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ロンリー警部補の論理

※強調等の編集はだーまえによるものです。


すてハンドル どーにもならん 1999年08月05日(木)17時39分06秒

あの〜ここまで、ご自分の都合の良いようにこちらの意図を誤解されてはどーしよーもありません。

論理学とか難しいことを言わずともわかりますが、「間違いを指摘している私の論理に間違いがあったからと言っても、私の意見の間違いは立証できても指摘されている方が正しいと言うことにはなりません」、「ご自分が正しいことは正しいと言う証拠でしめしてもらいたい」です。

とりあえず、私個人の感想で言わしてもらうと、ここまで人の意見を誤解して言い訳じみた発言を繰り返し、多くの人から過ちを指摘されながらもそれを認めない三枝さんが支持していることで、充分梅原さんの案はうさんくさく思えてます。

おめーだけだ!と言うでしょうが、そー思う人間が一人でもいると言うことで、ちぇろ子さんの意見の一つの証拠となるのではないですか?

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三枝 やはり、ちぇろ子さんの御意見は間違いですよね。 1999年08月05日(木)18時06分53秒

》ご自分の都合の良いようにこちらの意図を誤解されては

「誤解」ではなく、「論理的に解釈」しているのです。「都合が良い」のではなく、「論理の必然的な帰結」にほかなりません。

》論理学とか難しいことを言わずともわかりますが、「間違いを指摘している私の論理に間違いがあったからと言っても、私の意見の間違いは立証できても指摘されている方が正しいと言うことにはなりません」、

私は自分の意見の正しさの証明をしているのではありません。ちぇろ子さんの御意見が間違っていると言っただけです。
つまりあなたも、その件については同意なさったわけですね?

》ここまで人の意見を誤解して言い訳じみた発言を繰り返し、

「誤解」ではありません。あなたの主張が、ことごとく「ちぇろ子さんの間違いを指摘している」という事実を確認しただけです。
「言い訳」とおっしゃられても、私は何の言い訳もしていません。ただ、「ちぇろ子さんの論理はおかしいですね」と、言っていただけです。

》多くの人から過ちを指摘されながらもそれを認めない

「過ちの指摘」とおっしゃっても、「おまえは間違っている、理由はない」とおっしゃられるのでは困ります。宗教ではないのですから、理由もなく納得はできません。

》ちぇろ子さんの意見の一つの証拠となるのではないですか?

あなたも間違っていると認めるちぇろ子さんの御意見が証拠では、どうやって信用すれば良いのでしょう?

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ロンリー警部補 なにが「論理の必然的な帰結」なものか。 1999年08月05日(木)18時16分33秒

三枝くん、あなたの論理は間違っているよ。
論理学を勉強しなおしたまえ。

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三枝 だーかーらー 1999年08月05日(木)18時22分34秒

「おまえは間違っている、理由はない」では、誰も納得しないでしょうが(笑)。

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ロンリー警部補 オーケー、 1999年08月05日(木)20時05分13秒

では問題点を指摘してあげよう。

まず「すてハンドル」氏の最初の発言を見てみよう。

》もともと、ちぇろこさんは
》「三枝さん」の意見と「小林さん」の意見のどっちに権威があるか?と言
》う話をしているんですが……

》梅原さんに権威があっても、三枝さんにその権威がひっついてくるわけで
》はありませんよ。

ここでの主張は二つ。

1. ちぇろ子さんの話の対象について。三枝さんと小林さんについての話であり、梅原さんについての話ではない、と言っている。(H-1)
2. 権威の関係性について。梅原さんに権威があっても、三枝さんに権威があるということにはならない、と言っている。(H-2)

これに対する三枝くんの問題発言はこれだ。

》だとすると、ちぇろ子さんの御意見は完全な自己矛盾を抱えています。
》三枝がその件について述べることによって、「サイファイ構想の信用が低
》下する」と彼女は言ったのです。
》「サイファイ構想」は梅原さんの提案です。私の提案ではありません。
》私個人の問題にすぎないのならば、関係ない梅原さんの信用が低下するは
》ずはありません。

「私個人の問題にすぎないのならば」というところが論理的に間違いである。
なぜなら、すてハンドル氏の主張は「三枝個人の問題にすぎない」という主張ではないからである。

個人の問題にすぎない、と言えるためには
H-2「梅原に権威があってもそれは三枝の権威には関係ない」
という主張だけではまったく足りない。
NH-1「梅原に権威がなくてもそれは三枝の権威には関係ない」および
NH-2「三枝に権威があっても梅原の権威に関係ない」および
NH-3「三枝に権威がなくても梅原の権威に関係ない」
という主張が少なくとも必要である。(ほんとはもっと要る。)
つまり、少なくとも「梅原→三枝/三枝→梅原」および「権威のある/なし」という二つの点について対称な命題を用意し、それら「すべてについて」関係ない、という主張が存在しなければ「個人の問題にすぎない」とは論理的に同値とは言えない。

これは、論理学の要請である。

よって、H-2だけからはすてハンドル氏が「個人の問題にすぎない」と言っている、とは言えない。
ではH-1はどうか。H-1は「ちぇろ子さんの話の対称」の話であって権威の関係性の話ではない。よってH-1を含めてもすてハンドル氏が「個人の問題にすぎない」と言っているとは言えない。

よって、「だとすると」にひきつづき、「私個人の問題にすぎないのならば」と書くことは、論理的に間違っている。「だとすると」は「すてハンドル氏の言うとおりだとすると」ということであり、そこにはNH-3の不在も含まれるからである。他人の主張を前提とするならば、勝手に前提をつけ加えてはいけない。

これも、論理学の要請である。

おわかりかな?


ところでちぇろ子さんの元の主張はNH-3の否定「三枝に権威がなければ梅原の権威が落ちる」であったと思う。
よってすてハンドル氏の発言は、

》とのタイトルですが、「ちぇろ子さんは正しい、三枝さんの考えは間違っ
》ている」が、私の主張です。

との発言があった時点で、

梅原に権威があっても三枝の権威には関係ないが、三枝に権威がなければ梅原の権威には影響がある」(H-3)
という主張であったと理解しなければならない。

三枝くんはH-3が自己矛盾を含むと思っているだろうが、論理学的にはこれは矛盾してはいない。「三枝」と「梅原」が非対称(入れ換え不可能)であれば矛盾はしないのだ。

そして、ここ掲示板においては「三枝」と「梅原」は著しく非対称である。
なぜなら、ここには梅原自身は登場しないからだ。梅原は三枝が正しく梅原の代弁者であるかどうかについて説明することはできない。よって三枝に権威を与えることはできない。逆に発言をする三枝は「梅原の代弁者」を装うことで梅原に権威を与え(奪う)ことができる。三枝がもし業界の偉い人であれば、三枝の発言は梅原構想に「お墨つき」を与えられたであろう。そして三枝が誤った論理誤った記憶乏しい読解力のもとに間違ったやりかた汚い言葉使いで梅原を「擁護」すればするほど、梅原構想の権威は、落ちていく可能性がある。
梅原は登場せず、三枝は登場する、これが両者の権威の関係性に非対称性をもたらしているのである。

おわかりかな?

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三枝 どんなに論理的でも、結論が間違っていたのではどうしようもないや 1999年08月05日(木)21時08分00秒

ロンリー警部補さんへ

論理的にに反論しようとすれば、それはそれでとても簡単なんだが、それでは小林さんの「なんとしてでも、サイファイ以外の話に話を持っていこう」運動にのっかるだけだから、おつきあいしませんが(笑)。
オーナーが迷惑するので。
そういう話は、まあ、「こだまのあとだま」という、それようの掲示板があるので、そちらでしみじみやって下さい。

ただ、論理を遊んでいるようなので、一つだけ。

》「梅原に権威があっても三枝の権威には関係ないが、三枝に権威がなければ梅原の権威には影響がある」

は、「三枝」と「梅原」が非対称なら、論理的に成立するということだそうで。
で、著しく非対称だから、成立する、という詭弁が出ている。

【著しく非対称だから、梅原さんは三枝ごときの影響はうけない】
実のところが、これが正解。

論理学は中途半端に扱うと、「アキレスは亀に追いつけない」などという、間違った結論に至るので、御注意を。

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ロンリー警部補 君は自分を「論理的」だと言っていたのではないのかね? 1999年08月06日(金)01時58分04秒

》論理的にに反論しようとすれば、それはそれでとても簡単なんだが、それでは小林
》さんの「なんとしてでも、サイファイ以外の話に話を持っていこう」運動にのっか
》るだけだから、おつきあいしませんが(笑)。
》オーナーが迷惑するので。

君が反論しようがしまいが勝手だが、現在ここ「大森サイファイ伝言板」には「大森なんでも伝言板」のローカルルールは適用されていないはずだ。
よって、君の論理的矛盾を暴くことは、誰にとっても自由なのだ。
残念だったね。


》》「梅原に権威があっても三枝の権威には関係ないが、三枝に権威がなければ梅原
》の権威には影響がある」

》は、「三枝」と「梅原」が非対称なら、論理的に成立するということだそうで。
》で、著しく非対称だから、成立する、という詭弁が出ている。

》【著しく非対称だから、梅原さんは三枝ごときの影響はうけない】
》実のところが、これが正解。

またしょうもない発言をしてくれるものだ。

まず、私はH-3が論理的に成立する」(NL-1)とは書いてはいない。
正確に引用したまえ。
何度、何人から「勝手なパラフレーズをするな」と言われたらわかるのかね?

#他人の発言を正確に理解しようとすること、それがあらゆる議論の基本だ。
他人の発言を勝手に置き換える君には、まともな議論をする資格はない。
(だから私のこれは議論ではない。説教だ。)

さて、私の書いたことは、正確には、H-3という言明それ自体には自己矛盾は含まれていない」(L-1)ということだった。

またたぶん君は間違えたのだろうが、自己矛盾を含まない、ということは、必ずしも「論理的に成立する」ことを意味しないし、「常に正しい」ということも意味しない。自己矛盾がない、ということは、成立する場合がある、よって棄却はできない、ということに過ぎない。

#君の論理的盲点はわかっている。君は「場合もある」という特称命題をしょっちゅう「常にそうである」という全称命題と読み間違ている。今回もそれだろう。
(と説明しても君にはわからないだろうが。)

よって、君が私の「結論」だと思っているもの(NL-1)は、私の結論(L-1)ではない。

それが論理学の要請だ。

さてNL-1L-1は論理学的には同値ではないから、否定するための条件も違う。
H-3についての私の真の「結論」L-1を「間違っている」と言いたいのだったら、君は常にH-3は成立しない」(AL-1)ということを論理的に証明しなければいけない。

特称命題の否定は、全称否定命題でなければならない。
これも、論理学の要請だ。

よって、著しく非対称だから、梅原さんは三枝ごときの影響はうけない】S-1
という命題を使って、私の「結論」L-1を否定したいのであれば、
S-1H-3は両立しない」(NS-1)ことの証明と、
S-1が常に正しい」(NS-2)ことの証明が必要になる。

それによってはじめてH-3が常に成立しない」(AL-1)という全称否定が証明できるのだ。

さてさて、君が「実のところ、これが正解」と書いているS-1だが、「正解」であるという理由の説明(NS-2の証明)はしないのかね?
君は他人に対しては理由を説明しないと文句を言うくせに。
そういうのを、自分勝手なやつと言うのだ。

私はL-1H-3は『三枝』と『梅原』が非対称である場合、自己矛盾しない」(L-2)と証明している。なぜなら、H-3を自己矛盾させるには、『三枝』と『梅原』の語句を交換しなければならないことは自明だからだ。
(これは実に簡単な論理であって、もちろん詭弁ではない。まあ三枝くんは私の主張をNL-1と誤読しているので詭弁と思ったのだろう。誤読したあげく中傷するとはね。やれやれ。)

一方、三枝くんのS-1は、まったく証明されていない。
『三枝』と『梅原』を交換不可能としても、「三枝さんは梅原ごときの影響はうけない」が不可能になるだけで、「梅原さんは三枝の影響をうける」の可能性は消えないからだ。

よって、三枝くん、S-1を「これが正解」と主張をして、誰かを納得させたいのなら、論理的に証明をしたまえ。
さらに、S-1を「正解」とすることで私のL-1の反論としたいと思うのならNS-1NS-2の証明もしなければならないよ。

それが論理学の要請だ。

おわかりかな?

そのくらいのこともできないのなら、「論理的に必然」だとかバカなことを言うのはやめたまえ。論理学に対する侮辱だ。

誰も納得しなくともただ荒野に向かって「アタシが正しいのよおおっ」と叫んでいたい、というだけなら別に止めはしないがね。
声の大きいほうが正しいと思う輩もいるようだから、それはそれで戦術としては正しい。
だが、それは「論理的」でも「必然」でもないぞ。


》 論理学は中途半端に扱うと、「アキレスは亀に追いつけない」などという、間違っ
》 た結論に至るので、御注意を。

論理学をかじったことすらないだろうに、知ったふうなことを言うものではない。
そういうのを、いわれなき中傷というのだよ。

君が「論理的である」と間違った主張をするのをやめ、
他人の発言を誤って引用/要約するのを気をつけ、
他人にいわれなき中傷をするのをやめれば、
君がいう「本題」の話をするのもずいぶん楽になるだろうよ。

おわかりかな?

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ロンリー警部補 あらかじめ言っておこう 1999年08月06日(金)05時18分07秒

君の論理的盲点は知っているから、君の間違え方も想像がつくよ。

S-1【著しく非対称だから、梅原さんは三枝ごときの影響はうけない】
という言明は、確かに正しい場合がある。
それは、「梅原」を「梅原克文自身」の意味とし、「三枝」を「三枝自身」とする時(IF-1)、そして「非対称」を「三枝は梅原の文を読むが、梅原は三枝の文を読まない」の意味とする時だ(IF-2)。
実際、我々が普通に「梅原さんは三枝ごときの影響はうけない」という言明を聞いた場合なら、IF-1かつIF-2の意味で解釈するのが当然であり、それはまたIF-1かつIF-2の条件下にある限りほぼ「常に正しい」と言える。

そこで、三枝くんは間違えてしまったんだろうと思う。

H-3を含む文脈において問題になっていたのは「掲示板読者にとっての梅原の権威」と「掲示板読者にとっての三枝の権威」との関係性であった。
よって、H-3およびL-1においての「梅原」および「三枝」は「梅原克文自身」の意味や「三枝自身」の意味ではありえない。「読者にとっての梅原のイメージ」および「読者にとっての三枝のイメージ」の意味である(IF-3)。「非対称」もまた意味が違う。交換不可能という意味であり(IF-4)、掲示板においては「梅原は登場せず、三枝は登場する」ということで交換不可能性が達成されているわけだ。

H-3L-1を含む文脈は、IF-3かつIF-4の条件下にある文脈である。よって、IF-1かつIF-2の条件での「正解」なんぞには、まったく意味がないのだ。まったく。

それが、論理学の要請だ。

つまり(この解釈における)S-1は、H-3と同じ語句をまったく違う意味で用いているのであるから、S-1H-3とは論理的にすれ違ってしまって互いに矛盾することができない。つまりS-1H-3は両立できるのであり、NS-1は棄却される。
よってAL-1は成り立たず、S-1を「正解」と主張することは、L-1にとってはなんのダメージにもならない。
よって私の「結論」L-1が間違っている、とは言えない。以上。

おわかりかな?

たぶん三枝くんは、言明S-1を思いついた段階で、もともとの文脈の条件IF-3かつIF-4を忘れてしまって、IF-1かつIF-2の条件下で「常に正解」(これはかなり自明)だからオッケーと思ってしまったんだろう。大間違いだよ。
これは「文脈の無視」という悪行をしてくれたことになる。論理学的には一つの論証の中で同じ語句を違う意味に使ってしまっているわけで、初歩的な論理エラーである。


#もしIF-1かつIF-2の意味ではなく、H-3と同じ意味(IF-3かつIF-4)のつもりだと言うのなら、非対称「だから」の意味を私は知りたいね……。

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…この後三枝さんからロンリー警部補へのコメントはなされていない…


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