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大森サイファイ伝言板ショートカット

※【 】…発言タイトル、[ ]…発言者(敬称略)


サイファイとSF[あまのじゃく] 1999年07月15日(木)01時36分26秒 より

 お二方の間に分け入るのは本意でないのですが…

 基本的に梅原構想には賛成というか、やるだけやってみたらおもしろいのではないかという感想を持っているのですが…
 三枝さんのおっしゃる「何より、従来型のSFに対して利益をもたらす可能性があってもデメリットをもたらすことはないだろう」というのは少し疑問があります。
 と、いいますのは一般の読者にサイファイを語るときにはどうしても従来SFとの区別を明示せざるを得ないのではと考えるからです。「SF」という単語を使うことなく「サイファイ」というジャンルを説明することは不可能だと思います。結局、「なぜサイファイというブランドが必要なのか」を説明しようとすれば、相対的に従来SFを否定することになるのではないかと。結果としてサイファイの隆盛は一般読者の従来SF離れを促進させるのではないでしょうか。
 従来SFファンの私がサイファイ構想に疑義を抱くのはそういったことを考えてしまうからです。

 とはいえ、最初にも述べた通り私の個人的な感想としては「サイファイ構想」は商業的にみてもチャレンジする価値があると思います。ただし、やはり従来SFの現状の在り方とは相容れないのではないでしょうか。
 全くの私感ではありますが、梅原さんは従来SFとサイファイとの共存なんてハナから考えていらっしゃらないのではないでしょうか。


RE:SF度計測基準[Δ] 1999年07月28日(水)22時32分15秒 より

ちなみに、「作品に仕込まれている論理関係を読んでる側がどれぐらい意識するか」で点が変わってくるような感じではないかと思っています。

あとは「論理の広がりの美しさ」は論理関係を図で表しておいて、トポロジーみたいなものでなんとか。

この二つで個人差がありつつもだいたい似たところに収束するものとなるのではないかと。


四不人 様[小林泰三] 1999年07月29日(木)18時26分42秒 より

《前半省略》
敢てパラフレーズするなら、

「現在、SF が売れなくなったのは、おもしろくない SF まで、SFとされてきたため、ジャンル全体の信用がなくなったためだ。だから、おもしろくない SF を締め出して、おもしろい SF だけを集めて新しいジャンル名 (例えば、サイファイとか、サイフィクトとか) で呼ぶことにしよう」

という辺りでしょうか。
おもしろい SF、おもしろくない SF が具体的にどれか、どうやって、ジャンルを立ち上げるのかなどは梅原さんの「サイファイ構想」をお読みください。

なお、僕の立場は懐疑派です。


早速のお答えありがとうございます(早すぎて怖い)[四不人] 1999年07月29日(木)19時03分20秒 より

 梅原さんの「サイファイ構想」は読みました。内容も分かると思います。ただ、分からないのは「サイファイはSFをどうしようとしているのか」という点です。

 SFの中からエンターテイメント性の強い商業的にも成功しそうなジャンルが誕生し、発展するなら結構なことだと思います。ただ「サイファイ構想」には、過去のSF関係者の「罪(だと梅原さんが考えておられること)」が書き連ねられており、青山さんとの往復書簡のなかでも「今までのSFを滅ぼして新しいサイファイを立ちあげる」(と私には思える)過激な内容もあったかと思います。サイファイがらみでは「売れない作品は価値がないのだから消滅してもかまわない」といった意見も聞いたことがあります。
 私が「困る」のはそこです。「サイファイ構想」でサイファイから排除されそうな作品のなかにも私の好きな作品はたくさんあります。売れないが故に自然に滅びるのなら仕方がないのですが、サイファイによって意図的に消滅させられるのはちょっとイヤです。まして「これがサイファイである」として書かれた作品がほとんど無い状況では「サイファイ」作品が私にとって面白いものかどうか分からないのですから。「SF」が滅ぼされた後で読むものが無いのは本当に「困り」ます。

 全てが私の誤解で「サイファイはSFと決別しようとしているだけで、SFと無関係の新しい有望なジャンルが誕生する」というのなら大歓迎です。もちろんこれは一読者の立場からの意見で、「お前が「困っ」たからといってどうなんだ」と言われればそれまでなんですが。


大丈夫でしょう。[小林泰三] 1999年07月30日(金)00時47分10秒 より

> 私が「困る」のはそこです。「サイファイ構想」でサイファイから排除されそうな作品のなかにも私の好きな作品はたくさんあります。売れないが故に自然に滅びるのなら仕方がないのですが、サイファイによって意図的に消滅させられるのはちょっとイヤです。まして「これがサイファイである」として書かれた作品がほとんど無い状況では「サイファイ」作品が私にとって面白いものかどうか分からないのですから。「SF」が滅ぼされた後で読むものが無いのは本当に「困り」ます。

それほど、心配する必要はないと思います。作家一人がどれだけ頑張っても一つのジャンルを意図的に滅ぼすことはできません。
梅原さんだからというわけではなく、たとえ赤川次郎さんでも無理だと思います。
梅原さんが日本の出版界を支配するとはとても考えにくいのですが、万が一支配できたとしても、日本では言論出版の自由があります。
すべてのサイファイ小説をいちいち梅原さんに検閲してもらうことは可能だと思いますか? 当然、面白くないサイファイ小説は出てくるはずですね。その時点でサイファイ構想は破綻します。
また、梅原さんの検閲を通らなければ、サイファイと名乗れないとしたら、好き好んでサイファイ構想に組する作家がどれほどいるでしょう?

もっとも、推理小説がミステリーとなったり、恐怖小説がホラーとなったようにSF がサイファイになったりスキッフィーになったりする可能性はありますが、これは単に名前が変わるだけの現象と考えていいでしょう。

ところで、サイファイが蔑称であるという事実は梅原さんの文章以外では知りません。
『SF 事典』横田順彌 広済堂出版 によると、

SCI FI
 サイファイと発音する。アメリカ SF 界の一部で提唱している SF の新しい呼び名。いまのところ、全米的には普及していないが、提唱者の世界一の SFコレクター、F. J. アッカーマンは、自分の車のナンバープレートを「SCIFI」とするなど宣伝に努めている。日本ではまったく使用されていない。

となっています。
事典の発行がかなり前なので、現在のアメリカではそこそこ普及しているのかもしれません。


サイファイ構想について[c.h] 1999年07月30日(金)02時10分34秒 より

色々、梅原氏の語り方等に問題がありますが、それらを除いたサイファイ構想事体について、私が感じるのは、「具体的な手段はどーするのかわからない」ってことですね。

新たなレーベルを立ち上げる事には特段反対するべき理由はありません(それが間違った現状認識が元であっても)。 しかし、肝心の新たなレーベルの立ち上げ方がさっぱりわからないのです。 単に自著の後書きでサイファイと名乗るのか?
それとも角川(カムナビが今度でますね)と組んで一大フェアを展開するのか?その実現手段が明確でないとそれが、効果があるか?それとも有害か判断できないと思います。

しかも、それをいつやるか?と言うことも明確になっておりません。確か、大森掲示板の過去logを拝見したら、「星界の戦旗」を出版するにあたり、売るために時期をずらしたと言う話がありましたが、梅原氏の場合、「SFが滅びるまで待つ」と言う風に取れるあいまいな言い方しかやっていなくて、これでは構想以前の「サイファイ願望」としか見えません。

だから、個人的には梅原氏は応援したいのですが(私の好きな旧SFに干渉しないかぎり、評価もできないなぁ、と言うのが個人的な感想であります


だからこそサイファイか…[D & G] 1999年07月30日(金)05時31分44秒 より

梅原構想によると、雑誌の名前になってるくらいだから使いましょうよってことのようですね。見落としました、ゴメンなさい。梅原さんによると"Sci-Fi Universe"という雑誌があるそうですが、"Sci-Fi Entertainment"っていうのもあるようです。他にも何誌かあるみたいですが。果たして"Sci-Fi"が侮蔑語だったかどうかはボクにはまったくわかりません。

さて、「サイファイ」が「大衆娯楽サイエンス・フィクション」という意味ならば、下に書いた"Sci-Fi Channel"のプログラムともぴったりマッチしそうです。そこで、節操なく考えを変えます。名称は「サイファイ」でいいんじゃないでしょーか。でもボク個人が抱くサイファイのイメージは、あくまで「日本怪獣映画24時間マラソン!」ですが。


なるほど[四不人] 1999年07月30日(金)10時14分14秒 より

>サイファイ側は、相手にしていない、というより、相手にしようがないでしょう。

 なるほど。私の危惧は当たらないということですね。それでしたら私にとってはサイファイ構想はいいことですね。新しいレーベルで小説界全体が活性化することはいいことだと思いますから。ただ、例えば「スターウォーズ」はSFにとって良いこともあったでしょうが悪いこともいっぱいあったと思います。そういう後になってから分かる未知の悪影響はあると思います。
また、「スペースオペラ」や「ヒロイックファンタジー」はサイファイと同じような(よりエンターテイメント性を高め、商業的にも成功しようと言う)理由で登場した面もあると思います。サイファイのためには、そういう先行するジャンルの分析も必要なのでは。
「スペースオペラ」が「沢山の作品が今も出ていて隆盛」とみるか「同工異曲の作品が増えて飽きられつつある」と見るかでサイファイの戦略も大きく変わってくるのでは無いでしょうか。


(無題)[とりあえず] 1999年07月30日(金)10時39分49秒 より

「推理小説」と「ミステリー」の違いは、は単に翻訳しただけ、ではありません。
「SF」と「サイファイ」が異なる程度には異なる用語です。説明をするのは面倒なのでやめますが、わりと有名な話だと思ってましたが。

しかし、その違いが「明らかに従来と異なるジャンル」とか、「従来の名前で現せない」とまで言えるとは思いませんね。「区別すること」と「内容が本質的に異なること」は等価でないですね。


サイファイ構想とか[小林泰三] 1999年07月30日(金)12時24分52秒 より

>c.h 様
妥当な戦略としては、出版社と手を組んで、梅原さんのプロデュースで、サイファイ文庫を出すか、アンソロジー「サイファイ・コレクション」を出すぐらいでしょうか?

ただし、「異形」というレーベルが廣済堂1社に留まっているように、「サイファイ」レーベルも1社に留まる可能性の方が高いでしょう。
逆に、他社が使い始めた場合、梅原さんが非サイファイ的と考える SFを排除するのは難しいので、結局 SF と同じになってしまうかもしれません。

>D & G 様
米国における Sci Fi はほぼ SF と重なるジャンルだと思いますが、梅原さんの「サイファイ」はスペース・オペラとは独立しているので、残念ながら「スター・ウォーズ」や「スター・トレック」は含まれないはずです。
怪獣ものが含まれるのかはさだかではありません。(^^;)
#個人的には怪獣ものは SF だと思いますが。

>四不人 様
梅原さんの「サイファイ」が SF に与える影響を見積るのは困難です。
これから、SF が繁栄するにしても、衰退するにしても、それが梅原さんの「サイファイ」構想の影響かどうかを検証するのも困難でしょう。
SF 衰退の原因ですら、統一見解が得られていないぐらいですから。
まあ、梅原さんに限っては、「サイファイ」構想を実行することで、不利益はあるかもしれませんね。


Sci Fi[小林泰三] 1999年08月02日(月)17時58分30秒 より

確かに、アメリカでのサイファイが SF とほぼ同義なのに対して、梅原さんの「サイファイ」には「スペースオペラ」と「超メタ言語 SF」(?)が含まれてないようなので、混乱が生じる可能性はありますね。


新本格とか[小林泰三] 1999年08月02日(月)19時22分24秒 より

梅原さんは島田さんと同じことをしようとしているのではないでしょう。
新本格派はあくまでミステリの中の1派であって、ミステリとは別にジャンルを立ち上げた訳ではありません。しかも、我孫子武丸さんのような新本格派の主要メンバーと思われている方からも、新本格の実体は疑われています。

http://www.ltokyo.com/p/abiko/nhonkaku.htm

梅原さんの目的が数人の作家のグループを作り、それを「サイファイ派」と呼ぶことであるなら、確かにそれほど困難でないかもしれませんね。
でも、勝手に「サイファイ」を名乗る SF 作家の排除や、複数の出版社との折衝をするつもりなら、執筆時間は減ります。

《中略》

メリットとデメリットを比較して、実行するのかどうかを決めるのは当然のことです。ただ、梅原さんが「サイファイ」を立ち上げたいのなら、それを止める理由はありません。それは過去ログを見れば、明らかなように最初から主張しています。


手段と目的[小林泰三] 1999年08月03日(火)01時19分33秒 より

>私がここで言いたいことは、新本格の立ち上げは、島田さんにとってけっしてマイナスだけではなかったということです。

新本格が島田さんにとってマイナスだったか、プラスだったかは存じませんが、それは梅原さんの「サイファイ構想」の目安にはならないでしょう。目的が違うのですから。

《中略》

>同様に、梅原さんが「サイファイ」をつくり、活性化しようと努力されることによって、結果として「SF」というジャンルを活性化する可能性もあるのではないかと思うのです。

つまり、本来の目論みと違った効果で、偶然まぐれでよい結果になることが期待できるということですか?
それなら、「サイファイ」の立ち上げなど困難な道を進まずとも、新人の育成に力を入れるべきでしょう。


作家クラブ[まいや] 1999年08月03日(火)18時01分57秒 より

梅原さんはSFを「サイファイ」「スペオペ」「超メタ言語」の3つに分けられてますよね。
この分類では
「超メタ言語」に対応するのが「SF作家クラブ」
「スペオペ」に対応するのが「宇宙作家クラブ」
と考える事が出来ると思います。
しかし「サイファイ」にはまだ対応する作家クラブが存在しません。
ですから梅原さんには「サイファイ作家クラブ」を作って欲しいと思いました。
そうすれば梅原さんの提唱する”SFを3つに分割する”という事が分かりやすくなるのではないかと。

という訳で梅原さん、「サイファイ作家クラブ」作ってくださーい。


不安について[四不人] 1999年08月03日(火)19時36分46秒 より

 私は「サイファイ構想」自体に反対はありません。勢いのある新ジャンルが立ち上がるのは基本的にいいことだと思っています。ただ、私の中では「悪影響が大きすぎるのではないか」という不安でいっぱいというのが正直な気持ちです。
 もちろんどんな出来事にも正負両面があるのは分かっています。ただ、梅原さんのご意見を聞いている限りでは「マイナス面が大きすぎるのでは」という疑念が払い切れません。私が感じる問題点は、

・強い商業主義 決して商業主義が悪いとは思わないが、新しいジャンルを立ち上げるのに掲げる動機としてこれが第1というのは新人育成の面からもマイナスではないのか。
・彼がサイファイから排除しようとしている「超メタ言語小説」というものの範囲が良く分からない。例えば神林さんの「雪風」や大原さんの「エイリアン刑事」などはサイファイになるのか?もしこれらが排除されるのなら、一体どんな作品が「サイファイ」になるのか。
・ファン活動や評論に対する強い拒絶 梅原さんは「これらがSFを衰退させた原因」と考えておられるようだが、そうは思えないし、「サイファイ」の発展のためにこれらが不用とも思えない。
・構想の根拠となる部分に見られる「トンデモ本」的な部分 例えば唯脳論からの引用や親指シフトキーボードの事例によるデフェクトスタンダードの議論、それに「現在のSFをダメにした人々」に関する陰謀論のような議論など。

こういった要素が、決して少なくない人々の感情的反発をまねいた原因ではないでしょうか?
 何度も言いますが、エンターテイメント性の強い力のある新ジャンルを「SF」から新たに立ち上げようというのはすばらしいことだと思います。それが受け入れられないのは不幸なことです。少しでもここでの議論が、サイファイの助けになればいいと思います。そのためにも、私のような旧来のファンが感じる不安や問題点を考えていただければ、と思います。


真面目な対応を望みます。[小林泰三] 1999年08月03日(火)20時16分04秒 より

三枝さん>新しいジャンルをつくるという点で同じです。違いは、元のジャンルの内につくるか外につくるかだけです 。
三枝さん>正直言って私は、内か外かに意味はないと思います。
三枝さん>新しいジャンルとは、「商品の差別化」に他ならず、それがどこに区分されるかは、実のところは消費者が 決めることだからです。

全く違うでしょう。梅原さんは SF を絶縁するとおっしゃっているのです。
島田さんは1度もそんなことはおっしゃってません。
だいたい、

>しかし、新しいジャンルをつくろうとする行動は、いままで誰も
>やらなかったからこそ、その行動は今までどの作家も見なかった
>全く新しい地点へ梅原さんを導いてくれる可能性もあるかもしれません

>SFと完全に縁を切ろうと声をあげたのは、彼が最初でしょう。だから、ここまで反発された。

とおっしゃったのは三枝さん自身です。梅原さんがやろうとしているのは誰も試みたことのないものだ、と。

《中略》

角川書店は新しいジャンルを立ちあげて、既存のジャンルと手を切ったわけではないので梅原構想とは関係ない話ですね。
梅原構想に問題があるとするなら、まさにその既存のジャンルと手を切るという点なのですから。

《中略》

三枝さん>新人だけではありません。あるジャンルでうまくいかなかった作家が、別のジャンルを書くこ
三枝さん>とで急激に伸びた例はいくらでもあります。そういったことも起こるでしょう。
三枝さん>偶然ではないのです。

だとすると、既存ジャンルと手を切る必然性はありませんね。それは新本格と角川ホラーが証明しています。

《中略》

三枝さん>問題にしているのは「なぜ日本でSFが売れないレッテルになってしまったのか?」です。

なぜだと思います? 「朝のガスパール」や「言壷」が出たのは SF が売れなくなった後ですから、原因ではありえませんね。いったい原因はなんでしょう?


三枝さんへ[小林泰三] 1999年08月04日(水)07時39分04秒 より

三枝>つまり「手を切る」とは、単なる「商品の差別化」にすぎません。

新本格はミステリと別物だと主張していませんし、角川ホラーはホラーとは別物だと主張していません。やはり「サイファイ」構想と、新本格・角川ホラーは別の話ですね。


「手を切る」のは重要でないとおっしゃるので、安心しました。[小林泰三] 1999年08月05日(木)07時34分37秒 より

三枝>前にも書きましたが、私は特に大きな差ではないと思います。所詮は商品の差別化であり、ジャンルとジャンルの関係は、流通の人間や消費者の決定する事項だからです。

ここが僕と三枝さんの最大の違いですね。外に作る場合、既存ジャンルとは一線を画す必要があるわけです。区別できないなら、中に作ったのと同じことですから。となると、どうしても排他的特性がでてくることになります。

《中略》

三枝>前にも書きましたが、新しいジャンル枠を提示するという意味で、参考になります。新しい枠は、新しい作家を生み出します。

新本格という枠付けが新しい作家を生んだのではなく、同時期に現れたよく似た傾向を持つ作家たちを纏めて新本格という枠付けで読んだのです。
ジャンル枠ありき、ではありませんでした。

《中略》

三枝>前にも書きましたが、「手を切る」というのは大きなポイントではありません。それは「別のものだと主張する」だけのことですから。
三枝>旧来のジャンルが積み上げてきた手法やガジェットを放棄することではありませんので。

「手を切る」というのは大きなポイントではないのですか? だとすると、梅原さんがなさろうとしているのは、新本格や角川ホラーの二番煎じなのですか? それなら、そこそこの成功を修めるかもしれませんね。

《中略》

「売れそうな要素だけを集める」ことと、「既存ジャンルと別物」だと主張することは直接結びつきませんね。
新本格も角川ホラーもその辺りは無頓着です。
例えば、僕の著作は角川ホラー文庫から出ていますが、同時に異形コレクションにも収録されています。
また、僕の本の帯には「新本格」という文字がありますが、勝手にジャンル名を使ったといって文句が来たこともありません。
どちらも、ジャンルや作家の範囲はある意味曖昧で融通がきくのです。これが成功に繋がったのではないでしょうか?
まあ、三枝さんも「手を切ること」 (=「商品の差別化」) は重要なポイントではないとおっしゃっているので、わかってもらえるとは思いますが。


SF の未来[小林泰三] 1999年08月06日(金)17時23分51秒 より

SF がブームだったのは、1970年代後半から、1980年代前半の短い時期でした。つまり、SF が売れないのが普通の状態で、売れた時の方が異常な状態だったわけです。
#だから、なぜ SF が売れなくなったかよりも、なぜあの時売れたの
#かを検証するのが正しいアプローチかもしれません。

ということで、今のままなら基本的に SF は売れず、時々数年間のブームが来るということになると思います。

で、それはそれとして、積極的に SF ブームを作る方法についていくつか考えて見ました。

(1)テレビの SF 番組を増やす。
ミステリ番組は週に何本も2時間ドラマとして、放映されています。視聴者は知らず知らずのうちに、ミステリに慣らされていくわけです。アリバイだとか、密室だとかいう用語が小説に出てきても、違和感なく受け入れることができます。

思えば、僕らが子供の頃はやたらと米英の SF ドラマが多く放映されてました。
また、ゴールデンタイムの日本製アニメでも舞台が宇宙のものが何本もありました。

それらの番組で洗脳されたため、SF ガジェットをすんなり受け入れることができたのかもしれません。

例えば、現在、「スタートレック」シリーズは深夜に放送されていますが、あれを夕方の放送に変えるだけで、数年後の SF 人口はかなり増えるのではないでしょうか?
#でも、なぜわざわざ深夜に放映する?

(2)ヤングアダルト読者を誘導する。
SF 作品が多いヤングアダルト読者を逃すのはもったいないと考えます。しかし、ヤングアダルト作品と早川・創元両 SF 文庫の間にはかなりギャップがあって、ヤングアダルト読者はなかなかすんなり入ってきてくれないのではないかと。
というわけで、橋渡しとしてヤングアダルト風作品を SF 文庫に大量に投入するというのはどうでしょうか?

(3)女性読者の獲得
SF 大会の参加者は圧倒的に男性が多いという印象を受けます。別に調査したわけではないですが、女性はだいたい2割ぐらいではないでしょうか。
ところで、SF 大会でもミステリ系の企画には女性が集中します。
ある企画では半数以上が女性でした。しかも、その企画が終わった後、企画の主役である某A先生の部屋に十人以上の女性ファンが詰めかけていたのを目撃しました。まあ、その方だけとくに女性ファンが多いという可能性もありますが、新本格の代表的な作家ですので、ある程度一般的な傾向だと推測できます。
というわけで、SF に欠けているのは女性読者です。
女性読者を開拓するために、今現在女性に人気の SF 小説 (あるのか?) を研究して、その特徴をつかむべきでしょう。

(4)ベストセラー作品をして SF と言い張る。
皆が SF は売れないという言うから、出版社は SF を出し渋り、さらに SF は売れなくなってしまいます。
ここは逆転の発想で SF は売れていると言いきってしまうのはどうでしょうか。
実行するのは簡単なことで、SF 的なベストセラーを紹介する時に一言「SF」という言葉を付け加えるだけでいいのです。なぜこの作品が SF であるのかという説明はいりません。当然のごとく冒頭に今「売れているSF 小説「○○○○」を紹介しよう」と書けばいいのです。
これで、読者が「ほう。売れているこの作品は SF か。そういえば、「XXXX」も SF だと書いてあったな。SF っていうのはおもしろいのが多いんだなあ」と思ってくれたら、しめたものです。
さあ。そこの評論家の皆様、今日からでもすぐに実行しましょう


サイファイの戦略について[c.h] 1999年08月06日(金)18時28分30秒 より

>妥当な戦略としては、出版社と手を組んで、梅原さんのプロデュースで、サイファイ文庫を出すか、アンソロジー「サイファイ・コレクション」を出すぐらいでしょうか?

とありますが、私も青山掲示板で「12人の作家で一人頭1年の猶予を持たせ、月刊ペースのサイファイシリーズを出す」と言う案を考えてみましたが、やはりここらが妥当な所でしょうね。

でも、個人的にはアンソロジーは難しいのではないかな?と思います。その理由は

a)梅原氏自身の作風の問題
 梅原氏は長編向きの作家であるので、中・短編を中心としたアンソロジーには不向きかと思います。例えば「ソリトンの悪魔」を読んで感じたのですが、謎の物体との遭遇した驚異と言うネタと異知性体とのファーストコンタクトと言う、普通の作家ならそれだけで1本の作品にするネタを釣瓶打ちにするのを見て、梅原氏はエンターティメントを追求するためには妥協しない作家に見えました。 またここの描写も通常なら現状の延長として実在のタバコ名を出すところを未来の嗜好品を定義したり、細かい箇所まで書きこむタイプに見えました。 だから、下手に中・短編を書かせるより、長編をじっくり書かせたほうが氏の持ち味を殺さないのでは?と思います。

b)サイファイの定義自体の問題
 サイファイの定義の一つとして「日常の描写からだんだんと……」とか「エンタティメントを提供する」とかあった様に思いますが、これを追求するには中・短編は辛いのではないか?と思います。 今回梅原氏が定義した「バディ・ストーリー」を描写するにしても、中・短編で行うより長編でじっくり描写した方が良い作品がでるのではないでしょうか? むしろ中・短編でアンソロジーを組むならば、SFバカ本や星新一氏のショートショートみたいに一発ネタものやイデア的SF物による内輪受け的なものの方がいいかなぁ?と思います。

ただ、例外として氏が例としてあげた「X−FILE」などは連作短編集と言う形に見えますので、一定の世界観を梅原氏が提示して、それに付随すると言う方法もあるかもしれませんね。

あと、梅原氏が属する一社のみの運動になるかもしれないと言う危惧ですが、私もそれがあるかも?と思います。
確か類似品に対する対処に対しては梅原氏は結構きつめな対応も辞さないって言ってた覚えがありますので、逆に1社管理した方が梅原氏の望みに適うかもしれないです。 ただ、個人的にはパチモンがでないようではそのジャンルは流行っているとは言えない(例としてはロジャーコーマンの経営方針やイタリア映画界なんかが率先してやってますね)と思うのでそんなに気にしなくても?と思いますね。


現在のサイファイを教えて[小山田] 1999年08月06日(金)18時55分38秒 より

さて、将来「サイファイ」の棚が本屋さんに出来たとします。
そこに、現在出ている小説を入れるとすると、どんな作品が入るのでしょうか。
みなさんのおすすめの「サイファイっぽい小説」を教えてください。
『ソリトン』『二重螺旋』は当然として、『パラサイト・イヴ』とか『ジュラシック・パーク』は当確でしょうか。

私がわからないのは、例えばクーンツです。実は読んだことがないのですが、解説を見た限りだと、サイファイっぽいものだけじゃなく、超科学や超自然にちっとも行かない作品も多くないですか? どれがサイファイなのか知りたいのです。

ホラーやミステリに埋もれているサイファイ作品も知りたいです。
『天使の囀り』は面白かった。ぜひ入れてほしいものです。
私的には『魍魎の匣』なんかも入れてほしいと思ってます。
ああ、そう、ちょっと古いけど、『遠い海から来たCOO』ははずしたくないなあ。

ええと、言っておきますと、つまり私は「サイファイ」っぽいものが好きで、「SF」は苦手です。だから梅原構想については「もうちょいうまくやれよ〜」「無駄なケンカすんなよ〜」とか思いながらそこそこ応援してたりします。


ありがとうございます。[buku] 1999年08月06日(金)19時44分55秒 より

>とありますが、私も青山掲示板で「12人の作家で一人頭1年の猶予を持たせ、月刊ペースのサイファイシ
>リーズを出す」と言う案を考えてみましたが、やはりここらが妥当な所でしょうね。

私も、梅原氏の構想を読んだときに、これからでる新しいジャンルとしてはそういう方法が一番無難という気がしました。
すぐに「ホラー」や「ミステリー」のように公然とジャンルとして認められるのはよっぽどのマスコミとかいろいろな宣伝力を使ってしても結構難しそうな気がしましたので。
でもそうなるとその「サイファイ」という名前が世間に定着するのはいったい何年後でしょうか?
SFやミステリが○○SFとか○○ミステリとかはたまたこれはどちらでもなくホラーということにするとかどんどん複雑かつ曖昧になってきたのはここ10年〜15年ほどのことでしょうと思うのですが特に短い歴史しか持たないSFが、短い歴史にも関わらずどんどん多岐な方向に手を伸ばし、SFなのかどうなのかを議論するほどになってしまっている。
ではこれから「サイファイ」という言葉をちょっとづつひろめていって定着した頃にはもう、そのサイファイの中をさらに分ける必要がとかこれはサイファイと呼ばず新しいジャンルをとか言わなければならなくなっているかもしれません。
ましてやSFがつぶれると考えられる約20年後にはその多岐性(なんだそれは?)はさらに進んでいるかもしれません。

あの構想は時代のブランドでよいのか
それとも「ミステリー」などと肩を並べる半恒久的な(ちょっと語弊があるかな)ジャンルとしたいのか。
それによって旗を揚げる時期や戦略、成功の可能性の割合は変わってくると思います。


サイファイの例ですか?[c.h] 1999年08月06日(金)19時47分30秒 より

梅原氏の書簡等を見て、サイファイの条件として私が思ったのは以下の条件です。

1)(大衆に)売れること。
2)(これは私は理由としてトだと思うけど)唯脳論に従い、オーソドックスなこと。この場合、シチュエーションを変えても基本プロットが変わらない人間ドラマが中心であることが望ましい。
3)科学に絡んでいるが、イデア論者が好むようなガジェットが前面で無いこと。
4)バディストーリーで無いこと(これについても言いたいことが多いが(^^;)

他にもありますが、こんなもんですかね。それを元にして判りやすいと思う説明を試みると、

隕石をテーマに考えてみると
「ディープインパクト」は「隕石が落ちてきた時の世界のシチュエーションに面白みを観じた」ということでSF。「アルマゲドン」は「隕石が落ちてきたと言う危機に立ち向かう男達の家族愛を含む熱い闘い」と言うことで、危機的なシチュエーションを変えても有効なためサイファイ。

恐竜がでてくる奴では
「ジュラシックパーク」は「遺伝子操作で恐竜が復活した時に起こる騒動」に眼目があると言うことで、SF。「ロストワールド」は「恐竜を運ぶと言う危機的状況を目先の判断でダメな行動をすることによるスラップステック」と言うことでサイファイ。

しかし、「ロストワールド」よりバディストーリー的な物を強化し、愛と友情を更に前に出したと言うことで「ドラエモンの映画の 恐竜がでてきた奴」の方がサイファイ度が高い!と断言します。(ウケを狙ってどーする(^^;)


小松左京といえば[小山田] 1999年08月06日(金)20時05分52秒 より

>サイファイの棚には、やはり「日本沈没」をはじめとする小松SFは欠かせないで
>しょう。梅原さん自身、小松先生は半生き神様あつかいだし。

たしかに、たしかに。

しかし、小松作品なら、なんといっても『エスパイ』だと思います。
サイファイかくあるべし。
あとは私的には『さよならジュピター』がサイファイって感じです。
だって面白いんだもん、『さよならジュピター』(ただし小説のみ)。
もっとも、梅原さん的にはスペオペなんだろうな。残念。

実は小松作品も『果しなき〜』とかSF的な有名どころを読んでいないのです。
サイファイなのでしょうか〜???


サイファイ度、っていいですね[小山田] 1999年08月06日(金)20時43分48秒 より

映画はいっぱいありますよね。ビデオの棚も用意しましょう。
さて、私的には『ターミネーター2』がまず入るかな。『1』もついでに。
本当は『エイリアン2』も入れたいんだけど、これまたスペオペ。
『アビス』最高。かくあるべし。

『アルマゲドン』は入るんでしょうけど『ディープインパクト』ってダメですか。
私的には『マーズアタック』とか『ダークシティ』がSFの棚、って感じなんですが。
それから私的に『ジュラシック・パーク』はサイファイで、『ロストワールド』はただのクズです(断言)。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は入るでしょ?
エメリッヒの『ゴジラ』もサイファイじゃないかな。日本版は最初のを除きクズ。
『ガメラ』はオタクだからSF(偏見がちがち)。
『エヴァンゲリオン』は最後がわけわかんなくなったからSF(偏見がちがち)。
『ID4』はサイファイ。
『ロストインユニバース』はスペオペ。
『ミミック』はサイファイ。『レリック』もサイファイ。
『12モンキーズ』は難しい。スカッとしないからSFだ(ひどい偏見)。

『チェーン・リアクション』が意外にサイファイだったかも。
『日本沈没』がサイファイなら、『ボルケーノ』もサイファイ…ってのは無理?
『ナッティ・プロフェッサー』みたいなのは入れていいんでしょうか。
最近見たのだと、『ハムナプトラ』をどうにかねじ込みたい。科学じゃないとかなんとか言わずにほら、ってところで。

『ドラえもん』はいいですね。瀬名さんも好きらしいし。
『クレヨンしんちゃん』の映画はどうなんでしょ?

さて、c.hさんのチェックリストを見てて思ったんですけど、こういう基準で
「サイファイ度」の点数をつけられないでしょうか?

篠田節子『絹の変容』★★★1/2

とか。(面白くてもあまりサイファイでないというものの点が難しいかな。)


サイファイはジャンルなんですか?レーベルなんですか?[中村モンロー] 1999年08月06日(金)23時12分20秒 より

と、タイトルの通りの疑問はあるんですがそれはそれとして。

とりあえずどこかの出版社が、クライトンやクーンツや瀬名さんの作品のすべての版権を買い取って、「サイファイ文庫」を立ち上げて、その中に梅原さんの作品も入れてもらえば良いんじゃないでしょうか?

定評のある作家の、売れていることが分かっている作品群の中に混じってないと、梅原さんの作品の何者かがなかなか分かってもらえず、手早く金儲けが出来ないと思います。

本が売れていないのが本当なら、出版社を横断して「売れるレーベル」を立ち上げる、という行動も必要かとは思いますが。

と、こんなところが今のところの感想です


サイファイと SF の違いは?[小林泰三] 1999年08月07日(土)01時04分05秒 より

皆さんの意見を読んでいると、面白い SF はサイファイとなってしまうような気がするんですが、定義の中に「面白い」という言葉を入れるのはちょっと辛いかなと思います。いやしくもエンターテイメントはすべて面白いことを目指しているはずだからです。
それで、皆さんにお聞きしたいのは、「SF」という言葉に否定的な響きを感じるか、もし感じるとしたら何故なのかということなのです。

《中略》

梅原さんはアメリカで定着しているから、「サイファイ」というレーベルがいいと仰ってますが、実はアメリカでは SF の同義語に近い扱いなわけですから、もし、既存 SF と別物と主張するなら、違う名前にした方がいいと思います。アメリカでのサイファイが紹介される時、当然宇宙・遠未来ものが含まれるわけですから、当然混乱が生じそうです。SF の新名称として、「サイファイ」という名前を使うならいいと思うのですが。
梅原さんの独自ブランドなら、むしろ「サイフィクト」の方がいいのではないかと。


Sci-Fi vs. SF[D & G] 1999年08月07日(土)04時37分27秒 より

こっち(アメリカ)で僕が受ける印象では、映像作品にはSci-Fi、小説にはSFを使う気がします。あくまでも限られた範囲の印象であってバックアップするデータはありませんし、例外もたくさんあります。だから僕は「マーマゲドン」も「ディープインパクト」も両方Sci-Fiって感じを世間から受けます。私的には違うんですけどね。


SFは、お洒落でかっこいい、ホラーは神秘的でステキです。サイファイはまだ解りません[ちぇろ子] 1999年08月07日(土)11時26分06秒 より

SF者は、初心者に「科学考証の大切さを説く」のは、しばらく我慢します。
あれで「SFって難しくって、つまんなさそう」って引いてしまう人って(女性に限らず)はかなりの数いるのでは、と思うんですよ。

ちぇろ子が、「本好き」の女性読者に勧める、海外のSFは、ボネガットとコード・ウエィナースミス、ディック、ベスターです。
短編やミステリーが好きなら、フレドリック・ブラウン、それからブラッドベリははずせないでしょ。

上記の作家は、ストーリーテリングに優れている、もしくは、お洒落なイメージを描くのが上手い、です。
ちょっと小難しいのもポイントかなあ。
ほら、「こんな小説を読んでる、私ってちょっとお洒落?」なんて思えるでしょ?
だんだん慣れてきたら、御三家なんかもいいんじゃないか、と思います。

敢えて、マキャフリイとか、ルグィンは勧めません。
(これらの作家の作品が、つまらない、という意味ではないです)
女性としての色が強すぎて、かえって引いてしまう可能性があると思います。

もちろん、ある程度、SFに耐性がついてきて、クラークとか読み始めたらこっちのもの。
そうしたら、むしろ「積極的に科学考証について説明すること」を、お勧めします。
「科学って、なんかかっこいい」って思わせることができたら、大成功なんじゃないのかな。

《中略》

サイファイブランドってのは、サイファイ作家が集まって作るモノ、なんでしょうか?
それとも、梅原氏が「これは、サイファイ小説、こっちは同じ作者だけど、サイファイじゃない」とかって決めるものなんでしょうか?
これって、意外と重要なことだと思うんですよ。


小松左京の最高傑作は実は[いなば] 1999年08月07日(土)11時44分27秒 より

最初の長編『日本アパッチ族』だと思うのだけれどあれはサイファイなのか? 今読むと純文学として通用しかねない……かな?


ああ、それならば[buku] 1999年08月07日(土)13時45分59秒 より

>SF の新名称として、「サイファイ」と
>名前を使うならいいと思うのですが。

あれもこれもSFというのをいやがってSFっぽいものをいれたがらない人がいるのだからSFっぽいものを狭義にサイファイということにしよう、というのも一理ですが逆に「あれもこれもひっくるめてサイファイにしよう」としたらそちらの方が生き残りやすい気がします。
でもこれだと本来の意義は失われちゃうんですけれどね。

狭義にしてしまうとはじめは大衆に受け入れられても進学校のエリートだけの集団のプライドについていけないその他大勢の読者が何年かしてまた脱落していくなんてことないでしょうかね。


超メタ言語的作品、とは?[ちぇろ子] 1999年08月07日(土)17時18分43秒 より

ただ、ちぇろ子は、超メタ言語的作品も、「SFの王道」だと思っています。
梅原氏の仰る、「超メタ言語的作品」というのが、具体的に何を指しているのかは、定かではないんですけどね。

ただ、梅原宣言から判断するに、
1)人間の想像、夢、言葉が、現実世界を変えてしまう小説
例)言壷(神林長平)、幻詩狩り(川又千秋)、エイダ(山田正紀)、パプリカ(筒井康隆)、夢の樹が接げたなら(森岡浩行)、詩(ブラッドベリ)、天のろくろ(ルグイン)、死者の書(キャロル)、神々のワードプロセッサー(キング)
2)作者、もしくは作者をモデルとしたと思しき人物が、物語の中に登場する小説(ただし伝記を除く)
例)朝のガスパール(筒井康隆)、ネメシスの哄笑(小森健太郎)、小僧の神様(志賀直哉)ミザリー(キング)
3)夢なのか、現実なのか、読んでいるうちに解らなくなってくる小説
ドグラ・マグラ(夢野久作)、酔歩する男(小林泰三)暗闇のスキャナー(ディック)
(例は、ちぇろ子が、思いついたのを適当に挙げてみました。もちろん他にもいっぱいあるでしょう。
けど、こんなもんで、大体雰囲気は解ってもらえると思います)

ちぇろ子としては、上記の作品は全て大好きです。
世間的な評判もまずまずで、それなりに売れているのでは?と思います。

 もちろん上記のような作品は「サイファイではない」として梅原氏が排除するのは自由だし、それに文句をつける気はありません。
ただ「そういう作品がつまらなくて売れない」と言い切ってしまっているのが、なんとなく気にかかるわけです。


サイファイの範囲[小林泰三] 1999年08月08日(日)01時05分55秒 より

皆さんの投稿を読んでいますと、それぞれサイファイに対して多様なイメージを持たれているようです。

そこで、問題になるのがサイファイかどうかをどうして決めるのかということになると思います。

「サイファイ構想」自体が従来の SF との分離を目指したものですから、この辺り曖昧にはできないはずですが、個々人が持つ価値観を強制的に統一するのも難しそうです。

やはり、梅原さん監修の「サイファイ文庫」、「サイファイ・シリーズ」が妥当でしょう。これが当れば、他の出版社もまねをしそうですが、その時はスペースオペラも超メタ言語もサイファイと呼ばれそうです。


新ジャンルの立ち上げ[みらい子] 1999年08月08日(日)02時25分02秒 より

 サイファイにあまり関係ないかもしれないし、関係あるかもしれない話です。
 今日、読書会で『第3の理-ハノイの塔 修復秘話』(日本評論社)という本を読んだのですが、作者の根上生也氏は、この本でMathematical Fiction 略してMFを立ち上げているのです。
 SFよりさらに読者を選びそうな(失礼)数学小説を立ち上げた、その意気やよし! ということで、みなさんもぜひ手に取って読んでみてください。内容はよかったですよ。横書きで、数式とかプログラムとかも出てくるんですけど、読み飛ばしても全然平気です。中高生に特にお薦めしたい本ですね。下記のURLのところに、作者のホームページを入れておきました(ここで作品は読めてしまいますね)。
 MFというジャンルには瀬山士朗『数学者シャーロック・ホームズ』(日本評論社)、ルーディー・ラッカーの一連の作品、クリフトン・ファディマン編『第四次元の小説』(小学館)などが入ります。
#うちの旦那が「マス・ファイは、おれが登録商標にする」などと言っています(笑)

《中略》

 うちの旦那も、話をしていて私が「サイファイ」という言葉を言うと、それは「普通のサイファイなのか、梅原先生の言ってるサイファイなのか」と聞き返します。アメリカではSFの略称のような感じで使われているようですね。もし梅原先生のサイファイが定着した場合、海外で紹介する際に困ると思います。


「いやあ、このサイファイはなかなかすごいSFだ」とか言うと思うな、私は。[冬樹蛉] 1999年08月08日(日)03時33分00秒 より

 そうそう、仮に梅原構想が大当たりして「“サイファイ”が売れる」ということになれば、なんでもかんでも冠にサイファイをつけはじめることでしょう。サイファイ・ホラー、サイファイ・ミステリ、そして、サイファイSF(!)なんてのも登場しかねない(^ ^;)。もちろん、中身はただのホラー、ただのミステリ、ただのSFなわけです。単に売られかたが変わるだけですが、一時的なブースト効果はあるでしょう。
人々が“サイファイ”という言葉に飽きたら、次の名前を考えて同じことを繰り返せばいいのです。べつに、元からそれぞれのジャンルのコアなファンであった人々には、どう呼ばれようと知ったことではないでしょう。いまでも「おお、このミステリはSFだ」「このホラーはミステリだ」と、読者一人ひとりが自分の中で決めているわけで、それを制御するなどということは誰にもできません。中身は同じままで、そのときの流行り言葉を適当につけときゃいいんじゃないすか? AIでもファジーでもニューロでもカオスでも複雑系でもSISでもBPRでもCALSでもDIPSでもERPでもSFAでもCRMでもDWHでもECでも、そのときどきでウケそうな看板を表に出して宣伝し、売ってるコンピュータはおんなじって業界もありますしね。

 梅原氏が認定した作品以外には、“サイファイ”という名称を使わせないということであれば、一刻も早く商標登録をしておくのが現実的な戦術ですが、“サイファイ”は梅原氏が作った言葉ではなく英語の一般名詞なので、“はちみつレモン”事件を考えると、ユニークな商標として認められるかどうかは怪しいですよね。そういう意味では、少々英語の造語としては奇妙でも、日本語として梅原氏が作った“サイフィクト”のほうがオリジナリティーを主張できます。梅原構想を実現に導く戦術としては“サイフィクト”のままにしておいたほうが合理的だったのですが、どうして変えちゃったんでしょうね?


SFとSci-FiとSkiffyと……[すがやみつる] 1999年08月08日(日)04時22分07秒 より

[PickUp !]


面白い小説の書き方があるなら、ぜひ教えてほしいとは思いますが……[ちぇろ子] 1999年08月08日(日)09時42分38秒 より

しかし、「バディ物にすると書きやすい」とは思いますが、「必ず面白くなるか?」と言われたら、ちょっと首を傾げてしまいます。
面白くなるかどうか、は、書く人次第でしょう。

そもそも「面白い小説の書き方」って教えることができるのでしょうか?
もちろん、文章技術や読みやすい構成なら、教えられると思います。
けど、文章が巧くて読みやすい、だけでは「面白く」はなりません。

実は「面白さ」というのは、一種類じゃないです。
作家ごとに、「面白さ」は異なっています。
それが、作家の「個性」であり、作家の「存在意義」です。
世にあまねく存在する小説の面白さが、全く同種類だったら、「たった一冊だけ読めば、それでいい」ということになってしまいます。

しかし、サイファイ小説は、全て「バディ物」になるのでしょうか?
なんだかなあ、と思うちぇろ子でした。


MFとSF[みらい子] 1999年08月08日(日)15時25分36秒 より

>数学SF=マス・ファイですか?
 実はここが「梅原先生のサイファイ」とマス・ファイを比較してほしい点なんですよ。ちょっと説明する自信がないんで、紹介した『第3の理』を読んでほしいんですが、MFはSFからは独立した「ジャンル」です。『第四次元の小説』はちょっと微妙なんですが、ルーディー・ラッカーは完全にMFですね。
 それに対して「梅原先生のサイファイ」はSFというジャンルのサブジャンルに過ぎないと思われます。いくら梅原先生がSFから(を?)切り離そうとなさっても、SFの呪縛は避けられないのではないかと思います。こうして議論されている掲示板もSFジャンルですしね。


青山のあなたの空遠く サイファイ住むと人のいふ[冬樹蛉] 1999年08月09日(月)01時46分19秒 より

>その昔、冬樹氏の日記で、「数学SFはファンタジー」とありましたが、

 ああ、それはここですね。

 「数学SFはファンタジーですから」というのは、元々は京都SFフェスティバルのラッカー企画で、会場の大野万紀さんがおっしゃったものです(SFマガジンにも採録されました)。

 私が思いますに、形而上の概念を形而下に引きずり下ろしていじくりまわせるということが、SFの機能または強みのひとつとしてあります。また、そうした形而下の“いじくりまわし”で、逆に形而上の世界に殴り込みをかけるようなことがときどきできる。その形而上世界と形而下世界との往還に私はSFとしての面白みの重要な部分を感じるわけです。数学SFが常にファンタジーになるとは思いませんが(大野さんもそういう意味でおっしゃったのではないだろうと思います)、数学は元々形而上の世界に帰属するものですから、それを小説にすると、よほどの才人の手によらないかぎり純然たる美しい絵空事になってしまいかねないでしょうね。どうも、私がSFっぽさを感じるには、抽象概念が現実の事物に“汚染”されていないとだめみたいです。挙げてらっしゃるラッカーでも、『ホワイト・ライト』なんかは形而上的すぎてファンタジーっぽく感じますが、『時空ドーナツ』となると、根幹のアイディアは数学でも、起こる事件は物理的なドタバタなので、より「SFだなあ」と感じます。むろん、むちゃくちゃに抽象的な概念をみごとに形而下に引きずり下ろし得る天才が書けば、強いSF味が生まれることも可能性としてはあるでしょう。そういうものがあれば読みたいですね。

>確かに、あのジャンルはハードSFとは、またちょっと違うような気がします。

 ハードSFをどう定義するかは難しいところですが、私の解釈は、文字どおり“手で触れられるような固いもの”を論理的に抽象概念と結びつけ、そこに面白さを生み出そうとするSFとでもいったところでしょうか。ですから、ワタシ的には、数学SFはちょっとハードSFとは呼びにくいです。堀晃、谷甲州、野尻抱介、小林泰三などはもろにハードSFで、橋元淳一郎くらい抽象的になってくると、SFとしか呼びようがないものなのに、ハードSFという言葉は使いにくいですね。強いて言えば“理学SF”とでも申しますか。


(無題)[四不人] 1999年08月09日(月)18時33分20秒 より

[PickUp !]


合宿から帰ってきました〜。[buku] 1999年08月09日(月)20時36分12秒 より

>「アルマゲドン」も「エヴァンゲリオン」も「SF」だと思っているオジさんたちは大勢います。代表的な意見
>は「クローンやらインターネットやら現実がSFみたいになってきたねえ」というものです。

そうですよねぇ 「どこにもSFという言葉が使われていない」ことに梅原氏は不満を持っていらっしゃるようでしたがただそれだけ興味で観た人などは気持ちの中では「これもSFの部類じゃないか」と思っているように感じるのですが。
ただ「SF」というジャンルに変なプライドを持っている一部のその道の専門の方がこんなのSFじゃないとのたまわって「SF」という言葉を敢えて避けるのでしょうがだからといって多くの一般読者や映画ファンはそこまで思っていないのでは?
「これってまさにSFだね」とか「SFチックだよね」とか軽く使ってしまうし。

>私はだから梅原さんとは違い「大衆」が「SF」を嫌ってるのではなく、「出版関係者」「作家」「業界関係者」の
>一部が「SF」という手垢の付いた(それ故売り文句になりにくい)レーベルを嫌ってるんだと思います。

例えばアルマゲドンとかX-FILEが好きな人がSFマガジンを買うかといえば「あれはなんか極端すぎて読む気にならないな」という感じで一般読者の感覚と出版業界の感覚がそぐわないのかなと思います。
だからここは難しいところで一般読者は歩み寄れないけれど業界は世論に耳さえ傾ければ歩み寄れないこともない。
それをするかしないかという展望としては、やっぱり「しない」と考えるべきなのでしょうか?
歩み寄れるならば思い切ってイメージ一新でこれから売り出す雑誌や本に「サイファイ」というオビや文句を多用してSFがサイファイにとって変わるという手もありますよね。(SF=サイファイ)
同じSFで売ると今までのイメージで敬遠するかもしれないけれど新しい「サイファイ」という言葉が入ることで「なんか新しい」と手にとってもらえるかもしれません。
梅原氏は歩み寄れないことを懸念して言われているのだろうと思いますがそれならば完全に切り放したところでの「サイファイ・レーベル」でありなんとなく良く似たジャンルでありながらお互いが目の敵にしているような雰囲気があります。


「ゲームセンターあらし」、好きでした。(弟はとんがらし、でしたよね?)[ちぇろ子] 1999年08月10日(火)11時01分56秒 より

少し話は変わりますが、ちぇろ子がサイファイ構想に最も疑問を感じる点があるんですよ。
それは、「サイファイを書きたい作家がどのくらい集められるか」ということです。

梅原氏の作風を見ると、サイファイが求めているのは「SF(と名乗るかどうかは別だけど)を書く人」でしょう。
この人たちが、「サイファイ作家」を名乗りたいかどうか、というのは、非常に重要なことだと思います。

で、ちぇろ子がSFは「まだイケる」と思うのは、「SF作家という肩書きに誇りを持ってる作家」がいる、ということです。

とにかく、どんなジャンルにしても、「書く人」がいなくては、どうしようもありません。
それとも「作家志望者なんて掃いて捨てるほどいるんだから」サイファイ作家になれば儲かりそうだとなれば、自然に集まってくるものでしょうか?

 それから、サイファイ小説のクオリティーを高く保つために、どのような方法を取るのでしょう?
もし、それができなければ、梅原構想は破綻してしまうと思うんだけどなあ。


済みません、なんだか読み難くなってしまいました[四不人] 1999年08月10日(火)11時46分21秒 より

>「あるわかりやすい特徴をもったSFの一部」を「サイファイ」と呼ぶようにする
 私が疑問があるのはそこなんです。「あるわかりやすい特徴をもったSFの一部」というのの実体が良く分からない。例えば良く引き合いに出される「新本格」は「わかりやすい特徴」をもっているとは言えないのでは無いでしょうか? 今一言で「新本格」とはなにかを説明できる人は一般読者の中には非常に少ないと思います。「ホラー」についても同様でしょう。万人が納得する現在の日本で使われているホラーの「分かりやすい特徴」なんてのは無いのでは?

>梅原さんにとって大事なのは「日常から徐々に違和感なく入り込む異世界」といったストーリー展開
 この場合には殆どのSF(メタ超言語云々も含んで)が入ってしまうでしょう。
 「これはサイファイであるか」という議論は、「これはSFなのか」という議論と同じくらい不毛だと思います。そもそもサイファイというのは著者から出版社への戦略の提案だったと思います。とすれば「これはサイファイか」というのは出版社が出版戦略のために決めることでしょう。三枝さんのおっしゃるとおり、作家は作品を作る専門家であって売る専門家では無いですからね。
 もちろんこうしたことを嫌って梅原さんがサイファイをやめて「サイファクト」を立ちあげてもかまわないと思います。競争は活性化を産むかも知れませんから。
 商標登録なんてのは分野の活性化には逆行すると思います。島田荘司さんがいちいち「これは新本格、こっちは違う」何てことを判定していたとは聞かないし、またそんなことをしていたら盛り上がらなかったのではないでしょうか?
 一番理想的な展開は
1.梅原さんや若手作家がサイファイのレーベルでジャンジャン作品を書く
2.そのうちの1、2作が大ヒットとなる
3.サイファイのレーベルが「売れセン」となり、大量の新人が「サイファイ」でデビュー、絶版中の多くのホラーやSFの名作が復刊される
4.新人の中からまたヒットが産まれる
というものですがいかがでしょう?


サイファイ、とは定義できるのか、否か?[ちぇろ子] 1999年08月10日(火)14時45分40秒 より

ただ、四不人様、BUKU様の意見は、「サイファイが売れてしまったら、梅原氏だけのものにしておくのは無理」ということのように、私には読めました。
(パラフレーズが間違っていたら訂正しますので、仰ってください)
そうすると「サイファイと名が付くメタ言語小説」が売り出されてしまう可能性があります。

私としては、このあたり、梅原氏自身がどう考えているのか知りたい気がします。
「サイファイは梅原氏(と特定の編集者)が管理するものなのか」
「だれでも使ってよい名前なのか」
それによって、サイファイの方向性って、全く変わってきちゃうと思うんですよね。


怠け者の結論[四不人] 1999年08月10日(火)15時37分53秒 より

[PickUp !]


誰かいないかな[四不人] 1999年08月10日(火)18時45分01秒 より

>つまり、以前のSFにとって「本道ではなかったもの」「SFに似ている
>SFでないもの」とされていたものが、今度は中心にすわるわけです。
 それは分かりますね。例えばスペースオペラはかつて「SFじゃない」といわれたこともあったけど、今ではSFの(あるいは平行する)サブジャンルとして独立している、と。
 すると問題は「サイファイの価値の中心点は何か」ということだと思います。今提案されているものを一口で言ってしまえば「売れるエンターテイメント」ということだと思います。これが問題なんですよ。
 売れる(というより「売れる可能性の高い」ですね)かどうかはっきり言って分からない上に、この「売れる」という言葉に「売れるんだったら何でもいい」「売れることが唯一の価値だ」というニュアンスを感じてしまう人は多いんじゃないかと。それが梅原さんの本意とは思えませんけどね。
 そして「売れる」という主軸だと、単なるテクニック論になってしまう危険性があるのではないでしょうか。「こういうキャラクターをだせばよい」とか「作品にいれるはやりのキーワードはこれだ」とかですね。テクニック論が悪いとは言いませんが、ジャンルやレーベルの主軸にするにはあまりにも俗っぽすぎるのではないでしょうか。たぶん、ちぇろ子さんの感じた「不純さ」っていうのはこんなところに由来するのでは無いかと思います。
 何か「売れる」に替わる良い表現は無いのでしょうか?

>ああ、この感じはわかります。
>確かに、サイファイが思いの外大成功をした場合、こっちの現象が起こる
>可能性があって、これは怖いと思います。

 そうでしょう! そこを分かって頂けて嬉しいです。だからこそサイファイの間口は広く取っておいてもらいたいのです。そうすれば危険性が少しでも減らせるでしょう。それにもったいないと思うんです、あまり狭めると。例えば、以前に「薔薇の名前」という小説がありましたよね、SFじゃないですが。あれは難しいまさに「超メタ言語小説」でしょうが、映画のおかげもあって「エンターテイメント」として買われ、読まれたんじゃないかと思います。SFならギブスンの「ニューロマンサー」。これも難しい内容でした(私にとっては)。でも良くわかんないけどワクワクするような小説でした。でもサイバーパンクという絶妙のキャッチコピーで売れた。 つまり作品さえ良ければ売り方次第で「エンターテイメント」になる、売れるようになるということではないでしょうか? 
 こうした作品を落とすのは新ジャンルにとってもったいないと思うのです。


間口の大口[四不人] 1999年08月11日(水)14時31分26秒 より

>間口を広く取りすぎたら、やはり旧来型のSFとの差が明らかにならないでしょう。
 その「旧来型SF」と「サイファイ構想」との違いがそれほどないように思うんです。というのは「SF関係者」がどう思おうと「ジュラシック・パーク」は一般の読者にとっては明らかにSFと捉えられていると思いますよ。しかも「サイファイ」がターゲットにしようとしているのは、まさにその層でしょう? 一般読者に取ってみればクーンツも梅原作品も「SF」でしょう。
 「「本道ではなかったもの」「SFに似ているSFでないもの」とされていた」のは「SF業界関係者」の間だけでしょう。私には梅原さんの意見(それに三枝さんのご意見も)はあまりにも「業界関係者」の方ばかり向いているように思えるのですよ。賞とは無縁でも梅原作品は購入され(つまり読者の支持ですよね)、文庫化された(出版社の支持ですね)わけですから、SF業界の外から見れば「SFの本道でない」なんて言えないと思うんです。
 もしも「梅原サイファイが、実際のところSFの一ジャンルにすぎない」のなら、事情に詳しい「業界関係者」以外の読者には「SF」と「サイファイ」の違いがかえってよく分からなくなると思うのです。
 私はだから「サイファイ」は「ホラー及びSF」の大部分と「伝奇小説(まだ良く分からないけど梅原さんの新作はこれに近いのでは?)」「架空戦記もの」を全て含み、「ミステリ」の一部を包含するくらいのラインナップで始めた方が、一般読者に「今までのSFじゃないものが多いなあ」と思ってもらえて差別化が図れるのでは、と思います。

>私はあのムーブメントは逆に「キャッチコピーだけでは売れない」という証明になった例だと思っていました。
 私が言いたかったのは
・「エンターテイメントとして」優れた作品には売れたものと売れなかったものとがある
・売れた作品にも優れたものと、そうでないものとがある
・「優れた売り方」をした場合には「優れた作品」は必ず売れる
 という当たり前のことで、ギブスンの場合には「優れた売り方」というのが「サイバーパンク」というコンセプトだったと言うことです。
 サイバーパンクが日本においてジャンルに成長しなかったかどうかは議論のあるところでは? 確かに小説としては柾五郎(字が違っていたら済みません、今手元にないんで)さんくらいしか今ぱっと思い出しませんが、コミックや映画関係を含めると、かなりの作品が「サイバーパンク」という言葉のおかげで世に出たのではないかと思います。それを育てることができなかった(とすればですが)としてもそれは「サイバーパンク」のせいではないでしょう。


いろいろ[小林泰三] 1999年08月11日(水)23時56分12秒 より

[PickUp !]


まあ、そう言わずに入れて下さいよ[四不人] 1999年08月12日(木)14時56分56秒 より

>メタ言語的小説が売れたとしても、それは売れるSFであって、サイファイではないで良いと思いますよ。
 そこで一番最初の疑問に戻るんですよ。「SFにとってサイファイはいいことか」という。
 個人的にはメタ言語的小説でエンターテイメントとして評価できるものはサイファイのレーベルに入れて欲しい。その方が売れる可能性が高いし、売れれば新しい作品も出てくるだろうから。入れてはいけない積極的な理由が無いなら入れて欲しいな。
 ジャンルのアイデンティファイはしにくくなるでしょうが、「ホラー」「新本格」「ミステリ」といったやはりアイデンティティの曖昧なジャンルの成功を見るとジャンル自体のアイデンティティはさほど重要ではないのでは、と思ってしまいます。むしろそれは市場にまかせて(売れる傾向のものは沢山新作が出、売れないものは自然に書かれなくなる)、サイファイはスペースオペラやヒロイックファンタジーも包含する「異世界(未来、宇宙、超自然をふくむ)を重視するエンターテイメント」くらいの大きなくくりでいいんじゃないでしょうか。


もう一つの道[四不人] 1999年08月12日(木)18時41分04秒 より

 サイファイ以外のSF復活法ですが、何と言っても読み手が少ないという問題をなんとかしなければならないでしょう。
 もっとも有力な読み手の供給源は中高生ですが、この層はもう絶望的に本を読んでない。もちろん読む人もいるでしょうが圧倒的に少数派です(←高校の先生をしている友人の意見)。
 そこで、
・唯一ある程度読まれているYAの作家たちに本格SFを書かせる
・そのための媒体(雑誌)を用意する
・巨匠、中堅SF作家たちにYAを書かせる
・そのための媒体(YA文庫の新ラインナップ)を用意する
 なんてのはどうかと思います。ともかくYAを読んでいる層に「この作家好き」と思わせ、その作家の本格SFを読ませる、という戦略です。
 YA出身のSF作家が今でもいらっしゃいますが、それを大量に組織的に創り出そうというものですが・・・。
 そんな事業をやる出版社はないでしょうね。


梅原さんは我が道を行くでしょうね[四不人] 1999年08月12日(木)18時49分55秒 より

>一方はなんでもかんでも突っ込む方法。もう一方は、限定して特徴を出す方法。
 限定して特徴を出したものでそんなに成功したものってあるんですか? 唯一思いつくのは「架空戦記」もの、「スペースオペラ」ものですが、そんなに成功してるって言えるのかなあ。


構想の目的[小林泰三] 1999年08月13日(金)01時19分33秒 より

[PickUp !]


読者の問題[四不人] 1999年08月13日(金)15時10分09秒 より

>(a) SF には本来「日常型」とスペースオペラを含む「非日常型」
 なるほど、「日常型」と「非日常型」ですか。そういう分け方もできますね。私はSFにはエンターテイメントか否か、スペースオペラか否かとかに関係なく、
・読者をあんまり選ばないもの
・読者を選ぶもの
 とがあるんじゃないか、と思っています。大体SFというのは読むのに科学知識やガジェットに対する知識を必要としますよね。凄い架空理論が展開されていても、それのどこが「架空」の部分かが分からないと感心のしようがないですから。そういう意味で読者を選ぶ性質があると思います。
 「日本沈没」とか「アダルト・ウルフガイ」とか「戦国自衛隊」とかヒットした作品は、比較的そうした読者の選び方が少ないものだったのではないでしょうか? 翻訳ではアシモフやハインラインはあまり読者を選ばず、ラッカーやラファティ、それにヴァーリィなんかも読者を選ぶのでは。
 問題は、そういった「読者を選ばない大作」がここ最近あんまり出てないことなんだろうと思います。そうこうしているうちに「SF」という言葉に新鮮味がなくなり、せっかく出てきた「読者を選ばない大作」(例えば「パラサイト・イヴ」とか)には使ってもらえなくなった、と言うことではないでしょうか。

 読者を選ぶかどうかは難しい問題です。これは多分ちぇろ子さんと話していた「作品世界のリアリティ」と関係するのでは、と思っています。つまり現実科学の延長線上にあるような世界構築を持つSFの場合、SFファンや科学に詳しい人は、作品世界の中で成り立っている現実科学との整合性を読みとって「リアリティ」を感じますが、科学に詳しくない人にとっては、いかに整合性があってもそれで「リアリティ」を感じることが少ないでしょう。従って、その人にとって作品世界の「リアリティ」は人物造形や風景描写によって判断され、「何じゃこりゃ」という読後感になりかねません。
 私は作家でないのでホントのところは分かりませんが、読者の科学や先行作品に対する知識によっかかって作品を書く方がより簡単なのではないか、と想像します。それが結局「読者を選ばない大作」が最近出てこなかった原因では、と思ってますが、小林さん、作家としていかがでしょうか。


一般読者の感想[T.K.] 1999年08月13日(金)18時14分53秒 より

このような一般人からみて不思議なのは、「ジャンルの立ち上げ」がそのまま一般読者への本の売れ行きにつながるという梅原氏(およびおそらく皆さん)の認識です。われわれが本を選ぶとき、「好きな作家」は意識しますが、「ジャンル」は特に意識しません。私の例で言えば浅田次郎さんも京極夏彦さんも好きな作家ですが、このお二方は恐らく同一のジャンルには属さないでしょう。

あえていえば「ジャンルを意識」するのは、多少とでもマニアックな人に限られるのではないでしょうか? たとえば「そのジャンルの本を次々読んでやろう」と思うのは、マニアに片足突っ込んだ証拠ではないでしょうか? 

もし一般の人がジャンルを意識するとすれば、あるジャンルを「好きなジャンル」を意識するよりは「苦手なジャンル」として意識する場合が多いと思います。たとえば私は「新本格」にはどうもなじめません(もちろん京極さんは別ですが)。

そういう意味で、売れるためには(実もふたもない言い方ですが)面白そうでさえあればいいのです。「カムナビ」がたとえSFと名うたれていようと、サイファイと名うたれていようと、私は買うでしょう。伝え聞いた導入部がとても魅力的だからです。

ジャンル名でいえば「サイファイ」という耳慣れない(マニアックに響く)ジャンル名は一般人をむしろ遠ざけていまうのではないでしょうか。これが「ホラー」のような、もっとさりげない名称であればOKなのですが。

SFの目下の不振は、むしろ力量のある新人が続出しないことに問題があるのではないでしょうか。もし優れた新人が次々と登場すれば、それらをひとくくりにするジャンル名は自然発生的に出てくると思います。その意味で、皆さんの議論は本末転倒であるような印象を受けないこともありません。

四不人さんの「読者を選ばない大作」待望論は全く賛成です。大作であれば、色々なものを盛り込むことができますから、それだけ読者の受け皿が広がると思います。ちぇろ子さんは作家の方のようですが、恐らく作家としての御執筆は別のペンネームでされていると推察いたします。もしかすると非常に有名な方なのかもしれませんね。色々失礼なことを申したかもしれませんがどうぞご勘弁ください。


ジャンルよりレーベルよりブランド[中村モンロー] 1999年08月13日(金)22時25分30秒 より

>このような一般人からみて不思議なのは、「ジャンルの立ち上げ」がそのまま一般
>読者への本の売れ行きにつながるという梅原氏(およびおそらく皆さん)の認識で
>す。

梅原さんはそうかもしれませんが、ここで議論をされている方たちの多くは、おそらく「梅原さんの言っていることに、些かなりとも正しいことが含まれているとすれば」という仮定の下で議論を進めているのではないかと思いますよ。
梅原構想のヘソは、「(SF慣れした人以外の読者にとっての)エンターテインメント小説と、そうでない物を一目で見分けられるようにした方が、読者に対して親切なのではないか」という問いかけではないかと思うのですが、その問いかけ自体には意味があるのではないかと考えています。


読者を選ばない作品[小林泰三] 1999年08月14日(土)09時36分38秒 より

> 問題は、そういった「読者を選ばない大作」がここ最近あんまり出てないことなんだろうと思います。

例えば、「SF マガジン」の年間ベスト SF の投票企画を見ると、昨年のベスト10は

《中略》

となっています。僕的には「読者を選ばない大作」は毎年結構出ていると考えています。問題なのはなぜそれを出版社が「SF」と呼ばないのかということです。


僕の原体験。[akaosug] 1999年08月15日(日)13時58分40秒 より

>SFは売れない
 だいたい昭和30年代ぐらいからそーゆー話になってるんじゃないでしたっけ?
「だから僕はSFの流行なんて信じない。SFがSFの檻の中で豚みたいに増えたところでなんの自慢にもなりはしないからだ」(c)安部公房(うろ憶え)
 高校のとき帰宅のバスの中で気づいたら客は僕一人、国道6号は田んぼの中、運転手さんが「にーちゃん、なーんの本読んでんだ?」「え、えすえふです」「えすえふって空想するってことだっぺ。俺らにはなんだかわがんねーなぁ」78年頃す。

 あ、森下さんのページ人気投票では、98年の国内1位はブギーポップでしたね。


(無題)[小林泰三] 1999年08月15日(日)22時21分29秒 より

>SF は売れない。
昭和30年どころか、売れていた時期は昭和50年代に限定されるような。あのころは SF 専門の小説誌が4つも同時に出ていたりしてました。


ヴァーリィを未読の頃に戻って読みたいなあ[四不人] 1999年08月16日(月)00時03分14秒 より

>僕的には「読者を選ばない大作」は毎年結構出ていると考えています。
>問題なのはなぜそれを出版社が「SF」と呼ばないのかということです。
 同感ですね。ただ、年刊ベストとかに挙げられる「読者を選ばない大作」の殆どが、いわゆる「SF業界」の外から供給されているということは、やはり「SF業界」がそういう作品の供給を怠ってきたということではないかと思います。もちろんゼロではないでしょうが。


そんな「業界」はないのかも知れませんね[四不人] 1999年08月16日(月)10時35分28秒 より

>この場合、「SF 業界」とは何を指しているのでしょうか?
 すみません、適当な言葉で書いてしまいました。「SF業界云々」という言葉で言いたかったのは、「自分をSF作家だ」と考えて作品を発表されている作家やSF出版を多く手がけている出版社(今の所早川と創元くらいでしょうか)から出た作品が少ないのでは、と言うことです。

《中略》

 いずれにせよ、SFの「年刊ベスト」として挙げられるような作品の中に、あるいはベストセラーリストに載って大ヒットした作品の中に、ここ最近いわゆる「SF作家」のものがあんまりないというのは事実じゃないでしょうか? もちろんゼロじゃないと思います。「星界の紋章」もありましたし、(小林さんがご自分を「SF作家」と思って下さるなら)「玩具修理者」などもそうでしょう。ただ、「SF」というくくりが注目されるほど数が出ない、と言うのは間違いないと思うのです。

《中略》

 梅原さんのサイファイ構想は「日本はもうおしまいだ。手先の器用な奴、柔道のできる奴だけ集めて新しい国を作るぞ。そうしないと強い国にはなれん。新しい国の名前は「やまと」だ。」みたいに聞こえるんですよ。おっしゃるとおりかもしれないけど、そんな国はちょっとやだなあ、と。
 「日本沈没」でも滅びるときになって「日本とはなにか」「一体日本人であるとはどういうことか」ということが問題になるように「日本」を「SF」に置き換えても同じ事が言えるような(笑)。閉鎖的なとこ、世間に理解されていないとこも似てるかなあ、と。
 「民族」の端っこにいる者とすると、「新しい国の名前が「サイファイ」でも「新本格SF」でもいいや。もし住み難けりゃあ、「ホラー」や「ミステリ」に移住してもいいしな。別にどこに住んでも魂は「日本」人だ」とか思っています。


なんでもSFでいいじゃないか、と、私は思うんですけどね[ちぇろ子] 1999年08月16日(月)12時45分03秒 より

>同感ですね。ただ、年刊ベストとかに挙げられる「読者を選ばない大作」の殆どが、いわゆる「SF業界」の外か
>ら供給されているということは、やはり「SF業界」がそういう作品の供給を怠ってきたということではないかと思
>います。もちろんゼロではないでしょうが。
努力を怠ってきた、というより、切り捨ててきたものが多い、ということではないかと思います。
SFの人は、しばしば「こんなのは本当のSFではない」とか言ったりするでしょ?

現在、世間の人が考えるSFっぽさと、いわゆるSF者が考えるSFには、かなりギャップがあると思います。
世間の人にとって、「SFとは、とりたてて新鮮なラベルではない」けれど、SF者にとって、「SFとはきちんと定義されるべきラベルである」わけです。

となると、作家の側からすれば、一般読者にとりたててアピールするわけでもなく、業界の人からは「こんなんSFじゃない」なんて言われる可能性のある「SF」というラベルに、今ひとつ魅力を感じない、ということもあるでしょう。

《中略》

サイファイが、SFからなにを切り離したいのかは、やっぱり謎です。
けど、梅原氏が新人を育てるというのなら、それはそれで良いんじゃないか、と思っています。
なんにしろ本が売れるのはいいことですし、新しい作家がデビューのきっかけを掴むのもいいことです。


卵が先か鶏が先か?[小林泰三] 1999年08月16日(月)12時57分45秒 より

たぶん、四不人さんの主張と僕の主張は同じ内容を別の側面から言っているのだと思います。言い換えると。
(1) とっつきやすい SF を 出している出版社が それを SF と呼びたがらない。
(2) とっつきやすい SF を 書いている作家が自らを SF 作家と呼びたがらない。
という現象が起きているのだと思います。この現象によって、さらに SFの評判は下落し、(1),(2)の原因となるという負のフィードバックがかかってるわけです。

20年前に宮部さんや瀬名さんや鈴木さんがデビューしていたとしたら、自他共に SF 作家と認識されたのではないでしょうか?


こんなのは SF じゃない。[小林泰三] 1999年08月16日(月)17時06分08秒 より

と言われるのを避けるため、SF 作家と名乗らない作家が増え、結果として SF を出版しにくい状況になったとしたら、由々しきことです。
まあ、SF 者が「こんなのは SF じゃない」と言った場合、真意は「これは自分の好きなタイプの SF ではない」ということが多いような気がしますが。
誰からも「こんなのは SF じゃない」と言われない作品はまれでしょう。

ということで、SF 関係者の方は上記発言をする時は単に「SF じゃない」というのではなく、

「こんなのはハード SF じゃない」
「こんなのはスペースオペラじゃない」
「こんなのは巨大ロボット SF じゃない」
「こんなのは馬鹿 SF じゃない」
「こんなのは地口落ちじゃない」

などと自分の守備範囲を明確にすることをくれぐれもお願いいたします。m(_ _)m


(無題)[小林泰三] 1999年08月17日(火)17時12分12秒 より

古参の SF 者がつい「こんなのは...」と言ってしまうのは、SFが長らくマイナーだったゆえ、培われた排他性のせいではないでしょうか?
おおげさに言うと、一般に理解されないという悔しさをある種の選民思想にすり替えてしまったというか。
そう意味では、梅原さんが排他的なのは SF 者の証かもしれません。


アメリカの書店の話など[小山田] 1999年08月18日(水)15時47分15秒 より

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日本の書店の話[小山田] 1999年08月20日(金)05時10分02秒 より

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ジャンルとレーベルとコピー[小山田] 1999年08月20日(金)10時26分18秒 より

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梅原構想の考察[小山田] 1999年08月20日(金)10時29分55秒 より

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三段階あるのですね[四不人] 1999年08月20日(金)11時38分54秒 より

>だから、これらの、旧来のSFとは異なる、エンターテインメント性にあふ
>れたSF的作品群を「SF」ではない名前で呼ぼうという提案には全面的に賛
>成します。
 実際には「旧来のSFとは異なる」のじゃなく「最近SF界から出てこなかった」と言うところだろうと思いますけど。
 私もコピーとしての機能を失いつつある「SF」に替わって新しい呼び名を作ろう、そしてそれには最近SFと名乗らなくなった多くのエンターテイメント作品を包含したい、という点には全面的に賛成したいです。これが梅原構想の最も評価すべき点でしょう。
 「サイファイ」に関しては語感はいいと思うのですけど。


段階と言っていいかどうか[小山田] 1999年08月21日(土)04時19分16秒 より

>実際には「旧来のSFとは異なる」のじゃなく「最近SF界から出てこなかっ
>た」と言うところだろうと思いますけど。

えーと、『パラサイト・イヴ』以降の「ネオSF」(とりあえず)は、SF志向でないレーベルから、SFでないコピーをつけて出ているというところにも特徴があると思うのです。付け加えれば、いわゆる「SF作家」ではない人たちが書いている、というのも特徴だと思います。言ってみれば「SF界以外から出てきた」ということですね。最近もなにも、SF界からはSF界以外のものは出てこれません。
もちろんかつて小松作品のようなものがあったわけですし、今後はSF界からも同傾向の作品が出てくるかもしれませんから、結局は「最近SF界から出てこなかった」だけ、というところに落ち着くのでしょうね。

(梅原さんは広義には「SF界の人」だと思いますけど、本人が「SF作家ではない」と言っていますし、レーベルもコピーもSFではないはずなので、梅原作品はSF界以外のもの、としたいと思います。ちょっと強引かな。)


作家にはるレッテルについて[ハル] 1999年08月22日(日)23時58分20秒 より

『「SF作家」「ミステリ作家」「ホラー作家」といったくくり方は流行らない』というよりも、むしろ「SF」「ミステリ」「ホラー」の垣根が曖昧になったからではないでしょうか?
少々古い例ですが、瀬名秀明氏の「パラサイト・イブ」は、良い例だと思うのです。
しかし、作家にレッテルがはれないからこそ、作品の所属するレッテルが必要と言うのは、その通りだと思いますけれども。


文体を真似ることはできても、その作家には決してなれないのよね[ちぇろ子] 1999年08月25日(水)11時59分03秒 より

>もちろんかつて小松作品のようなものがあったわけですし、今後はSF界からも同傾向の作品が出てくるかもしれま
>せんから、結局は「最近SF界から出てこなかった」だけ、というところに落ち着くのでしょうね。
まずは、「なぜSF界から出てこなかったか」ということです。
私は「SFに長いこと新人賞がなかったこと」が一つの原因ではないか、と考えます。
もちろん賞をとらずに作家になる方もたくさんいます。
ただ、とりあえず作家になるためには、「メジャーな賞を穫る」のが早道です。
そして、穫った賞によって、その作家が所属するジャンルが、だいたい決まってしまいます。
本来ならSFの賞を目指したい人が、「SFに賞がなかった」ために他の賞に応募する」ってこともあったでしょう。
けど、今度、SFにも新人賞ができましたよね。
どのような作品が出てくるのか、とても楽しみにしています。


SF 界って?[小林泰三] 1999年08月26日(木)08時24分55秒 より

>「いわゆるSF作家」というのも、甚だ曖昧なところがありますよね。

みなさんが想定している SF 作家とは誰のことかというのを具体的にあげれば、議論に混乱が少ないかもしれませんね。

>私は「SFに長いこと新人賞がなかったこと」が一つの原因ではないか、と考えます。

僕もこの意見に賛成です。もし、SF に新人賞があったら、僕もそちらに応募していたかもしれません。


相手が誤読していると誤読しているというのは誤読だと思う私[小山田] 1999年08月26日(木)16時33分07秒 より

いずれにせよ、ネオSFの定義は考え直すことにしてます。「ジャンル」というものを定義することが良いかどうかも含めて。 なんとなく、「ジャンル」っていうのはアメリカの書店の棚みたいなもので、リストでしか示せないものなんじゃないかと思うんだな、私は。


SF 畑[小林泰三] 1999年08月26日(木)18時00分49秒 より

議論が進む前に確認しておきたいのですが、SF 畑出身とは具体的にどういうことでしょうか?

(1) SF マガジン出身
(2) デビュー作が SF

ぐらいかなと思うのですが。
ただ、どちらにしても 現在は SF 畑出身の作家は生まれにくい状態です。

まず、SF マガジンは公募をしていませんから、SF マガジンからデビューするのはとても難しいのです。(不可能ではないが、稀)

また、ヤングアダルト以外で SF となうった小説はほとんどありませんから、大人向けのデビュー作が SF だという作家も極めて珍しいと思います。

つまり、SF 畑出身者が先細りなので、SF 畑出身者のヒット作が減少傾向にあるのではないでしょうか?


盛り上がってるところ水を差して恐縮ですが[akaosug] 1999年08月27日(金)20時22分59秒 より

分析としてこれなんか面白いなと思いました。大森さんのリンク集からも行けますが、えい、HTMLの練習だっ。
岡本さんのページ

あと、これなんか見ると、山田正紀は大量のサイファイを生産し続けているように見えます。
作成者どなたかわからない
これらがどのくらい売れたのか分かりませんが。「妖虫戦線」マレーシア行ってどうなったんだよう?
夢枕獏、菊池秀行、田中芳樹なんかはヒットした部類に入らないんでしょうかね? 荒巻義雄はじめ架空戦記チームは? 
梅原さん的には「首都消失」(85年)がSF最後のヒット作だったりして(^^;)


お返事遅くなりました。>三枝さん (その1)[小林泰三] 1999年08月28日(土)02時03分44秒 より

三枝>一線を画すことと、排他的になることとは別です。特に、従来のジャンルが排他的であった場合は。

では、「サイファイ構想」には排他性はないのですか? 神林さんや大原さんが自らの小説を勝手に「サイファイ」と名乗ってもいいのですか? もし内容が梅原さんのいう「サイファイ」とかけ離れていたとしても、抗議されないのでしょうか? もし抗議しないということであれば、「サイファイ構想」もまんざら駄目ではないかもしれません。
ところで、SF って排他的ですか? スペースオペラもハード SF も超メタ言語 SF (この呼称には賛成できないのですが) も、最近ではホラーやヤングアダルトまでも受け入れている非排他的なジャンルだと思うのですが。

《中略》

三枝>既存ジャンルが売れていないから、別物と主張することに意味があるのです。

数年前までホラーはあまり売れていませんでした。しかし、角川ホラーはホラーとは別物だとは主張せずに、成功していますね。


皆さん「超メタ言語SF」とやらが嫌いなんですね[四不人] 1999年08月30日(月)19時49分33秒 より

 この点は小山田さんも三枝さんもご意見は同じように思うのですが、「超メタ言語SF」(その実体もあきらかでないけれども)はエンターテイメントになり得ない、あるいは「サイファイ」なり「ネオSF」なりに加えられないとすれば、それは何故でしょうか? 「超メタ言語SF」を含むかどうかがSFとサイファイの差別化になるほど「超メタ言語SF」がメジャーとも思えません。小説の出来不出来は別として、旧来の意味の「SF」であってエンターテイメントになり得ない作品は非常に少ないのではないかと思うのです。梅原さんの書いている「日常から徐々に非日常へ」と言う条件も、殆どのSF(超メタ含む)に当てはまりますよね。
 「売れるかどうか」も「超メタ言語SF」を「サイファイ」から区別する理由にはならないでしょう? 筒井作品や神林作品は結構売れているように思えます。バラードだって結構売れてると思うんだけどな。

 もっとも「超メタ言語SF」とは何か、というのは各人違うのでしょうけど。


参考まで[四不人] 1999年08月31日(火)15時12分30秒 より

>まあ……一時は大論争的なものもありましたからねぇ。
>今でもSFの人は「センス・オブ・ワンダー」とか「SF魂」とか言っちゃうもんで、雰囲気は
>おわかりいただけると思いますが。
 そういう言い方をすることは良くありますね、私も「魂」なんて良く言ってしまいますが。でも、大論争にしても所詮コップの中の嵐ですよね。それがSF者でない読者に強い影響を与えるとは思えないんですよ。そしてそういう読者がサイファイのターゲットでしょう?
 普通の読者にとっては「面白いSF」と「そうでないSF」があるだけで、「SFだ(と名前が付いている)から読まない」という現象には私は出会ったことがまだないです。
 まあ、「SF者が一般読者に与えた影響」なんてのは定量的なデータで示せないので主観的にしかなりえないですけど、他の皆さんいかがでしょう?

《中略》

>読者はどうだかしりませんが、出版業界では一時期、「SFと書くと売れない」という言い方は
>実在したそうです。
 だから問題は「読者」ではなく「出版社」の方であろうと。そしてそれは、おっしゃるような「SFは、「SFならば面白いはず」と思わせる魅力的なイメージを失ってしまった」のではなく「宣伝文句」として古びてしまった、というとこではないかと思います。


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