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三枝さん先ず宣わく
「それで疑問に思うのですが、SFの古典的名作は、現在その多くがなぜ「ジュヴナイル」としてのみ供給されているのでしょうかね? 発表当時は成人向けに書かれ、成人読者ばかりであったはずなのに。」
此れを受けて四不人さん宣わく
三枝さん答えて曰く
「ウェルズの「宇宙戦争」なんかは、社会現象になったそうです。バロウズの「ジャングル・ブック」は当時の社交界で大流行したそうですし(「デビュー」という言葉は社交界用語でして、そこからわかりますように、社交界は大人にならなくては参加できなかった)。」
(※筆者注:「ジャングル・ブック」の作者はラドヤード・キップリング。(E・R・)バロウズは「ターザン」シリーズなどの作者ですね。)
三枝さんのお返事が、「質問」に対する「回答」としてどこかおかしいことに気づかない人は少ないと思います。
すぐ疑問として思い浮かぶのは「じゃぁ子供向けのものは社会現象にならないの? 社交界で流行らないの?」でしょう。
証明を求められている命題は「成人向けである」ことで、それを証明する方法の一つは「成人向けである」ことを必要条件とする命題を提示することです。三枝さんのやろうとしていることをそうだとすると、三枝さんの言を整理した場合次のようになります。
これが変なのは対偶を提示してみればすぐわかります。
対偶の関係にある命題は、論理的に同値です。一方が真で一方が偽ということはなく、一方が真であればもう一方も真であるし、一方が偽であればもう一方も偽です。「A が社会現象になったのならば → A は成人向けである」が正しければ「A が成人向けでないのならば → A は社会現象にならない」も正しい、ということを示すのです。
ここで最初のほうで提示した疑問に戻ることになるわけです。
「子供向けのもの(大人向けではないもの)は社会現象にならないの? 社交界で流行らないの?」
結論から言えば、もちろん、成人向けかそうでないかということは「社会現象になること」および「社交界で流行すること」に関係ありません。「子供向け」でありながら社会現象になったもの、また大人でも楽しめる「子供向け」のものというのは少なからずあります。
例を挙げるなら、まずミヒャエル・エンデの『モモ』があります。『モモ』は童話作家であるエンデが児童文学として書き上げた作品でありますが、その内容は大人にも感銘を与えうるものであり、事実広く大人にも親しまれた作品であります。他にも子供向けでありながら大人にも広く親しまれている作品には J・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』があります。『ホビットの冒険』も子供向けに書かれたものであることは史料から確認することが可能です(トールキンが自分の4人の子供のために書いたという)。
日本の身近な例をあげるなら「セーラームーン」や「ポケットモンスター」なんかも挙げてよいでしょうね。大人に広く受け入れられたかどうかはさておき、これらは立派に社会現象になってます。
三枝さんに対しては「必要条件と十分条件が区別できない」という指摘があるわけですが、以上はそれを窺わせるエピソードと言っていいと思います。というか「必要条件も十分条件もわかっちゃいねぇ!!」だよネ。
<1999/12/04 補足>
「子供向けのモノでも社会現象になる」ということに対して、三枝さんは「社会現象になったら、それは成人向けってことなんです」って反論をすると個人的に予想してました(このことをつきつけるまでもなく場は『ターザン』のタイトル問題で荒れましたが)。これはこれでおかしいですよね。「ポケットモンスター」や「セーラームーン」なんかの存在をうまく説明できなくなります。子供向け、大人向け、という区分が「X歳以上対象」(もしくは「全年齢対象」)「XX歳以上対象」という違いであり、「XX歳未満対象」「XX歳以上対象」といったような違いでない以上、「社会現象になる」云々などといった条件で成人向けであるかどうかを定義しようというのは間違いなのです。
三枝さんは、私の
「ウェルズの「宇宙戦争」が社会現象になったのは、かの有名なラジオドラマの騒動が由縁であり、それを以って小説の「宇宙戦争」が成人向けかどうかであるかは言えない 」
というツッコミを受けて
なんて楽しいことをおっしゃってくださってます。だから「『社会現象になる』のも『大の大人が本気にして騒ぐ』のも、『成人向けである』が必要条件じゃない」んですが、仮に必要条件であるかどうかに目をつぶっても、三枝さんの言い分はおかしいのです。
まず「『宇宙戦争』が社会現象になった」と言えるのは1938年、アメリカのラジオドラマ『宇宙戦争(火星人襲来)』による大騒動くらいです。小説の『宇宙戦争』に話を限りますと、『宇宙戦争』は1898年発表で、当時のイギリスに H・G・ウェルズブームと呼べるものは確かにありました(一応書いておくけど、ウェルズはイギリスの作家です)が、それは『タイムマシン』(1895)『透明人間』(1897)などの連続ヒットの延長にあるもので、「『宇宙戦争』は社会現象になった」と言えるような状態ではありません。
そして1938年のラジオドラマの『宇宙戦争(火星人襲来)』はあくまでラジオドラマで、小説の朗読ではありません。ラジオドラマ向けに、なによりハロウィン・ジョークとして大人も思わず信じ込んでしまうようにその脚本は書き直されていました。それを以って、小説の『宇宙戦争』が成人向けであると言っていいんでしょうか? もちろん言えるものではありません。
このように、三枝さんは「浅はかな知識で安易に物事を言い切るような人」であり、「論理のなんたるかのわからぬ人」であるわけです。
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