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大森サイファイ伝言板ショートカット


サイファイとSF1999年07月15日(木)03時23分18秒より

》読者にサイファイを語るときにはどうしても従来SFとの区別を明示せざるを得ないのではと考えるからです。「SF」という単語を使うことなく「サイファイ」というジャンルを説明することは不可能だと思います。

これには同意します、あまのじゃくさん。結局SFですからね、サイファイは。

《中略》

だから、これはやり方だと思うのですね。うまくすると、サイファイは他のジャンルの小説からSFへの入り口として機能するかもしれない。もちろん、人によればサイファイで立ち止まってSFに行かなくても良いのです。それでも、わかりやすい入り口のない現時点より、より多くの人がSFにすんなり入れる状況になるかもしれませんよ。


小林さん1999年07月22日(木)10時35分40秒より

「梅原さんのサイファイ構想は、商業的に特に問題があるものではない。むしろ現在のSFにも良い影響を与える可能性がある」という私の主張が間違っているというお考えですか? それとも、その主張は認めるが、結論に至る道筋が誤っているというお考えですか?


サイファイ構想について話して下さい1999年07月26日(月)17時40分37秒より

私は梅原氏の提案するサイファイ構想はSFに対してプラスになる可能性はあるが、マイナスになる可能性はないと考えています。
なぜならそれが失敗した時は「SFが失敗した」とは言われず、それが成功した時は「サイファイはSFの一種」ということがSF側としては可能となるからです。良いことばかりの結果ですね。
だから反対する人間の神経がわからないと思います。


自分の過去ログは読めといい、人の過去ログはきれいに忘れるのでは、ちょっとね。1999年07月27日(火)17時39分11秒より

私がなぜ延々梅原提案についてお話していたのか、すっかりお忘れのようですね。
梅原提案には「SFにとって(商業的には)デメリットとなる部分はなく、メリットしかない」にもかかわらず感情的思いつき的な批判ばかりしている人がいる。もう少し冷静にみられないものかと思ったから、「梅原さんのご提案は、そう悪いものでもないでしょう」と、言っていたのですが(笑)。
つまり、梅原提案の良い面は見ずに一方的に反対する方に、「それは違う」と言っていたので、小林さんが梅原提案の良い面を評価されているのならば、議論をする必要はないのです。


そういう俗なイメージが欲しかったのでは?1999年07月30日(金)07時20分31秒より

子供がSFに最初に入っていく段階は、怪獣(異生物)とかロボットとか、とても俗なものです。しかしその子供だまし感覚こそ、SFの楽しさの一つでは?
今のSFは高尚になりすぎたり、純文学化しすぎたりして、SFの馬鹿馬鹿しい楽しさを見失っているから、読者が離れたのだと梅原さんは考えたのかもしれません。

Sci-Fiが侮蔑的な意味があるかどうかはともかく、侮蔑的な意味があると聞いて、梅原さんが喜んだろうことは間違いないと思います。


また、小林さんの立場ってのがわからなくなったのですが1999年07月30日(金)09時29分02秒より

》もっとも、推理小説がミステリーとなったり、恐怖小説がホラーとなったように
》SF がサイファイになったりスキッフィーになったりする可能性はありますが、
《これは単に名前が変わるだけの現象と考えていいでしょう。

こういった考えはイデア論的にも変だし、言葉というものに対する感覚としても変なのではありませんか? 名前を変えるってのは、従来の名前では現せない状況がでてきたから、または従来とは異なるジャンルを作り出すことを目的とするからでして。
(ちなみに小林さんのこの文章は変・笑。「日英翻訳」を2つ例にしたあと、「ように」でつないで、「概念変換」もしくは「時代変換」があがってている。この3つ、前の2つと最後の1つは等価ではありません。)


近視眼的な視点だけで見ない方が良いのでは?1999年08月02日(月)20時51分33秒より

同様に、梅原さんが「サイファイ」をつくり、活性化しようと努力されることによって、結果として「SF」というジャンルを活性化する可能性もあるのではないかと思うのです。


努力が当選率の上昇に寄与する宝くじですよ1999年08月03日(火)07時43分38秒より

新しいジャンルをつくるという点で同じです。違いは、元のジャンルの内につくるか外につくるかだけです。
正直言って私は、内か外かに意味はないと思います。
新しいジャンルとは、「商品の差別化」に他ならず、それがどこに区分されるかは、実のところは消費者が決めることだからです。

SFと完全に縁を切ろうと声をあげたのは、彼が最初でしょう。だから、ここまで反発された。


いやあ、偉いわ。(マネできんわ^^;;)1999年08月03日(火)20時47分12秒より

》梅原さんがやろうとしているのは誰も試みたことのないものだ、と。

梅原さんのやろうとしていることは全く新しいことです。
しかし、何にも似ていないことではない。全く何にも似ていない試みはどこにもありません。
この場合、新本格に似ている。場合によれば、角川のホラーに似ているでしょう。

》梅原構想に問題があるとするなら、まさにその既存のジャンルと手を切るという点なのですから。私はそうだとは、思いません。

「手を切る」というのは、梅原さんの主張では、「別の物だ」と主張することです。今までSFが蓄積してきた手法や、ガジェットを放棄するわけではありません。
どうも、小林さんは「手を切る」という言い方に意味なく拘泥されているようです。しかしサイファイ構想を読めば、「手を切る」とはまさに「別の物だ」と言うことにすぎないことがわかります。
別の物だということが「手を切る」ということならば、恐怖を扱ったSFの大部分から、すでにSFは「手を切られて」います。
つまり「手を切る」とは、単なる「商品の差別化」にすぎません。

》既存ジャンルと手を切ることが当選率を上げるのですか? メカニズムをお教えいただけますでしょうか?

梅原さんの言う「手を切る」とは、「商品の差別化」にほかならないからです。


引用は無意味ですね。あなた自身の記憶がそれでもあやふやなのですから。1999年08月04日(水)09時50分56秒より

》新本格と角川ホラーがそれほど似ているとは思いませんが、

前にも書きましたが、新しいジャンル区分の提示という意味で似ています。ジャンル域を限定するという方法と、ジャンル域を拡大する方法との差がありますが。

》三枝さんは新しいジャンルを既存ジャンルの中に作るか、外に作るかで違いがあると思いますか? それとも、ないと思いますか? 僕はあると考えているのですが。

前にも書きましたが、私は特に大きな差ではないと思います。所詮は商品の差別化であり、ジャンルとジャンルの関係は、流通の人間や消費者の決定する事項だからです。

《中略》

前にも書きましたが、「手を切る」というのは大きなポイントではありません。それは「別のものだと主張する」だけのことですから。
旧来のジャンルが積み上げてきた手法やガジェットを放棄することではありませんので


サイファイ構想の問題点1999年08月04日(水)19時24分17秒より

》一つご意見を聞かせて下さい。梅原さんの構想のまずいところはどこだと思われますか?

最大の問題は、やはり説明が下手だということでしょう。
あれは作家の文章(娯楽的要素のありすぎる文章)で、企画立案者の文章じゃないです。
結論が先にあって、その説明はあとからつけたような構想ですので、いっそ、説明パートは排除した方がすっきりするような気もしないでもないです。

それから、構想以外に、梅原さんのリーダーとしての問題点は、執筆速度が致命的に遅いことだと思います。

細かい問題点は、もちろんまだあります。しかし、これまたもちろん、良い点、というより魅力的な点も、沢山あります。


ごまかしはいけませんよ、小林さん。1999年08月05日(木)09時21分01秒より

新本格は限定し、角川ホラーは拡大したのです。両方共通の点は、【ジャンル域の変更を行った】です。
一線を画すことと、排他的になることとは別です。特に、従来のジャンルが排他的であった場合は。

《中略》

小林さんの、誤読です。「手を切ること」は重要ではありません。
重要なのは「商品の差別化」です。「商品の差別化」のためにわかりやすいレッテルである、新しいジャンル名が必要なのです。


まず「サイファイ構想」から1999年08月06日(金)08時48分51秒より

梅原さんは、まさに「今までSFとして扱われなかったもの」「SFっぽい、SFに似たくず」しかし「実際には最も読者に歓迎されるもの」をサイファイと呼ぼうと提案しているのです。


いくつかの認識違いがあります1999年08月06日(金)17時51分48秒より

》SF がブームだったのは、1970年代後半から、1980年代前半の短い時期でした。つまり、SF が売れないのが普通の状態で、売れた時の方が異常な状態だったわけです。

ここには、3つの間違いがあります。

まず第1は、
SFブームの期間に関する間違いです。
「タイムトラベラー」も「日本沈没」も「猿の惑星」も、いずれもブームは1970年代前半にありました。その後、「スター・ウォーズ」「エイリアン」「ターミネーター」「ガンダム」「ヤマト」「銀河鉄道999」などのヒットがあります。つまり、SFブームは少なくとも1973年から1982年の間の最低10年間は続いているのです。(旧伝言板での三枝のログを再確認のこと。)

第2の間違いは、
SFが売れないというのは日本だけのことだ、米国では売れていると、旧伝言板での議論の際、指摘して下さった方がありました。
つまり、SFが売れないのは「日本だけの特殊事情」である可能性があります。(あたしゃ、知りませんけどね。それが事実かどうか。)

第3の間違いは、
SFは生まれてから現在までの歴史がきわめて短いジャンルだということです。
きちんとしたジャンルとして認識されてから、半世紀程度の時間しかたっていません。何百年もの歴史があるホラーとは、わけが違うのです。
その半世紀程度の短い歴史しか持たないSFにおいて、ブームの時期が10年以上あったということは、【SFは基本的には売れるジャンル】であるということではないでしょうか。


確かに進学校なんだけど1999年08月07日(土)06時54分13秒より

要は「サイファイ」ってのは「売れる技術を教えて、みんなでもうけようぜ」って思想なのね。進学校が、「受験技術を教えて、みんなで合格しようぜ」なのと同じなのね。

《中略》

つまり、売れる書き方自体は、【サイファイ構想の側が提案する】の。
「売れる本をサイファイと呼ぶ(偏差値の高い大学に受かった子をうちの中学の出身ですと言う)」じゃないの。


エリート学校は「作者の学校」。読者はエリートではない。1999年08月07日(土)14時26分54秒より

生き残るための方法論ってのは、二種あるのね。
範囲を広げて制限をしない、余裕をもたせることによる方法が一つ。もう一つは、範囲を制限して、わかりやすい特徴を押し出すってこと。

《中略》

「サイファイ」に関しては逆で、今までのSFがある種エリート傾向に偏ったので、「気楽で、娯楽性があって、スケールの大きいバカ話」をしたいという方角に向いているので「サイファイ構想」ね。読者がとっつきやすいように工夫をこらしていて、読者には特殊な訓練も慣れも必要ではない。


やっぱり意義があるのでは? 「サイファイ構想」1999年08月08日(日)10時30分43秒 より

》やはり、梅原さん監修の「サイファイ文庫」、「サイファイ・シリーズ」が妥当でしょう。これが当れば、他の出版社もまねをしそうですが、その時はスペースオペラも超メタ言語もサイファイと呼ばれそうです。

ええ、ですから、梅原さんの「サイファイ構想」は、「SFにとってもメリットがある」と言ったのですよ。
どうしてそれが、こういったことを仰る小林さんに、すんなり理解してもらえなかったのかしらん?


つまりそこなんですよ1999年08月09日(月)09時17分29秒より

ただ、中山さんや小林さんの誤解されていることは、「売れ線のものをつくろう」という梅原さんの提案を「売れているものをサイファイと呼ぼう」という意味だと解釈していることで。
売るためにレーベルを作るのであって、すでに売れているもののためには新しいレーベルは要らないでしょ? 新しいレーベルなんかなくたって売れているんだから。


なんでも「サイファイ」と呼ばれるとしたら1999年08月09日(月)21時44分04秒より

レーベル名を長続きさせるためには、なんでもかんでも「○○」という言い方をしない方が良いと、梅原さんは思っているのでしょう。だから、商標登録とか、訴訟とか、考えちゃったんでしょうねえ。

ホラーブームは、これからホラーという商標を台無しにせずに上手く使いこなしていけるのでしょうか?
それを見極めてからですね。どっちの態度に出る方が良いか決めるのは。


言い換えが簡単にできるくらいなら、新しい名称のジャンルをつくるのはもっと簡単なはず。1999年08月09日(月)21時45分23秒より

「SFそのもの」を「サイファイ」と呼び替えるのは、「あるわかりやすい特徴をもったSFの一部」を「サイファイ」と呼ぶようにするより、数倍難しいのでは?
つまり、SF全体の呼び替えが簡単にできるくらいならば、当然、梅原さんの提案する「サイファイ構想」はそれよりも一層簡単にやれるはず。


とりあえず、梅原さんのかけ声で一社から始めてみたら良いのかも。1999年08月10日(火)13時19分31秒より

この掲示板で話されたように、実際には「SFというよりサイファイだよね」といった雰囲気の作品群は存在するし、それを多くの人が皮膚感覚で判別できているのですが。
誰にでもわかりそう、わかっているだけに、梅原さんも説明の際、「わかるだろう、あれだよ、あれ」と言うばかりで言葉を惜しんでしまう傾向にある。
それらの説明は、いったん意地悪く見ようとすると、反論側は「あれだと言われても、あれではわからない」と言ってしまえるわけで。
最初から好意的な相手にしか伝わらないという、ある種致命的な因子を抱えていますね。


「サイファイだけ」になるのは、確かにイヤ。1999年08月10日(火)16時09分21秒より

》一方の読者としてはSFがサイファイになってもならなくても関係ないでしょう。

しかし「名前のすり替え」の過程で、おそらく確実に「価値基準の変換」があるのではないかと、期待するわけですよ。
つまり、以前のSFにとって「本道ではなかったもの」「SFに似ているSFでないもの」とされていたものが、今度は中心にすわるわけです。(フォロワーが出てぐちゃぐちゃになっても、中心点はなかなか移動しないと思う。)
それがジャンル全体のリフレッシュにつながるのではないかと。
ならば、結果として名称変更のみに終わっても、やる価値くらいはあるのではないかしらん。
それに、前の発言でも述べましたように、読者はフォロワーには結構厳しいということも、ちょっと期待しているんです。


見解の相違だけなので、証明のしようがないんですが。1999年08月11日(水)10時53分34秒より

間口を広く取りすぎたら、やはり旧来型のSFとの差が明らかにならないでしょう。商品コンセプトがあやふやになって、売れるものも売れなくなりそうです。
梅原サイファイが、実際のところSFの一ジャンルにすぎないからこそ、間口は広げるのではなく、限定する方角にしかとりようがないのではないかと、私は思います。


あれもこれも、本当はSFなんだけどね。1999年08月12日(木)01時07分16秒より

で、私は今のSFとサイファイは、皮膚感覚で区分けできると思っています。
だってどう読んでも、「言壷」と「ジュラシック・パーク」は、どこか違う種類の小説でしょう?


いや、だーかーらー。1999年08月12日(木)17時24分59秒より

成功するジャンル設定手法は二種類あるんだって。
一方はなんでもかんでも突っ込む方法。もう一方は、限定して特徴を出す方法。
提唱者が限定型を提案してるんだから、それでやってもらうほかないでしょう。


いっぱい、あるっしょ。1999年08月13日(金)07時56分08秒より

》限定して特徴を出したものでそんなに成功したものってあるんですか? 唯一思いつくのは「架空戦記」もの、「スペースオペラ」ものですが、そんなに成功してるって言えるのかなあ。

ちちちちち。「ハーレクインロマンス」だって「やおい」だって「新本格」だって「ハードボイルド」だって「SM」だって、従来のジャンルに、ある一定の枠をはめて生まれたものっすよ。
特徴を打ちだすことで、商品には一定の保証が生まれて、結果、初期にはその枠で発売された本ならなんでも、って感じで売れていたりします。
結果として大量の新人が生まれて、その大部分はくずだったりもするんですが、何年かに一度そういったバブル的なムーブメントがないと作家数が増えないって部分もあるっしょ


「作家にはるレッテル」と「作品にはるレッテル」も別1999年08月22日(日)20時24分03秒より

「SF作家の書くSFに、ヒットがでていない」ということですが。
最近はもう、「SF作家」「ミステリ作家」「ホラー作家」といったくくり方は流行らないってのが実際ではないでしょうか。

しかし、すでに「作家にレッテルがはりにくくなっている」ことと、「作品にレッテルがはりにくい」ということとは、全く別な事象であるわけです。
作家にレッテルがはれないからこそむしろ、作品にわかりやすいレッテルが必要なのが現代の状況ではないかと思うのですが。


ジャンルとは1999年08月25日(水)17時19分16秒より

これも口がすっぱくなるくらい言ってきたことですが。
「新しいジャンルならば、個々の作品自体が従来になかった新しいものでないといけない」という発想は、古いし、頭が固い考えだと思います。
ジャンルというものは枠組みの変更だけでも成立しうるものです。
従来、しばしば「これはSFではない」と言われた傾向の作品を取り込み(サイファイはSFから何かを切り離すだけではありません。ですからジャンル的可能性があるのです)、逆に「メタ言語的な作品をはぶく(これは梅原氏の言い方で、ですが)」という、枠組みのシフトがあれば充分成立できるでしょう。


そこがポイントなんですよ、akaosugさん。1999年08月30日(月)18時28分14秒より

実際にはサイファイ的な作品は沢山生まれている。
そして、売れている。
しかし、「SFは売れない」という印象は強く出版業界(編集側にか?)あった。
なぜか?

売れているSF、梅原サイファイ的なSFを「本当のSFではない」「SFとしては良くない」と言い、SFの主流でないとする物言いがあるからですね。

だから、そういった売れるもの、サイファイ的なものを主流にした別のジャンルを作れば良いではないか、ってのが、「梅原サイファイ構想」。
極めて論理的ですね。


津原泰水氏の掲示板では現在、「ジュヴナイル」と「一般小説」の違いについて考察されている1999年08月30日(月)18時30分44秒より

》>しかし現在は、出版点数が増え、競争が激しくなりまして、逆に内容的な収束が起こっています。売れるものしか出なくなったので。
》という、「やおい」の現状分析がもし正しいのなら、「サイファイ構想」と「売れるものを目指す」ことは、SF業界にとってあまりいいことではないのでは。

私はやおいの現状を、けっして悪いことのようには思っておりません。
現在、やおいの売り上げは「安定して高い」のです。初期と比べ、大手の出版社が次々と参入してきて、文庫で確実に手に入れられるようになったのも、やおいが売れる物を作ることを目指してきて、そういったスタイル、読者の期待を裏切らないスタイルに洗練されたおかげだと考えています。

もし、他のものが書きたいのならば、別のジャンルで書けば良いのです。
読者は、作家のエゴに付き合う義理はありません。
作家やマニアのエゴに一般読者を付き合わせれば、SFのような衰退を招くことになりかねないと思います。


けっこうもめたんだけど、時間って残酷だなぁ。1999年08月31日(火)13時12分15秒より

今でもSFの人は「センス・オブ・ワンダー」とか「SF魂」とか言っちゃうもんで、雰囲気はおわかりいただけると思いますが。
SFマニアのそういった物言いが、そのジャンル外の人間に(他のジャンルより強く)悪影響を与える理由は、「SFは比較的
若年ではまるジャンルだ」ってことがあるのかもしれません。子供にも面白さがわかるので、わりと若くして浸かる人は浸かる。で、若いと純真だから、これと信じたもの以外はダメって言い切りもしてしまいやすい。


四不人さんへ1999年09月02日(木)10時27分57秒より

四不人さんのおっしゃるように、漫画やアニメ、映画、さらには美術、デザイン関係において、「SFに対する忌避」は存在しないだろうと、私も思うのです。
しかしながら小説においてのみ、「SF」に対する忌諱が生まれ、SFと表示しないといった具体的な行動等が発生した、と、私は考えます。
「銀英伝」にも「パラサイト・イヴ」にも「鍋が笑う」にも(笑)、SFという煽り文句はつけられなかったんで。

で、梅原さんは、「本来、SFは売れるジャンル」だから「他のメディアでは売れていて、小説でのみ売れていないSFを売る
ためには、他のメディアでの手法を取り入れるべき」と考えたのではないか、と。


忌諱された根拠はあると思うが、今は事情が変わっているかもしれない1999年09月02日(木)20時28分41秒より

》これは「読者」の忌諱ではなく、「出版社」の忌諱ですね。

「SF」という名称は売れる名称だった時期があるんです。今の「ミステリ」とか「ホラー」のように。
それを、ある時期から「出版社が忌諱しだした」。
出版社というところは、売り上げの情報を生に近い形で日々手に入れている組織であり、また売り上げによって自己の生死が決定付けられる組織でもあります。ですから、売り上げと無関係に何かを忌諱する行動というものは、あまりやらないだろうと思うのです。
忌諱し始めた頃には、明らかに、「SFと書かない方が良い」という判断があったことでしょう。どういったデータに基づいた判断なのかまではわかりませんが、それでメシを喰っている人がだした結論なので、根拠はあったのではなかろうかと、私は思います。

今現在、その忌諱に何らかの問題があるとするなら、それは「過去の判断であって、現在では事情が変わっている可能性がある」ということです。
ですから、「事情が変わっていないか」考察するのは、有意義な試みだろうと思います。


ミステリなら、本格物でさえ書ける1999年09月03日(金)04時45分30秒より

野尻さんの書いているような丸出しのSFは、「一般向け小説誌」で出せないという話をしていたんですが。
主人公に美少女をすえて、ヤングアダルトにしないとだめなんですね。だされるレーベルも、通常ファンタジーやゲーム小説、純SFを扱っているところ、要はSFのレーベルですし。
それから、「チグリスとユーフラテス」って、丸出しのSFですかね?

このあたり、前の投稿を書く際、両方とも考慮した後だったので(あまりに有名な例なので失念する人はいないでしょう)、あれなんですが(笑)。

時代小説やミステリ、ホラーがそのまんまどまんなか丸出しのものを(今やクトゥルーでさえ)「一般小説誌」に書けるのと比べて、やはりとても寂しい状態ではないですかね。
また、映画に関してはそういった「SFを忌諱する状況」はないのにも比べてみれば。
(やはり、「小説のSF」は、今は特殊な状況にあるのでは?)


ルパンなら文庫本でも買えるんだよね1999年09月03日(金)12時43分43秒より

》いうことは、三枝様が考える「SF度」というのは、
》「一般小説誌に載るか載らないか」で決まるものですか?

「SFとは何か?」にいう問いは回答がはっきりししない部分が問題なんですがね。


まあ、おちつかれて。1999年09月03日(金)15時54分28秒より

》「科学的、空想的に」全く新しい概念を提示した作品なら、「古典的名作」だってことですね。

本当に、そそっかしいですね。
「科学的、空想的に」全く新しい概念を提示するということを話のメインテーマとすることを、狭い意味で「SF的作品である」と考えます。本格SFの定義ですね。
たとえば、今は時間旅行が登場するだけでは「SF」とは言われません。たとえば「Y」や「蒲生邸事件」「ターン」のように。そういった概念は、もはや安定した共通概念として存在しているからです。
しかし「タイムマシーン」が発表された頃には、それは全く新しい概念でした。そういった作品、まず最初にその概念を提示した作品が、古典的名作であれば「SFの古典的名作」になるのですね。


最初であるってことを高く評価しすぎると怖いってのはあるんですがね1999年09月03日(金)17時21分18秒より

》私は、必ずしもアイデアが新しいことが「SFの古典的名作の条件」だとは思いません。
》そのアイデアの魅せ方が新しい、もしくはストーリーテリングが魅力的なら
》「SFの古典的名作」と言ってもいいと思います。

それは「小説として名作」の条件であって「SFとして名作である」条件をみたしているかどうかについては、意見が分かれている部分ですね。
本当は、SF的なアイデアでは評価はしない方が、「小説のためには」良いのですがね。どうも古典ってのは、えてして歴史的価値で評価さえるきらいがありますから。
今気づいたのですが、新作SFのつまらなさは、新作でありながら歴史的価値(すなわち新しい概念を提示できたかどうか、実験的に新しいかどうか)にこだわったせいかもしれませんね。


サイファイ小説はあっても、サイファイ作家はむずかしいかも1999年09月03日(金)18時38分42秒より

》それは、「サイファイが、作家につくものなのか、それとも個々の小説につくものなのか」ということです。
》梅原氏の宣言をみるだけでは、今ひとつ解りにくいでしょ?

それは確かに。
私は「作家につける」ってのは無理だと思いますね。今は「ミステリ作家」とか「ホラー作家」とかいうレッテルをはるのさえ困難な時代ですから。やはりレッテルは「作品に」はって欲しいところです。
優秀なサイファイ作家は、優秀なミステリとか書いてしまいそうですしね。

で、梅原さんの「サイファイ作家はこうあれ」という提案に関しましては、ただ単純に、「プロになったらいつまでもアマチュア気分でいるのはやめようよ」という提案として、読んでおくとよろしいのではないかと。


SF的アイデアはトリックと同じで、重視する作家もしない作家もあってよい。1999年09月03日(金)19時46分41秒より

SFにも「本格SF以外のSF」として、スペオペなどがすでに生まれていますし、サイファイがその一つとして隆盛することは、本格SFに「娯楽性というスタイルの要求」といった形でプラスの影響を与えるだろうと思います。


なぜ梅原案を支持するのか1999年09月03日(金)20時17分41秒より

私の考察順番は、そうではありません。

1.現在の活字SFの主流は「超メタ言語作品」とか、「SFとしての新しさに拘泥して娯楽性を忘れた、新しいだけの面白くない作品」である。
2.そのため、ある程度小説を読む読者の間でSFに対する忌諱が生まれた。
3.「SF」というコピーも、映画やアニメにつけることがさけられるようになったし、特に小説の帯に「SF」とつけることがさけられるようになった。
4.しかし、最近は面白いSFのアニメや映画が生まれて、SFを見直そうと考えている人々が、活字分野以外から大量に生まれている。
5.その影響は活字分野にも波及し、まず若い読者が多いヤングアダルトでSF的作品が売れるようになっている。
6.この勢いを一般向けSFにもつなげるべきである。
7.しかし、「超メタ言語的作品」や「新しいだけの面白くない作品」が幅をきかせたままでは、映画やアニメ、ヤングアダルトから流れてきた読者には嫌われるであろう。彼らがSFに求める面白さと、それらの作品は違うからである。
8.もし、そういった娯楽性のないSFが活字SFの主流のままであるのならば、別の娯楽性のあるSFを主流とした新しいジャンルが生まれると良いだろう。それがサイファイである。

ですね。


月曜夕〆の書き仕事があって1999年09月04日(土)04時28分33秒より

》要するにヤングアダルト・ライトノベル系の作品はみんな「SFのレーベル」なんですか?(^^;;

なんてことは、いっとらんです。角川ルビー文庫は、SFのレーベルではないっすね。花丸文庫もちゃいます。しかし、野尻さんが本を出しているレーベルは全部SFのレーベルです。「なんでもSFと呼ぼう主義」の私に言わせれば。

》少なくとも「なんでもSF」派の三枝さんだったら「どっからどうみてもSF」といって欲しかったんですが。違うんですか?

「どっからどうみてもSF」ですが、「どっからどうみてもど真ん中のSF」ではありません。
私が提案しているのは「なんでもSFと呼ぼう」主義であって、「なんでもど真ん中のSFと呼ぼう」主義ではありません。

《中略》

娯楽系のSFという意味では、日常SFとスペオペはわける必要がありません。しかしそれでは、レーベルのスタイル提示がしにくく、事務的な要請、商売の展開上「わけるべき」ということになるのだと思います。


朝のガスパール1999年09月05日(日)19時42分29秒より

》もっと言語実験を徹底した小説が筒井作品にはいくつもあるからです。

私もそう思います。「ジャズ創世記」でしたっけ。うろ覚えですが。
「○○の息子は○○で……」といった。旧約聖書の頭の方のパロで。
ああいったものとかの方が、極端だし、特徴を端的にあらわしている作品だと思いますね。
ただ、ああいったものを非常に高く評価している人ってのは、普段純文学を読まない人ではなかろうかと。純文学では、すでに多くの人が試みており、極普通の方法論でしたよね。


だから筒井のフォロワーには価値がない1999年09月05日(日)21時42分44秒より

「サージェント・ペパーズ」だと思うんですよ。ビートルズの。
こういう言い方をしても、50歳くらいのおじさんおばさんにしかわからないんでしょうが(笑)。
「手法として新しい」のではなく、大衆文化の担い手、それもトップランナーが、純芸術型の手法を「初めて大衆文化に取り入れた」部分に意味がある。
文化を作ったのではなく、その文化を大衆のものにしたことに彼の価値があるんですね。


やはり記憶されていなかった1999年09月17日(金)09時28分44秒より

何回も、「私は梅原さんの構想の良い部分は良い、違う部分は違うと、普通に評価しているだけだ」ともうしております(笑)。

【梅原構想の良い部分はちゃんと評価しましょうよ】というのが、ここで私が話してきた理由だったはずですが(苦笑)。


これ以上馬鹿をさらさない方がよろしいのでは?>小林さん1999年09月17日(金)12時59分58秒より

今現在、「なんでもSFと呼ぼう」ということが、きちんとできていないから、「サイファイ構想」に意義があるのです。
今の状態(「なんでもSFと呼ぼうじゃない」)よりは、「サイファイ構想」の方がはるかに現場のニーズにそくしているので。


「なんでもSF」と言えていたら、SFは衰退せず、「サイファイ構想」も生まれなかった。1999年09月17日(金)14時08分03秒より

》(「なんでもSFと呼ぼう運動」を主張している人間が梅原サイファイ理論を、たとえそれの一部であろうと支持するのは矛盾します)ね。というか、露骨に敵対する運動のような気がします。

それは、梅原さんの「サイファイ構想」の原文ではなく、他者によるダイジェスト版だけを読んでの短絡的な感想ではありませんか?

「あれはSFではない」「SFと似て非なるものだ」「SFに似たクズだ」といった表現で、大衆ウケするSFガジェットをつかった通俗的な作品類はきちんと評価されず、SFから排除されてきました。
つまり「なんでもSF」とする環境が保証されていなかったのです。
結果、「そんなものはSFではない」「SFとしては良くない、目新しくない」と言われるのが嫌さに、大衆受けするSF作品は、最初から「SF」とは名のらないようになったのです。そして、「SF」とされる側には「SFとして目新しいだけの、つまらない作品」ばかりが残るようになりました。
結果SFの衰退が起こったというのが、梅原仮説のよってたつ歴史認識であったはずです。

SFの主流の人たちが大衆受けする通俗的なSFを「あれもSF」と呼べないならばいっそ別のジャンルをつくってそれらを正当に評価しようというのが「サイファイ構想」です。


つうより1999年09月17日(金)16時46分58秒より

》「何でもSFと呼ぼう運動」は迫りくる「梅原サイファイ構想」に対して有効な反抗手段になり得るのでしょうか?

SFを救おうと思ったら、今のところ二通りの方法しかない、ってことでしょう。
一つは「何でもSFと呼ぶ」という大森望方式。もう一つは「SFという名を捨て、あらたなジャンル認識をうち立てる」梅原克文方式。
いずれにせよ、ちゃんと危機意識を持って改善して行こうしているという点で、安穏となにもしないままの旧来型ポジションよりは評価できるのじゃないでしょうか。
ただ、「座して死を待つよりも」という程度のやけくそ的な対策法にしかならない可能性は全くゼロではないってところが、ま、あれなんですが。


ちょっと違う1999年09月20日(月)15時36分41秒より

》そもそも私は、「作家というのはワン&オンリーなもの」だと思っています。

いや、作家って個々に動かしがたい癖があるからこそ、枠に入れても大丈夫なんですよ。
癖って、箱に入れれば入れるほど、はみ出して匂うものじゃないですか。

しかしこの話をつきつめてやると、努力不毛論に繋がりそうで、いやーんな気分になりますんで、やめといた方が良いんだろうな。


あれは良かったですね1999年09月21日(火)09時43分11秒より

ホラー文庫が創刊された当時、ホラーを読む奴は「性格の暗いオタク」「反社会的人間」「とどのつまりは変態」というイメージがあって、買うのはかなりはばかられていたものですが(私は学校の図書貸し出しカードの記録から、教師にチェック入れられたことがあった)、あの表紙だとレジに出すのが恥ずかしくなかったですもん。
買うのに抵抗がなくなるという、すっごく大きな効果があった。

私は瀬名秀明氏の本があんなに売れた理由の一つに、従来ホラーにあった「格好悪い」「とにかく暗い」というイメージをうち消した効果ってのは無視できないと思っています。
若手バイオテクノロジー学者の書いたエンターテインメントときたもんだ♪


文庫だと冒険ができる1999年09月23日(木)12時16分38秒より

》7・文庫書き下ろし作品は少なくてもかまわない。

これ、重要なポイントだと思うなあ。
比較的無名な作家、新人だけで新しいシリーズをつくって売るなんて不可能だと思う。
それよりも比較的人気のある作家に、「こういったライン」というだいたいの指針を与えて、それに沿った雰囲気の作品をつくってもらうだけでなく、「こういったライン」と編集側が考える範囲にはまる既刊本の中で出来の良いものを集めて文庫化する、もしくは文庫の復刊をするというのは、ものすごく良い手でしょう。

そうすると4つの利点があるんです。
1)新しい文庫シリーズに興味のない読者も、自分の好きな作家の本なら読むだろうし、それがその作家の作品の中で特
に自分の趣味にあう傾向だと思ってくれた場合には、その傾向の作品というふれこみの文庫シリーズ自体に興味をもってくれる可能性がある。
2)すでに出版されている本であれば、依頼原稿と違って、より厳しい選択基準を設けることができ、シリーズ全体のレベルがあがる。(これは翻訳本を出版する利点でもある。)
3)既刊本を出すことによって出版点数を増やすことができ、本屋でシリーズとして目立てる(棚を確保できる)し、また依頼された作家や新人賞に応募する人にシリーズの目指す傾向をはっきりと伝えることができる。
4)ある程度売り上げのめどが立つので、企画があげやすい。

それらの出版をハードカバーではなく文庫でやる利点は、以下の2つです。
1)書き下ろしでなくてもあるていどの売り上げが期待できる。(ハードカバーから文庫になるのを待っている人がいるので。)
2)単価が安いので、無名の新人の作品やちょっとタイトルが気に入っただけの本といった、通常ハードカバーではまず買わない本を買っていく読者が期待できる。(つまり出版側の冒険を、読者の側にも受け入れる余地がある。)


主観の相違にすぎないでしょうが、私は明白だと思います。1999年09月28日(火)14時13分32秒 より

》う〜ん、また分からなくなってきた(泣)。「SFパニック小説」ってのは分かりやすかったんだけどなあ。

「パニック小説」でもかまわないんですがね。「パニック小説」と言うと、たいていの人は「大パニック」が起こる話に限って考えてしまうので、「あまりひきずられないで下さい」と申しました。
日常に異常なことが起これば、みなさん多かれ少なかれパニックを起こしますよね。その異常なことが科学的、論理的に説明されるSFガジェットならば「SFパニック」であり、なんだかわかんないと「ホラー」とか「ファンタジー」とかになるでしょう。
ちょっとした異物侵犯パニックは「天使の囀り」も「パラサイト・イヴ」も「スキップ」も要素としてもっています。

《中略》

》別系統であるという分類の基準と、

舞台がまず日常から始まるかどうかですね。
小説内世界での常識は、この現実社会と同じであるということが「サイファイ」の条件です。

》その分類が「売れる・売れない」とどういう関係があるか、と言うことなんですけど。

「サイファイ」の舞台と登場人物の認識は、現実の世界、現代人と同じです。そのことで読者は容易に作品世界に意識を入り込ませることができますし、登場人物に自己投影することもできやすくなります。
そういった要素は売れる可能性につながります。誰だって、共感やあこがれを持つことのできる主人公が好きなのです。

《中略》

》取りようによってはどうとでもとれる基準を元にするのはどうかと思います。

梅原さんの提案は明確であり、どうとでもとれるようなものではないです。
特に小説作成法に関する見解は、異様なまでに具体的で、構想ではなく単なる技術を語っているだけではないかという批判を受けたぐらいだと記憶しています。

》えーと、「存在しない」とは思っていません。梅原さんのその定義では、彼がサイファイとは区別しようとしている「超メタ言語作品」との違いが分からない、ということですね。

そうですか? 違いは明白で、わかりやすいと思いましたが。


いちおう1999年09月28日(火)19時54分50秒より

四不人さんの適切な質問のおかげで、私のサイファイの関する考えもだんだんと整理され、まとまって来ました。ありがとう


四不人さんへ・11999年09月29日(水)07時18分15秒より

四不人さんは、「梅原さんの定義が明確ではない」ことをサイファイ構想の最大の欠点のようにおっしゃいますが。
では、質問をします。
明確でわかりやすい定義をもったジャンルが一つでもありますか?

たとえばミステリ。「謎と解決のある物語」「犯罪を扱った物語」そのどちらを定義にしても、定義に入らないミステリ作品と、定義に入ってしまう非ミステリ作品の存在を作り出します。
たとえば時代小説。何時、西暦何年からが時代小説の区分で、何年からが現代小説ですか?
たとえばポルノ。作品の何割がベッドシーンもしくはそれに類するシーンによってしめられるとポルノでしょうか? それとも表現のどぎつさ? どぎつさのなどは四不人さんのおっしゃるところの「解釈によってどうとでもとれる」ですよね?
ホラーは? 怖ければホラー? でも、怖さってなに?

境目がびっしりくっきりつけられないことは、サイファイ構想の欠点でしょうか?
いったいどのジャンルにきっちりした定義ができているというのでしょうか?


定義はできるんです。ただ、境目があいまいなだけ。1999年09月30日(木)10時19分09秒より

》定義できないなら境目は何によってつけられるのか

だから、定義はきちんとできているんですって(笑)。


境目はどのジャンルでもあいまい1999年09月30日(木)12時06分13秒より

境目がはっきりしない例ではないのですか?
定義が曖昧なのではなく。
境目が曖昧なのは、どんなに明確にしても改善できませんよ。そもそも小説のジャンルの境目は、すべてのもので曖昧だからです。

《以下略》


すべての作品にキャンペーンをはることは不可能1999年09月30日(木)12時30分20秒より

》・たとえ人気作家でないと無理にしても、読者になじみのない世界を立ち上げるのは十分可能である(人気作家の部分を「新人の賞受賞」「出版社のキャンペーン」に置き換えても可能ですから)

キャンペーンとは、作品世界のイメージをふりまくことによって、「新しい世界」を強引に短期間に「お約束の世界」に変えてしまう手法です。
すべての作品が読者になじみのない世界を提示する傾向にある「本格SF」では、全部の作品に盛大なキャンペーンが必要となります。すべての作品をバンバンコマーシャルすることは可能ですか?
(つまり梅原さんは、キャンペーンなどに頼らなくても良い方法を提示しているのですが。)
お約束を確立するのに膨大な時間と手間を要するそういった「新しさを求める」というSFの特性が、商業的に大変不利であるということなのですが。


うーん、明日は忙しいからお返事できない分急いだんですが。1999年09月30日(木)16時37分59秒より

私は、梅原サイファイには「成功する可能性もある」という話をしているわけで、つまり「成功する」「成功するかもしれない」「成功するとも失敗するともどちらとも言えない」といういずれの場合でも問題ないと思っています。
要は、確実に失敗するわけではないので、やらしてやったらどうだろうか? 成功する可能性もある、という話をしているのです。

つまり、「確実に失敗する」もしくは「失敗する可能性が、誰が考えても高い」という事例が出た場合にのみ、意見が変わるということです。

にもかかわらず、四不人さんを含む多くの方が「成功するとは限らない」「他の人は知らないが、僕は買わない」というお話をなさるのみです。
それでは、「そうかもしれませんね」としか言いようがないし、それもOKだろうとしか言えないので、困っているのです。


常套句だと思うけど1999年10月02日(土)01時46分27秒より

》別のものだと主張することが
》意味不明になってしまいますね。

えっ!? レーベル名やコピー名で、「これはもはや○○ではない! これからは××と呼んで下さい」などという煽り文句は普通じゃないですか。
問題は客が本当にそう呼んでくれるかどうかだけど。それは名前がオシャレかどうかであって、区分けがきちんとしているかどうかじゃないっしょ。


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