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※[ ]…発言者(敬称略)
●98/12/18付けの梅原書簡より引用
(http://www.din.or.jp/~aoyama/index.html#recent参照)。
>・「SFマガジン自体は黒字らしい」
> それは絶対にありません(笑)。
> 某出版業界人が証言しました。「書店で平積みになっている月刊小説誌もほとん
>どは赤字だ」と。
> となると、SFマガジンのように、書店で平積みにされていない月刊小説誌が黒
>字のはずがありません。
> やはり、ペリー・ローダンと、グイン・サーガで、赤字を埋めてもらっているの
>だろう、と私は確信します。
梅原さんがなにをどう確信しても勝手なんですが、ぼくの確信する事実とはあまりにも違うので、一応書いておきます。
SFマガジンは基本的に独立採算で、基本的に黒字です。
《文学界》《新潮》などの文芸誌はもちろん、《小説新潮》《小説すばる》《小説現代》などの中間小説誌が毎月莫大な赤字を出しているのはまちがいないでしょう。
赤字の最大要因はなにか? 原稿料と人件費です。500ページの小説誌には、少なく見積もっても1000枚の原稿が掲載されます。その原稿料が最低でも500万。専任編集者の数は5人から10人ぐらいで、大手出版社の場合、その平均年収は1000万程度になるでしょう。これまた思いきり少なく見積もっても、編集人件費だけで月額500万。これだけで合計1000万。
このほかに、写真、デザイン、校閲、接待、取材などの経費がかかります。直接製作費(印刷・製本)をべつにしても、一冊の月刊小説費の編集にかかる経費は、雑誌によっては2000万ぐらいにもおよぶかもしれません。こんなものが黒字になるわけがないというのが出版界の常識。
しかし、SFマガジンをこういう一般の小説誌と同列には論じられないのは明白。なにしろ編集者は二人しかいません。接待費、取材費はほぼゼロ。平均ページ数は他の小説誌の半分程度で、支払われる原稿料も(独立採算維持のために)低く抑えられています。編集経費は、一般小説誌の5分の1〜10分の1程度じゃないでしょうか。
思いきり単純化して試算してみましょう。
たとえば、1000円の雑誌を1万部売れば、売り上げは1000万。製作コストと流通コストをさしひいて、200万〜300万程度の利益が残ります。編集経費がこの範囲内におさまれば、黒字の小説誌が成立します。じつは、小説雑誌を赤字にしないのはそんなにたいへんなことじゃないんですね。
大手出版社の小説誌は、実状とかけ離れた原稿料・人件費を支払っている、というのが赤字の最大原因です。身の丈にあった経営をしている小説誌(《SFマガジン》とか《幻想文学》とか)が巨額の赤字に苦しむことはありえません。
むしろ、早川書房の場合には、雑誌連載の単行本化が利益を生まないことにあるんじゃないかと思いますが、それはまた別の話。
MLやニュースグループやパソコン通信会議室で、「梅原克文の書簡で読みましたが、《SFマガジン》は大赤字でたいへんだそうですね」とか、無根拠な風説の流布に荷担している人を見かけたら、できれば注意してあげてください。
ついでにもうひとつ、
「大衆娯楽小説もSF、超メタ言語的な小説もSF」がSF低迷の原因だ説について。
「大衆娯楽小説もミステリ、超メタ言語的な小説もミステリ」と呼ばれているのに、ミステリが売れていることを考えれば、そういう問題じゃないことは明白では。
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要するにSFは大人の娯楽としてはフォーサイスとキングに負け(クライトンがひょっとしたら露払いだったかも、そのあとからクーンツがやってきてだめ押し)、子供の娯楽としては(少なくとも日本では)マンガとアニメとゲームに負け、ニューウェーブは主流文学に負け(ピンチョンやバースが出てきて、日本じゃ大江があんな風になり、村上が登場し)、ということですか。でも「ニューウェーブが主流文学に勝てなかったから、本流SFは娯楽としてフォーサイスやキングに勝てなかったんだ」てな話にはなんないすね。あれ? 梅原さん別にこんなことは言ってないかな?
でも梅原さんの恨み節ってなんか子供っぽいなあ。だって戦後日本SFの第一世代ってもともと焼け跡闇市派って言うか、ポスト「戦後文学」なんでしょう。荒巻義雄氏なんか典型的だったけど、主流文学へのコンプレックスと恨み節なんて相当なもんだったと思う。つまりもともと文学な人たちが始めた文学運動だったんじゃないの? もともと文学な人たちにとって、梅原さんの批判は別に痛くないんじゃないの? 村上春樹が売れてることの方が痛いかも。
梅原さんの恨み節自体、案外第一世代SF作家の主流文学へのルサンチマンの反復みたいなところもあるんじゃないかな?
「仲間内のせまい文学(SF)理念に凝り固まって、そんなんじゃダメだ」てな感じ。でも自分でも別のせまい城を造って立てこもっちゃってるのでは。
梅原さんは、立派な娯楽作家を志し、その志通り売れて支持されてるんだから、自分のことだけ考えて、SFのことなんか気にしないでもっと堂々としてればいいのに。それに、筒井康隆氏やニューウェーブばっかりじゃなくて、「未来学」とか「文明批評」にうつつを抜かした小松氏や「と」に走った平井氏や荒巻氏を何で批判しないんだろ。その辺もわかりませんね。(してるんだったらごめんなさい。私が青山さんのページで見た限りでは何かあんまりその辺の話はしてないような記憶しかないです。)
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どうもはじめまして。
SFでご飯食べているつもりの森岡浩之という者です。でも、梅原さん的には「洗脳されたスペース・オペラ作家」になるのかも(笑)。
梅原書簡を読んでいてまず強く感じるのは、梅原さんが前提としている現実と、わたしが認識している現実にかなり隔たりがある、ということですね。
なにぶん小市民なものですから、自分だけがそう感じているなら不安になってしまうのですが、「なにも知らないことに勝手なことをいって」と怒っている人や、「梅原さん、プロの作家なのに、なぜこんな素っ頓狂なことをおっしゃるんですかねぇ」と不思議がっている人がけっこういらっしゃるんで、ひと安心。
細かなツッコミをしていたらきりがないし、そういうことはもっと閉鎖的な空間で隠微にやったほうが楽しそうなので、このところの論議に関係ありそうなところだけ触れます。
そもそも「SF=超メタ言語フィクション」なんてイメージがそれほど一般的なものでしょうか。
梅原さんの仮想する「大衆読者」ってけっこう謎めいた存在だ、というのが正直なところです。
だって、そうでしょ。ファンとしては不本意ですが、SFにあまり親しんでいない人にとってこのジャンルのもっとも一般的なイメージって、「未来や宇宙のお話」ってところじゃないですか。
そりゃ統計をとったわけではないので断言はしませんが、個人的体験からいえばそうなります。
自分の職業をいうと、「なるほど、宇宙とかの話を書いているんですね」みたいな納得のされかたをされるケースがもっとも多いですから。すくなくとも、「では、超メタ言語フィクションをお書きなのですか」といわれたことはないぞ。一回だけのレア・ケースとして「はあ。じゃあ、大霊界みたいなのを?」と訊かれたことはある(笑)。
ですから、「SFは出版社がいやがる」というのは「宇宙や遠未来が舞台の話はなかなか出してもらえない」ということだと解釈しています。
じっさい、「架空戦記の依頼は嫌ほど来るのに、SFはこちらから頼んでも書かせてもらえない」とか「異世界ファンタジーの企画ならすんなりとおるのに、スペオペはぜんぜんダメ」みたいな話をいくつかききました。もっと愉快な話も耳にしたけれども、さすがにこれはぼかした形でも書けないや。
それなのに、梅原さんはこうお書きになる。
#1998・10・21づけ書簡
>青山氏は、「スペース・オペラはブランドにはならない」、といった悲観的な内容の手紙を書い
>ておられましたね。
>しかし、私が見たところでは、「スペース・オペラ」は、すでに立派なブランドですよ!
>つい数日前も書店で、森岡浩之氏の「星界の紋章」シリーズの最新刊を見かけました。あのシ
>リーズはヒット作であり、文庫のベストセラーだそうでは、ありませんか。
>しかも、数日前に見た「星界の紋章」シリーズの最新刊には、紙帯に、堂々と大きな活字で、
>「スペース・オペラの傑作!」と書いてありました。
>要するに、早川書房の社員も、「SF」と銘打つと売れないが、「スペース・オペラ」と銘打
>つと売れる、という現実に気づいたから、こうなったのでしょう。
>ですから、今後は、「スペース・オペラ」こそがブランドでしょう。
>私は自信を持って、そう断言します。
いや、梅原さんに悪意がないことはわかっています。むしろ好意的に言及してくださったおつもりなのかも、という気すらします。
それでもやっぱり、「なにも知らないくせに、よくいうよ」という感想が出てきます。
ほんとに他人の苦労も知らずによくいってくれるもんです。「スペース・オペラと銘打つと売れる、という現実」なんてどこにあったというんでしょう。
「スペース・オペラ」が商業的に成功するのは難しいことを踏まえて、わたしはあの作品を書きました(オレ的には『星界の紋章』はスペオペじゃないんですが、それは別の話だし、スペオペと受け取られる可能性があるのは百も承知だったから、ここでは触れないでおきましょう。セミナーにでもとっておくかな)。
最大の動機はああいう話が好きだからですが、商業的な戦略としては、宇宙SFでもジャンル外の読者を獲得できること証明したい、ということがありました。
もちろん、成功するという確信はありませんでした。作者にも出版社にも。刷り部数は最低。そのうえ、すこしでもましな数字を出すために、発行を4カ月遅らせることを編集者は提案しました。
'95年12月に出すことも可能だったのですが、本は4月によく売れる傾向があり、また'96年4月はハヤカワ文庫JAの新創刊1周年で、すこしは宣伝広告の予算もとれるからです。「どうせ出すまでに2年待ったからあと4カ月ぐらいいいや」という気持ちで了承しました。
あんまり「苦労した、苦労した」と騒ぐのは趣味ではありませんからこのあたりにしておきますが、とにかく不安が大きかっただけに、成功したときの喜びもひとしおでした。
成功しないと思われていた分野でそこそこの結果を得たというのは誇りですし、SF作家・森岡浩之の数少ない武器でもあります。活用方法も思案中。
それを梅原さんは帯のキャッチコピーだけを根拠にして踏みにじってくれたわけです。
まったく、トンデモ話で人の商売をじゃましないでほしいな。
「梅原さんって、ブランドということばのもとに、作家属性とジャンルとキャッチコピーをごっちゃにしているんではなかろうか」という気がしますが、氏のなさろうとしていることに深入りするつもりはありません。
梅原さんとわたしでは、現状認識ばかりかSF観も大きくちがうので、氏の目的がSF界の改革だったりすると、深刻な対立が生じるところですが、サイフィクトというものを打ちだした時点で、それは梅原さん個人の商業戦略になったのですから、他人がどうこういうことではないでしょう。
わたしはわたしなりのやりかたでSFの隆盛と自分自身の幸福のために仕事するだけです。
ただ、梅原さんの前提としている現実がSF界の真実のように受け取られて一人歩きしてしまうと、不快だし、ある種の危惧を覚えます。
SFプロバーの生産者のひとりが「あんまり梅原さんのいうことを鵜呑みにしないでほしいな」と願っていることを知ってくだされば幸いです。
ああ、もちろん、「可哀相に、森岡浩之はSF作家倶楽部にヨクアツされていいたいこともいえず、あげくにセンノーされて、スペース・オペラ作家のくせに超メタ言語フィクションを守るためにこんなことをいいたれているのだなぁ」とお思いになるのも、自由ですけれどもね。
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>>ホラー文庫のマーケティング
角川書店がホラー文庫、日本ホラー小説大賞をはじめたのは、角川春樹・角川書店社長(当時)の鶴の一声によるものだったと理解してます。マーケティングの結果じゃなくて、天の声。現場の編集者のあいだでは、「ホラーなんか売れるわけないのに」と思ってた人が多かったのでは。
ところがびっくり、SFの看板をホラーにかけかえたベストセラーが続出、さらにサイコサスペンスまでとりこんで、ホラーは急速に「売れるジャンル」に変貌した、というのが大森の理解です。
それ以前のキング、クーンツはそれなりに固定読者をつかんで成功してましたが、あんまり関係はないでしょう。
>>サイフィクトの定義
「やさしいSF」というパラフレーズにはたしかに多少の悪意があるかも(笑)。
「いままで一冊もSFを読んだことがない人でも抵抗なく読める」という意味です。
現実社会を舞台にしていることが前提条件だと思うけど。したがって、いくら娯楽性が高くてもワイドスクリーン・バロックは含まれないでしょう。『知性化戦争』や『エンダーのゲーム』もだめ。たぶんそっちは、(宇宙SFではなく)「スペースオペラ」という言葉の拡大解釈によって面倒をみることになるのでは。
で、サイフィクト切り離しに関して言うと、歴史的に見ると切り離されるのが必然って気がしないでもない。この20年の日本SFの歴史は、次々に領土を失ってゆく歴史だったわけです。
ひかわ玲子さんが言うように、かつては異世界ファンタジーもSFの仲間だった。架空戦記もスーパー伝奇も近未来ポリティカルサスペンスも、みんなSFだった。ところがどんどん分離独立が進んで、
「え? 《銀英伝》ってSFなんですか?」ってところまで来ちゃったわけですね。『ソリトンの悪魔』は、「ノンジャンル・エンターテインメント」だし。
『BRAIN VALLEY』にしろ『天使の囀り』にしろ『Y』にしろ、SFだと思ってる人は明らかに少数派というのが現状で、「サイフィクトはすでに切り離されている」というのが正しい。
サイフィクト側からすれば、SFとのつながりより、ホラーやミステリとの類縁関係を強調するほうが明らかにメリットがある――と現在は思われているわけです。
梅原さんの戦略は、この現状を追認して、せっかくだからなにか新しい名前をつけ、さらに盛り立てていこう、というものだと思います。
その名前がサイフィクトでは、のってくる出版社はないだろうと、元編集者としては思うわけですが、「ニュータイプ」とか、「スーパーノベル」とか、もうちょっとましな名前(ましじゃないか(笑))をつけて売り出せば、そのジャンルが成功する可能性はあるでしょう。ただし、ホラーの既得権益を侵害することになるので、ホラーサイドからの抵抗が予想されますが、もともとSFなんだからすぐ論破できるかも(笑)。
問題は、そういうSF(サイフィクト)がいちばん好きだという人は、SFファンを自認する人の中ではたぶん少数派だってことですね(SFにしかないものを強く求める人がSFファンを自認しやすいのは当然)。サイフィクトが栄えてもメリットはない。だから梅原提案には賛成しないと。
梅原さんもそういうコアなSFファンは相手にしないつもりみたいで、つまりおたがいに無視してるんだからそれでいいんじゃないでしょうか。
もっとも、60年代、70年代の「夏の時代」を基準に考えると、日本SFの主流はもともとサイフィクトだったとも言えるわけで(『継ぐのは誰か?』『マイナス・ゼロ』『石の血脈』『神狩り』……)、「SF設定のエンターテインメント」とか「サイエンス・ホラー」とか「超常小説」とかいう、わけのわからない呼び名よりサイフィクトのほうがまだましという考えかたもあるでしょう。
前にも書いたとおり、大森はSF翻訳が商売なので、あくまでも頑強にSFと呼びつづけるでしょうし、翻訳SFの市場維持を願うタイプのSFファンも(「翻訳サイフィクト」が考えにくい以上)たぶん同様でしょう。
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