠田節子らの直木賞受賞によってほとんど影響を受けなかった、ということを示さないと難しいと思いますけど。

>直木賞ってのは、その特定作家の売り上げは飛躍的にのばすけれど、その作家が参加したシリーズ全部の売り上げを伸
>ばすようなものではありませんよ。

 第二に、「シリーズ全部の売り上げを伸ばす」というのは正しい問題設定ではないでしょう。私も死者の代弁者さんも「直木賞受賞者が出たせいで角川ホラー文庫が全て売れるようになる」なんて言ってませんから。「同じレーベルの本を手に取る人が増えて、全体的に良い影響を与えるのでは」ということですね。

新潮書下しエンターテインメント[三枝] より

つまりですね、
もし坂東眞砂子さんの直木賞受賞が売り上げに影響を与えたとすれば、まず最初に受賞作である「山妣」の含まれている「新潮書下ろしエンターテインメント」が売れないといけないわけです。
売れていないとはいいませんが、坂東さんの受賞で売れるようになったといった現象はありましたかね?
この叢書シリーズでは、今年の受賞者佐藤賢一さんの作品も出ているのですが。


 この一連の議論において、三枝さんはある論理のすりかえを行っています。
 元の主張は

(坂東眞砂子さん、小池真理子さん、篠田節子さんらの)直木賞の受賞が
角川ホラー文庫のセールス面に影響があった

であったのに、

ある作家が直木賞を受賞する

その作家が作品を出しているレーベルは売れるようになる

だから直木賞作家をホラー分野に起用することによって、角川ホラー文庫は売れた

という主張を作り出し、それに対する反論を、死者の代弁者さんの主張への反論としているわけです。この後、三枝さんのデタラメな論理はさらに迷走の度を深めます。続きを見ていきましょう。


『誤変換指南』2[だーまえ] より

ちなみに私は死者の代弁者さんの推論を支持します。角川ホラー文庫のような、ある意味わかりやすい形で他と差別化されているレーベルが何かの賞を受賞した作家の作品に含まれていた場合、レーベルの認知度や印象の向上に繋がるでしょうから。

本の連鎖[ぐりふぉん] より

一冊の本を読んで「面白いもっと読みたい」と思った時読者がどうするかと言えば【同じ作者の別の本を探す】か【読んだ作品と同系統の本を探す】だと思うんです

それで、あるジャンルを中心に読んでいる人が別のジャンルの本を読み始めるきっかけの一つとして
好きな作家の別ジャンルの本を読む>そのレーベルの別の作家の本を読む
という繋がりは十分考えられるというか身に覚えのある事ですよね

「角川ホラー文庫のような、ある意味わかりやすい形で他と差別化されているレーベル(byだーまえさん)」というような場合「食わず嫌い」で読まないひとって多そうじゃないですか、ホラーとスプラッターを混同してるとか

そう言う意味合いで作家繋がりでレーベルに対する偏見がとけそのレーベルの売れ行きが伸びるってのは十分に考えられると思います。

っていうか、それを前提にしないとここの論議って成立たない気が・・・

そこなんです(「サイファイ構想」の意味)[三枝] より

根拠は?[三枝] より

と学会が何故成功したのか考えてみるのもいいかも[ぐりふぉん] より

商業的に成功が期待できる[三枝] より

系統とは何[四不人] より

>しかしそれよりも、小池真理子氏、篠田節子氏は「人気作家」だ。人気作家の本があるので、平均して売り上げが良くなると考えた方が自然なのでは?

 私はそれで結構です。「直木賞受賞」によって「人気作家」になる場合(小池・篠田両氏は違うでしょうが)もあるでしょうから、三枝さんと私の間の内容の違いはないですね。

やはり評価されるべきですよ>ホラー文庫[三枝] より

坂東さんの直木賞受賞作の「山妣」が新潮書下ろしエンターテインメントに収録されていたことをご存知だった方はどの程度いらっしゃいますか?
また、「山妣」を読んで面白かったので、他の新潮書下ろしエンターテインメントの作品を読もうとお考えになった方は、実際にいらっしゃいますか?(大変良い作品のそろった叢書シリーズで、そういう読み方をしても損は絶対しないと思うのですが。)
また、新潮書下ろしエンターテインメントに坂東さん以外に寄稿された作家さんのお名前を5人以上あげることができる方はいらっしゃいますか?
いずれもあまり多くはないのではありませんか?
対して、坂東さんの「蟲」が角川ホラー文庫に収録されていることはあまりに有名です。
それはホラー文庫の統一された装丁デザインによるものではないでしょうか?

有名作家をつかっても、そこでつかんだ読者を叢書全体の読者にするためには、それが一つの叢書シリーズだとよくわかる統一イメージが必要なんです。
その統一イメージを、装丁という方法で上手に提示したホラー文庫は、やはり巧かったのではありませんか?

角川ホラー文庫はもちろん評価しています[四不人] より

>それから、人気作家に書いてもらうだけでは、叢書シリーズ全体の好調原因にはなりにくいことも指摘しておきたいと思います。

 この点については、前に書いたことの繰り返しになりますが、「レーベル」と言うからには、「新潮書下ろしエンターテインメント」は適切な例ではないでしょう。

売れた理由は、もちろん一つにはしぼれません。[三枝] より

》「レーベル」と言うからには、「新潮書下ろしエンターテインメント」は適切な例ではないでしょう。

それ、レーベル名なんです。他に「書下ろしエンターテインメントSS」ってのもあったかな。そのあたりうろ覚えですが。
しかしまあ、あまりサイファイとは関係ない議論に持ち込んじゃいましたかね。少なくとも「角川ホラー」ってのは、ジャンル名ではありませんからね。

う〜ん、よくわからないなあ[四不人] より

>それ、レーベル名なんです。他に「書下ろしエンターテインメントSS」ってのもあったかな。そのあたりうろ覚えですが。

 サイファイと関係ないし、見解の相違と言う気がするので深入りしたくないんですが、「角川ホラー文庫の新刊」を探す客というのはいるでしょうが「新潮書き下ろしエンターテイメント」の新刊を探す客っていないような気がする(笑)。「レーベル」だと「出版社」が思っているかと「読者」が思っているかは違う気がするな。

主観の相違にすぎないでしょうが、私は明白だと思います。[三枝] より

》「角川ホラー文庫の新刊」を探す客というのはいるでしょうが「新潮書き下ろしエンターテイメント」の新刊を探す客っていないような気がする(笑)。「レーベル」だと「出版社」が思っているかと「読者」が思っているかは違う気がするな。

まさしく、それが私の言いたかったことなんです。
同じようにレーベルをつくっても、そのレーベルの客というものを生み出すことは簡単ではありません。それに角川ホラーは成功したのです。一目でわかる装丁のおかげです。
こういった装丁に統一をもたせることによって、レーベルの客といったものを生み出すのに成功した例には、他に「新潮ミステリー倶楽部」があります。あの、背表紙が半分白くて指紋が入った本ですね。真保裕一の「ホワイトアウト」が収録された叢書。これも、レーベルで買っていく客がいます。
言っては申し訳ないですが、ぶんか社のホラーなどは、新潮エンターテインメントと同様、レーベルとしての統一感を打ち出してはいなかったと記憶しています。


 ここまでくると「なにをいわんや」な気分になる方も多いと思いますが、三枝さんのデタラメっぷりを一応整理しておきましょう。

 世の中には「反論のための反論」なんて言葉がありますが、三枝さんのこの態度には「反論したつもりになるために反応してみせる」と言った方がふさわしいような、デタラメっぷりというか、人工無能としか思えないようなものを感じてしまいます。
 絶対、自分が何を言っていたのかわかってないよねぇ。とんでもないデタラメな計算の例もあるし…


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