映画とブラザース・フォア |
日本では米国より半年遅れて発売されたグリーンフィールズ。残念ながら、日本ではそんなには一般には受けなかった。日本コロムビアとしても、その後どうしようか?と悩んだろう。ところが、そこに救世主が出現!!それは・・・映画の主題歌。 |
アラモ |
1960年の暮れに「アラモ」が公開されることになり、その主題歌がブラザース・フォアに回って来た(というよりコロンビアのプロモーションでしょう)。映画の中にブラザース・フォアの歌声は出てこないし、他にもこの映画の曲を歌う歌手は出て来ますが「The green leaves of summer」は彼らの持ち歌となり、全世界で発売された。米国ではビルボード65位記録。 |
下は日本発売のドーナツ盤。どういうわけか同じレコード番号で2種類のジャケットがあります。 |
ところでジャケットを見て「あれっ!?」と思われたことでしょう。ブラザース・フォアの「遙かなるアラモ」はB面で、A面はマーティ・ロビンスの「アラモの歌」(ここ)と大きくタイトルされています。「アラモの歌」もこの映画関係の曲で、こちらは正にアラモの物語が歌詞になっている歌です。 なぜ、これがA面に採用されたのか?今となっては不思議な限りです。ちなみに米国でのシングルはブラザース・フォア曲の組み合わせでA面が「The green leaves of summer」でB面は「Beautiful Brown Eyes」となっています。推定するに、日本コロムビアとしてはブラザース・フォアはまだ未知数で、カントリー界とミドル層にもよく知られていたマーティ・ロビンスの方が受けるか、と思ったのではないでしょうか?それは見事に外れ、結果として大ヒットしたのはブラザース・フォアでした。 |
ブラザース・フォアの曲は英語曲名とは全然違う「遙かなるアラモ」と日本語曲名になっていますが、映画アラモを忍ばせる絶妙なネーミング。また、最初の「ウ~ウ~」というフレーズが美しく新鮮でしたので、人々、特に若者への印象が強かったです。 |
こうして1960年暮れから1961年初頭にかけて、ブラザース・フォアのこの曲はヒットし、あるヒットランク(ここ)では1961年の年間5位という見事な成果を收め、彼らの名声は高まった。1961年6月には日本での最初のLP「Best Music on/off campas(魅惑のグループ)」が発売され、折からのフーォクソング・ブームの中でブラザース・フォアは多くのファンを作っていった。 |
気球船探検 |
1962年の末、また映画主題歌が舞い込んで来た。「気球船探検(Five weeks in a ballon)」というコミカルなストリーの映画。「80日間世界一周」のモジリみたいな感じ。ブラザース・フォアはこの主題歌を映画の中で歌うことになりました。映画にブラザース・フォアの歌声が登場するはあまりありません。写真クリックで映画タイトル部分へリンク。 |
2分もないような短い曲ですが、最初の口笛が印象的なハイテンポな明るい曲で、日本でも大ヒットはしませんでしたが、当時の電話リクエスト番組なんかのベストテンにはランクインされた曲です。B面はブラザース・フォアの「サマータイム」。 |
米国版のB面はブラザース・フォアの「Land Of The Midnight Sun[という曲で他のアルバムには入っていないので知られていません。 |
西部開拓史 |
次の年、1963年には大作「西部開拓史How
the west was
won」が公開されることになった。映画主題歌としてはメインはオーケストラによる演奏だったが、サブではデビー・レイノルズの美しい声でグリーン・スリーヴスのメロディーを使った「A
home in the meadow」(ここ)が印象的だった。残念ながらブラザース・フォアはこれには直接絡めなかった。 さて、ここで日本コロムビアとしては何とかこの映画にもブラザース・フォアを食い込ませることができないか、と思ったのか、グリーン・スリーヴスを登場させた。 |
これはかなり無理があるし、実際売れなかっただろう。B面は曲がないので、昨年の気球船探検を温っため返し。この強引こじつけ販売は米国ではありませんでした。 ところで彼らの歌唱とデビーレイノルズの歌唱では微妙に違う音程がある。最初の部Dm調で音程を書くとブラザース・フォアはDFGAA#A レイノルズはDFGABA と半音違う場所がある。標準的な音階はブラザース・フォアの方だが、ヨーロッバの古い音律にレイノルズスタイルのがあると聞いたことがあり、元歌はレイノルズのに近いのかも知れない。この差はイメージ的にはレイノルズは明るく、ブラザース・フォアはマイナー調の暗い感じを受けます。 |
北京の55日 |
更に1963年10月再びブラザース・フォアの名前を広げることになる映画「北京の55日55 Days at Peking」が公開され、映画には直接の歌声は登場しませんが、ブラザース・フォアがメインテーマ曲を大々的に発表しました。 |
米国版のB面はブラザース・フォアの「All For The Love Of A Girl」。静かなラブバラードだが他のアルバムには入っていない。 |
日本版のB面はアンディー・ウイリアムスの「北京のテーマ」。どんな曲だったのか不明です。 |
日本では映画も歌もヒットした。映画にはブラザース・フォアの歌は入っていないが映画館新宿ミラノ座での休憩時間には連続で流されていた。最初の「プンプンプン・・・」というのが強い印象を与え、この曲は日本のシングルレコード年間ランクの記録サイトでは1963年に32位(ここ)、1964年41位(ここ)と2年に渡って大ヒットした。 シングル盤の発売が先行し、そのうちアルバムに入って来るだろうとシングル盤は買わなかったが結局ベスト盤を除きアルバムには収録されなかった。気球船探検もアルバムには収録されなかった。また「北京の55日」は大変人気あったにも関わらず、日本公演では1964年に歌われただけで、その後は歌われることは無かった。版権的な制約だったのか、政治的理由だったのか? |
アルバレス・ケリー |
久しぶりの映画主題歌シングルは南北戦争を描いた1966年11月公開の「アルバレス・ケリー(Alvarez Kelly)」。見た記憶なかったが、調べてみると映画の中でブラザース・フォアは歌っている。写真クリックでYouTube表示。 |
日米ともにヒットはしなかった。日本版のB面は「ジョン・B・セイル」 、米国版はビートルズアルバムから「We Can Work It Out」でどちらも映画とは無関係。 |
深情密碼 |
ブラザース・フォアはその後も幾つもの映画音楽を歌っているが、最後に台湾の連続ドラマでブラザース・フォアの「Try to remember」が効果的に使われているのを紹介する。ドラマのタイトルは「深情密碼(英語名Silence)、28回シリーズで最終回の最後の場面で使われている(写真クリックでYouTuveリンク)。台湾・日本で2007年に放送された。女性主人公は韓国女優パク・ウネ。 |
その他の映画音楽 |
ブラザース・フォアは上記以外にも「ラブ・ストーリー」「2ペンスを鳩に(メリーポピンズ)」「タワーリング・イン・フェルノのテーマ曲We May Never Love Like This Again」などの映画やミュージカルの曲を歌っている。「あれっ、ブラザース・フォアってフォーク・ソングのグループでは?」と疑問に思ってしまうが、映画音楽以外にも一般的なポップス曲も多く、演奏のスタイルとしてはギターとバンジョー、ベースといった伝統的アメリカン・フォークのスタイルだか、歌っている曲目は押し並べていえばポップスと言っていいでしょう。 |