[戻る]

そこに読点が入れば…

―――― 窪田氏の「同じでなくて良いんです(^^;;」より ――――
カムナビ、少なくとも屍鬼ほどは売れていないと思うのです。売れていないとしたなら、梅原先生の理論がどこか間違っていたのか、創作段階でなんらかのミスをしたのか、二つに一つってことになると思います。
――――――――――

―――― 小林さんの「Re: 同じでなくて良いんです(^^;;」より ――――
窪田さんが、「梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、『カムナビ』は売れている」とお考えになる根拠は何ですか?
――――――――――

―――― 窪田氏の「SFだからという考えは僕にはあまりないのです」より ――――
すみません。僕がいつ「梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、『カムナビ』は売れている」と考えたのでしょうか? 教えてください。
僕が考えたのは、「もし売れていないとしたら(この前提条件、最重要!)、梅原理論が間違っていたのか、創作段階でミスがあったか、いずれかであろう」なんですが(^^;;;;。
――――――――――

―――― 小林さんの「あれこれ」より ――――
上の文、そういう意味ではないのでしょうか?
窪田さんは
「『「カムナビ」が売れていないとしたら、梅原理論が間違っていたのか、創作段階でミスがあったか、いずれかだ』と思う」
と書かれたんですよね。
これは
「『梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、「カムナビ」は売れている』と思う」
ということですよね。
どうして、そう思われたんですか?
――――――――――

―――― 窪田氏の「読点を入れないでください。」より ――――
>上の文、そういう意味ではないのでしょうか?

違います(^^;;;。

>これは
>「『梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、「カムナビ」は売れて
>いる』と思う」
>ということですよね。

いや。
やっとわかったのですが、小林先生は僕が、「『梅原理論が正しくて総作段階でミスがなかったならば、「カムナビ」は売れるはず』と思う」と思ったとお考えになったのですね。
それならばイエスです。
梅原理論は、こうすれば売れるという説ですから、もし売れなかったら、こうすればの部分が間違っていたか、こうすればというふうに作者ができなかったかの二つに一つになります。

しかし「『梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、「カムナビ」は売れている』と思う」とは、僕は言っていません。
そこに読点が入れば文章は別の意味になります。
そこに読点があると、「梅原理論が正しい」と「総作段階でミスがなかったなら、「カムナビ」は売れている』」との両方を僕が思っているということになります。
僕はそういう読点入りの考えは持っていません。
――――――――――

―――― 小林さんの「あれこれ」より ――――
普通、そう読む方が難しいのでは?
そういう意味なら、僕は
「梅原理論は正しい。だから、創作段階でミスがなかったなら、『カムナビ』は売れている」
と書きます。
しかし、どう読むかは個人によって違いますし、これ以上議論を続けても水掛論になりそうなので、誤読の話題はこれまでにしましょう。
窪田さんにも質問の真意が伝わったようですし。
――――――――――


 これは凄いです。

 何が凄いって、

 おそらく後者は世にも稀な珍説を主張してしまったことをごまかすための、その場凌ぎのでまかせだとは思いますが、そうだとしてもこのようなごまかし、「そこに読点が入れば文章は別の意味になります。」という誰がどう見ても通りそうもない主張がされてしまうあたり、本当に凄い

 高校数学の復習も兼ねて、一連のやりとりについて解説を加えてみたいと思います。

 まず、窪田氏の主張を、扱いやすいように整理すると次のようになります。


もし【『カムナビ』が売れていない】(命題A )が真であるならば、【「"梅原理論"がどこか間違っていた」「『カムナビ』創作段階でなんらかのミスをした」のいずれか】(命題B )も真である


 命題B を、【"梅原理論"がどこか間違っていた】(命題C )と【『カムナビ』創作段階でなんらかのミスをした】(命題D )の論理和(OR)として整理すると、窪田氏の主張は次のように書けます。

AC OR D

 この命題の対偶を作ってみましょう。対偶は、逆にして、それぞれを否定(NOT)することですから次のように書けます。

NOT(C OR D ) → NOT(A )

 NOT(C or D )がちょっとややこしいですね。これはド・モルガンの法則により NOT(C ) AND NOT(D ) と変形できます。

 さて、この対偶の命題を改めて書き下してみましょう。


もし【"梅原理論"が正しい】(命題C の否定)かつ【『カムナビ』の創作段階でミスがなかった】(命題D の否定)が真であるならば、【『カムナビ』は売れている】(命題A の否定)も真である


 小林さんによる読解が導かれました。…と、小林さんによる、とわざわざ言わずとも誰もができる、当たり前の読解であるわけですが。(一応窪田氏も、上記の読解が間違っていない事は、ちゃんと認めている

 この程度の当たり前の読解を、すぐにはできない窪田氏の国語力、如何なるものと言うべきなのでしょうか?

 さらに。

 窪田氏は「梅原理論が正しく創作段階でミスがなかったならば、『カムナビ』は売れている」と「梅原理論が正しく、創作段階でミスがなかったならば、『カムナビ』は売れている」は、「そこに(「〜正しく」と「創作段階で〜」の間に)読点が入れば文章は別の意味になります。」とまで言います。

別の意味になんかなんねぇよ!!

 たしかに日本語には、読点の位置が変わる、無くなることによって意味が変わる、掛かり受けの関係があやふやになって意味が捉えにくくなる、そういうケースはあります。例えば『老いたる霊長類の星への讃歌』(J・ティプトリーJr.)。

 この場合【老いたる霊長類】の【星への讃歌】なのか、【老いたる霊長類の星】への【讃歌】なのか、よくわからなかったりします。『老いたる霊長類の、星への讃歌』のように読点を入れるだけで掛かり受けの関係は明白になるわけです。(ちなみに正解は【老いたる霊長類】の【星への讃歌】。原題"STAR SONGS OF AN OLD PRIMATE")

 がしかし。「梅原理論が正しく創作段階でミスがなかったならば、『カムナビ』は売れている」「梅原理論が正しく、創作段階でミスがなかったならば、『カムナビ』は売れている」はそういうケースに該当しないのは明白です。さらに言えば、文脈によっても【「梅原理論が正しい」と「総作段階でミスがなかったなら、「カムナビ」は売れている』」との両方を僕(窪田氏)が思っている】などという読解が不適当であることは保証されています。小林さんの発言をもう一度振り返ってみましょう。

―――― 小林さんの「Re: 同じでなくて良いんです(^^;;」より ――――
窪田さんが、「梅原理論が正しく、総作段階でミスがなかったなら、『カムナビ』は売れている」とお考えになる根拠は何ですか?
――――――――――

 窪田氏の意見の根拠を求めているわけで、ここでわざわざ「"梅原理論"が正しい」と「『カムナビ』は創作段階でミスがなかったら売れていた」と分解するのは議論の流れを無視した行為以外のなにものでもないでしょう。

 ここでとある人のお言葉を引いておきましょう。

―――― 三枝さんの「うーん」より ――――
 でも、文脈を読めない人、いますしね。(自分のこと利口だと誤解したままなんだろうなあ。)
――――――――――

 確かに、文脈を読めない人はいました。窪田氏が自分のことを利口だと誤解したままなのかどうかは、言及しないでおきましょう……


[戻る]